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アンプティサッカー(Amputee Soccer)、その凄さを知る

ファイル 253-1.jpg 先週10月1日、息子の誘いを受け川崎市の「富士通スタジアム川崎」で開かれていたアンプティサッカー(amputee soccer、amputeeは足や腕などの切断者の意)の第6回日本選手権大会を観戦に出かけた。そこでの試合を観て、思いがけない素晴らしい感動と人間の途方もない能力の一端を垣間見ることができた。
 まず最初の写真を見ていただこう。この写真は試合後のあいさつ時のものであるが、見ていただきたいのはフィールドプレイヤーはすべて片方の下肢を切断しており(あるいは障害がある者)、2本の“つえ(クラッチ)”、つまり医療用によく使われているロフストランドクラッチとよばれるものを使用し、左端右端に立っているゴールキーパーは片方の上肢を失った者(あるいは機能を失った者)が務めている。そんな方々がたくましいサッカーをするのである。それを語る前に、その会場でいただいたいくつかのパンフレットから、私が初めて知ったルールの数々をまずお知らせしたい。
 試合の人数は7人、試合時間は25分ハーフの50分、ピッチサイズは60mx40m、ファイル 253-2.jpgゴールサイズは5mx2.15m(少年サッカー用ゴール)である。用具は、フィールドプレイヤーは2本のサッカー専用ではなく医療用のロフストランドクラッチと呼ばれるものを使用し、これはプレイヤーの手にあたるため意識してそれでボールを操作すればいわゆる“ハンド”の反則となって笛が鳴ることになる。このクラッチを軸足にして振り子のように体を揺らしてパスやシュートを行う。また、フィールドプレイヤーは転倒した状態でボールを蹴ることはできない。なお、普通のサッカーと異なる点は、ゴールエリアなし、オフサイドなし、ゴールキーパー以外は自由交代で、スローインはなくキックインとなる。また、ゴールキーパーはペナルティエリアから出ることはできないなどであるが、あとは激しいボディチャージなどすべて普通のサッカーと同じである。
 このようなルールで運営されている大会を報じた小さな記事を10月2日付の読売新聞に見つけた。その記事の写真が2枚目である。そこにも書かれているが、2本のクラッチと片足で想像以上のスピードで走り回り、ファイル 253-3.jpg激しくチャージし、ドリブルを仕掛け、素晴らしいシュートを放つなど驚かされることばかりという私と同じ感想であった。3枚目と4枚目の組み写真は、ゲームの写真を組み合わせたもので、様々な形で攻撃を仕掛ける姿が垣間見えるはずで、自由な想像にお任せしたい。写真に見えるバックスタンドには人は入っていないが、私たちがいたホームスタンドにはたくさんのファンが声援を送っていたことを指摘しておきたい。そんな多くのファンを引き付ける理由は、ただひたむきなプレーと高い技術力かもしれない。現在のアンプティサッカーのプレイヤーの7割はサッカー経験者ではないと言われている。思いがけず自分の身体を動かしてスポーツを楽しむことができるサッカーに出会えた喜びが、高い技術とひたむきさを支えるのであろうか。
 観戦に行ったときに戴いたいくつかのパンフレットから私は様々なことを知ることになった。その一つのパンフの表表紙と裏表紙の写真が5枚目の写真である。実は障害を持つ人たちがプレーすることができるサッカーには7種類もあるとのことであった。アンプティサッカーはその一つに過ぎず、最も最近になって日本で展開が始まったスポーツなのである。ファイル 253-4.jpgその対象者によって知的障がい者サッカー、聴覚障がい者サッカー、脳性まひ者サッカー、視覚障がい者サッカー、電動車椅子サッカー、精神障がい者サッカー、そしてアンプティ(切断者)サッカーで、まだ全国で9チーム、80名ほどの競技人口である。
 現在この中でパラリンピックで行われているのは視覚障がい者サッカーのみだろうと思われるが、それ以外のサッカーの多くもアンプティサッカーを含めてワールドカップや国際大会が開催されるようになってきて、その発展が急速に広がっている。そのような状況が、5枚目の写真の右側の裏表紙に書かれているような言葉“サッカーなら、どんな障害も越えられる”を生み出しているのであろう。
 そして最後に、アンプティサッカーのパンフに挟まれていた1枚の紙に書かれた次のような印象的な言葉を紹介しておきたい。「ある選手はそれまでの俯きがちの日々から前向きな姿勢を取り戻し、ある選手は義足を隠すため躊躇していた半ズボンを履くようになり、ある選手は再びサッカーができる喜びで生きる希望を取り戻し、ある選手は自らの命を絶つことがいかに愚行であったかを思い知る。 ファイル 253-5.jpgそして選手の全員が気付く。五体不満足は障がいではなく個性であることに」。そしてもう一言、「最後にある選手の言葉をここに紹介します。あなたにとって『アンプティサッカー』とは何かとの問いに対してこのように答えました。『あの日失った私の脚です』」。
 こう書きながら、紹介しかできない私がいるのは残念である。なお、当日協会の最高顧問であるセルジオ越後氏が来場されていた。また、すべての写真はクリックで拡大してご覧ください。

