前立腺がんに対する「高線量率組織内照射」治療の体験
 ここに以下のような形で私が情報を公開することは、結果的には私ががんであることを宣言することを意味する。しかしすでにかっての勤務場所であった職場(大阪大学理学研究科生物科学専攻)では、知らせなければ同僚に迷惑がかかることもあって、がんの疑惑がもたれた時点で皆さんにすべてをお知らせしていたことでもあり、また60歳を過ぎた私自身にとって特に隠すべきことでもないとの判断から実に気楽にこの文章を書くことにした。それ故、この文章は決して悲壮感のある「がん告白」のようなものではないのである。読まれる方々もどうぞお気楽にとお願いしたい。
どのような治療を選んだか
 一方、放射線療法はどうか。放射線療法には2種類あり、ひとつは体外照射による放射線療法である。しかし、この方法は放射線をピンポイントで制御しなければならず、きっちりと制御できれば患者への負担も少なく大変優れた方法であるが、それだけに高度な制御を必要とする治療法であるとともに比較的長期間を要するのが欠点ではある。二つ目は、小線源治療(組織内照射)と呼ばれる方法で、これには永久留置法と一時留置法の二つがある。永久留置法は、放射線源の入った小さなペレットを前立腺組織内に埋め込む方法である。これは初期がんにはきわめて有効な方法のようであるが、いまだ放射線取り扱いの諸問題などが解決されないことから国内ではまだほとんど行われていない。しかし、来年春にはその方法による治療が阪大でも開始されると聞いている(脚注参照)。
 小線源治療の中の一時留置法とは、いわゆる「高線量率組織内照射」といわれる方法である。これは図1の模式図でお分かりのように、前立腺の必要な場所に中空の針を刺し、それから必要な線源を送り込んで必要な場所に必要な時間放射線を照射する方法である。この方法によれば、きわめて限定された場所に強い放射線を当てることができ、根治の可能性の高い技術であるとされる。しかし、どのような技術にも副作用はあり、この方法にも次のような副作用があるとあらかじめ伝えられた。短期的には、前立腺に近い膀胱や尿道、そして直腸にも放射線が当たること、また針が膀胱にも部分的には刺さる可能性があることなどから、頻尿、頻便あるいは尿道の腫れなどによる排尿困難が治療後2週間をピークに起こりうること、長期的には直腸での軽い出血や尿道が狭まることによる排尿困難などである。
図1.直腸からの超音波画像を見ながら前立腺へ針を刺入する。ただし、この図では小線源のペレットを前立腺内に永久に留め置く様子が描かれている。線源を一時的に留め置く場合にも基本的には全く同じである。文献(1)より引用。
 しかし、いずれの場合にもそれほど深刻なものになることはほとんど無いとのことであった。しかし、この方法もいまだ統計的数字で議論できるほど確立した方法であるというよりは、いまだ発展途上の治療技術であり、それなりのリスクを伴うものであることはもちろんであった。
 上に述べたいくつかの方法を慎重に検討し、またフルマラソンやハーフマラソンなどの激しい運動をしがちな筆者の生活の質を考慮した結果、大阪大学医学部付属病院の放射線科で強力に押し進められている「高線量率組織内照射」という治療を受けることを決断した。そして2週間にわたる入院治療を非常勤講師などの私の仕事が休みになる8月に行うこととなった。
放射線治療の原理
 放射線とりわけ電離放射線は、きわめて危険なものであると共に治療にとって有効なものでもある。その理由について放射線技師会のホームページ(http://www.nart.or.jp/hibaku-seibutugaku.htm)ではおおよそ次のように言っている。
(1)X線やγ線のような電磁波の場合には、主に原子核の周りを回っている電子との衝突でそのエネルギーの全部または一部を失う。こうして原子から電子がたたき出されるとその原子自身は電子のマイナス電荷を失うことによってプラスのイオンになる。また叩き出された電子は次の原子の電子と衝突してそれをたたき出す。そこでまた新たにプラスのイオンが出来る。このように次々とイオンを作っていく過程で原子の電離状態を作るので、これを電離放射線と言う。このような電離作用は透過性の悪い電子線であるβ線やヘリウムの原子核であるα線でも起こり、逆にこの透過性の悪さが短い距離での作用に向いていると言われる(図2、http://www.nart.or.jp/hibaku-seibutugaku.htmより引用)。
1. 細胞分裂が盛んなほど感受性が高い。
2. 組織の再生能力が大きいほど感受性が高い。
3.形態的、機能的に未分化なほど感受性が高い。
図3.細胞周期と放射線感受性の関係
上の二つの図をまとめると次のように言える。つまり、電離放射線によって生じた電離空間では、遺伝子であるDNAの合成初期や細胞分裂の初期過程にある細胞は多分相対的に大きなDNAやタンパク質などの損傷によって生存率が低下する。このことは逆に、細胞分裂活性の低い通常の細胞では障害の少ないことを意味し、細胞分裂活性の高い悪性腫瘍が選択的に大きなダメージを受けることになる。これが放射線治療のよって立つ基盤である。なぜそのような細胞周期にある細胞の感受性が高いのかについては、まだ正確な理解に至っているとは言えない。
