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2011年09月の記事は以下のとおりです。

[完全復元] 島根・開星高校・野々村監督と和歌山・智辯学園高校・高嶋仁監督

  • 2011/09/29 08:44

(この記事のオリジナルは2010年3月25日に書かれたものである)

 “春は選抜から”との言葉通り春がやってきた。しかし、まったく情けない記事を見る羽目になったものである。読売新聞3月23日付け朝刊に載った記事である。高校野球の好きな私がたまたま見ていなかった試合後のインタビューで、「二十一世紀枠に負けたことは末代までの恥です」「話をする気にもならん」、「負けたことは恥ずかしい、立ち上がれません」、さらに「切腹したい」、「死にたい」とも述べたと言う。
 思いだしてみればよい。3年前の第79回の選抜大会、「希望枠」(2003-2008)で選出された岐阜県の大垣日大高校が決勝戦で静岡県の常葉菊川高校に6-5の接戦で準優勝になった例にもみられるとおり、近年一般選抜以外のチームが勝ち進むことは珍しくない。今回問題を起こした島根開星高校は昨秋の中国大会の優勝チームであったことから、ことさら負けた悔しさを無遠慮な言葉で言い放ったのであるが、大垣日大の例や沖縄・東北・北海道勢の活躍にも見られるように、近年チーム力は全国的に平均化していることを忘れた、未熟な暴言以外の何物でもないであろう。
 一方、その翌日3月24日の読売新聞朝刊には、和歌山県智辯学園和歌山高校の高嶋監督が新記録の59勝をあげたことが報道されていた。それは奈良・智辯学園高校監督として初勝利をあげてから34年のたゆまぬ努力の結晶であろう。若い頃は勝つことができずに悩み、「守り勝つ」野球を目指したという。それを出発点にして今日の59勝があったのであろう。
 でも、同じ日の智辯和歌山の記事にはもうひとつ別の顔が見えた。それが3枚目の写真であるが、「智辯和歌山 狙い打ち」、「フルスイング徹底 5回5点」とある。高嶋監督は別のテレビ番組で、フルスイングで強い打球を打ち、遠くに飛ばすことを目標にしていると伝えていたように思う。彼も変わりつつあるのであろう。それは徳島県池田高校の蔦監督を彷彿とさせる。蔦監督は、1974年春には「さわやかイレブン」を率いて準優勝し、以来甲子園の常連として一世を風靡した「やまびこ打線」で高校野球ファンの心をわしづかみにしたことはよく知られている。
 私にはこの2人の監督が、日本のプロ野球選手が、そして日本のプロ野球選手が、いくつになってもなにを言われようともメジャーリーグを目指す心を共有しているのだと思う。日本のは「野球」であるが、メジャーリーグは「ベースボール」であるという。それは、「個」が自立している国での“野球”は「ベースボール」にならざるを得ないのである。つまりは、強力な「個」が力ずくで相手を倒す、その醍醐味を日本のプロ野球選手は味わいたいと虎視眈々とメジャーリーグを狙っているのである。
 毎年のようにメジャーリーグ混成チームが、半ば観光気分で日本にやってくる。それでもその混成チームに日本チームはほとんど勝てないのである。しかし、勝負に徹して組織的に戦ったWBCでは日本は連覇を果たした。しかし、私を含めて日本の選手はそのような戦い方につかれているような気がする。もっとシンプルに、力勝負を挑みたいと考える選手が沢山いるのである。私はその両方があってよいと思うことから、メジャーリーグへの積極的な参加を歓迎するし、そのような指揮者を出現を望んでいる(http://www.unique-runner.com/wbc.htmhttp://www.unique-runner.com/kouyaren.htm )。それでつぶれるような日本の「野球」なら、潰れればよい。
 話を元に戻そう。私は開星高校の野々村監督の発言を良しとしない。負けてあれほどの感情をあらわにする人間がはたして日常的にまともに若い高校生を指導できているかに疑問を感じるからである。負けたことくらいで腹を切るとか死にたいとは全く信じられない言葉である。しかし、智辯和歌山の高嶋監督も3年前には部員への暴力行為で3か月間の謹慎処分を受けたようである。その後、四国霊場八十八箇所を約40日間かけて歩いたらしい。そして選手に暖かく迎えられたという。あらゆる場が人間教育の場であることに疑いはない。野々村監督もどうされるかは本人の判断であるが、よく考え、本当に選手に暖かく迎えられるようであれば復帰もありうるであろう。一方、選手個々人も他人から言われるままの判断ではない、自分自身の的確な判断を創り出す、自立した「個」への脱皮を目指す境目に立たされていると言えるであろう。開星高校にとってこれからが正念場である。それこそ本当の教育の場になりうるであろう。謝罪して廻れば済むことではないのである。
 それにしても、毎年毎年高校野球の現場における不祥事の多さには、高校野球が好きな私もほとほと嫌気がさしている。しかし、それでも観戦に行きたいのである。

