2004年8月24日アテネでの準決勝、対オーストラリア戦で、長嶋茂雄氏流に言えば”いわゆる日本野球の代表”としての「長嶋ジャパン」は、世界の厚い壁にまたもや跳ね返された。しかしそれは”世界の厚い壁”だったのか、あるいは”日本野球の限界”だったのかは明らかではない。

 今回のアテネオリンピックにおける日本選手の活躍は素晴らしく、私はまさに眠れぬ夜を楽しんできた。こんな事態は想像だにしなかった。しかしよく見てみると、大活躍した柔道、体操、水泳などの協会は、選手を海外に積極的に派遣し、データを徹底的に収集し、それをしっかり分析するスタッフを置き、それらをもとにした十分なトレーニングの結果、素晴らしいメダルラッシュを果たしたのである。国立スポーツ科学センターの新設も大いに貢献したのであろう。

 女子マラソンの死闘を制した野口みずき選手の快走には、ただ”しびれた”という言葉が適切であろう。あの25キロからのスパートは全く予想外のものだったが、ストライド走法の確立とともによく練られた作戦だったようである。しかし、それにしても残り17キロにもわたる独走と、それを追跡するヌデレバ選手の追い上げにはただただしびれた。昨年の東京国際女子マラソンの高橋尚子選手の終盤の急ブレーキが頭をよぎったのである。しかしそれを十分にしのぎきった野口選手の努力の積み重ねにはただただ頭が下がり、感動し、涙を禁じ得なかったのである。さらに陸協が派遣した3選手の全員入賞という快挙は、日本女子陸上長距離界のレベルの高さを改めて示したと言える。

 メダルには至らなかったとはいえ、男子、女子サッカー代表の活躍にも拍手を送りたい。それは、アジアという多くの異なる民族からなる地域で代表権を得ることの難しさに耐え、さらに本大会でも決勝トーナメント出場をかけた死にものぐるいの戦いを私たちは知っている。そのような世界レベルでの目標を達成すべく、川渕キャップテン(当時チェアマン)を中心として国内リーグの活性化を目指して始まったJリーグの創設、その国内リーグでの厳しい戦いにもかかわらず多くの選手を積極的に海外に出すことを許容してきたサッカー協会の姿勢は、ここ数年の日本サッカー躍進の原動力であったし、それがW杯の成功につながったのである。また、同協会は若い選手や指導者の教育・育成に努め、そのための施設として独力で福島にJヴィレッジを開設するなど将来を見つめた施策をおこなってきたのである。まさに、それまでの日本サッカー協会の企業スポーツの枠内でしかないとの弱点を克服し、創造力と独自性を持ち、地域に密着した活動を主体とする協会へと脱皮した成果が、ここ数年の日本サッカーの成績に顕著に現れているのは明らかである。

 さて、「長嶋ジャパン」といわれた野球はどうだったのであろうか。プロとして「金」という結果だけを求めてきたのであるから、今回の結果はまさに大敗北である。オーストラリアに敗れたたったの2敗であるが、投手戦でも打撃戦でも敗れたのである。準決勝戦での貧打、ウイリアムスがクローザーとして出てくることがわかっているにもかかわらず代打陣不在の現実。このとき以外にも代打が当然考えられる局面はいくつもあったがほとんど代打にふさわしい選手がベンチにはいなかったと思われる。また普段バントをしたことのない選手にバントさせてもうまくゆくはずもないのである。ウイリアムスが出てくれば左バッターはほとんど打てないであろうことは、長嶋監督ならずとも私にだって分かり切ったことであった。なにを考えての選手の選出だったのだろうか。プロであればピッチングスタッフに多少の無理を強いたとしても、攻撃陣の充実をも図るべきであったというのは、許される当然の批判であろう。投手に無理をさせて故障させれば現場の責任となり、派遣元のチームに迷惑がかかるというおそれは十分ある。それはやむを得ないことであり、そんなことを考えるようではオリンピックは国内の公式戦より下の位置づけと言うことになるのである。そのように位置づけるのであればそれでよい、「金」だの「ドリームチーム」だの言わないことである。

 「長嶋ジャパン」は、ドリームチームともてはやされ、いかにも最強チームであるかのように振る舞うことが要求されていたようである。長嶋監督が脳梗塞に倒れた後も「長嶋ジャパン」としてあくまで監督長嶋で行くという方針に対し私は5月11日、ホームページで「いつまで「長嶋五輪監督」と言い続けるのか?」と書いて、「長嶋氏のこれからの人生を奪う可能性もある」と批判した。同時に、長嶋氏以外の名前をあげることがタブー視されているようにも思うと書いた。”ドリームチーム”と呼ばれながら選手の選抜は各チーム2名と決められ、最強チームの編成からはほど遠いものだったと言わざるを得ない。前回のシドニーで敗れ、今回は「金」以外はあり得ないと公言してはばからないのであれば、なぜ真のドリームチームとしての編成が出来ない事態になってしまったのであろうか?

