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「脱原発・自然エネルギー推進連盟」は表舞台に出たか?

  • 2018/01/17 11:44

 1枚目の写真をご覧になった方は、このブログはサッカー外交のことが主題なんだなと思われるであろう。でも、このタイトルとは全然違うからおかしい、何かの間違いだと思うに違いない。

 実はこの1枚目の写真のサッカー云々はブログの主題では全くなく、この写真の右下に太字の見出しさえ付けてもらえずひっそりと書かれている記事を問題にしたい。その部分を拡大して撮影したのが2枚目の写真である。どうしてこんな扱いなのだろうかと誰しも不思議に思うはずである。ここに書かれている小泉元首相らの会見は前日1月10日に行われ、テレビでそれなりに報道された。にもかかわらず、このような扱いになるのはなぜなのであろうか。それで日本は大丈夫なの?と思わずにはいられない。ここに登場した連盟の名前は「脱原発・自然エネルギー推進連盟」であるが、実は彼らの目指しているのは「自然エネルギー」ではなく、「再生可能エネルギー」のことなのでその言葉でWikipediaに訊いてみた(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%8D%E7%94%9F%E5%8F%AF%E8%83%BD%E3%82%A8%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC )。
 それによると、この連盟の目指しているのは自然エネルギーというよりは再生可能エネルギーのことで、そこには次のように書かれている。「再生可能エネルギーとは本来、『絶えず資源が補充されて枯渇することのないエネルギー』、『利用する以上の速度で自然に再生するエネルギー』という意味の用語であり、日本の法令で定義されている新エネルギーは、再生可能エネルギーの一部である。具体例としては、太陽光、太陽熱、水力、風力、地熱、波力、温度差、バイオマスなどが挙げられる。」もちろん、化石燃料である石炭や石油は自然に由来するエネルギーであるが枯渇するものであり、いわゆる「自然エネルギー」でも「再生可能エネルギー」でもない。
 Wikipediaにも書かれているが、日本は太陽エネルギーの利用では一時世界の先頭を走っていたにもかかわらず、現在ははるかに先進諸国に後れを取っている。欧州、特にドイツは2030年には電力の50%を再生可能エネルギーが占めると予想されており、全体として世界を家人している。アメリカにおいても風力によるエネルギー産出が急速に進んでおり、投資も大幅に進んでいると言われる。それに対して我が国は、現在も全体のわずか数%しか再生可能エネルギーで供給できておらず、福島原発の大規模な事故時に起こった将来への意欲は必ずしも方向づけられているとは思えない。たとえば、太陽光発電で得られた電力の買取価額の低迷、あるいは送電網に問題があるとの電力会社からの問題提起などで新規参入者が入っていけない事態などの発生で着々と進んでいるとはとても言い難い。今や明らかに欧米諸国や中国の後塵を拝していると言って間違いない。
 それに関して気になるのは、あの事故にもかかわらず原子力発電への肩入れが進んでいるように見えることである。あの事故後すべての原発が停止しても問題となるような停電は起きなかったことをすっかり忘れ、いや、あの恐ろしい事故のことをすっかり忘れ、新たなより厳し基準ではあるが原発の再起動を進めつつある。また、外国への原発の輸出にも手をだし、世界の原発銀座の形成に力を貸しつつある。
 私はあの東日本大震災の後まとめて8つのブログを書いた。その8番目の「『東日本大震災』(8)『原発事故と菅内閣』」(http://www.unique-runner.com/blog/index.php/view/124 )の中で、菅内閣はメディアにたたかれつつしかしとにかく首都圏が巻き込むような広さに大量の放射性物質がばらまかれることは最低限防いだと述べ、私は彼らの必死の働きを評価するしまた彼らに感謝すると書いた。その翌年の賀状にもそのことを書いた覚えがある。このことはそれほど私の本心であり、いまもそれは変わらない。そんなことが起こっていれば私はこちらに引っ越しても来なかったであろう。政治家の皆さんはそんな危険があったことを忘れてしまったのであろうか?首都機能の移転なども現実的な議論になる可能性があったにも関わらずである。
 それよりももっと深刻なのは、脱原発・自然エネルギー推進連盟の記事が写真でお見せしたような扱いに成り下がっている現実であろう。あの連盟の会見、あるいは脱原発がこの国の、そして世界の重要な動向につながることであるとの認識を主要メディアが共有できていないことが問題なのだと私は思う。

 私は小泉・細川元首相のこれからの活動を期待している。最後に、タイトルの「脱原発・自然エネルギー推進連盟は表舞台に出たか?」について言えば、残念ながら無視されていて表舞台には出られていない、と言うべきであろう。

ブログの引っ越しはほぼ完了いたしました!

