遠ざかりゆく星条旗
 あの昭和20年、日本に実験とも思われる原子爆弾を2発投下し、ヴェトナムのむなしい戦争をしてきた国の国旗、それでも私の中では星条旗は決して嫌いな国旗ではなく、その明るさとある種の誠実さのためにむしろ好きなそれのひとつであった。でも、それは、あの2001年9月11日早朝のアメリカを襲った同時多発テロまでのことだったような気がする。その後米国中に氾濫する星条旗、アフガニスタン空爆を含む国際政治の場でアメリカ主導で起こる様々な出来事は、星条旗に別の感情を抱かせるに十分なものであった。
 アメリカ同時多発テロ、あの映像を見ては言葉もなかった。大変なことが起こったものである。起こってはならないことだったのは当然としても、なにか起こりそうな予感もあったというのが本当のところである。なぜなら昨年から、アメリカが目指しているミサイル防衛計画のごり押し、地球温暖化に関する京都議定書会議からの撤退、国連の人種差別に関する国際会議からの撤退、小火器拡散防止を議論する国際会議からの撤退、国連分担金支払い拒否の度重なる脅し、など世界をリードする国とは思えない振る舞いが横行していた。さらに最近ではロシアとの迎撃ミサイル削減に関する条約からの脱退、また削減した戦略核の廃棄ではなく貯蔵など、あまりにも身勝手な行動が目立つ。近年頻発する地域紛争のほとんどは過去の列強の植民地支配やそれらの国々の代理戦争の結果であり、アフガニスタンもその例外ではない。それにもかかわらず、との感が強いのである。いま以下のようなことを書けば50年前と同様「鬼畜米英」とさえ言われかねないが、誤解を恐れずに正直に言えば、私はいま次のようなことを感じている。
 たとえば、パレスチナ問題でアメリカは、イスラエルと近隣のそれ以外の世界に対しては明確な二重基準(ダブルスタンダード)を適用してきた。クエートに侵攻したイラクに対しては、国連を動かして多国籍軍を組織して報復した。しかし、占領を続けるイスラエルに対しては、例え国連の撤退決議があろうとも決して攻撃しなかったのである。中近東情勢を言わずとも、わずか数年前、国境を越えて巨額のお金が動き回ったヘッジファンドによる金融不安の勃発では、特にアジア諸国の経済が半ば崩壊したことは忘れられない。このような制御不能なマネーマーケットの動きを許容し、それをグローバル・スタンダードとして推進しているのも基本的にはアメリカである。そのことでどれほどの人達が命を含めて被害を受けたか検証不可能である。何千人や何万人の問題ではないのである。
 グローバル化させた経済は、その行動論理が益々理解しがたく、さらに、市場原理にただまかせてしまうやり方によってさらに理解不能の状態になっていることは、生物学を専門とし経済が素人の私にもすぐわかることである。生き物のように動き回る経済を制御する経済理論というのは、無数の因子が関連していて解明が困難な生物学同様に、未だ幼稚な段階と考えてよいであろう。「経済のファンダメンタルズ」なんて言葉が一人歩きしているが、なんのことはない生物学でいう生体を構成するいろいろな分子などの因子のことを言っているにすぎない。経済学の世界にもそんな因子が山のようにあって、それが複雑に相互作用したときには経済の動きを予測できないのが現状であろう。生物学と生き物の関係と同じである。日本の経済政策についてさえ、経済学者によってバラバラである。小規模ならまだなだめることができた経済の動きをグローバル化によってさらに制御不能なほど大きなものに変えてしまった、というのが現代ではないでしょうか。それを主導したのがアメリカであり、資本主義社会である。その意味で、グローバル化はアメリカ化であり、そのスタンダードはグローバル・スタンダードではなくアメリカン・スタンダードだといえる。
 よく似た話で、これまでに蓄積された炭酸ガスなどの温室効果で気象の大変動が起こり、海水面の大幅な上昇が起こって世界的な規模での大混乱が起こったとすると、一体誰が責任をとるのであろうか?大規模に温室効果ガスを排出してきたアメリカを中心とする、いわゆる先進諸国がとらなければならないのであろうが、アメリカはそれを議論する国際会議から自国の産業を守るためと称して撤退したのである。とすると、経済であれ、気象であれ、その混乱が世界規模に発展したときにはもはや誰も責任をとらない、あるいはとれない事態になってしまっている。とすると、それまでの莫大な果実を活かしてそれなりの対策をとってゆける大国がやはり生き残ることになるのである。これが、格差拡大の仕組みのひとつです。
 これが無責任なグローバル化の問題である。そうなる前に何とかしなければいけないのであろう。今回のアメリカ同時多発テロをアメリカはアメリカへの攻撃、すなわち「戦争」であると認識し、それへの「反撃・報復」として、明確にその責任を証明する証拠の提示なしにアフガニスタンの空爆を実行した。しかし、アメリカやIMFをはじめとするアメリカ主導の金融政策などによる経済の混乱を「経済戦争」として規定し、直ちにそれへの「反撃・報復」をする能力と勇気が発展途上の多くの国々(日本をはじめとする先進国に当てはめてみてもよい)にあったのであろうか。いや、なかったしいまもないと断言できる。ちょっと横にそれるが、このような事情を既に先進国においてさえ若い人たちは直感し、ましてや発展途上国の人たちは絶望的な感じ方をしているのではないかと察するのである。このようなことが、それを肌で感じる、特に若い人たちにいまの社会やその仕組みに安易に迎合するか無視するしかない状況を作っているように思う。
