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国内国外を問わずの汚い言葉の投げつけ合いに嫌気がさして・・・

ファイル 276-1.jpg 国内では、なりふり構わず野党側の窮地を狙ったとしか思えない安倍首相の突然の解散劇と、それに伴う政界の混乱と汚い言葉のやり取り。そして国外では、北朝鮮の核武装と核ミサイルを巡ってのガキ大将同志の汚い言葉の投げ合い。さらに今朝の新聞にもあるようにトランプ大統領による国連ユネスコからの脱退宣言など、一体何を考えているのだろうかと唖然とするばかりで、そんな大統領を何ともできないアメリカ国民とアメリカメディア。いつなんどき何かのはずみで攻撃のボタンが押されるかもしれない。それがないとの保証もない。そんなトランプに愛想よく付き合うわが首相を担ぐ我々国民とメディア。我々はどちらを、どこを向いていればよいのだろうか?
 そんな気分のなか、少し出かけてきた。まずは、東京都文京区駒込にある六義園(りくぎえん、と呼ぶ)。これは都立文化戝9庭園のひとつである。ファイル 276-2.jpgそこのパンフレットの冒頭に次のように書かれている。「六義園は五代将軍・徳川綱吉の信任が厚かった川越藩主・柳沢吉保が元禄15(1702)年に築園した和歌の趣味を基調とする『回遊式築山泉水』の大名庭園です。当園は池をめぐる園路を歩きながら移り変わる景色を楽しめるせんさいで温和な日本庭園です。江戸時代の大名庭園の中でも代表的なもので、明治時代に入って、三菱の創業者である岩崎彌太郎の別邸となりました。その後、昭和13(1938)年に岩崎家より東京市(都)に寄付され、昭和28(1953)年に国の特別名勝に指定された貴重な文化財です。」
 その記載通り、庭の門を入った正面にある池を中心として、その周りを巡る、いわゆる回遊式の庭園で、その静かなたたずまいを楽しむことができる。残念ながら私はこの手の文化財について解説を加えることなど不可能で、ファイル 276-3.jpgただその雰囲気を伝えられるように3組の組み写真をお届けする次第である。1枚目はこの庭園の正門と江戸から明治にかけての変遷を残すように洋風のレンガで作られた塀とその説明、およびこの庭園を造営した柳沢吉保が故郷和歌山を意識しての庭園構成の簡略図を示す写真などである。2枚目は庭園の中心である池周り全体の雰囲気を示す写真で、取水場には水の方向を分ける珍しい水分石も見られる。3枚目は、柱と梁に滅多に使われることのないツツジ(3本はサルスベリ)で建てられた簡素な「つつじ茶屋」と、それより下ったところにあり、甘酒や和菓子を楽しませてくれる「吹上茶屋」の写真である。そこに外国のご婦人が座ってゆっくりと庭園全体を眺めている姿はよい風景である。この茶屋は、2枚目の写真に池の反対側からも見えている。この茶屋の屋根上に猫が寝そべって毛づくろいしているのもゆったりしていてよい。
ファイル 276-4.jpg この庭園を訪れたのは10月の初めで、ちょうど花が少なかったのが残念だったが、桜の季節には園の入口にある巨大なしだれ桜が見ものであろうし、秋にはつつじ茶屋に山側から覆いかぶさるようなモミジは壮観であろう。ぜひまた訪れたい。
 その数日後、テレビで小田原城下での“小田原おでん祭り”の報道があった。何を思ったか、いや小田原名物のおでん食べたさに、1時間少しで行けることもあり一人で出かけた。もちろん前回小田原城に出かけた時には天守閣耐震補強などの工事中で中に入れなかったこともあった。まず、小田原城に行き、小田原城とそれを巡る様々な出来事や小田原城がその始まりとされる“総構え”を城内での展示などで勉強させてもらった。ただ惜しむらくは、たとえば彦根城のように築城当時の天守閣内部の様子を見ることのできないのは残念である。
 4枚目の写真は、きれいな白壁が光る天守閣とその天主の展望デッキから見える海側の写真である。ファイル 276-5.jpg右下の写真の左側には遠く伊豆半島があり、その左側の写真の左端にはわずかに三浦半島を望むことができる。右側中断の写真はその間の海側である。風もないこともあってか少しかすんで見えている。戦国時代には海側の防御にも神経をとがらせていたのであろう。5枚目の写真は、城を見物した後二の丸公園で開かれていた骨董とおでん祭りに出かけた写真である。なお、左上の写真は、天守の展望デッキから右を見た、つまり伊豆半島側の方向の下に見える小田原駅あたりの写真で、小田原城は駅がすぐそばで観光にうってつけの場所にあることがわかる。というわけで、練り物のかまぼこで有名な小田原のおでんをしっかりいただいて、うっとうしいニュースがテレビから聞こえる我が家に戻ることになった。

