自主規制より正確な情報を
 世界がテクノロジーの要請もあって物理的にも近づき、様々な情報が一瞬のうちに世界を駆けめぐる時代になってきた。その中でもっとも必要なことは、情報の正確性である。そのことは情報の独占状態を築いているマスメディアに向けられてしかるべきであろう。特にアメリカ同時多発テロが起こり、それをきっかけとして世界的な規模で情況が大きく動いている時期だけにそのことはなおさらである。一方、国内の構造改革の一環として国立大学の独立行政法人化が議論され、国は大学を大きく揺さぶり続け、なぜもっとノーベル賞を取れないのかと躍起になっているようである。注: 文字用の領域がありません!
 そんな矢先、私には気になることが二つ出てきた。ひとつは、読売新聞にこの1月3日から連載された興味深い特集「文明を問う」の第一回に突然現れた。それは問答形式になっていて、その部分は次のようになっている。
―具体的に我々はどう行動すべきなのだろうか(質問)。
「ドイツに対する脅威から米国が原爆を開発し、広島、長崎に投下した不幸な出来事以降、我々はNBC(核・生物・化学)兵器の使用を未然に防ぐ努力をしてきた。」(答え)
 わたしは原文も読んでみたいと思い、インターネットでDairy Yomiuri On-lineを検索し、その原文を見つけ、読んでみて驚いた。その答えの部分は次のようになっていたのである(イタリック・ボールド体への変更は筆者による)。注: 文字用の領域がありません!
“Because of the threat from Germany, the United States developed the atomic bomb, andin order to test its power, two of them were dropped on Hiroshima and Nagasaki. Since that unfortunate event, we have avoided the use of NBC weapons.”
 ヴェトナム戦争でアメリカが枯れ葉剤なる化学兵器を使用したことが忘れられているが、それはともかく、英文の下線の部分が日本語訳には完全に抜け落ちているので大きな問題である。ここでは明らかに、日本への原爆投下は実験であったことを言明しているのである。そのことはわたしが考えてきたことと同じであり、別に驚くには当たらないが、それはアメリカが30万人(そのほとんどが民間人)という大量虐殺をたった2発の原子爆弾で行ったことを明確に認めていることに他ならない。民主主義の国アメリカ、世界のリーダーと自認するアメリカ、しかし国益を前にしたときにはそこまでやる国であることを我々は明確に頭にたたき込んだ上で様々な選択をせざるを得ないのであろう。実験はテロではないのであろうか?真珠湾奇襲への報復は何でも許されるのであろうか?この文明社会に報復は認められているのだろうか?
 この話をした米サン・マイクロシステムズ共同経営責任者のビル・ジョイ氏は、クリントン前政権の情報技術諮問委員会の副委員長を務めた重要人物である。彼が述べたような内容は、どちらかといえばアメリカでは常識的な見方だと思われる。しかし、公式には日本に向かって決して語られてはこなかったポイントである。その意味で、わたしにとってはきわめて重要であり、被爆者にとってはつらい話であろう。注: 文字用の領域がありません!
 しかし問題は、なぜ読売新聞はその部分を削除したかということである。無意識に削除したとはとても思えないし、スペースが足りないと考えての削除にしては内容が重要すぎる。それよりは、テロ撲滅作戦遂行中のいま、大量虐殺者としてのアメリカのイメージを出すわけにはいかない現状を睨んでのことであろう。アメリカ同時多発テロの勃発の直後イラク・フセイン大統領は、細かい言葉使いは別としてそのテロの原因について「アメリカがしてきたこと、たとえば、日本に原爆を投下したこと、そんなことに対する反発が底流にある」との発言を行った。今回、その発言内容の証拠となるようなビル・ジョイ氏の発言を公にすることを避けたと考えるのが常識的な解釈であろう。しかし、我々には知る権利がある。世界のリーダーを自認するアメリカが、果たしてそれに値するのかどうか、その姿は常に白日の下にさらされなければならないのである。このような主張は、常にアメリカが主張することそれ自体である。それをきちんとやる、それが現在マスメディアに求められた最たる責務ではないだろうか。情報操作はいい加減にしてもらいたいものである。
 同様にもうひとつ気になることがある。それは、2001年12月17日新聞にも掲載されたことであるが、同じものはインターネット上(Yahoo! News)でニュースとしても見られたものである。それは12月16日付の英国日曜紙オブザーバーに掲載された記事についてで、読売新聞は、“「なりふり構わぬノーベル賞獲得戦術」英紙が日本批判”、また毎日新聞は、“<ノーベル賞>日本のロビー活動にスウェーデン怒る 英紙報道”のタイトルでそれぞれ報じた。いずれも、いろいろな形で金をばらまくロビー活動ではノーベル賞獲得者を増やすことは不可能で、それよりももっと解決されなければならない重要な問題があることを厳しく指摘し、最後に「さらにノーベル賞受賞者の少なさは(1)高齢のボス教授が支配する大学の講座制から若い研究者が逃れるには海外に行くしかない(2)画一性と反復重視の教育――など創造性を欠如させる国内制度が真の原因だとする意見を紹介した(毎日新聞)。
 実は、その原文を読んでみると(ガーディアン紙ホームページ)実はもっと意外なことがわかるのである。それは上の最後の文の(1)の項目については、明らかに昨年のノーベル化学賞受賞者、筑波大学名誉教授の白川英樹氏が述べたとされているのである。日本の両紙ともそのことを割愛しているのである。その部分を以下に引用する。
”As one of Japan's few Nobel prize winners - Hideki Shirakawa, of the University of Tsukuba - says, younger scientists have little alternative "unless they go abroad".”
 長文の英文を短い日本語に翻訳して伝える場合、いろんな部分が欠落してしまうことはやむを得ないが、しかし何が大事なことであるかの判断はきちんとすべきである。その判断の違いである可能性は否定しないが、わたしから見ると意図的に批判を回避したように見えるし、その批判の重要性を日本国民に伝えることに失敗したように思える。我々は常に行政から自主規制を求められ、自分で自分の首を絞めることを求められ続けてきた。マスメディアも常に行政や政治からの監視の目にさらされ、自主規制を求められてきたことは周知の事実である。我々はそのような事情でマスメディアの報道内容について昭和の時代から疑いの目で眺めざるを得なかったのである。その意味で、メディアを率直に信頼できる時がくることを望みたいが、そのためにも自主規制や批判の回避より、より正確な情報の伝達を望みたいのである。
 国益を前にしたときには、地球規模での環境保護から撤退する国もあれば、人間の遺伝子までも商売のネタにし、特許にしてしまう時代である。正確で、厳しい批判力を持つマスメディアが日本で育ってほしいと願うものである。そのことが長期的に見れば日本の国際的な地位向上にどれほど貢献するかわからないのである。注: 文字用の領域がありません!
(2002年2月6日)