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初めての関東、そぞろ歩き(2) 上野公園、表参道、原宿、明治神宮、代々木公園など

ファイル 251-1.jpg 東京都内がからきし分からない私が東京に出かける最も簡単な方法は、小田急に乗って一本で新宿方面に出かけることである。イタリアのルネサンスを超えたといわれる画家カラヴァッジョの展覧会がある上野公園に出かけるのもその延長戦である。折しもその会場である国立西洋美術館本館が、ル・コルビュジエの建築作品ー近代建築運動への顕著な貢献ー」の構成資産として世界文化遺産に登録されたばかりのことであった。
 Wikipediaによれば「国立西洋美術館は印象派など19世紀から20世紀前半の絵画・彫刻を中心とする松方コレクションを基として、1959年(昭和34年)に設立された。実業家松方幸次郎は20世紀初めにフランスで多くの美術品を収集したが、コレクションは第二次世界大戦後、フランス政府により敵国資産として差し押さえられていた。松方コレクションが日本に返還(一部名画は未返還)される際の条件として、国立西洋美術館が建設されることになった。」とある。その建築の特徴はピロティ形式によって新しい空間を創造したことだと言われているものの、私のいた大学にはそのような形式の講堂もあり、あまりその意義を理解できるわけではない。ファイル 251-2.jpg本館前庭にあって1枚目の写真にも見えるロダンの彫刻も返還されたものである。
 絵を描くのが下手でまったく絵が分かるわけではないが、なんとなく素敵な気分になれるので時折観に行く絵画展だが、今回のカラヴァッジョ展で初めて世界に公開されたという「マグダラのマリア」など奔放で衝撃的な表現を見ることができて凄く楽しめた。その会場で「マグダラのマリア」(岡田温司著、中公新書)のタイトルの本を買い込み、いま少しずつ読んでいる。なんとなく気になるからであるが。
 実はその会場のそばで「2016さつきフェスティバル」(盆栽展)が開かれていることを知っていたので、それも楽しんできた。どれもこれも素晴らしく、ただただ驚くばかり。その一部の写真をご覧ください(2枚目の写真)。
 東京の中心に出かけるもう一つのすごく簡単な方法は、ファイル 251-3.jpg東京メトロ半蔵門線に乗り込んでいる東急田園都市線を利用することである。今回それを利用して表参道で下車し、セレブの街の雰囲気の漂う表参道から原宿を歩き、明治神宮を少し覗いてきた。これまでそれらの位置関係が全く分かっておらず、それを理解するだけであり、どのような雰囲気であるかを感じるだけのそぞろ歩きであった。3枚目の写真には原宿駅あたりの写真の組み写真を載せたが、東京のJRが分からないのでその路線図も入れた。最近原宿駅は古くなって建て替えが近いと言われていたが、まだ十分新しいと見えるのは私だけか。そのそばに東京メトロの駅もあり、交通の便が良い。