追記:
 このブログを書いていた10月5日に日本経済新聞のコラムにアンプティサッカーのことが書かれていることを息子から知らされた。そこには私が感じた驚きとともにもっと踏み込んで、「アンプティサッカーの選手は備わっているものを磨くことで、障害をマイナスにしない。健常者の選手とは全く別の表現方法で見る者の心を動かす。そこに自らの喜びを見出し、誇りを抱いている」と記されていた。

やはり、日本は失敗のできない国になってしまってたんだ!

 日本が41個という大量のメダルを獲得して沸いたリオデジャネイロオリンピックは終った。始まるまでにあれほど危惧されていた施設や運営面での数々の問題は、多少のトラブルはあったようであるが全体から見れば些細なことと思われ、リオオリンピックは成功裏に終ったといってよい。
 また競技面でも様々な盛り上がりがあり、世界中のスポーツファンを喜ばせたことは疑いない。特にオリンピック好きと言われる日本人にとってこの2週間は特別の盛り上がりを見せ、マスメディアの騒ぎ方は半端ではなく、ファイル 252-1.jpg時には号外新聞まで出たことがあった。それぞれの競技に必死に取り組んできたすべての選手にここで感謝の気持ちを表したいし、メダリストたちにはおめでとうと申し上げたい。
 さて、スポーツ好きの私はこれまでホームページやブログでスポーツに関していろいろな意見を表してきた。でも、今回究極のスポーツの祭典であるオリンピックを見てきて、応援する立場、あるいはスポーツをする私自身の立場についてなんとなくすっきりしないのである。私は根っからのスポーツ好きで、特に野球は子供の時からたのしんできた。プレーすることはもちろん、観戦することも大好きでどこのチームの試合であるかを問わず、野球の試合であれば見ていて楽しい。だから、テレビで放映されるプロ野球の試合は他に見るものがなければどんな試合でも観るのである。それは一つ一つのプレーを楽しんでいるのだと思う。そんな私なので野球の試合であれサッカーの試合であれ、静かにじ~っとかたずをのんで見ている。決して騒ぎ立てることはしない。
 そんな立場から野球場やサッカー場や、ましてやオリンピックにおける選手と応援する側(テレビの前を含めて)の関係を見ていると複雑な気分になる。たとえば、厳しい国内あるいは国際的な選考を経て出場権を獲得した選手たちがどれほどの努力を払ってきたかは想像に難くない。今回男子卓球単複でメダルを取った水谷選手が言うように“命がけで闘ってきた”のであろう。そんなことを知ったうえで彼らの活躍を心から願っている。それはつまり彼らの人格形成も含めた努力を認めたうえでの話である。だから、試合の結果勝っても負けても彼らの存在を、さらに彼らの活躍を正当に評価するのが当たり前なのである。つまり、ファイル 252-2.jpg彼らが負けたからと言って騒がしい批判の対象になるのではなく、勝ったものだけがもてはやされるのではなく、敗者にも敬意が払われなければならないはずである。
 しかし事実はそうなってはいない。頑張った男女のマラソン代表はいずれも“惨敗”と報道される。マラソンを走る私には、あの高温の中どれほどの苦しさであったのだろうかと心が痛む。ゲームの後にマスメディアに引っ張られるのは“メダル”を手に入れたものだけである。メディアと対等の立場にいる選手たちであればそれはそれでよい。でも、今のメディアは彼らの王様であると思っているから具合が悪い。そんな習慣をつけたのは誰なんだろうか。私はそれはマスメディアやメダルの数を国力の表現と考えて密かに国威発揚に利用したいとする国の支配層だろうと思うし、それを良しとしてきた我々“ファン”と称する者たちだろうと確信する。オリンピックが近づくとマスメディアやオリンピック委員会の首脳陣は、当たり前のようにメダルの数の計算を始める。一体オリンピックとは何のためにあるのか?
 福士加代子をはじめとして3人の選手が参加した女子マラソンの結果は、望みどおりではなかった。14位でゴールした福士選手は、「金メダル取れなかったあ! ほんとしんどかったあ!」「でも金メダル目指したから最後まで頑張れました」と絶叫した(www.asagei.com/excerpt/64487 )(1枚目の写真はゴール直後の写真、産経デジタル)。この結果と発言にネットは大騒ぎになったという。自分の結果もわきまえずとか、なんという能天気なとか、KYであるとか、代表選考でもめたとか、ファイル 252-3.jpgとにかく言いたい放題で、それ以来福士選手の動向は少なくとも私の目や耳には入ってこない。これまで長い間日本の中長距離界を牽引してきた福士選手に対して、残酷すぎる!!!
