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2011年12月の記事は以下のとおりです。

[簡易復元] NASA ヒ素を食べて生きる細菌を発見!

  • 2011/12/03 18:00

(この記事のオリジナルは2010年12月13日に書かれたが、ファイルが失われたため完全に新たに書き直す)

 昨年の今日12月3日の読売新聞夕刊に、「猛毒ヒ素 食べる細菌」が発見されたとしてセンセーショナルに報道された(1枚目の写真)。もちろん、これまでに全く知られていなかった大発見であり、私も大変驚いたことを覚えている。ただ、この発見の面白いところは、私が推測するに、ほとんど誰もこれまでこの種の研究をしてこなかったことだろうと思う。そんなことがこの研究から垣間見えるから私には特に面白く思えた。
 これまで私たちが知っている地球上の生き物には、炭素、水素、窒素、酸素、リン、硫黄の6元素が必須であった。今回の発見はこの考えを覆すもので、リンの代わりにヒ素があれば生きられる生き物がいるということである。それを発見したのは、カリフォルニア州にあるNASAの合衆国地質研究所所属のFelisa Wolfe-Simon博士らのグループで、2枚目写真の左側のモノ湖の泥から発見した細菌類の中にそんな生き物が潜んでいたのである。右側はその研究に主たる役割を果たしたWolfe-Simon博士である(Science, Vol. 330, 1302, 2010)。モノ湖は高い塩分濃度で知られ、しかもヒ素が高濃度で含まれている。
 彼女たちはその泥から分離した細菌をリン元素を含まず、その代りにヒ素を加えた培養液で培養し続けても、遅い速度ではあるが分裂・増殖し続ける細菌が存在することを発見した。そして、通常ならリン元素を確実に含んでいるDNAやタンパク質などを特殊な方法で調べたところ、リン元素は存在せず、ヒ素元素が含まれていることを証明した。いまのところ、ヒ素元素が普通ならリン元素が存在する化合物に同様の化学結合で存在しているかどうかの証明はないが、多分リンの代役をしているのだろうと推測されている。
 ヒ素がリンの代役をしているであろうと推測される主な理由は次のようなものである。学校の化学の授業で教えられ、未だに覚えている方も多いと思われるが、いわゆる周期律表に関係することである。3枚目の写真はかなり前から文部科学省が一家に一枚の普及を目指している新しい、カラフルな周期律表である。この表の基本的に意味するところは、同じ族で縦に並んでいる元素は基本的に科学的性質が似ているということである。たとえば、第15族の上からN(窒素)、P(リン)、As(ヒ素)が縦に並んでいるが(その部分を拡大したのが4枚目の写真)、それらはよく似た性質を持っており、とりわけリンとヒ素はよく似ている。ヒ素が多くの生き物にとって猛毒である理由は、ヒ素がリンに代わって入った化合物の不安定性による問題と、ヒ素がリンと競合するためにリンを含んだ化合物の生成がうまくゆかないことの2つだろうと推測されている。
 今回ヒ素がリンに代わって入った化合物の推測される不安定性についてはよくわからないが、その不安定性を担保する何か新しい機構が確保されているのかもしれない。そのような問題については今後の解明を期待するが、不思議なことにその後まだ続編となるべき論文が発行されていない。このことについては、また新しい論文が出た段階で議論したいと思う。
 私はこのブログの最初の辺りで、「この発見の面白いところは、私が推測するに、ほとんど誰もこれまでこの種の研究をしてこなかったことだろうと思う。」と書いた。それはこうゆうことである。つまり、そんなこと、つまり生き物にとって猛毒として知られているようなヒ素がリンにとって代わるなんてことはあるはずがない、一旦皆がそう思い込んでしまうと、滅多なことで誰も手を出さないのである。それは誰しもが陥る研究のエアポケットみたいなものである。
 そのことに関連してもう一つ指摘しておきたいことは、4枚目の写真をもう一度見ていただきたい。第14族の下にはC(炭素)、Si(ケイ素)が並んでいる。この2つはよく似た性質を持っているが、炭素の代わりにケイ素で生きる生き物がいてもよさそうなものであるが、それを追究する活発な研究は行われていないといってよい。簡単に言えば、地表部分に存在する元素の割合を表現する尺度である「クラーク数」で表すと、ケイ素は第2位であるが(第1位は酸素、炭素は第14位)、それが生き物にとって有効に使われている証拠は存在しない。
 それほど大量にある元素を生き物が使いきれていないとは、私はとっても信じられないのである。皆んなはそんなことはあるはずがないと思い込んでいる節がある。かってはその研究をした研究者がいたのであるが、今そんな話は聞かなくなっている。実は稲の茎などには多量のケイ素が蓄積していると言われているが、どんな役割を果たしているのかが分からない。また、トマトをケイ素を含まない培地で育てると実がならない、という重大な結果を出した研究者もいた。しかし、ケイ素の研究が本当に難しい理由は本当は別にある。それは、我々の周りにケイ素があまりにありすぎて、実験系の中からケイ素を除外してその影響を調べる実験が難しいからである。そんなことをトップクラスの分析化学者から聞いた私はその理由でこの研究には手を出さなかったが、簡単にケイ素を、たとえば水や試薬の中から除去する方法が見つかれば、研究は大いに進展するであろうと予想できる。私はその見通しがなかったから手を出せなかったのであり、もし生き物の世界における画期的なケイ素の役割が発見されれば、それはノーベル賞級の発見であろうと思う。私の生きている間にそんな成果を見たいものである。