 この原宿駅のすぐそばに明治神宮があることを今回初めて知った。よく考えてみれば東京のど真ん中にあることから多くの人、特に外国人の様々な言語が聞こえるはもっともなことであり、ファイル 251-4.jpg私が高校時代に住んだ伊勢市の伊勢神宮とはまた異なった雰囲気を持つのも当然であろう。この神宮は1915年(大正5年)に建設が決定され、5年後に完成したとされる。神宮の森の材料は全国からの寄贈によるなど、ほぼ国民の一致した協力によって作られたといわれている。しかも、この新しく造られた森は生態系の自然科学的な実験場としての役割を持つ稀有な存在であることはよく知られている。4枚目の組み写真には私が気に入った、明治天皇の現代に通じる心構えと天皇が好んだフランス産フドウ酒樽のことを表した立札と、フランス・ブルゴーニュ地方から送られた多くの樽の展示写真を入れた。また、この地方は広い範囲で代々モミの巨木が繁茂していて、そのことから「代々木」と呼ばれていたことを示す立札も組み写真の一部とした。
ファイル 251-5.jpg 最後の5枚目の写真は、明治神宮に接している代々木公園で開かれていた「そばと日本酒の和宴」を楽しみに来た時のものである。この公園には東京オリンピック時に建設された有名な代々木体育館があり、なかなか優美な姿を今に残している。その裏側には様々な催しに使えるスペースが用意され、そこでのこの祭りには全国から各地方独特のそばと日本酒が集められており、昼食時ということもあり多くの人が集まっていた。私も3種類のそばをいただき、数種類の日本酒をセットにしたものを味わったが、夏の一日を十分楽しませていただいた。またこの種の集いに目を光らせておきたい。

初めての関東、そぞろ歩き(1) 江の島・弘明寺・小田原・秦野など

ファイル 250-1.jpg 昨年1月に関西から引っ越して1年半を過ぎました。さっぱり分からないこの関東を知ろうと、交通の便の良さを利用して時間のある時にただ歩いてみて撮ったわずかばかりの写真の保存アルバム、備忘録です。そうでもしないとまたお蔵入りになってしまうので・・・。
 昨年の春、最初に訪れたのは江の島でした。何か修学旅行で訪れた記憶がかすかにある、そんな場所でした。小田急江ノ島線の片瀬江ノ島駅を出たらそこに江の島があった、そんな感覚でした(1枚目の写真、左上。左下は江の島側から見た片瀬地区とのつなぎの橋である)。
 私が物事を調べるときの常とう手段、Wikipediaに尋ねると次のように言う。「江の島(えのしま)は、神奈川県藤沢市にある湘南海岸から相模湾へと突き出た陸繋島。また、同島全体を指した地名。片瀬地区(旧片瀬町地域)に属する。…(中略)… 湘南を代表する景勝地であり、古くから観光名所となっている。神奈川県指定史跡・名勝、日本百景の地である。交通機関の駅名などでは江ノ島と表記することも多いが、ファイル 250-2.jpg住居表示・公文書等で使われる公称地名は「江の島」と表記する。…(中略)… 周囲4km、標高60mほどの陸繋島である。三浦丘陵や多摩丘陵と同様に第三紀層の凝灰砂岩の上に関東ローム層が乗る地質である。古来は引き潮の時のみ洲鼻(すばな)という砂嘴(さし)が現れて対岸の湘南海岸と地続きとなって歩いて渡ることができた(トンボロ現象)。関東地震で島全体が隆起して以降は地続き傾向にある(2m隆起したという、筆者注)。…(中略)… 四囲を海蝕崖に囲まれた険阻な地形、海蝕洞「岩屋」の存在は、古来宗教的な修行の場として江の島を特色づけてきた。」なるほどと思う話もある。日米修好通商条約から1899年(明治32年)までの40年余り、横浜の外国人居留地に住む人々は、行動範囲を居留地から10里以内に制限されていた。その制限範囲内にあり、風光明媚で宿泊施設が整っていた江の島には、明治初期以来多くの外国人が訪れるようになった。