体調不良からの脱出キーワード 3
ー第10回長野マラソンには“腸脛靱帯炎”が待っていたー
はじめに
昨年の長野マラソンで10キロでのリタイアになって以来、さまざまな工夫をして12月の奈良・春日大仏マラソン(10キロ)、高槻国際シティハーフマラソン、そして条件の少し厳しい京都ハーフマラソンを無事乗り切って挑んだのが2008年長野オリンピック記念長野マラソンであった。一年ぶりのフルマラソン完走を目指してのチャレンジには、しかし意外な壁が立ちはだかっていた。それはこれまで私自身それほど意識してこなかった「腸脛靱帯炎」であった。その顛末を記録しておきたい。
結果と総括
今年(2008年)3月9日に京都で行われた「京都シティハーフマラソン」で、不整脈もうまく克服し、全体の体調も良くて比較的楽に走り、自己ベストからは12分も遠いがしかし1時間53分44秒という、現状では満足すべき良い結果が得られた。従って、その倍の距離のある今回のフルマラソンではキロ6分くらいでもよいとの思いを胸にスタートラインに立つ積もりであった。当日は、若者二人の計三人での参加で、陸協登録の私は先にスタートすることもあってできれば抜かれたくないという気持ちも隠せなかった。当日の朝は曇りがちの天候で風もなく、これから長い距離を走る自分には良い雰囲気だった。参考までにシューズはここしばらく使っているナイキのKatana Cage 2を履いた。いつものことだが、できるだけ自分のペースをコントロールするために1キロごとのタイムを記録した。下に手元の時計による1キロごとのスプリットタイムを記し、それをグラフに表した。しかし、下の記録を見ていただければ分かるように、記録は26キロまでしかなかったのである。その理由は、時計の記憶容量を過信していたためにそれ以降の記録はボタンを押した時点では見えていても、保存されておらず、あとから見ることが出来なくなっていたのである。馬鹿みたいな話である。なお、30キロ過ぎからの情けないペースを知るために、組織委員会から送られてきた公式記録のグラフ部分を転載させていただく。なお、縦軸は私のグラフとは逆さまで、なんと線がグラフからはみ出るほどの情けないペースであった。
1 km    5:34       14 km   5:37
2 km    5:24       15 km   5:49
3 km    5:51       16 km   5:45
4 km    5:03       17 km   5:17
5 km    5:32       18 km   5:40
6 km    5:42       19 km   5:41
7 km    5:38       20 km   5:56
8 km    5:48       21 km   5:54
9 km    5:37       22 km   5:25
10 km   5:41       23 km   5:35
11 km   5:40       24 km   5:43
12 km   5:42       25 km   5:20
13 km   5:34       26 km   6:37
 
中間点 1:58:46
Goal    4:41:11
 
 公式スプリットタイム:0-5 km, 0:28:01; 5-10 km, 0:28:26; 10-15 km, 0:28:23; 15-20 km, 0:28:20; 20 km-25 km, 0:27:56; 25-30 km, 0:32:13; 30-35 km, 0:43:32; 35-40 km, 0:48:23
公式ゴールタイム: 4:41:46, 参考ネットタイム: 4:41:14
ご覧のように、25キロまでは完全なイーブンペースで、2-5キロまでの凸凹は距離表示の間違いによる可能性が大きい。また15キロあたりのペースアップは、丁度その頃左の腸脛靱帯に少し痛みが来たので慌てて外側に重心がかかるのを避けるように走り方を少し変更したことによると思われる。それにしてもそこまでは見事なイーブンペースを刻んだのであるが、26キロ地点にある給水所で思い切って時間をかけて給水し、エネルギー源のデキストリンを取ったためにグラフの最後のポイントにあるように1分ほど余計に時間がかかってしまった。

上の公式スプリットタイムによれば、25-30 kmでそれまでより4分も落としてしまったのである。自分自身でそれまでのペースを変えてしまったことがそれ以降のペースダウンにつながったような気がしてならない。もちろん、28キロ前後から両脚の腸脛靱帯が激しく痛み始めたことが主たる原因であるが、中間点あたりにある五輪大橋を苦しいながらも守ってきた(20-22 km)ペースを一気に落とさせたのは、案外そんなことが引き金で、エネルギー産生と筋力発生のバランスを壊してしまった可能性が高い(なお、腸脛靱帯炎については「附録」をご覧いただきたい)。

ということは、その頃は既にぎりぎりの状態で走っていたと言うことであろう。自虐的に言えば、私は残念ながらいつもそうなのだ。いや、誰しもそうなのかもしれない。私はこれまで数回3時間台後半で走ってきたが、ぎりぎりだと感じなかったのはベストを出した2005年ホノルルマラソンくらいのものである。フルマラソンでペースを守ろうというのがどれほど難しいかを肌で感じている。これはもう理屈ではない、そこには、また3時間台で走りたい、自己ベストを出したいという願望がいつも頭をもたげてくるからである。でも、いつまでも走り続けたいと願えば、きちんとペースを守って安全に配慮しながら走ることが必要であろう。そのことを守れる大人にいつなれるのか見物である。

