第34回ホノルルマラソン2006ーその(1)
ー天国のあとには地獄が待っていたー
はじめに
 2005年12月11日の第33回ホノルルマラソン参戦記の冒頭には次のようなことが書いてあった。「私のこれまでの自己ベストは、2005年4月の長野オリンピック記念長野マラソン公式タイム3時間53分13秒(手元の時計で3時間52分57秒)で、これを更新したいのは山々であった。しかし、20度を超える気温、かなりの高低差などを考えると無理をして自己新をねらうことは私にとっては危険な賭でもあった。そして、場合によっては4時間半、悪くすると5時間という思いもよらぬタイムになりかねない危険をはらんでいた」。なんとこのことを忘れて欲を出してしまったのが今年のレースであった。

 昨年のホノルルマラソンのあとで何度か脚の故障に見舞われたがシューズを変更してそれを乗り切り(「第8回長野オリンピック記念2006長野マラソンー故障との闘いー」に詳しい)、練習不足が明らかであったが長野マラソンを4時間07分48秒のタイムでシーズンを終えることが出来た。その後は練習量を増やすとともに、山の国高槻の特性を活かして登り坂の練習に精を出し、8月最終日曜日の「かっとび伊吹」の登山レースに参加した。ここでは販売中止となったナイキのKatana Cageに代わる2世代目のKatana Cage 2を履き、それまでのベストタイムを4分21秒更新して1時間54分21秒で登り切ることが出来た。幸先の良いシーズンの幕開けであった。

 しかし、Cage 2のアッパーのフィット感が少し窮屈だったこともあり、もう少しスピードの出やすいKatana 4を履いてみたところ意外に感じが良かったこともあってそれ以降のハーフマラソンのレースではシューズをそれに変更することにした。その後10月15日の滋賀県高島市での「マキノ健康栗マラソン」では昨年より約2分3秒落としての1時間47分54秒、11月5日の「大阪・淀川市民マラソン」では昨年より41秒落としての1時間46分51秒で、いずれも昨年よりタイムを落とし、なおかつ足指裏に水ぶくれを作ってしまった。それにもかかわらず、サイズを0.5cm上げてホノルルでこのシューズを履くことに執着した。要するに、なぜか結果として現れたマイナスのサインを見落とし、心の中ではスピードアップにこだわったのである。 これがそもそもの地獄の入り口だったような気がしている。
ハワイの風景ーその2(「その1」は昨年の参戦記)
 ハワイにはレースの三日前の12月7日に到着した。宿泊ホテルは昨年のSheratonよりダイアモンド・ヘッド側にあるPacific Beach Hotel(写真左上)で、写真で奥に見える高い建物の最上階37階に私の部屋があった。そこからのダイアモンドヘッドの日の出は美しく(右上)、昼間にその手前を見ると、当日は喧噪に包まれるであろうカピオラニ公園にあるゴール地点と多くのテント群(左下)が一望できた。私はそのあたりをレース当日までの三日間、調整のために走り回った。そのホテルから道を渡ればワイキキ海岸でその向こう側に昨年宿泊したSheraton Waikikiが見える(右下)。
昨年は特別な事情でスタート地点そばまで車で移動したため、スタート地点がどこであるのかが全く実感できてはいなかった。そこで前日、スタート地点を詳しく偵察した。左側の写真の右側にはMacy*s百貨店が見えるが、その右側(東側)にホテルからのシャトルバスの降車地点があり、その百貨店の向こう側にはアラモアナ・ショッピングセンターがあるのが見える。その写真の左側の奥に高いビルがあるが、その向こう側にスタート地点がある。スタートする道路は右の写真に見えるアラモアナ大通りで右手前にはアラモアナ・ショッピングセンター、左側には大きなアラモアナ公園がある。スタート地点は、写真の右に映っているビルの左側の道路である。この道路の所々には自分の予想タイムに従ってスタート前に並ぶ目安を示す旗が立てられている。ここの旗には”2時間ー3時間”と書かれている。
レースの経過と結果
 ことしもナイキの"Pace Calculator"機能を使い、ホノルルマラソンコースの特徴にしたがって1マイル毎のラップタイムを設定し、そのデータをナイキの腕時計("Triax Speed 100 Super")に入力して携行した。また今回変更した点は、昨年の"Zoom Air Katana Cage"は販売中止となったこともあり、上に書いたようにもうひとつ上のクラスと思われるKat ana 4を使うこととした。前述したように前走では問題があったが、サイズを大きくして使用することとした。

 レースは午前5時にスタートなので1時過ぎには起床した。ほとんど寝られなかったが気にしないことにした。そして3時間前にはJTBから提供されたおにぎり3つの食事を済ませ、 2時半にスタート地点に向けてバスで出かけた。当日の気象条件は、ホノルルマラソン協会事務局の公式ウエブサイト(http://www.honolulumarathon.jp/)によれば、スタート時の気温は摂氏21度、午前11時の気温は23度、風速はほとんど感じないそよ風程度であったが、途中高速道路に入った時かなりの向かい風を受けた。

 さて、スタートの時を迎えた。私は当初予想時間3−4時間の頭の方に並んでいたのであるが、幾つかの団体参加者たちが集団でほとんどトップ選手の後あたりまで前に行くのを見てびっくり仰天した。最初その人たちは誰かを見に行ったのかと思ったが決して戻ってはこなかった。私もやむなく2−3時間のところに移動したが、スタートしてもなかなか動かず、走り出してもきわめて遅い人、あるいはほとんどはじめから歩いている人などが沢山おり、大変危険で、強い焦燥感にかられてしまった。そのことがその後余計な脚を使う原因のひとつにもなってしまったと感じている。

