2006長野オリンピック記念長野マラソン
ー故障との闘いー
故障とのいたちごっこ
 2005年末のホノルルマラソン(「ホノルルマラソン2005ーはじめてのハワイが最高の舞台にー」参照)後、なぜか左脚ふくらはぎの故障に数回見舞われ、故障の少ない私にとって久しぶりの怪我に狼狽しました。ホノルルマラソンの直前から超スロー(時速8キロ程度)のLSDに挑戦して身体機能の改善やランニング姿勢の矯正に努め、また、シューズの変更もしました。これら幾つかのランニングにかかわる変更点があったために故障の原因を容易につかめないままなんとかそれを克服し、わずか1週間の調整で1月 20日の高槻シティ国際ハーフマラソンに出場しました。結果は、このコースのベストタイムより3分53秒遅い1時間44分55秒で、故障していた割にはよいタイムで走り切ることができました。

 しかし慎重な調整にもかかわらず、私に最も相性のよい京都シティハーフマラソンの8日前の3月4日に再びふくらはぎを故障し、絶望的な状態に陥りました。必死のテーピングや薬剤の塗布などの処置が奇跡的に効果を発揮し、レース直前には違和感なく走れるまでに持ってゆくことができました。しかし、それは表面的なことだったのでしょうか。9キロまでは快調にキロ5分弱のペースで走っていましたが、突然再びふくらはぎに異常を感じ、1ヶ月後に迫っている長野マラソンのことを考え、早めにと考え、10キロ直前でリタイアしました。
故障からの脱却
 その故障の原因についてはトレーニング方法の変更、オーバートレーニング、あるいはシューズの変更など幾つかが考えられましたが、ちょっとしたきっかけから多分シューズの変更が主な原因である可能性が高いと考えるようになりました。特に、ホノルルマラソンの直前からの主たる変更点はシューズだったということが原因を考える上での大きなポイントだったのです。そのため、長野マラソンの2週間前に再び故障を再発した時点で、同じタイプのシューズ(Nike Air Zoom Katana Cage)ながら新しい色として販売され、私の感覚ではそれまでのものと異なることに注目してそのシューズに変更してみました。その結果、ふくらはぎと腰の重い状態に劇的な改善が見られ始めたことから、その新しいシューズを使用し細心の注意を払いながらの調整となりました。

 その調整は、しかし遅々として進まず、4月2日の時点では走歩行したトータル5キロの内1.5キロを恐る恐るジョギングする程度でそれ以外はウオーキングに終始しました。その翌日には3キロをジョグし、4月4日になっても7キロの内の2/3をジョグする程度でしかありませんでした。それでもそのような調整をその後10日間続けた結果、奇跡的に脚の状態が改善され、とても出場することは不可能と思っていた長野のスタートラインに立つことができました。この数ヶ月ほど、レースでスタートラインに立つことの難しさを感じたことはありませんでした。もちろんトレーニング不足は否めず、ただただこれまでの蓄積を頼みにするしかありませんでした。
レース結果
 当日は、1週間前からの低温と雨の予想が突然全くはずれて太陽が照りつけ、午前8時35分のスタート時には既に摂氏10度を超えるかなり気温の高い暑い一日となりました。そんなことに振り回されながら、しかし細心の注意を払って無理をしないよう、また急激な速度変化をしないように気をつけながら走り始めました。以下はその経過です。設定したラップタイムは特に遅く設定しても故障の再発が防げられるとは考えなかったため、うまくペース配分のできたホノルル方式に従うこととし、1キロあたり5分34秒としました。ラップは1キロ毎に測定しましたが、2キロ毎にまとめた方がわかりやすいと考え、以下のように表しました。なお、ラップは坂などは無視し平坦としてナイキのカリュキュレーターが計算しました。「実測ー設定」がマイナスの場合には設定したラップより速く走ったことを意味し、プラスの場合にはその逆となります。分かり易いようにこれらのデータをグラフとして図1にも表しました。
         設定ラップ(mm:ss)  実測値(mm:ss)  実測ー設定(mm:ss)
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  2k     11:08                      10:39                 - 00:29
  4k           11:08                      10:29                 - 00:39
  6k           11:08                      10:36                 - 00:32
  8k           11:08                      10:48                - 00:20
 10k          11:08                      11:00                 - 00:08
 12k          11:08                      10:49                 - 00:19
 14k          11:08                      11:15                 + 00:06
 16k          11:08                      11:09                 + 00:01
 18k          11:08                      10:44                 - 00:24
 20k          11:08                      11:23                 + 00:15 五輪大橋
 22k          11:08                      11:03                 - 00:05
 24k          11:08                      11:02                 - 00:06
 26k          11:08                      11:35                 + 00:27             
 28k          11:08                      11:34                 + 00:26
 30k          11:08                      11:57                 + 00:49
 32k          11:08                      12:31                 + 01:23
 34k          11:08                      12:25                 + 01:17
 36k          11:08                      12:55                 + 01:47
 38k          11:08                      14:34                 + 03:26 松代大橋
 40k          11:08                      13:58                 + 02:50
 42k          11:08                      13:48                 + 02:40
42.2k         01:06                      01:22                 + 00:16
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  10k        53:54
  25k      2:16:43
  30k      2:46:33
Goal       4:08:10 (Gun Time、公式タイム)
             4:07:48 (Finish Time、手元の時計)
 計算上の中間点の時計、1:54:24
図1.設定ペースとの2キロ毎のタイム差(秒)
図2.ホノルルマラソン時の設定ラップとのタイム差
 ご覧のように、26キロあたりから設定ラップを維持できなくなり、特に32キロからは相当苦しく、後4キロとなる松代大橋の上り坂は脚がどうにもならない思いをしました。この苦しさは、マイル毎と2キロ毎との差はあるにせよ、図2のホノルルマラソン時の設定ラップとの差を見られれば明らかです。この後半の差がホノルルのタイムとの16分もの大差を生んだことになったのは明らかです。しかしホノルルでの中間点のタイムは1時間56分03秒に対して今回の長野では1時間54分24秒と2分ほど早かったのですが、中間点まではそれほどの疲れを感じることもなく走れたことから、これからは後半の落ち込みを少なくすることに努力が払われるべきと考えています。 それにしてもホノルルでは、いまから考えれば後半の落ち込みは無きに等しいとも思える絶妙のペース配分であったことが伺えます。