今回もまだ不整脈克服の課題が残っていた(これについては「体調不良からの脱出キーワード1、2」を参照していただきたい)。さいわい不整脈の発生を見事に封じ込めて走りきることができた。30キロ以降は走りきったと言うよりは、歩く時間の方が遙に多くなってしまったことは、公式のグラフから明らかであろう。それでも1年ぶりのフルマラソンの「完走」である。沿道のファン(敢えてファンと言わせていただく)の皆さんの圧倒的な声援のおかげで完走できた。いつも思うことだが、本当に長野のファンの皆さんの応援には心がこもっている。義理での応援ではないことは走ってみれば分かる。大げさではなく、涙が出るほどうれしい応援をいただいた。ここに感謝の言葉を差し上げたい。お陰で、去年いただけなかったタオルもおにぎりもいただけた。そのゴールの写真をご覧いただきたい。とにかくほっとした気持ちを感じていただけるであろう。また、今回一緒に参加して最後には私を抜き去ったK君、I君、そして私の三人のスタート地点での記念写真も載せさせていただく。
附録:腸脛靱帯炎とその後
腸骨稜
大殿筋
大腿筋膜張筋
腸脛靱帯
脛骨外側顆
前脛骨筋など
 の下肢筋群
上のカラーの図は「ネッター解剖学アトラス」(相磯貞和訳、南江堂)からの引用である。図は右脚を外側から眺めたもので、筋や靱帯などの表面が見られるように描かれている。図で分かるように、腸脛靱帯は骨盤を形成する寛骨の腸骨稜に直接、あるいは大腿筋膜張筋を介して結合しており、もう一方は膝下右側の脛骨外側顆(突起状の部分)に結合している大きく長い靱帯であり、同時に大腿四頭筋間の筋膜とも結びついている。しかし、上に述べたようにこの靱帯は筋部分にも結合していることから、骨と骨をつなぐのが靱帯であることから“靱帯”と言って良いかどうかは問題がある。それはともかく、この部分はさらに下肢の前脛骨筋などともつながっており、簡単ではない。私の腸脛靱帯炎と思われる症状は、15キロあたりで左脚の膝下脛骨の外側に発生した。当初は軽いものであったが、さいわい前夜に若い参加者と食事したときに共に腸脛靱帯炎に悩んでいると聞いており、用心して脚の外側に負荷のかかる走り方をできるだけ避けるように努めた。その結果いつの間にか痛みは忘れ去ったが、26キロ過ぎから再び痛み出し、その痛みは左股関節周辺部に強く感じるようになった。しかも右脚も同様の症状となり、それ以降歩くことの多い終盤になってしまった。そして結果は上に述べたとおりである。
前から見た大腿の内転筋群
(「第1解剖講義ノート 系統解剖学篇 2007年度版」、寺島俊雄著、神戸大学生協)より引用
インターネットなどで得られる情報によれば、腸脛靱帯炎は基本的には脚の外側に負荷が強くかかる走り方をした場合に発生することが多いといわれているようである。しかし私の場合、シューズの減り具合を見ても特に外側がひどく摩耗する傾向はない。それと同様の意味を持つ原因のひとつとして走るコースの問題があるとも言われる。それはロードを走る場合のコースの傾きである。私は昔から左傾斜のコースが大好きで、どうしてもそのような走路を選ぶ傾向が強い。しかし近年、私のトレーニングはいろいろな理由からジムのトレッドミルで走ることが多いことから走路の傾斜が直接の原因であるとも考えにくく、むしろトレッドミルでのランニングになにか問題が潜んでいるような気がする。そのようなことを考えると、腸脛靱帯炎の本当の原因は全く不明といってよい。

しかし、こんごなんとしても腸脛靱帯炎を避けたいと考え、長野から戻って少し休養した後、これまでのジム中心のランニングをロード中心への変更を試した。特にこれまでのコースを逆回りにすることで傾斜の問題を解決し、また外側への負荷を減らす走り方も積極的に取り入れた。その上でさらに腸脛靱帯のストレッチを強化した。しかしその結果が問題である。
附録の顛末
脚を伸ばしたままかがむ、頭を下げる、あるいは椅子に座るなどをすると左臀部が痛むようになってしまったのである。いつも私の身体の面倒を診てもらっている愛知県小牧市の五体治療院(小山田良治氏)の治療も受けた。全体としてみると、左内転筋群が過度の緊張状態にあることと、大腿四頭筋もまたかなり緊張しておりこれらが逆に腸脛靱帯炎の遠因になっている可能性が指摘された。すべて骨盤に結合している内転筋群が骨盤をアンバランスに引っ張って傾け、その結果腸脛靱帯に負荷がかかったとも考えられるのである(上の白黒の図を参照)。腸脛靱帯炎は簡単な炎症ではないのである。私は腸脛靱帯の緊張を避けたい思いから、まだ炎症が十分に癒えない内にそのストレッチを強化してしまったのである。また、内転筋の過度の緊張に思いが至らなかったために、その部分の十分なストレッチができていなかったのである。その結果、一度ほとんど消えていた痛みを発生させてしまったのである。いまの痛みは当初の痛みとは違い、事後の処置のまずさから発生させてしまった気がしている。もうちょっと炎症を納めてから再スタートを切りたいと思っている。さいわい秋までレースの予定はない。
                              (2008年6月4日)