「写真が語る20世紀 目撃者」をみて
 「人間とは、己の尊厳を守るためには命を投げ出すことのできる動物である」(Hum ans are animals who are willing to sacrifice their lives in order to protect their self-respect.)(「写真が語る20世紀 目撃者」朝日新聞社、1999、65ページ)。しかし同時に、「人間とは忘れる動物である。それは、いいことでもあるし、困ったことでもある」(Humans are forgetful animals. Sometimes that's good, and sometimes that's bad.)(同、173ページ)。
 8月の最後の暑い土曜日、梅田大丸での表題の写真展覧会に出掛けた。行く前からおよそその内容には想像がついていたし、腹をくくって行ったつもりだった。でも、20世紀はじめからの流れを特徴づける膨大な写真の1枚1枚を見て行くと、腹をくくって見に行ったことなどどこかにすっ飛んでしまった。
 第1次世界大戦1000万人、第2次世界大戦5000万人の死者を出したといわれる20世紀は「戦争の世紀」。その第2次世界大戦勃発の年に生まれた私。何度か見たこともある写真、言葉にしようのない凄惨な写真の数々。戦後の混乱を思い起こさせる多くの写真。自分の中では全く忘れていた光景、恵みをこうて道ばたに立ちすくんでいた傷痍軍人の姿。その数々の決定的な時間を切り取った写真の中に何とも言いようのない1枚の写真があった。それは長崎原爆の後、死んだ妹を背負い焼き場に直立する鮮明な少年の写真であった(「焼き場に立つ少年」、1945)。これには撮影者ジョー・オダネルの次のような言葉が添えられていた。
 「佐世保から長崎に入った私は、小高い丘の上から下を眺めていました。・・・
 10歳くらいの少年が歩いてくるのが目に留まりました。おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中にしょっています。・・・しかし、この少年の様子ははっきりと違っています。重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたという強い意志が感じられました。しかも足は裸足です。少年は焼き場のふちまでくると硬い表情で目を凝らして立ち尽くしています。・・・
 少年は焼き場のふちに、5分か10分も立っていたでしょうか。白いマスクをした男たちがおもむろに近づき、ゆっくりとおんぶひもを解き始めました。この時私は、背中の幼子がすでに死んでいることに初めて気づいたのです。男たちは幼子の手と足を持つとゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえました。
 まず幼い肉体が火に溶けるジューという音がしました。それからまばゆいほどの炎がさっと舞い上がりました。真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を赤く照らしました。その時です、炎を食い入るように見つめる少年の唇に血がにじんでいるのに気がついたのは。少年があまりにきつく噛みしめているため、唇の血は流れることなく、ただ少年の下唇に赤くにじんでいました。夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま焼き場を去っていきました。」注: 文字用の領域がありません!
 この写真や多くの写真の前で不覚にも涙がでました。いつも、なんの責任もない子供達が犠牲になってしまうのです。そのことはいまも変わりません。前出のパンフレットの始めに轡田隆史氏は、「この会場から、みなさん、「足どり軽く」歩み去ってください。人間を信じるとは、自分を信じることではありますまいか」と書いている。でも、いまの大きな流れの中で人間を、そして自分を信じることの難しさはつくづく感じる。何ができるかと自問しても、絶望的である。でも、この「過酷な競争社会」の中で不自由になった学生を、できるだけ自由にすることで自分も少しだけ自由になりたい、と思う(1999年8月30日)。
追伸:
 私がこの展覧会を見て再び思い出した光景がある。それは、初めて「サイパン」という本を見たときのことである。