追記:今朝(26日)の報道によれば、野々村監督は辞任したとのことである。(ここまではオリジナルの記事である)

追記2:2011年夏の高校野球大会には野々村監督が復帰した開星高校が出場した。その指揮ぶりやインタビューには違和感はなかった。彼は今年で定年のようで、来年からどうされるか注目したい。(2011年9月29日)

[完全復元] 浅田真央もすごかったが、キム・ヨナはもっと凄かった!

  • 2011/09/28 21:45

(この記事のオリジナルは2010年2月27日に書かれたものである)

 バンクーバー冬季五輪もほぼ終わりに近づいてきた。モーグルから始まってスピードスケート、ジャンプ、ノルディック複合、カーリング、そしてフィギュアなど存分に楽しませていただいた。私はどの国が幾つメダルを取ったかにはほとんど興味はない。スポーツを楽しむ者として彼らの必死の、そして最高のプレーを見せていただけるだけで十分であり、メダル数による国威発揚などを議論し始めれば、それはもはやスポーツではなく、政治の世界である。
 今回の大会で最も盛り上がったのはやはり男女のフィギュアであったであろう。特に、キム・ヨナと浅田真央のハイレベルの戦いは凄いの一言であった。その中でも興味深かったのは彼女たちに与えられる点数であった。フリーでは浅田真央に明らかな失敗があったからかなりの差がついたが、ショートプログラムでは両者にほとんど明らかな失敗は見られなかったにもかかわらずやはりかなりの点数に差がつけられていた。
 私もフィギュアの採点は一体どうなっているのだろうと常々不思議に思っていたが、今回のオリンピックに至る過程で読売新聞に掲載された「荒川静香の目」を読んでいるうちになんとなく理解できるようになってきた。その荒川静香さんがフリーの翌日(2月27日朝刊)に出された記事を写真としてお出ししたい。
 今回のパフォーマンスについては曲の選択、振り付けなどなど多くの難問があるのであろうが、結局私にわかったことは彼女が書いた次の文章に凝縮されているようである。「キム・ヨナ選手の150点台という高得点の理由は、スピードと流れがあり、作品の一部として技術要素が組み込まれている完成度の高さ。これが出来栄えの加点や高いプログラム構成点に反映されている。」
 フィギュアの演技は、当然ひとつの作品なのであろう。その作品の中で、切れることのない流れのひとつひとつとして技術要素である、ジャンプなどが組み込まれていると考えるのはよく理解できる。思えばキム・ヨナのジャンプもほとんどスピードも高さも遜色のない連続ジャンプが続いていた。つまり途切れていないと感じられ、さらに降りた瞬間に次の演技に入っているのである。しかし、場面転換が必要なときにははっきりと切り替えてくる。
 それに対して、難易度の高いトリプルアクセルをフリーでは二度までも跳んできた浅田真央には敬意を払いたいし、十分にやりきったと拍手を送りたい。でも、やはり多くのジャンプを含めた技術要素がひとつの作品の中で孤立している感じは否めない。ここに今回の大きな点差の原因があったのだろうと推測する。これが「荒川静香の目」から私が理解したことである。このような採点基準は始まる前から分かっているはずであるし、今後はひとつひとつの技術要素それ自身の点数がもっと高くなる可能性はある。しかし、現在は、演技全体をひとつの作品としてみなされ、その中で技術要素がいかに配置されているか、どのように機能しているかとの視点で採点されているのである。そんことを的確に把握してきたキム・ヨナ選手側のスタッフの見識が評価されるのであろうか。
 それにしても、私にわかるように的確に書いてくれた荒川静香さんは、さすが金メダリストだと感じ入った。いや、そんな荒川静香であったからこそ、技術要素とはみられていなかったイナバウアーを敢えてプログラムに組み込んで優雅に演技し、観衆や審判を引き込み、見事逆転で金メダルを獲得したのである。

 それはそれとして、カーリングには前回も興奮したが、今回も存分に楽しませていただいた。少し力不足な点も目に付いたが、多分世界中を短い期間ではあったが興奮の渦に巻き込んだことであろう。私は玉突きが好きで、若い頃いろいろと苦杯をなめたこともあり、その難しさは身に染みてよく理解できて楽しかった。またの機会を待ちたい。

[完全復元] 第39回いかるがの里・法隆寺マラソンに初参加、寒いっ!