 日本の野球の組織は、他のスポーツ組織、特にサッカーなどと比べると著しく旧態依然としている。アマチュアとプロとの越えられぬ垣根が何十年続いてきたのであろうか。プロ側のあまりの身勝手さからアマとプロの断絶が起こったのであるが、その関係の修復をきちんと議論する体制自体が日本の野球界には存在しないのである。このことがまた、プロ野球選手の立場の弱さ、ドラフト制度の曖昧さ、移籍の自由の無さなどの問題点の解消を不可能にしてきたのである。最近でこそ少しずつ雪解けが進んではいるが、きちんとした議論で完結したようには見えない。要するに、論理的な議論をして事を進める体制と見識がプロ野球機構に存在しないことが致命的である。特に選手の身分の弱さなどは見ていて気の毒であり、年俸交渉に代理人の存在すら認められないケースが大部分である。私などから見れば、よくぞ日本の野球選手はこんな立場で我慢していると思う。このあまりに自由の無さからくる閉塞状況の行き着く先が大リーグへの移籍である。もちろん、これにも日本の球団はきわめて阻害的であり、最近でこそ野茂などの先駆者のお陰で徐々に状況が改善されつつあることは選手にはうれしい限りであろう。注: 文字用の領域がありません!
 今年突然のように降ってわいたパ・リーグ球団の合併、それに伴って起こるであろう1リーグ制の議論は、オーナー側が勝手に行っていることは明白である。これに対して選手側あるいは大事なお客さんであるファンが重大な疑義を表明しているにもかかわらず、オーナー側はほとんど聞く耳を持たない状態である。特に選手側に対しては、「・・・たがが選手が・・・」との捨てぜりふを吐き、相手にしていない。ここに、日本のプロ野球機構の本質が現れている。ファンあっての、そして選手あってのプロ野球ではなく、一部を除いて企業の広告塔でしかないのである。したがって、従業員が口を挟むようなことではない、そう思っているのであろう。決して、国民のためのものではないのである。昨日、この問題はとうとう司法の判断をあおぐことになってしまった。

 私にとって中味の欠け落ちた「ドリームチーム」なんて名前は許せないが、では、あのドリームチームとは一体何だったのだろうか。要するに的確な目標設定も出来ず、それ故にベストメンバーを組まなければならない理由を各チームに提示できず、したがって1チーム2名という平等性をアピールするだけになり、そして各チームの顔を見ながらのお願いに終始したのであろう。もし、イチローや松井秀がほしかったのなら、それは自らの不徳を恥じるべきであろう。

 アテネに出発する直前に、日の丸の旗に「3」と痛々しい字を書いた長嶋氏の心情を思うと胸が痛む。そんな長嶋氏をまるで道具として扱うように感じられる、「旗」「ユニホーム」「ゲームに対するコメント」などなどは一体なにであろうか。それを「長嶋ジャパン」として報道するマスメディアの質は一体どう考えたらよいのだろうか。そうして一丸となってもらわなければ日本野球はアテネで勝てない、との認識がマスメディアにあったのであろうか。まるでマスメディアは「長嶋ジャパン」を長嶋氏のカリスマ性をネタにしてただただ楽しんでいるように感じられた。このことが選手を追い込んでしまったと考えるのは決して無理ではあるまい。ただただ長嶋氏が気の毒である。それに日の丸の旗に記された"For the Flag"という言葉は適当ではない。オリンピックの目標は、5つの大陸を越え、国を越えることを目標としているのである。多くのメダルを取ってくれることはうれしいことではあるが、それは最終目標ではない!「国旗」が幅を利かせる時は決してよい時ではないと理解すべきである。太平洋戦争敗戦後、我々は国旗に対して一定の距離を置いてきたのではなかったのか。そう簡単に忘れられてよいことではなかろう。

 最後に、今回の日本チームが目標にすべきであったことについての私の考えを述べよう。野球はごく限られた国だけで行われている競技スポーツである。そのためオリンピックの競技対象から除外される動きがあることは周知の事実である。では、野球(ソフトボールを含む)を楽しんでいる国々の選手がやらなければならないことは何であろうか。野球の面白さを伝え、野球を楽しむ人間集団のすばらしさを示して、野球の普及に励むことではなかったのだろうか。ホテルに滞在して選手のために用意された選手村に入らず、5大陸の他競技の選手と交流せずでは、オリンピック精神を生かすことに貢献したとは言えないであろう。そして負けた。そんなことなら、相手を徹底的に研究し、十分な時間合宿などで研鑽を積めるアマチュア選手集団の方がはるかに短期決戦でまともな結果を残せた可能性があったであろう。

 もうひとつ重要なことは、今回はオールプロで戦ったことだろうか。これまでオリンピックにおける野球はアマチュア選手がその主体を担ってきたのである。同志社から日本生命に移った杉浦投手はそのシンボル的存在であり、オリンピックへの想いからアマチュアを貫いたように思われる。今回オールプロで破れたのであるから、次回はやはりアマチュア選手を加えて編成するのが当たり前であろう。そうでなければ、アマチュア野球選手には永久にオリンピック選手になる道が絶たれるのである。
                                                 (2004年8月28日)注: 文字用の領域がありません!
(リンク追加:「日記」”いつまで「長嶋五輪監督」と言い続けるのか?”)
(2004年8月31日)