驚異の電磁パルス(EMP)攻撃によってますます安易に使われかねない核爆弾の脅威

ファイル 275-1.jpg 2017年9月3日に6回目の核実験を強行した北朝鮮は2日後の国連軍縮会議で、6回目の核実験は「米国への『贈り物』」とした上で、「無謀な挑発や圧力を続ける限り、米国はさらなる贈り物を受けることになるであろう」と警告したという。その記事が1枚目の写真である。その記事の右下には、今回の核実験の規模は、ヒロシマ型原爆の10倍を超え、水爆であった可能性もあるとのことである。
 それまでのICBMの連続発射実験や今回の実験を含め、何が北朝鮮の強気を支えているのかを示唆する記事がその一日後の読売新聞で見られた(2枚目の写真)。それによると北朝鮮は3日の核実験の中身は、「高空で爆発させて広大な地域に対する超強力な電磁パルス攻撃をできる熱核弾頭だ」と主張し、初めてその開発に言及したという。そしてその記事は、うかつにも私など全く考えてもいなかった電磁パルス(EMP, ElectroMagnetic Pulse)攻撃の実態を示すものであった。いかにその内容を少し引用しよう。
 米エネルギー省が1月に公表した報告書によれば、「EMP弾は、最高400キロメートル程度の高高度での核爆発によって生じる電磁パルスにより、人を直接殺傷したり建物を崩壊させたりせずに電気、通信、交通など社会インフラ全体を壊滅させる核攻撃だ。たった一発で甚大な被害を与え、高度に電化された先進国ほど影響を受けやすい」、という。また、2004年に米議会に専門家委員会から提出された報告書によれば、ファイル 275-2.jpg「米国全土で社会インフラが崩壊し、復旧に数年を要した場合、食糧や燃料、医薬品などの不足と衛生状態の悪化が起こると指摘。深刻な疫病と飢餓が生じる結果として『1年後には米国人の90%が死亡』」と予測しているという。とんでもない話である。日本の上空100キロで10キロトンの核爆弾が爆発した場合、ほぼ日本全域に上に述べたようなことが起こりうると考えるしかないのであろう。もはや自衛隊が持つ地対空ミサイルでどうにかなるような話ではないのであろう。
 このようなEMP攻撃に対する防御策は乏しく、米国などはかなり気を使っているようだが、上のような報告書が出るようではそれほど対策が進んでいるようには思えないし、日本や韓国などはほとんど何もないに等しいような気がする。要するにこの電磁パルス攻撃とは、先日来話題になった太陽フレアで小規模ながらオーロラが見られるかもという話だったり、通信が混乱したりGPSによる位置情報が狂ったり(事実3倍程度の誤差)、または日本の衛星が使い物にならなくなったりという話と原理的に同じである。ファイル 275-3.jpgこのブログを書き始めた時に私が住む地方では落雷があり、瞬間的に停電したが、これを防ぐにはいまだに怖い怖いと言って地中深く潜るか、鉄の塊の中に入るしか手がないのであろう。このような雷が散発するような簡単な話ではないのが面倒で、どうにもならないと言ったほうが間違いがないのでであろう。
 なお、このEMP攻撃については、短くコンパクトにまとめられた読みやすいコラムが9月8日の同じ読売新聞にある(3枚目の写真)。時間のない方はそちらをご覧ください。
 このように考えると、核爆弾は持ったほうが勝ちなのである。だから北朝鮮はそれを熱望し、中国は「北朝鮮は雑草を食ってでも核戦争の準備をする」と断言する。同時に核を持たず、幸か不幸か電子化された社会に住む我々にとっては、直接人を殺傷したり建物を壊したりしないEMP攻撃は核使用のハードルが随分下がるように思えて益々嫌な気がする。
 では、一体どうしたらよいのだろうか。こんな時代にもはや圧力一辺倒なんてありえないと思う。日本と北朝鮮の関係は小泉首相時代の短い期間を除いて圧力一辺倒しかなかったといっても過言ではない。近代日本の朝鮮半島政策を見ても朝鮮半島に住む人々の恨みは消しようがないのだろう。北朝鮮を後ろから支えてきた中国にしても同じと思う。いまや安倍内閣と自民党は「100%アメリカと共にある」という。ファイル 275-4.jpgいつからそんなことになってしまったのか。こんな政権は我々のためにはならない。
 北朝鮮を唯一制御可能な中国とのまともな関係を構築できなければ、所詮圧力を声高に叫ぶしかないであろう。同じ9月8日の読売新聞には日中国交回復45周年を前にして、元人民日報論説委員の馬立誠(マーリーチョン)氏の勇敢な意見を掲載している(4枚目の写真)。私が勇敢なと言うのは、いまの中国ではリベラルな発言者がことごとく封じ込められていることを心配するからである。彼の論文は、8日発売の中央公論10月号に「人類愛で歴史の恨みを溶かす・・・『対日関係新思考』を三たび論ず」と題して掲載されているらしい。早く手に入れて読んで勉強したいと願っている。なお、この時期に読売新聞がこの手の論文について掲載しているのは、読売新聞自体が、この現状を完全に行き詰っていると理解しているからであろう。これには最初に述べたEMP攻撃のことも関係していると感じるので、同時にこのブログの話題にした。
 なお、最後に今回の写真の質が特に悪いことをお詫びしたい。