 もうひとつの問題は私が使った時計である。今回は昨年と異なり設定ラップに伴うアラーム音を"ON"にしたのである。アラームは設定タイムになったときに鳴るものと早合点してあらかじめ試すことはなかった。最初の1マイル地点ではアラーム音が鳴ってしばらくしてからその標識が見えたのは当然だった。この状況はなぜか数マイル先になるまで変わらなかったのである。つまり、何マイル走っても”設定ラップで走れていない!”と音で脅かされていたのである。混雑から早く抜け出さなければとの焦燥感と、暗いこともあって時計をきちんと見る余裕がなく、いつの間にか早い内にかなり脚を使ってしまったのである。下に設定ラップと実測のラップを記してあるが、最初の1分少しの遅れがその時の感覚では2分、3分の遅れと感じられていたのである。6マイル前後ではかなりスピードを上げて走っていたようである。その後は設定ラップまで落とさなければと思いペースダウンをしたが、もはや遅すぎたようだった。なお*は、24マイル表示を見落とした為に25マイル時のデータから均等に割り振ったものである。赤字は設定ラップタイムからの遅れ、緑は早いタイム差を表している。
 上のデータとそのタイム差を昨年と対比してグラフ化したものをみれば分かるように、最初の混雑での67秒とそれに続く17秒のプラスの差は昨年と比べて大差ないように見えるが、それは私にとっては想像以上のものであった。その後は上に述べたような事情でがたがたした状態が続き、結局中間点を過ぎる頃にはまず股関節が痛くなり、次に使いすぎた脚が動かなくなり、ラップタイムに遅れが出始めてしまった。Hawaii Kaiを周回するときには既に最初の”歩き”が出てしまったのである。それ以降はもう坂道を転げ落ちるようにラップタイムが遅くなり、信じられないようなブレーキになってしまったのである。データとグラフを見ればその状況は明らかである。昨年のグラフを見ればいかにきれいに走ったかを今更ながら理解することが出来る。ただ、完璧だったのであろう。
走り終わって
 ゴール後の足裏はかなり痛く、足指の水ぶくれの他に土踏まずの前、足裏の左右の真ん中あたりに縦に長い水ぶくれが出来ていた。このような水ぶくれは始めての経験であるが、結局のところサイズを大きくしたKatana 4でも足にフィットしない点を克服することは出来なかった。それに早い時点で股関節が痛くなったのも走り終わったあとの踵の痛みも、たぶん全ては強い衝撃に脚が耐えられなかったのだろうと考えている。このような状況が中間点を過ぎたあたりから出現した理由は、異常な混雑とアラーム時計の意外な作動による動揺で、早い時点で脚を使いすぎたことに尽きるようである。このような単純で、ちょっとしたことで動揺するのは十分な脚力がないからであり、さらなる努力が必要である。また膨大な数のランナーが安全に、しかも気持ちよくスタートできるよう、団体参加のランナーを率いる指導者は、参加者個人が危険な位置取りをしないように十分な指導をお願いしたいものである。事故が起こってからでは遅いのである。私自身も肝に銘じたい。

 今回使用したナイキの"Triax Speed 100 Super"のアラームの問題は未だによく分からない。実はこの時計を昨年手に入れたとき、その説明書のあまりの不十分さに驚きナイキのHPを探し回った結果、セイコー・インスツルがその詳しい説明書を持っていることが分かった。それを見つけだすことすら大変難しいことであった。それがなければこの時計を使いこなすことは困難である。その日本語のみの説明書をもってしても未だにそのアラームのことは理解できない。私が今日落ち着いてテストしたところによれば、ラップのアラームはその独立した距離区間のタイムではなく、累積設定タイムに対して鳴っているようである。だから、最初に1分遅れたところでラップボタンを押せば、次のアラームは次の設定ラップの1分前には鳴ってしまうのである。いまはじめてそのことが分かり驚愕した。私が混乱したのはまさにこの点だったのである。商品の製造・販売をするものは、当然誰でも理解可能な使用説明書の添付が原則である。その点でもっときちっとした対応をお願いしたい。

 今回は少し残念な結果に終わったが、家族や友人は「完走おめでとう。よく走ったね。凄い記録だよ。まず完走することが素晴らしいんだよ。」と言ってくれる。確かに、42.195キロという長距離を走りきることの難しさを考えれば満足してよいように思う。今回のホノルルのあと、私の中にもう1人の自分が顔を出して、「そのつらさ、苦しさも含めて楽しんでいればよいのだよ」と言っているような気がする。こうして書いているのは、そんな自分を見つけだすために書いているのだろうか。私も少しずつ進歩しているのであろうか。来年は、上述したようなごちゃごちゃもなく、スムースに余裕をもって走りきれるよう、今回の問題点を洗い出してみようと思う。きっとまだまだ栄養摂取などの問題が出てくるはずだ。
付録の写真
 下の2枚は特に説明の必要はないが、意外にさばさばした顔をしているであろう。真ん中の列の左はHawaii's Plantation Village訪問の途中のMoanalua Gardensにある、「あの木なんの木気になる木」と歌われたある会社のCMに使われた木、"Monkey Pod"である。その右は、琉球も入れて計8カ国からの入植者達ががとてつもなく苦しい時代を経て建設したサトウキビ畑を再現した村の一軒の家で、沖縄の方が建てられた何でも屋だったそうである。Saiminとは細麺のことという。下の2枚はゴールのカピオラニ公園にある動物園と水族館の入口である。動物園では大声で鳴き続けるテナガザルが興味深く、水族館はなんとアメリカで3番目に出来たらしく、きれいで優しい展示がされていた。"Waterfront Park"には悲劇的な事故にあった「えひめ丸」の錨と鎖が置かれている慰霊の碑があった。まだまだ見るものがいっぱいある。