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2016年02月の記事は以下のとおりです。

スポーツの応援と国旗

  • 2016/02/14 16:05

 1枚目の写真は、我が家にある子供向けの国旗の本「国旗のほん」(すずき出版、1997年版)の表紙の写真である。この本には191か国の国旗が印刷されており、目が回るばかりである。そこに見られる多くの国旗がスポーツ会場で時には乱舞されるのである。
 さて、私のスポーツ好きはこの場の書き物でも明らかだと思うが、常に自分が体を動かすことを含めてスポーツのことが頭から離れることはない。昨年の秋からのビッグイベントと言えば、まずラグビーW杯での日本チームの圧倒的な活躍をあげなければならないし、それに続く男女の7人制ラグビーのリオ五輪への出場権の獲得、さらにもう一つ盛り上がりに欠けていると言われていたU-23男子サッカーチームのアジア選手権優勝およびリオ五輪出場権の獲得、あるいは錦織選手の全豪オープンでの活躍など枚挙にいとまがない。そしてそれぞれの競技の場で多くの日の丸の旗が振られてきた。
 上にあげたものの中では錦織選手のテニスの大会は国を単位とする出場でもなく、全くの個人の戦いである。それにもかかわらず錦織選手が出場するゲームになるとなぜか日の丸の旗の数が相手選手の国の旗の数を圧倒するように見えるのはなぜか。そうでなくとも近年国際大会における日本チーム(あるいは日本人選手)の出場するゲームでは日の丸の旗が目立つようになってきたと感じている。そのことは私には強い違和感となっている。なぜなら、日本を大きく見せようとする今の国の雰囲気と重なって見えるからである。
 ちょっと考えてみたい。Wikipediaの国旗の記述の最初には次のように書かれている。「歴史的には、戦場での所属を表すものとして使われた軍旗に起源を持つ。軍事的な意味から離れて所属する国家を表すために旗を掲揚する習慣は、船舶の所属を示すための商船旗として、17世紀初期に始まった。18世紀終わりごろから、各国のナショナリズム的意識の高まりによって、国民の間でも国旗を掲揚することが望まれるようになった。」いうなれば国旗は、統一されている国家の象徴であり、戦いの場における軍隊の識別と戦意高揚に必須なものとして機能してきた。また、海上における船舶の識別にも必須なものであったのであろう。さらに、ナショナリズムの高揚が国旗掲揚をより積極的に推し進めてきたと考えられる。このことを別の言葉でいえば、国旗の掲揚、あるいは国旗を振ることは対象の識別という単純なものではなく、国威発揚や民衆の牽引と裏腹だということができるであろう。
 スポーツは本来個人的なものであって、国に属するものではない(2枚目の写真の記事もご覧ください)。しかし、世界各地に紛争が絶えない近代において、国家はあらゆるものを国威発揚に利用しようと暗躍してきた歴史がある。その象徴はナチスドイツがベルリンオリンピックをそれに利用しようとしてきたことは有名であるし、それ以外のオリンピックであろうとも、かっての東京オリンピックも含めてそれらが世界最高レベルのスポーツの楽しさを国民に提供するという以外に、国威発揚に利用された側面はまぬかれない。これがときには大きな組織的ドーピングにつながるのである。
 私はスポーツ観戦は好きである。しかし、素晴らしいプレーそのものを楽しみたいのが私の目的であり、良いプレーには拍手をし、どちらかの勝ち負けにはあまりかかわりたくはない。よく甲子園で高校野球を観戦したが、多くの場合ネット裏で静かに観戦するのが常であった。ただ、国際試合になればより多くの情報を持ち、厳しい練習に耐えてきた選手をより身近に知るものとして日本のチームや日本人選手を強く応援したくなるのはもちろんである。
 でも、だからと言って日の丸の旗を振る気は私にはさらさらない。旗を振らなくても応援はできるし、素晴らしいプレーに敬意を表することもできる。これまで幾度となくファンの振る国旗が様々なトラブルを引き起こしてきた。前回のロンドンオリンピック男子サッカー準決勝の日韓戦でもトラブルがあり、同時にある島の領有権を巡る争いが試合終了後に表面化して大きな問題となり、FIFAが問題視して制裁問題に発展した。できればそんな問題をスポーツの世界に持ち込まないためにも、国旗のようなきわめて複雑な背景を持つものを応援の道具として持ち込むことは避けたい、というのが私の考えである。旗を振らなくてもその場でどこの誰が戦っているかは観衆全ての知るところのはずである。なぜ拍手や、応援の言葉(軽妙洒脱なヤジなど)でダメなのであろうか。なぜ騒がしい音楽がいるのであろうか?プレーの“音”も楽しもうではないか!
 もちろん、人はそれぞれだから旗を振る応援があってもよいと思うが、そんな時はカラッとした雰囲気の中で振って楽しんでもらいたいものである。丁度、ヨーロッパでのアルペン競技のW杯の時のようにである。
 最後に2枚目の写真のことを少し説明したい。この記事は2月9日の読売新聞の記事で、川島健司編集委員の「鳥の目 虫の目」として書かれたものである。先日のリオ五輪の出場権とアジアナンバーワンをかけてのカタール・ドーハでの決勝戦。後半開始直後に2点目を入れられて窮地に瀕した日本チームが、なんとその後3点を取って大逆転で勝利した。その後、韓国チームが帰国の空港でファンに頭を下げている写真に日本のメディアが「日本に負けて韓国代表が謝罪」と説明をつけたものがネットに出回ったという。しかし、実はそれは間違いで、負けたにもかかわらず大勢の出迎えに感謝してお礼を述べている姿だということであった。今回の日韓戦にも多くの国旗が振られていたが、大事に至らずにほっとしている。しかし、日韓戦を因縁の戦いのようにしか見ないメディアが依然として多数であることも事実であり、国際試合の難しさを感じるとともに、国旗の問題にも気を配っておく必要があろう。
 付録のようだが、観衆と選手の間のユーモア一杯で世界に知れ渡った交流のエピソードをひとつ紹介しておきたい。それは1996年のウィンブルドンの全英オープン準決勝、シュテフィ・グラフ x 伊達公子戦。グラフがサーブに入ろうとした直前、ある男が“Steffi, will you marry me?(シュテフィ、俺と結婚してくれる?)”と叫んだ。ちょっと間をおいて彼女は何と言ったか。“How much money do you have?(あなたお金いくら持ってるの?)”だった。この応対に会場は爆笑の渦に包まれた。実はその時伊達公子は“わたしではどう?”と言おうとしたがやめたとか。殺気立つことのない何と楽しいやりとりかと思う。なお、このジョークの裏には、グラフの父が当時借金に苦しんでいたようで、大いなるブラック・ジョークとも言われている。この画像は次のURLにある。http://www.kotaro269.com/archives/50714048.html

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