[簡易復元] 「はやぶさ」 奇跡の帰還!

  • 2011/12/02 23:04

(この記事のオリジナルは2010年6月に書かれたのであるが、ファイルが消失したためデータを入れ替えて改めて書き直す)

 「2010年6月13日、オーストラリア、ウーメラ砂漠の南端、Tarcoola(ターコーラ)で待ち構えていた、光学観測班の前に、それは還ってきた。観測班は、JAXA、大阪市立科学館、台湾中央大学などのメンバーで構成された。超高感度カメラNC-R550aは、その光跡を余すことなく捉えていた。『来た来た!』『はやぶさ、おかえりー!』という感嘆の声とともに・・・・・」(http://www.nec.co.jp/ad/hayabusa/comeback/ )。
 明るいひとつの星のように輝きながら帰ってきた「はやぶさ」が、突然バラバラに分解しながらなお光を放って粉々になってゆく。その先端には壊れるかなり前に放出したカプセルが明るく光り輝いている。この動画を上のURLをクリックして是非ご覧いただきたい。涙が出るほど見事な最期だと思う。
 「はやぶさ」の計画に至る「l小惑星サンプルリターン計画」、つまり小惑星まで飛行してサンプルを採取し、帰還する計画が議論され始めたのは1985年頃と言われる。その後様々な紆余曲折を経て1996年の宇宙開発委員会で正式に承認され、スタートした。この手の話がよくわからない私の驚きは、イオンエンジンである。これはNECを中心に開発されたようで、推進剤であるキセノンを66㎏搭載し、1基当たり8㍉・ニュートンというエンジンを4基積載していた。
 イオンエンジンと言われる理由は、推進剤であるキセノンガスに電子レンジ(電磁波レンジ?)で使われるようなマイクロ波をぶつけて正電荷を持ったキセノンイオンとし、それを巧みに制御して1方向に放出し、その反動で推力を得る仕組みだからである。1ニュートンは、1キログラムの質量をもつ物体に1メートル毎秒毎秒 (m/s2) の加速度を生じさせる力と定義されている。はやぶさ探査機は510㎏の質量があるので、計算が間違ってなければ0.6ミリメートルの加速度(m/s2)しか与えられないほど小さなエンジンでしかないのである。
 もともと計画では4年の飛行で帰還する予定であったが、さまざまなトラブルに遭遇し、二度の行方不明などでほとんど絶望視されながら、スタッフの執念深い追跡と独創的なイオンエンジンなどによって、2003年の打ち上げから7年後の2010年6月13日にカプセルだけが無事オーストラリアの大地に帰還を果たしたのである。奇跡的であった。
 予定通り帰還したカプセルは無事日本に届けられ、現在分析が続けられている。小惑星「イトカワ」に着陸して岩石などを採取する際、弾丸を発射してそれで浮き上がった岩石などを採取する計画であったが、それが不調に終わったことからカプセルには何も入っていないのではと心配された。私がお世話になっていた大阪大学理学研究科の知人もその分析に関わっているが、現在埃のような小惑星の試料がカプセル内に入っていることが確認されており、小惑星誕生についての貴重なデータが得られることを期待したい。
 1枚目の写真は、はやぶさが大気圏に突入して焼き尽くされつつある写真で、右下にポツッと明るく光っているのは先に放出されたカプセルだと言われる。2枚目はオーストラリアの砂漠でカプセルが回収されたことを伝える6月14日の読売新聞の記事である。3枚目はカプセルを放出してから機体を反転させてカメラを地球に向けて撮影した写真であるが、すべてを送信する直前に地球の裏側に入ってしまい、まるで涙目で故郷を見ているような写真になってしまっている。何とも印象的な写真である。
 なお、「はやぶさ」のすべての詳細な記述は、上のNECのURLとWikipediaとをご覧いただきたい(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%AF%E3%82%84%E3%81%B6%E3%81%95_(%E6%8E%A2%E6%9F%BB%E6%A9%9F) )。

