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2011年11月の記事は以下のとおりです。

第1回大阪マラソン開幕、御堂筋に人が溢れた!

  • 2011/11/01 11:13

 東京マラソンに遅れること4年、遂に大阪マラソンの号砲が鳴った。近年の市民ランナー増加に拍車をかけた2007年2月18日9時の東京マラソンのスタート、物凄く冷たい雨が降りしきる東京都庁前で30分はポンチョを着て立ち続けたときのことを思い出す。第1回の大阪マラソンも季節こそ違え同様の雨に見舞われるかと心配されたが、幸いにもそれも杞憂に終わり3万人が大阪城前をスタートしたらしい。
 私は抽選に外れたため、ジム仲間の応援と東京から参加した友人の応援のために9時過ぎには難波の交差点にカメラを持って駆けつけた。左右に見通しがよく、前に余計なもののない場所を探し回っている間に大阪城方面から走ってきた先頭集団が難波交差点を右折して、御堂筋を北上していった。その中には市民ランナー上がりの川内選手が頑張っていた。私は北行き6キロ地点、南行き17キロあたりに相当する位置の難波交差点北西角の側道側にたってランナーを待った。両方向のランナーが見られるからである。
 その後招待選手らが続きしばらくして市民ランナーや女子選手も見えてきたが、不思議なことに往復6車線ある御堂筋の北行きの側道を走っているのである。先頭集団が走っているときにはどこを走っているのかは気にならなかったが、スタート後30分時点で大勢の市民ランナーが混雑した状態で6キロ地点に差し掛かってきて初めて、なんと側道を走っていることに気が付いた(2枚目の写真、この中に友人がいる)。
 その内に、あまりに大勢のランナーが側道を走ることになったので、パラパラと側道ではなく本道(と言うのかどうかは分からない)4車線のうちの北行き方面の空いている右側2車線を走るランナーが出始め、その内に、間寛平さんが登場してくる時刻になると側道と本道分け隔てなく走るようになって落ち着いてきた。6キロを走ってなお混雑するようなことは尋常ではない。なぜ側道を走らせたのだろうかと不思議でならない。スタート地点から広い道路を使う東京ではちょっと考えられないことである。大いに改善の余地がある。その側道を大勢のランナーが走っている写真が2枚目で、相変わらず愛嬌を振りまいて走っている間寛平さんの写真が3枚目である。
 そうこうしているうちに御堂筋を北で折り返してきた男子のトップグループがやってきた。その中には日本のトップ選手にまで成長した川内選手が頑張っていた。その写真が4枚目である。その後リディア・シモンと嶋原清子選手らが走ってきたが、もたもたしていて間に合わず、なんと後姿の写真になってしまったのは、私の未熟さの表れで情けない(5枚目の写真)。
 しばらくジム仲間を探していたが諦めて、今度は難波交差点の南西角に移動してより良いカメラアングルを求めたが、結局移動が遅すぎてここにお見せする以上の写真を撮ることはできずに私の大阪マラソンは終了した。
 レース結果は既に報告された通りで、大阪で10回目というマラソンで優勝したリディア・シモン、それに嶋原清子選手の頑張りと、サング選手のスピード、川内選手の闘志が称賛される。上に私が指摘した側道の問題はきっと来年には解決されるだろうと期待しており、その時には私も走りたいものである。また、新聞によれば、沿道で100万人の市民が応援したと伝えているが、東京マラソンに劣らぬ熱気が感じられ、またボランティアらによる整理、道案内、特に地下街における道案内は、私も頼りにしたが、非常に丁寧に行われていた。私は東京マラソンの経験から、東京も捨てたものではないとHPに書いたが(http://www.unique-runner.com/tokyo2007.htm )、今回の大阪マラソンに応援者として参加して、やはり大阪も捨てたものではない、実にうまく運営したと強く感じた。この大会の今後の成長を期待したい。なお、1枚目の写真は、読売新聞10月31日朝刊の34-35ページを縦につないだものである。

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