 今回のアメリカ同時多発テロについてイラクのフセインは、もちろん彼を支持するつもりなんか全くないが(こう言わなければいけないところが悲しい)、アメリカがこれまでしてきたことに対する反発であると直ちに述べた。それは彼が言ったことであることを忘れれば、当然考慮に値する言葉であると思われる。日本に原爆2発を落としたこと、ヴェトナムでやったこと、それらは国益のためであったのであろう。原爆は実験であったと私には思える。2発目は、1発目と異なるプルトニウム爆弾だった。もし、それで日本の人民を早く解放してやりたかったというのなら、日本の東南アジアへの侵攻と同じ論理(欧州列強の植民地にされていた国々を開放するため)になってしまうのである。冷戦が終わったいま、アメリカの動きを止める国はどこにもなくなってしまった。政府が何をしようとも、それについて冷静な判断を下してきたアメリカの良心としてのマスコミも、なぜかほとんど沈黙がつづいている。
 多彩な国が多彩な文化を維持して生きてこそ、世界なのである。経済の世界に浸透しつつあるグローバル・スタンダードとは、それを強く主張するアメリカのスタンダードであると私には思える(ここらあたりのことについては下の注を参考にしていただきたい)。私はイスラムの世界に住める人間ではないが、そのイスラムの世界に住む人間が決めることに文句を言える立場にはない。アメリカはそのことに文句を付け続けている。どこにその権利があるのであろうか。そして、アメリカによる批判の裏側には常に経済制裁が控えている。アメリカは世界中で、いわゆる自由諸国も含めて自国以外の国々を圧迫し、制裁をちらつかせて追いつめて行く手段をとっている。このままではアメリカは自由主義国家の中においてさえ、信頼を失い、事実上沈没してしまうであろう。あるテレビの報道番組で、デンマーク人などのヨーロッパ系の記者が「ミサイル防衛システムなどの勝手な押しつけが過ぎる。そろそろアメリカは本当の友人を作るべき時だ。アメリカの愛国心にはうんざりした」と述べていたのは印象的であった。
 停年を迎えつつあるいま、私は、そのような訳のわからないグローバル化に惑わされず、無理な消費を要求されず、地に足をつけて落ち着いた生活を送りたいと念じている。それが長い年月を生きてきたヨーロッパや日本などの国々が示さなければいけない生き方なのではないかと思う。そして、若くて、孤立してもなお「一国主義」を突っ走ろうとするアメリカに何かを示さなければいけないのではないだろうか。昔に比べて遙かに便利ではあるが恐ろしい社会ができあがってしまっている。約30年前、ローマクラブが「成長の限界」を示した報告書を出したのをみんなもう忘れてしまったのだろうか?私は、「消費の落ち込み」なんてことを言われるのはもうたくさんだ、と思っている。「落ち込んだ消費」によっても生きてゆけるのであればそれでよいのである。唐突だが、小泉首相が目指す構造改革は、「成長なき繁栄」を目指すための構造改革でなければならず、その上で富の再配分を目指さなければならない。
 1月13日のテレビは、アフガニスタン空爆による民間人の死者がすでにアメリカを襲ったテロの死者数を上回ったと伝えている。また最近、アメリカのブッシュ大統領は、イラン、イラク、北朝鮮はテロ支援国であり、大量破壊兵器の製造を目指していると批判し、攻撃も辞さずと述べている。大量破壊兵器の製造はなぜ旧第二次世界大戦戦勝国には認められているのだろうか?それは、上の3国が潜在的に持つ以上に遙かに危険なことなのではないだろうか?
注:
 アメリカや西欧諸国の自由と繁栄、いわゆる富の集中の裏側には、その反対の世界が出現してしまっている。世界人口の8%が富の総生産量の40%を享受するアメリカ。これだけの繁栄を続けていてなお世界を手中に収めようと躍起になるアメリカ。その理由のひとつは、アシスト社のビル・トッテンがメディアの情報から判断するように、「経営者は大金を手にし、労働者ははした金しか手に入れられない」社会構造が成立してしまっているからなのでしょうか。そのアメリカは、特に「国益」に敏感な国であることは周知の事実である。このあたりのことに関しては、たとえば、アシスト社のホームページ(http://w ww.ashisuto.co.jp/)をご覧いただくとおおいに参考になろう。私たちの頭には、自由の国アメリカ、自由諸国などについてのバラ色の情報が入りすぎている。もっと正確で様々な角度からの情報が必要である。そのひとつとして、資料を十分に使って様々な情報を提供してくれるビル・トッテン経営のアシスト社のウェブサイトは、十分に有効なものである。               (2002年2月6日)

注: 文字用の領域がありません!
追記:
2004年4月28日、アメリカCBSテレビは、イラクのアブグレイブ刑務所において行われてきたアメリカ軍によるイラク人捕虜の虐待を報道した。この報道とほぼ時を同じくしてイギリス軍による虐待、さらにアフガニスタンにおいてもアメリカ軍による虐待が報道され、それらは個人的なものと言うより組織的なものである可能性が強くなりつつある。このような状況は、上に述べたアメリカについての私の見方をさらに補強するものであり、全く残念と言うより、吐き気さえ感じさせるものである。                  (2004年5月9日、追記)注: 文字用の領域がありません!