[簡易復元] 高槻の紅葉 (5) 殿岡神社

  • 2011/12/02 10:25

 国道171号線の方から名神高速道路をくぐって関大・萩谷方面に向かう府道115号線の途中に奈佐原という地名がある。私はこの道をよく通るが、その奈佐原公民館の近くに「殿岡神社」がある。本当に小さな神社で、車で走ればあっという間に通り過ぎてしまう、そんな神社である。しかし、この神社の紅葉は時には凄く美しい。その紅葉を2009年に撮った写真が手元にあり、せっかくのことであり公開しておきたい。
 実は殿岡神社のことはほとんど何もわからないが、ネットで調べると、その神社に高槻市教育委員会が出した看板があったようで、その写真から次のような文章が読み取れるので、それを以下に記したい。
 「殿岡神社は、宇賀御魂神を祭神とし、かっては稲荷神社と称した。創建の年月は不詳であるが、社伝によると、奈佐原近在の四カ村が干ばつに苦しんだとき、神輿を阿武山の山頂、殿岡の峰に埋めて降雨を祈願し、その霊験に因んで殿岡神社と称するようになったという。この伝承は、古来、当社が奈佐原四箇庄の鎮守であったことを示している。
 手入れされた境内は濃緑につつまれ、今も地域の人々から親しまれている。なお当地は、殿岡神社古墳とも呼ばれ、本堂東側に石室がある。」
 確かにネットで殿岡神社と検索すると、「殿岡神社古墳」として出てくる方が多く、ここは元古墳があった場所で、神社建設のために東側の高台(古墳)の端が削り取られてしまっているようである。私は写真を撮るときには気付かなかったが、立派な石室の入り口の写真がネットに掲載されており、確かに古墳なのであろうか(http://blog.livedoor.jp/marbow_archeo/archives/51816237.html )。今度立ち寄った時に見てみたいと思う。
 それにしても高槻には、あちらこちらに古墳が点在している。高槻に人が住み始めたのは約2万年前の旧石器時代からと言われ、北摂三島地区の山裾には大小500におよぶ古墳群があり、また、古代には河内湾がこの高槻まで海として拡がっており、海上交通の重要な位置を占めていたと考えられている。「津之江」という地名はそのことを如実に示していると言われる。このことは、先日訪れた「大阪市立 自然史博物館」にも分かりやすく展示されていたhttp://www.unique-runner.com/blog/index.php/view/105 )。高槻は歴史的に見てなかなか面白いところである。
 さて、紅葉の写真であるが、それを5枚出しておきたい。一度この小さな神社にお出かけになってはいかがであろうか。本当に小さい神社である。

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