 この治療に関心のある方々のために、出来るだけ詳しく、一体全体どんな治療をするのか、順を追ってその様子を書き残したいと思う。
○針を刺す時の痛み軽減のための麻酔として腰椎での硬膜外麻酔を行うが、そのための腰部のX線撮影
○前立腺まわりの各組織についてのCT撮影
 ○通常の胸部X線撮影と心電図の測定
以上の処置はすべて外来で行われ、特に何ら問題になることはない。
8月21日(木曜日)
 ○大阪大学付属病院に入院
○浣腸後経直腸エコーによって前立腺の位置の正確な測定。直腸に超音波装置を入れての観察・超音波像の撮影のようで、違和感を感じても特に痛みを感じるような処置でもなかった。
○治療実施の主治医から「金でできた小さな粒」の前立腺組織内への留め置きを求められる。これは線源用の針を刺し正確な照射をするために前立腺の位置をX線でも観察できるようにするためのもので、もちろん副作用があるとは考えられてはいないが治療後にも回収できない。その意味で少し躊躇したが、正確な治療を期するものとしてそれを承諾した。
○特になにもなく、低残査食の食事と下剤(ニフレッツ)の投与を受けた。
○お昼前に腰部と大腿上部の毛剃り。これは治療中の清潔を保つためで、剃った後にシャワーを浴びて剃った部分を含めて清潔にした。
○処置室に入り、経直腸エコーなどを使いながら肛門の前上部周辺に合計11本の針を刺して前立腺を串刺しにし、その針全体の位置関係を固定するためにそれらを穴の開いたテンプレートとなるプラスチック板2枚に通し、その板を周囲の大腿上部4カ所に縫いつけて動かないように固定したようである(図4)。針はおよそ長さ18.5cm、太さ1.5mm前後で、実際に刺されている部位の長さは人によって異なるがおよそ8cm位である(図5)。分かり易いように写真にはボールペンとつまようじを添えてある。左の先端が尖ったのが中空の針で、挿入時の強度を維持するために下側の金属棒が入れてある。
図4.線源挿入用の針はテンプレートと呼ばれるプラスチックの板とともに抜けないように体に固定される(集学放射線治療学研究室より提供)
図5.線源の導入に使われる金属針
針を差し入れる時に少し痛い時もあったが麻酔薬(キシロカイン)を増やすことで対応してくれた。全体として特に痛みが激しいことはほとんどなかった。なお、この治療用の針を刺す前にX線のための前立腺位置マーカーとなる「金で出来た小さな粒」2個を前立腺内に留め置いた。
○しばらく休みのあと午後になってから、X線によって針の位置と金によってマークされた前立腺の位置を、CTによる画像と重ね合わせることで正確に把握し、どの針のどの位置でどれだけの時間、放射線源を送り込んで照射するのかを決めるための作業を行い、最終的にコンピュータで決定した。
○ベッド上ではせいぜい10度くらいしか上体をあげられないためかなり窮屈である。テレビを見たりするのはベッドを下げればなんとかなるが、食事や薬を飲む時には横を向くしかなかった。また、横を向いているために片手しか使えず、それもふじゅうで、全く苦労した。また、脚の間にテンプレートとしてのプラスチック板が入っており、それが縫いつけられていたために簡単に動けず、がに股のままである(図4、図6)。要するに、あまり大きな体の動きは刺された針を動かしてしまうために許されない。そこで夜間は、「うーごくん」という簡単な装置をつけ、大きな動きをすれば自動的に看護婦さんに通報されるようになっていた。こんなことで夜間にはやむなく小さな動きを繰り返したようである。図6でがに股に開いた両脚の間に見えるのは、刺した針に線源を送るためのケーブルである。11本のケーブルに番号が付けてあり、照射に際してはそのケーブルにマイクロセレクトロンという機械をつないでそれから線源を送ることになる。
図6.刺した針につけられて線源を送るためのケーブル
○午前に行った2回目の照射後、硬膜外麻酔のために挿入されているチューブのところから出血らしいものが見られたために詳しく調べたところ、そのチューブがほとんど抜けかけていて麻酔薬が漏れていたことが明らかとなった。当初、挿入し直す予定であったが、私に意外に痛みがないことなどから、当面様子を見ることとなった。出血らしいと思われた跡はどうも漏れた麻酔液のようであった。
○問題はすべて出尽くしたようで、順調に2回の照射を受けた。
30日の夕方には洗浄も終わったが、排尿用の太いチューブは、なお出血・血液凝固そして感染予防のため9月1日月曜日の夕方までそのまま装着され続けた。しかし、部屋の中で歩き回ることは許され、リハビリテーションが始まったのである。