  • 2011/09/28 11:47

(この記事のオリジナルは2010年2月12日に書かれたものである。なお、最後に追記あり)

 前日から10℃も気温が低く、雨模様の法隆寺マラソンに参加した。私は3年前から12月初旬に行われる奈良春日・大仏マラソン(10キロ)に参加するたびに、奈良への親しみが増してきている。今年は例年参加している高槻ハーフに都合で参加できなかったこともあって、その代替レースとして初めてこのレースのハーフの部を選んだ。
 最初の写真はスタート1時間前の映像で、健やか斑鳩・スポーツセンターに設けられたスタート・ゴールあたりの写真である。雨が少し降り始めた時間で気温の低い雰囲気が分かる。思いがけず暖かかったのが体育館の中で、そこでゼッケンなどを受け取り、ビニールシートを敷いてゆっくりと着替えをした。参加者は、昨年に比べて800人以上増えて北は北海道、南は沖縄からの参加で総勢2,700人弱で体育館内は大混雑であった。その結果か、幸い館内は暖かかった(2枚目の写真)。
 コースは、体育館前をスタートし法隆寺前を通り法輪寺、法起寺方向に走って後法隆寺前の戻り、藤の木古墳・吉田寺。白山神社横を通ってJR王寺と法隆寺駅の間をくぐってからUターンして、スポーツセンター裏側からゴールに戻ってくるルートである。前半は高低差50メートルというかなりのアップダウンの繰り返しが多くて我慢我慢で、特に急な下り坂が難しかった。後半は比較的フラットであるが、所々にはそれなりのアップダウンのある、かなり難しいコースであった。全体としては直角に曲がることが多く、時には幅2メートルもないと思われる細い、家と家の間の“路地”を抜けるような道もあり、滅多に出会えないような面白さがあった(3枚目の写真)。
 結果は、あまり良くはなかったけれど、ある意味では満足でもあった。最初から雨が激しければポンチョを着ようと用意していたがスタート時点ではそれほどでもなかったので寒さだけに注意をして長袖シャツにTーシャツの重ね着でスタートした。幸い前半はほとんど降らずで安堵したが、後半は少しずつ降り出した。それでも最後まで激しくはならず、その代り後半田畑の中の道を走っているときの強くはないが冷たい風が少しずつ体を痛めつけたようである。
 タイムは、公式タイム2:05:06でネットタイムは2:04:36であった。最初の2キロが10:58、それから11キロまでのキロ当たりのタイムは、5:47、5:15、5:55、5:32、5:25、5:14、5:41、5:26、5:27で、11キロまで1:00:46で平均5:31で、この高低差50メートルのアップダウンの多いコースとしては申し分ないラップを刻んだと言える。ただし、厳しいアップダウンでいつもよりペースがかなり変動しており、体力をかなり消耗した可能性がある。
 その結果か、あるいは寒さが引き金になったか11-12キロの間で、時々突発的に起こる心拍数の上昇という不整脈を引き起こした。ただすでに中間点を過ぎていることからスピードを落とし、完走を目指して落ち着いて走ることにした。12キロから15キロのラップは6:08、5:44、5:55、6:06とうまく走れており、それ以降はキロ数表示の変更で記録をとれなかった。しかし、最後の2キロ7:03、7:38となってしまっていた。もうその頃は寒さのためか股関節が動かず、厳しい結果となった。
 それにしても、12キロ以降は苦しいながらもそれなりにうまく走ったと言える。体調不良をうまく乗り切ったという意味で今回のレースは満足である。これまでも心拍数上昇を避ける方法を医師の助けを受けて考え試行錯誤を続けているが、これからもそれを続けていきたいと思う。きっと、それを考えることなく走れる日がまた来ることを確信している。
 最後に、大会関係のスタッフ、雨にもかかわらず応援してくださった多くの観光客、そしてコース沿いで旗を振ったりして心からの応援をしてくださった沢山の地元の皆さんに深く感謝したい。

追記:今年の法隆寺マラソン第40回大会は珍しい大雪のため中止となった。私は39回大会の後の11月に大阪大学附属病院で突発性頻拍のカテーテルによる手術を受けたため、もともと参加のキャンセルをしていた。その手術の詳細は私のホームページ、http://www.unique-runner.com/catheter1.htm に書かれているのでご覧いただきたい。幸い手術のおかげで現在不整脈の心配もなく走ることができている。(2011年9月28日)

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