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2011年12月の記事は以下のとおりです。

「東日本大震災」 (1)関連ファイルの復元について

  • 2011/12/11 10:05

 2011年9月初め、サーバートラブルによってそれまで蓄積されていたブログファイルおよそ130本が消失したことは何度も述べている。その中には2011年3月11日に突如起こった大震災についてのブログも含まれていた。その震災に対して私は直ちに反応した。私はその翌日からの新聞をしばらくの間すべて保存することとし、それ以来少なくとも朝刊と夕刊の第一面の写真を4月21日まで写真に記録し続けた。そして、それらの写真を参考にして、私が様々な現象について感じた感想、批判、あるいは同意などを率直に書いてきた。
 しかし、いま考えると事態はめまぐるしく変化し、今の状況、判断を抜きにして当時に書いたブログをそのまま復元することはできなくなりました。したがって、これから書く「東日本大震災」関連事項は、とりあえず当時どのように新聞が報道したかということが残るように、暫くの間は読売新聞の朝刊・夕刊の写真を適度に掲載してゆくことが中心になると思われる。ということは、もはや[完全復元]でも[簡易復元]でもない、普通のブログとして書く以外にはないと思われる。このことを頭に入れて、随時必要と思われた時点で私の想いを書いてゆきたいと思う。

小豆島 (2)映画 「二十四の瞳」を想う

  • 2011/12/08 17:09

 私が育った三重県多気郡三瀬谷町(現・大台町)はど田舎ではあったが、私が中学生の頃には時々町の映画館に外国映画がかかり、特に西部劇がかかった時には大急ぎで観に行くのが凄く楽しみであった。そんな西部劇の好きな私は、その内に西部劇以外のアメリカ映画、フランス映画、イタリア映画などを好んでみるようになり、日本映画には目もくれず、という状態であった。しかし、なぜか木下恵介監督作品である、「二十四の瞳」、「野菊のごとき君なりき」、「喜びも悲しみも幾歳月」は観たし、黒澤明監督作品の「七人の侍」には感心したし、「蜘蛛巣城」なども観た。最近、心臓手術の入院時に「羅生門」を繰り返し観たが、何ともすごい映画だとつくづく感心した覚えがある。
 そんな私の映画鑑賞の歴史の中になぜか「二十四の瞳」は気になる映画であり続けた。当時、この映画の目指すものがなんであるかなど、それほど難しく考えたわけではもちろんなかったが、今考えてみると、それは抒情的な映画でありながらなお強烈な反戦映画だったのだろうと思う。1954年のキネマ旬報ベストテンの1位となり(2位も木下恵介監督作品「女の園」、3位は黒澤明監督作品「七人の侍」)、ブルーリボン賞、そして1955年のアメリカゴールデングローブ賞外国語部門賞を受賞している。
 この映画の原作者・壺井栄はこの小豆島出身であり、この映画を記念してこの小豆島に「二十四の瞳映画村」というテーマパークが造られている。そこには昔の「岬分教場」の古い校舎が残されており、写真に見られるように懐かしい、小さな机と椅子の教室を感じることが出来る。特に説明もしないが、それが1枚目から3枚目の写真である。
 4枚目の写真は、映画「二十四の瞳」を撮影するために作られた校舎がそのままこのテーマパークに残されている。そばには美しい海岸線が広がっていて(5枚目の写真)、なぜかそれだけで「二十四の瞳」の雰囲気を感じることが出来る。なにか少し寂しげな風景で、この映画にぴったりである。
 そんな、若いときに映画を観た感覚が今の私の映画DVDの収集という趣味というか性癖につながっているのであろうか。もちろん、この映画のDVDを持っているので近々また観てみたいと思っている。