○そのチューブをはずすための“準備”が月曜日午前中に始まった。そんな準備があろうとは思いもしなかったが、言われてみるとなるほどと思うものであった。つまり、膀胱にはこの治療が始まった8月25日からの8日間排尿用のチューブが入ったままであり、尿は自動的に排出されるため自律神経自身尿意を感じることもなかったのである。したがって、自律神経が尿意を感じることを“忘れて”しまっている可能性があるとのことであった。そのことをテストするために排尿用チューブのコックを一時的に止め、しばらくの後尿意を感じるかどうかテストし、感じるようになればコックを開いて尿を出し、それをもう一度繰り返して自律神経に“自覚を促した”のである(膀胱訓練と呼ぶ)。なんともおもしろいテストであった。私の場合、幸いにも忘れられていなかったため、月曜日の夕方にチューブを取り去り、すべてから解放されることになった。なんとも爽快で、行動範囲を一挙に広げられるようになった。
○リハビリテーションの一環として適当に病院内を歩き回ったり時にはホスピタルガーデンを散歩などし、友人の居る部局に足を延ばしたりした。そして、9月3日に退院した。気分は爽快であった。
治療後の感想
 しかし、やはり放射線を人の病気の治療として使うというのは重大であり、時には大きな副作用が生じることを考えると、その実施に際しては周到な準備と十分な計算に裏付けられなければならないことは当然であった。入院した時に担当の看護師から、「これは大きな治療ですからきっちりと準備しましょうね」と言われ、ちょっとドキッとした覚えがある。したがって、準備のために私の頭では考えられないいくつかの検査が次々と行われ、治療後の予後のために様々な対策がとられたことは当たり前のことであったのだろう。
 私がこの体験記を書こうと思い立ったのは、私自身の記憶としてだけではなく、医師や看護師から受けた治療の内容が自分のイメージしていたものと異なることがいろいろとあったからである。それは医師や看護師の説明不足というようなものではなく、いわばその場にならないと実感できない、あるいは具体的な治療の特殊性として“突然”現れるもののように思え、そんな具体例を、それを実感した者として少しでもお伝えできればと思ったからである。いま治療を受けてから3ヶ月になろうとしている。順調に治療の傷や放射線による副作用から回復している。いまはほとんどその副作用も自覚できないくらいになってきた。まだ明らかではないが、PSA値も順調に下がることを期待している。また、私の最大の楽しみである長距離走にもなんの影響もなく、むしろ放射線治療前の6ヶ月間服用した女性ホルモンによる赤血球減少下でのトレーニングの結果か、最近は以前より調子がよいように感じられる。先日、この夏に沸いた甲子園球場前からスタートした西宮国際ハーフマラソンでも、これまで以上に快調に走れ、うれしい限りであった。
 また、この体験記を書くにあたり治療を担当いただいた先生方にも快く許可をいただき、さらに集学放射線治療学研究室のホームページ(http://www.med.osaka-u.ac.jp/pub/radonc/www/general/)、また泌尿器科学研究室ホームページ(http://www.med.osaka-u.ac.jp/pub/uro/www/uro.htm)も参考にさせていただきました。ここに感謝いたします。
参考文献
(1)P. D. Grimm, J. C. Blasko and H. RagdeUltrasound-guided transperineal implantation of Iodine-125 and Palladium-103 for the treatment of early-stage prostate cancer - Technical concepts in planning, operative technique and evaluation - New Techniques in Prostate Surgery vol. 2 (2), p. 113-125, 1994
謝辞
 大きな阪大病院3階の病室から私の寝たベッドを医師と看護師が引っ張って廊下を走り、エレベータに乗り、なんどとなく地下の放射線照射室や画像撮影などの部屋まで動き回っている時、やっぱりこれは大きな治療だと実感した。それを支えてくださった泌尿器科、そして放射線科の医師の皆さん、また日夜献身的に治療をサポートしてくださった素晴らしい看護師や看護助手のみなさまに深く感謝いたします。ほんとうにありがとうございました。
注:新しい放射線治療の開始について
上に述べた放射線源のペレットを前立腺内に埋め込む小線源の永久留置法による治療は、厚生省の認可を経て2004年春から大阪大学医学部附属病院で実施される見通しのようである。この方法は従来の放射線治療と異なり、2泊3日程度の入院で比較的簡便に行われ、これまでより一段と患者の負担が少ないようである。ただし、初期段階のがん患者に限られて行われる。なお、詳しいことは大阪大学医学部附属病院泌尿器科および放射線科にお尋ねいただきたい。
(平成15年12月)