 この後半の落ち込みの原因は、ひとえに故障による走量の減少に尽きるように思います。たとえば昨年の5月は266キロ、6月は200キロ、7月は212キロ、8月は256キロ、9月は199キロ、10月は198キロ、11月は241キロに対し、ホノルルマラソンを走った12月は故障発生があったことなどから115キロに落ち込み、今年になって故障が何度も再発したことから1月は176キロ、2月は151キロ、3月は125キロと極端に落ち込んでしまいました(図3)。また故障を持っての走りは、その距離が落ちるだけではなくスピード練習もできないことになり、二重の意味で脚力を落としてしまうことになります。その結果が今回の極端な後半の落ち込みにつながったと考えられます。
図3.走行距離数の変化
故障経験から得たもの
 今回の故障から得たものは大きかった。それはシューズの身体全体に与える影響の大きさを知ったことである。当たり前のことであろうが、故障してみて始めて分かることでもある。現佐倉アスリートクラブの小出義雄氏は、順天堂大学在学中、アルバイトで稼いだお金は全てシューズにつぎ込んだという、「当時の学生では考えられない靴へのこだわりだった。それだけ、陸上への情熱はけた外れだった」とのことである(読売新聞、http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/chiba/kikaku/102/ )。また、この新聞記事にも登場する教え子の河合美香氏(現びわこ成蹊スポーツ大学講師)は、小出監督からシューズの大切さをたたき込まれたという。

 そんな雲の上の方々の比較にならないような私のレベルでも、さまざまなものに敏感に反応して故障はするのである。今回の経験をもとにしての多くの方々からの教えによれば、シューズは極端にいえば1足1足で違うと考えるべきだということであった。たとえば、材料の質やその材料がどれくらい寝かされていたか、またそれがいつ作られたかなどのさまざまな条件に依存して造られるシューズは違ってくる。従って、同じ名前(型)のシューズであったとしてもロットによって違うと考えられ、使ってみて違和感を感じたら別のロットのものを躊躇なく求めるべきということである。もったいないという感は免れないが、ハーフマラソンにしろフルマラソンにしろ、あるいはそれに備えての練習では何万回何十万回のステップを踏んでいるのである。ごく僅かの身体との不一致はその使用の継続によって徐々に蓄積し、そのうちに大きな故障の引き金を引くことになるのであろう。

 今回の故障の場合にも、ふくらはぎの痛み、内転筋の強い張り、そして腸腰筋の緊張から来る特徴的な下腹部の不快感と腰の重さなどが同時に現れ、同じメーカー製で同じ型の別のシューズへの変更でそれらは同時に消滅していったのである。人の身体の複雑さと同時に明快さをも感じさせてくれた。現在のシューズ市場では新しいタイプのシューズが次から次へと現れては消えてゆく状況である。したがって、自分によく合ったシューズが見つかったとしてもそれはいつまでも市場にあるわけではなく、かといって多数仕入れて貯蔵できるような代物でもないのでことはやっかいである。残念ながら新しいタイプのシューズの中から自分にあったシューズを積極的に選び出す努力をしなければならないようである。これらのことはどのメーカーであれ事情は全く同じである。

 長野を終えて20日ほど過ぎたいま、自分に合ったシューズでロードを気持ちよく走っている。今後できる限り脚力を鍛えるために、高低差の大きい高槻・摂津峡界隈のロードに重点を置き、秋に備えて十分な距離を走りたいと思っている。それによって後半の落ち込みを防ぎ、最後までイーブンペースで行きたい。それが歳をとっても安全に走る方法のひとつであると確信している。

                             (2006年5月6日)