京都シティハーフマラソンで大ブレーク!!
 京都シティハーフマラソン、それは、聞くところによれば応募しても滅多に抽選に当たらないレースである。しかも、制限時間は2時間で、その関門の閉め方は冷徹そのものである。しかし、昨年秋に尼崎国際マラソンのハーフの部で1時間48分台の記録を出し、連続4回2時間を切れるようになると、その関門もなんとかなると思うようになりました。もし出られれば、私のハーフマラソンの歴史の一区切りとして次への飛躍のステップになりそうだとの期待が膨らみました。

 京都の街は、長男と次男が同志社大学に通っていたこともあってなじみもあり、その大学のそばの今出川通を走れるかもしれないということもあって無性に出たい大会になっていました。私の勤める生物学教室の秘書の方からの詳細な情報もあり、昨秋、思い切って応募してみました。

 くじ運の悪い私にもたまには良いこともあるものです、抽選に当たったのです。そこで、ありとあらゆる情報網を使っていろいろな情報を集めてみました。その結果、沢山の理解不能のことが出てきてしまったのです。一昨年のレースのことですが、6,000人以上が出場するこのレースで、ピストルが鳴ってから最終ランナーがスタートラインを通過するまでの時間はたったの2分としかカウントされていなかったこと、おまけにゴール以外に5つの関門があって、第二関門をぎりぎりの時間で通過したランナーは、第三関門までを時速15キロで走り抜けなければ収容バスに乗せられること、このような情報は応募の時点で公開されていないこと、などなどでした。おまけに、このレースの登録受付は開催日の前々日と前日しか行われず、遠方からのランナーは必ず宿泊を余儀なくされることでした。もっとランナーに優しいレースにならないものかといろいろと努力してみましたが、それはもはやかなわぬ夢でした。
 いろいろと考え続けた京都シティハーフマラソンが、3月11日の日曜日、スタート時の気温3.6度という厳しい条件のなかで行われました。結果は、
 私の手元の時計では、
 5km 24分20秒 4分52秒/km(そうとうとばしました)
10km 49分00秒 5分00秒/km(コンスタントに走りました)
ゴール 1時間42分48秒 平均速度 4分52秒/km(公式タイム、後日発表)
 当初から心配していたのはスタート位置の問題でした。前日の登録時からスタート場所を綿密にチェックしておりましたが、ガイドによればスタート順はゼッケン番号順とのことで、スタート位置を前にするのは難しいと感じておりました。当日もそのように思っていましたが、幸運なことがありました。近くの野球場のまわりでウオーミングアップをしていたところ突然誰かの手が背中にドンと当たり、その時「ごめんなさい」という外国人らしい人の声が聞こえました。顔を見ると外国人で「日本語お上手ですね」といいますと「ありがとう」、「日本には長いのですか」「30年です」という会話をしました。彼の話によると昨年は最後の第五関門にあと十何秒というところで引っかかったので、今年はもっと前からスタートしないとまた収容されてしまうということでした。そこで、「前に行ってもいいのですか」と尋ねると、「いいんですよ、みなさんそうされます」ということでしたので、じゃ一緒に行きましょう、ということになって、まだそれほど混み合っていない人並みの間を縫ってかなり前の方まで出て行きました。そこはぎっしり詰まったランナーの間でしたので、気温3.6度の中ではあり得ないような暖かく気持ちの良い空間でした。
 ピストルが鳴った後ほぼ30秒くらいでスタート板を通過でき、ほっと安心して走り始めました。大きな鳥居の道は広い道路ですが、すぐに疎水まわりの道路に入ると道幅は半分ほどと狭く、かなり危険なランナーもいて注意深く走ることにしました。それでもまもなく烏丸通りを北上するようになると広く、応援に駆けつけてくれた野球少年達と手をたたきあいながら、余裕を持って走ることが出来ました。その後は同志社前の今出川通から加茂街道を北にとりましたが、かなりの向かい風と吹雪のような雪に悩まされましたし、道路の時間制限のために迂回路に回されタイムをロスしました。それから東に向かって北山通、それから川端通を北へ、いつも高校駅伝のテレビで見る宝ヶ池国際会議場で折り返して再び川端通、そして白川通を南下して丸太町通に入り平安神宮前のゴールまでの21.097 5キロでした。行きはずーと上り、特に宝が池に向かうところはかなりの上り坂だと感じました。でも、折り返してからは下りだと言い聞かせて前半をとばし、帰りも下りを利用してペースを守りました。
 5キロ24分20秒、10キロを49分00秒と順調に4分台後半から5分丁度で走り、折り返してからも失速することなく、むしろちょっとペースをあげてゴールには1時間42分48秒で入り、これまでの記録を6分も短縮するという好記録を達成しました。ひょっとすると30分台もと考えないわけではありませんでしたが、無理をして台無しにしてはとコンスタントに走りきりました。平均速度は4分52秒/キロで、ほとんどイーブンペースで走り抜けました。私もとうとうキロ4分台に突入です。トレーニングすればまだ伸びるのだとの感慨を味わいました。
 最初に述べた関門設定などに関してですが、友人に最終ランナーがスタート板を通過する時間を測定してもらったところ2分40秒でした。6,000名以上が出場するレースとしては、これは意外でした。スタートする道路がかなり広く(大鳥居の間の道路)、そのために割に短い時間で通過できることが分かりました。そこはそれほど問題ではないと分かりましたが、その後の道路が狭く、かなり危険でした。制限時間が厳しいのでその混雑のなかを危険な速度で走り抜けるランナーが多く転倒などの危険が避けられないようです。もうひとつは、やはり関門設定でしょうか。加茂街道でも迂回道路、これはへまをすると1分弱のロス、また、帰りの白川道路での歩行者対策としての1分の道路閉鎖、これらを考えますと、計2分のロスを経験するランナーが出てくることになります。そのために、公式の2時間の制限時間は、実際には4分から4分40秒弱のマイナスとなり、一般ランナーにとっては厳しい時間制限である実態があります。しかし、沿道からの老若男女を問わない声援は活発で、3カ所のブラスバンドにも励まされて走りきることができました。
 全国から14,000人もの応募があるといわれるこの大人気レース、しかし、以上のような問題点もあります。これについては、幾つかの改善を求める内容を盛り込んだ感想文として大会実行委員会へ提出いたしました。ハーフマラソンを走りはじめて6年目、今年62歳の私にとっては、はじめて2時間を切って以来の大ブレークでした。年齢の右肩上がりに逆らってタイムの右肩下がりをいつまでも実現したいと願っています。そのためには、コンスタントで厳しいトレーニングが必要だと自覚しています。走ることが確実に私の生き甲斐の一つとなった京都シティハーフマラソンでした。来年も新たな気持ちで、自己新記録を求めて京都の街を走り抜けたいと思っています。
(2002年3月26日)