 一方、卓球シングル女子単での福原愛選手の活躍は見事で、あわやと思ったがやはり中国と北朝鮮の壁に跳ね返されてしまった(2枚目の写真、デイリー・スポーツ。3枚目はその敗戦にめげず団体でメダルを取った3人、朝日デジタル)。シングルスで敗れた時彼女はインタビューに答えて、「・・・金メダルを取れなくて申し訳ない・・・」、「五輪はメダルを取らないと意味がない」と苦渋の発言をした。また、レスリング女子53キロ級で吉田沙保里選手は米国の若いヘレン・マルーリス選手に敗れ銀メダルに終わった(4枚目の写真、朝日デジタル)。そのあとのインタビューで、「銀メダルに終わってしまい、申し訳ない。日本の主将として金メダルを取らなくてはいけないところだったのに…。取り返しのつかないことになってしまった。ごめんなさい…」と話した後、泣き続けるしかなかった。
 ここに書いた3つの例は、それぞれが極限の闘いの後に気力を振り絞って発した言葉であった。そんな状況の中でどんな不用意な、謝罪ばかりの言葉が出てきても不思議ではない。これまで彼女たちに私たちはどれほど勇気づけられ、元気づけられ、また癒されてきたのだろうか。彼女たちのこれまでの命がけのような戦いに寄り添いたいものである。ファイル 252-4.jpg何故に、物言いが気に食わないからと簡単にバッシングし、謝罪と聞こえるような発言をさせてしまうのだろうか。日本の社会はなぜこれほどまでに冷たいのであろうか!いや、冷たくなってしまったのであろうか?
 この例は、選手と彼らを取り囲むメディアや国民とは対等でないことを物語っている。支配層や国民は選手をオリンピックに行かせてやっていると思い、選手の方も行かせてもらっているといつの間にか思い込んでいるのである。だから、「申し訳ない」「ごめんなさい」と自然に出てきてしまい、そしてそう言わなかったときには上の立場に立ってしまっていた方にはカチンとくるのである。
 2013年、「『スポーツ権』の人権性に関する考察」という論文が発表されている(T. Matsumiya, The annual reports of health, physical education and sports science, vol. 32, 1-12)。そこには次のような文章がある。「1978年にユネスコが採択した『体育およびスポーツに関する国際憲章』には『体育・スポーツの実践はすべての人にとって基本的権利である』」と記されている。日本では憲法13条の幸福追求権などとの関連で議論が進められていていまだ明確ではないが、その方向はユネスコの憲章と同じ方向を向いているといってよい。つまりスポーツを楽しむためのハードやソフトの整備は国や自治体の責任においてなされるべきで、その内容の高度化の一環としてトップレベルの選手の育成や国際大会への派遣が行われていると、私は考える。
 一方、多くの選手は企業からのサポートを得て活動を行っているが、これとて企業の社会的貢献事業の一環としての「企業メセナ」との概念の範疇で行われているのである。そう考えると、派遣されている選手が国や地方自治体、広く見て国民、ファイル 252-5.jpgあるいは企業に対して感謝こそすれ卑屈になることなどまったくないと私は考えている。
 私が残念に思うのは、期待されたような結果を出せなかった選手らは、インタビューに際して総じて謝罪の言葉を発することである。その理由にはインタビューする側のまったく内容のない質問も大きく影響しているが、やはり上にも書いたように無意識に自分の立場の弱さを感じているからだろうと思われる。このような状況が続くことの問題の一つは、結果が思うように出なかったことの原因の解明が結果として隠されてしまうことにあるように思う。これは進歩にとって強敵である。
 近年、選手のためにならない状況にオリンピック運動が落ち込んでいることは、最近特に大問題になっている国家が関与する組織的ドーピングにも現れている。これまで日本の選手は非常にクリーンであるが、選手の自覚のいかんによってはどこかの国々と同様にそれに巻き込まれることがないとは言えない。メダルの数をすぐに問題にしたがるマスメディアや国の上層部を持つこの日本とて例外ではないであろう。最近の賭博問題然りである。
 私は早く、あの天真爛漫な側面を持つ福士加代子選手の元気な姿に会いたい。最後に、最も私を感動させたバドミントン女子ダブルス高橋・松友ペアの最後の勝利の瞬間の組み写真を一枚残しておきたい(朝日デジタル他)。

付録:次の2つ要望を箇条書きで言っておきたい。
 ①選手へのインタビューを担当する多数のアナウンサーの発する質問に内容が全くないのはどうにかならないか。②プレーの切れる野球などの応援では、その間に応援をし、プレー中は応援を止めてプレーの音を楽しめるようにしてほしい(テニス競技は参考になる)。必要以上の騒音は音を通してもプレーを楽しもうとする観客にとって最悪である。応援団というのはプレーを楽しまない人々のように思える。