東京大学の初代動物学教授エドワード・S・モースは1877年(明治10年)7月から8月まで、シャミセンガイ研究のために江の島に日本最初の臨海実験所を開いた。」そうだったんですか、という感じである。あまり引用すると長くなるので以下簡単に記すと、江戸時代後期には江戸庶民の行楽地として大山ー江の島―鎌倉ー金沢八景ファイル 250-3.jpg(金沢と聞くと北陸かと思ってしまう私だが・・・)の寺社巡りを含む観光ルートが大いに流行したようだが、大正12年の関東地震、明治時代の廃仏毀釈(写真右上の神社は元はお寺で、宿坊は一般旅館に変わったという)などで混乱したようであるが、後に小田急江ノ島線の建設などが観光地としての確固たる基礎を与えたという。それにしても調べてみると江の島界隈は江戸末期からの日本の動きをよく写し取っているように思われ興味深い。なお、同じ写真の中下は狭い参道、右下は湘南の海を象徴するヨットハーバーである。こんな風に調べてみて、片瀬江ノ島行き小田急電車の素性がやっとわかってきた。
 さて話は変わって、江ノ島線の湘南台から横浜地下鉄ブルーラインに乗るとほどなく弘明寺駅に着く。駅を降りて門前町かと思うアーケードを通り抜けるとそこには長い階段を上がったところに坂東33か所観音霊場の14番札所で、珍しい屋根の構造を持つ高野山真言宗の弘明寺がある。ファイル 250-4.jpg鎌倉時代からの横浜最古の古刹として知られ、国の重要文化財である(2枚目の写真)。ここも明治維新の影響を強く受けたようで、当初門前町の一角かと思ったアーケード街は、実は戦後の闇市からできあがったもので、本当の門前町はこの地から北西に1キロほど離れた蒔田(まきた)のあたりだったという。昔の寺院は広大な領地を持っていたのである。
 弘明寺からアーケード(同左下)を通って鎌倉街道に出るまでに横切る大岡川の両岸は横浜屈指の桜の名所と言われる。また、鎌倉街道の向こう側にはかって横浜国立大学工学部があって学生街としてにぎわったようであるが、今はそれも移転し以前の面影は薄れている。
 さて、小田急小田原線を終点まで行くとそこは小田原市である。戦国時代、徳川秀吉が天下統一を掲げて北条を滅ぼしたが、その中心が小田原城であった。駅から歩いても近いところにあり、その面影は3枚目の写真にある。残念ながら改修中のため中を見ることはかなわなかったが、その雰囲気を知ることはできた。ただ不思議だったのは、写真にあるように海抜わずか10.9mという低地から城が立ち上がっていてよくぞ津波の被害を受けなかったものだと思ったものである。ファイル 250-5.jpgここを訪れたのは昨年であったが、いまNHK大河ドラマの「真田丸」が佳境を迎えている。
 小田急小田原線の下りの後半にある渋沢駅を降りてバスで15分ほどのところに広大な神奈川県立秦野戸川公園が広がっている。大山からさらに西側に広がる丹沢山系の表丹沢を背景に広がる公園で、中心部を貫く水無川を挟む長さ267m、高さ35mの「風のつり橋」と呼ばれる橋がなかなかの圧巻であった(4枚目の写真)。私たちが訪れた時にはアジサイが満開でそれ以外にも様々な花が咲いていたが、なかでもネットで調べたところ“ルドベキア・オータムカラー”らしきこげ茶と黄色の花がたくさん咲いていてみごとであった(5枚目の写真)。豊富な緑と子供が安全に遊べる水辺、そしてなによりもおいしい空気と澄みきった空が素晴らしい公園であった。

「首相『すごい記録、日本人として誇りに思う』」?