小豆島 (1)オリーブの島

  • 2011/12/07 17:56

 3年前の2008年12月初め、岡山大学に仕事があり、その後にまだ一度も訪れたことのない小豆島を訪ねることにした。当時、まだブログを書いてはいなかったこともあり、撮った写真はそのままお蔵入りになってしまっていた。今回、ブログファイルの消失という思わぬことが起こり、その復元の過程でこの小豆島のことを思い出し、日記のひとつとして記録に残しておこうと考えた。小豆島についての具体的で正確なイメージをWikipediaから引用したい。
 「小豆島(しょうどしま)は、瀬戸内海・播磨灘にある島。人口は約32,000人(2007年度推計)。古代には『あずきしま』と呼ばれ、その後中世までは「しょうずしま」と呼ばれた。素麺、醤油、佃煮、胡麻油、オリーブなどの生産が盛んであり、いずれも日本有数の生産地となっている。特にオリーブは国内栽培の発祥地として広く知られる。壺井栄の小説『二十四の瞳』の舞台であり、島をロケ地として二度映画化されている。行政は香川県に属し、小豆島町、土庄町の2町からなる(小豆郡)。」
 小豆島にオリーブが根付くまでの歴史について、私たちが訪れた「小豆島オリーブ公園」のホームページは次のように言う(http://www.olive-pk.jp/olive/index.html )。「オリーブの起源は小アジア(筆者注:現在のトルコ、アルメニア地方)とされ、紀元前14~12世紀の間には、シリアからトルコを経てギリシャへ広がったとされています。その後、15世紀末のアメリカ大陸発見と共に、オリーブの栽培は大西洋を越えて南アメリカの国々まで伝わりました。現在では発祥の地から遠く離れた南アフリカ、オーストラリア、中国、そして日本においても栽培されています。
 小豆島に初めてオリーブがやってきたのは明治41年。当時の農商務省が三重、鹿児島、香川の三県で、アメリカから輸入した苗木を使って試作を行ったのが始まりです。他の地域が木の成長に伸び悩み栽培を断念する中、小豆島の西村地区に植えたオリーブだけが順調に育ち、大正の初めには搾油が出来るほど実をつけるまでになりました。オリーブは地中海地方が原産とされ、比較的乾燥に強いことから、スペインやイタリアなどの地中海地域で広く栽培されています。穏やかな地中海性気候に恵まれた小豆島の風土は、オリーブ栽培に適していたのでしょう。」
 この「小豆島オリーブ公園」は海が見える、日当たりのよさそうな小高い丘の斜面にあり、なにかオリーブの香りが漂ってくるような雰囲気の中にあった。その写真が一枚目である。私はオリーブのことは全く知らなかったが、その広大な敷地の中に様々な実の大きさ、色、形など多彩な種類が植えられており、ただただ驚くばかりであった。その写真が2枚目、3枚目の写真である。
 その敷地の一角に大きなサザンカとおぼしき花が満開であった(4枚目の写真)。サザンカとツバキは仲間であるが、私にはサザンカに見えた。ひょっとしたら間違いであろうか。
 小豆島は瀬戸内海国立公園の中にあり、小豆島一の名勝地として知られているのは寒霞渓(かんかけい)であろう(5枚目の写真)。200万年前の火山活動で生まれ、その後の風雨などによって生じた奇岩や絶壁が見どころで、秋にはその岸壁を彩る紅葉が絶景とのことである。私たちは夕刻近くにロープウェイで山頂に上がったのであるが、紅葉も終わっており、頂上も暗く閑散としていた。ただ、そこから望む、暮れかけた瀬戸内海の風景はなかなかのものであった。
 この小豆島にはいろいろな顔がある。「二十四の瞳映画村」はもちろん、素麺、醤油そしてごま油工場などがいっぱいである。私たちもごま油では大手である「かどや製油工場」を親切に見学させていただき大いに感謝している。いろいろな顔を見せてくれるこの小豆島の風景を鮮やかに切り取った無数の写真で鮮やかに見せてくれるサイトがある。是非、その写真集をご堪能いただきたい(http://www.olive-land.com/index.htm )。

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