初めての関東、そぞろ歩き(2) 上野公園、表参道、原宿、明治神宮、代々木公園など

ファイル 251-1.jpg 東京都内がからきし分からない私が東京に出かける最も簡単な方法は、小田急に乗って一本で新宿方面に出かけることである。イタリアのルネサンスを超えたといわれる画家カラヴァッジョの展覧会がある上野公園に出かけるのもその延長戦である。折しもその会場である国立西洋美術館本館が、ル・コルビュジエの建築作品ー近代建築運動への顕著な貢献ー」の構成資産として世界文化遺産に登録されたばかりのことであった。
 Wikipediaによれば「国立西洋美術館は印象派など19世紀から20世紀前半の絵画・彫刻を中心とする松方コレクションを基として、1959年(昭和34年)に設立された。実業家松方幸次郎は20世紀初めにフランスで多くの美術品を収集したが、コレクションは第二次世界大戦後、フランス政府により敵国資産として差し押さえられていた。松方コレクションが日本に返還(一部名画は未返還)される際の条件として、国立西洋美術館が建設されることになった。」とある。その建築の特徴はピロティ形式によって新しい空間を創造したことだと言われているものの、私のいた大学にはそのような形式の講堂もあり、あまりその意義を理解できるわけではない。ファイル 251-2.jpg本館前庭にあって1枚目の写真にも見えるロダンの彫刻も返還されたものである。
 絵を描くのが下手でまったく絵が分かるわけではないが、なんとなく素敵な気分になれるので時折観に行く絵画展だが、今回のカラヴァッジョ展で初めて世界に公開されたという「マグダラのマリア」など奔放で衝撃的な表現を見ることができて凄く楽しめた。その会場で「マグダラのマリア」(岡田温司著、中公新書)のタイトルの本を買い込み、いま少しずつ読んでいる。なんとなく気になるからであるが。
 実はその会場のそばで「2016さつきフェスティバル」(盆栽展)が開かれていることを知っていたので、それも楽しんできた。どれもこれも素晴らしく、ただただ驚くばかり。その一部の写真をご覧ください(2枚目の写真)。
 東京の中心に出かけるもう一つのすごく簡単な方法は、ファイル 251-3.jpg東京メトロ半蔵門線に乗り込んでいる東急田園都市線を利用することである。今回それを利用して表参道で下車し、セレブの街の雰囲気の漂う表参道から原宿を歩き、明治神宮を少し覗いてきた。これまでそれらの位置関係が全く分かっておらず、それを理解するだけであり、どのような雰囲気であるかを感じるだけのそぞろ歩きであった。3枚目の写真には原宿駅あたりの写真の組み写真を載せたが、東京のJRが分からないのでその路線図も入れた。最近原宿駅は古くなって建て替えが近いと言われていたが、まだ十分新しいと見えるのは私だけか。そのそばに東京メトロの駅もあり、交通の便が良い。
 この原宿駅のすぐそばに明治神宮があることを今回初めて知った。よく考えてみれば東京のど真ん中にあることから多くの人、特に外国人の様々な言語が聞こえるはもっともなことであり、ファイル 251-4.jpg私が高校時代に住んだ伊勢市の伊勢神宮とはまた異なった雰囲気を持つのも当然であろう。この神宮は1915年(大正5年)に建設が決定され、5年後に完成したとされる。神宮の森の材料は全国からの寄贈によるなど、ほぼ国民の一致した協力によって作られたといわれている。しかも、この新しく造られた森は生態系の自然科学的な実験場としての役割を持つ稀有な存在であることはよく知られている。4枚目の組み写真には私が気に入った、明治天皇の現代に通じる心構えと天皇が好んだフランス産フドウ酒樽のことを表した立札と、フランス・ブルゴーニュ地方から送られた多くの樽の展示写真を入れた。また、この地方は広い範囲で代々モミの巨木が繁茂していて、そのことから「代々木」と呼ばれていたことを示す立札も組み写真の一部とした。
ファイル 251-5.jpg 最後の5枚目の写真は、明治神宮に接している代々木公園で開かれていた「そばと日本酒の和宴」を楽しみに来た時のものである。この公園には東京オリンピック時に建設された有名な代々木体育館があり、なかなか優美な姿を今に残している。その裏側には様々な催しに使えるスペースが用意され、そこでのこの祭りには全国から各地方独特のそばと日本酒が集められており、昼食時ということもあり多くの人が集まっていた。私も3種類のそばをいただき、数種類の日本酒をセットにしたものを味わったが、夏の一日を十分楽しませていただいた。またこの種の集いに目を光らせておきたい。