ファイル 249-1.jpg 上のタイトルは1枚目のネット記事の写真の見出しから取ったものである。では安倍首相は何を誇りと思ったかと言えば、それは2枚目の写真のように米大リーグ、マイアミ・マーリンズに所属するイチロー・スズキ選手の記録のことである(読売新聞、6月16日夕)。その記録とは、日本時間6月16日に日米通算で4257本目のヒットを放ち、ピート・ローズ選手の記録を上回ったことを指している。
 走攻守に傑出した能力を持つイチロー選手は、これまで日本のプロ野球時代や大リーグに移ってからも数々の記録を作ってきたことはもちろんで、野球好きの私がそれを知らないはずはない。しかし、私がこれまでそれらについて何のコメントも発してこなかったが、それには私なりの理由があった。それは彼のマスコミを通じて流れてくる発言の分かりにくさである。私の知るところでは、彼はファンに対して彼自身の思いを分かりやすく伝えるということが残念ながらあまりない。もちろん、わかりやすく自分自身を表現することは生易しいことではないことはよくわかるが、それを克服するためにも重ね重ねの努力が求められるように思っている。その一方で、テレビのCMで彼の姿を見ることの方が積極的に彼がファンにメッセージを送る姿よりははるかに多いように思う。プロの選手にとってファンはかけがえのない存在のはずであり、最近コミュニケーションの面でそれなりの改善がみられるように思うが、それでも更なる改善を期待したい。だからと言って、彼の達成してきた数々の記録が色あせるというつもりはない。
ファイル 249-2.jpg 実はこのブログの目的は別にある。それは1枚目の写真にある。私はかってプロテニス選手・錦織の試合でなぜあれほどの日の丸が振られるのかと書いたことと関係がある(http://www.unique-runner.com/blog/diary.cgi?no=245 )。国が全く関係していないテニスの試合で、日の丸が出てくるのと安倍首相のコメントは根が同じである。そこに私は強いナショナリズムを感じてしまうのである。かって我が国が犯してしまった戦争も、その背後にナショナリズムを配置しながら遂行されてしまったのではなかったか。安倍政権になってから特に強いナショナリズムを振りかざす場面が多くなっていると感じるのである。もちろん上の首相談話は、記者に感想を求められたから気楽に答えたのだろう。だが、私にしてみればどの国の選手であるかどうかは別にして、“素晴らしい記録”とたたえてもらいたいのである。そうでなければ他国の選手の素晴らしい記録を素直にたたえることができなくなってしまう。スポーツとはどこにも垣根がないものであってほしいものである。だから私はどんなスポーツも好きである。
 昨日は沖縄の「慰霊の日」であった。6月23日は沖縄での組織的戦闘が終結した日で、県民の4人に1人が犠牲になったとされる。私も「平和の礎」(へいわのいしじ)を訪れたことがある。断崖絶壁の海に向かって作られており、犠牲者の名を記した石碑が数えきれないほど整然と並べられており、何とも言えないおもぐるしい感慨を感じた。沖縄戦ではナショナリズムの高揚だけではなく、日本軍による県民への戦闘の強要が大きな犠牲をもたらしたことが強く非難されなければならない。それから71年たっても米兵や軍属による沖縄県民への暴行・殺人などはなくならない。日米同盟の強化を声高に叫びながらも県民の願いである日米地位協定の改定に正面から立ち向かえない歴代自民党政権や安倍政権の弱腰は、ファイル 249-3.jpg日本の政治が沖縄県民のためになっていないことを如実に示している(「日米地位協定」、Wikipedia参照)。
 だから、安倍首相はそのようなナショナリズム丸出しのコメントを発することはやめて、資本主義社会の断末魔の叫びである社会内部での収奪による格差拡大(3枚目の写真、読売新聞6月18日朝)を止めることに知恵を出してはどうだろうか。ゼロパーセント成長のどこが悪いのだろうか?
 さきほど、英国のEUからの離脱が国民投票で決定された。英国をはじめとする多くの国々は、過去の植民地政策(帝国主義的政策)の延長線上に起こっているアフリカ・中近東における国家の崩壊・移民(難民)発生のあおりを受けて混乱の渦中にある。このあたりで、地球上に収奪の場がもはやなくなったことを自覚して、0%成長下での富の再分配の答えを探してみてはどうだろうか。その答えを出すに最も適した国は日本だと水野和夫氏は言う(「資本主義の終焉と歴史の危機」集英社新書、2014)。これと同様の流れは、米国・民主党大統領候補の一人サンダース氏の主張に見られ、大きな反響を呼んでいる。
追記:スイスで成人国民に月額約28万円を給付する「ベーシックインカム」制度についての国民投票(Wikipedia)が6月5日に行われ、否決されたが大きな注目を集めたことをいま思い出した。また経済学者の金子勝氏の「【つくられた貧困】東京が若者をブラックホールのように吸い込んだ結果が悪循環に」と称する興味深い記事を西日本新聞が配信している(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160630-00010002-nishinp-soci&p=1 )。(2016/6/30)