追伸;
 中央公論10月号の馬立誠氏の論文を読んだ。氏は人類愛の基本元素について次のように述べる。「ヴォルテールが『寛容論』で語るように、人類が幸福と安楽を求めるならば、当然、寛容、温厚でなければならないのだ」。簡潔であるが、私には納得がゆく。皆さんにも是非お読みいただきたい。

親と子、祖父母と孫との会話の先に世界地図があった

ファイル 269-1.jpg 「イスラム国」壊滅作戦の終盤と言われた先週、孫娘が我が家のバアバに“アフリカの国境線がなんで真っ直ぐか知ってる?”と問うたと言う。そう言われた私は一瞬何のことを聞かれたのかと判断に窮したが、やがて徐々にわかってきた。いつの間にそんなことを言う年頃になったのかと驚くとともに、中学一年生の地理の教科書はそんなこともネタになっているのだと少なからず驚いた。そんなことは当たり前だという人もいようが、そんなことを教わった記憶がない私には(たぶん忘れたのだろうが)、それは大事なことだと直感した。
 孫娘からその教科書(帝国書院)の4か所の写真をもらって、2枚の組写真にしてここに提示する。1枚目の写真は、その教科書の表紙と国境線には様々なタイプがあるという図の写真である(写真はクリックで拡大してご覧ください)。ファイル 269-2.jpgその図の左上には北東アフリカの真っ直ぐな国境線が見えるが、それ以外はおおむぬ曲がりくねった線の図で対照的である。その説明は2枚目の写真にあり、一般には自然を利用した国境線が多く、直線的な国境線は緯線、経線などを利用したものであり、アフリカ州に多いとある。そしてそのような国境線は、“アフリカの植民地化を進めたヨーロッパ諸国が、それぞれの都合で引いたもの”と断定されている。
 このような直線的な国境線が引かれた地域は、そこに住む人々、民族などが様々な歴史とは無縁な形で分断されたことが容易に想像され、それがその後の紛争の大きな背景となっているのは事実であろう。もちろん、紛争の歴史はそんな国境線の問題だけではなく、ヨーロッパ列強が世界中で引き起こした覇権争いが極めて深刻な影響を及ぼしたことはもちろんである。
 ちょっと話題を「イスラム国」に戻せば、「イスラム国」が明確に発生したのはアメリカのイラク攻撃に端を発するといわれる。ファイル 269-3.jpg当時ニクソン大統領が、イラクが大量破壊兵器を隠し持っていると断じて攻撃を行ったことが原因の一つともいわれる。しかし、それ以前からアラブの世界を列強の意のままにしようと介入を続けたイギリスやフランスなどの責任は免れない。その戦闘や謀略の有様は、「アラビアのロレンス」(1962年)という長編映画に詳しく描かれ、今でもまたみるべき映画だと思っている。
 その「イスラム国」が3年間支配していたモスルをイラク軍が奪還したとする報道(7月11日読売新聞)が3枚目の写真であり、そこには戦闘員が世界に拡散することが予見されている。そして4枚目の写真には、その主たる拡散先が政情不安なアフリカになることを報じている。そこはまさに直線的な国境線で仕切られた国々である。もしこのようなことが現実だとすれば、このような「イスラム国」まがいの紛争は今後も収まることは期待できないであろう。今の中東での紛争はかっての「アラビアのロレンス」の時代よりはるかに複雑になっており、その紛争の後ろにはアメリカやロシアの影が色濃くなってきている。したがって、このような紛争の現実やその種は世界中にばらまかれていて終息の方向には全く向いていない。朝鮮半島の38度線も同じである。せめてそのような現実を知る努力を細々とでも試みるしかないというのが、このブログを書く目的である。
 私たちは北アメリカ大陸は安定した地域であるとみなしがちだが、ファイル 269-4.jpgアメリカとカナダの国境線はほぼ直線でありいまでも国境問題は残っている。実はアメリカ大陸のヨーロッパ列強による分捕り合戦は熾烈を極め、カナダについてはイギリスとフランスがせめぎあいを続けた。この過程で、いわゆる先住民に対する過酷な攻撃は西部劇の題材となり、また17世紀の初めから国境周辺にはヨーロッパ商人と先住民との混血が進み、それらを交えた複雑な事情が「北西騎馬警官隊」(1940年)という映画にかなり詳しく描かれている。また、アメリカによるテキサス州取得に関してはメキシコとの多くの犠牲を伴った戦いがあった。それでも南北アメリカ大陸を通して中東などと比べて現在比較的紛争が少ないのはなぜか私にはよく理解できないが、憶測すれば混血が比較的早く進んだのもその理由の一つかもしれない。アメリカはもともと分捕り合戦の過程に生じた多民族社会であり、カナダではその人口の1%がヨーロッパ人と先住民との混血であるメティスであるとされており、驚くべき実態である。
 このように見てくると、国境線の形一つを眺めていけば様々な世界が顔を見せてくれる。今後も眺め続け、孫たちともそんなことをネタに会話ができれば幸いである。

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