  • 2018/01/12 11:32

 昨年12月中旬から始まったブログの新システムへの3週間以上にわたった引っ越しは、私にとってはなかなか難しい問題もありましたがほぼ終了いたしました。2009年秋以降ただ日記のつもりで書きなぐってきた280近い記事は、その内容の是非はともかく私にとっては愛着のあるものであるため必死に集中してやってまいりました。ただ、引っ越しの過程で起こったフォントの異常やURL Noの逆転などの問題は散見されますが、特に大事ではないと思っています。逆に引っ越しの際に見つかった誤りなどが修正できましたことは、よかった点だと考えています。

 これからも書きたいと思った時に、あまりとやかく考えずに書いていこうと思っておりますのでこれまで通りご覧いただければ幸いです。(01/12/2018)

鈴鹿明神社と寒川神社、そして富士山

  • 2018/01/06 10:50

 昨年末から続く好天は人をどこかに出かけよと誘う。元旦にはニューイヤー駅伝の合間を縫って座間市にある鈴鹿明神社にお参りした。ここは3年前こちらに引っ越して最初にお参りした神社で、何の因果か私の出身地である三重県の鈴鹿と関連があるとされている。自宅から約40分の自転車の旅で大勢の参拝客でにぎわう神社にお参りし、美味しいおそばを食べて帰宅した。

 箱根駅伝で青山学院の驚くべき鮮やかな4連覇を見終えた4日には、相模国一之宮である寒川神社に出かけた。初めてJR相模線・茅ケ崎行きに海老名から乗り、宮山駅で下車し10分ほど歩けばすぐ寒川神社である。私にはさっぱりわからない神社のため、勉強のためにWikipediaに聞いてみたら次のように書かれている。
 寒川神社(さむかわじんじゃ)は、神奈川県高座郡寒川町宮山にある神社。式内社(名神大社)で、相模国一宮に当たる。 また旧社格では国幣中社に列す。現在は神社本庁の別表神社となっている。
神奈川県中央南部、相模川河口から約7km遡った左岸の低台地上に鎮座する。古代には相模湾がここまで入り込んでおり、神社からさらに8キロ上流の海老名市国分付近に相模国分寺があった。朝廷からも名神大社として崇敬された。相模国における延喜式内社十三社の中でも、大社とされたのは当社のみである。なお、『寒川(さむかわ)』に『佐無加波』の漢字を当てた例もある。現在も八方除の守護神として関東一円から参拝者が集まり、正月の三が日にはのべ40万人が初詣に訪れる。なお、新年の幕開けとなる元日午前0時には大太鼓の合図と共に八方除祭・元旦祈祷祭が行われ、近年では迎春ねぶたの初点灯も実施されている。一方、テレビ放送の関係者には古くから「視聴率祈願の神社」として知れ、新番組開始前に参拝を行うとされる。高倉健など、芸能人の参拝者も多い。」

 この神社は大きな3つの鳥居からなる参道があり、立派な本殿・拝殿、そして色鮮やかな神門、そして大きな狛犬が印象的である(1枚目の組み写真)。境内は広くよく整備され、お正月のせいであろうか数えきれないほどの屋台が出ており大いににぎわっていた(2枚目の組み写真下)。この寒川神社がこれほどの規模と人気を誇っているわけはわからないが、厄除け神社として古くから民衆の賛同を得ており、この地を治めていた北条氏や徳川家康、また武田信玄の庇護も受けていたようで、その権勢がしのばれる。
 参拝を終えて噴水のあたりを通ったところその脇に立派な能役者のような像が建てられていた。調べてみると、終戦後恒久平和を願って終戦記念日の8月15日に相模国薪能が毎年開かれており昨年は第48回を数えているとのことであった。能を鑑賞したことのない私にはちょっと興味があり、できれば参加してみたい気もしている。

 参拝を終えて正面の鳥居の方から外に出ると正面に参集館があり、その右手を見ると少し離れたところにある高速道路様の建造物の向こうに富士山のてっぺんだけが見えていた(3枚目組み写真上)。富士山が見える可能性もあると思い望遠レンズも持参していたのでよく見えるところまで歩いてみようということになり、JR相模線の線路を越えさらに浄水場も越えてはじめて富士山の全貌を見ることができた。その全貌を少し小さめに撮影したのが3枚目の組み写真下)である。ほとんど何も障害物は見当たらない。最も大きく撮影した2枚の写真を4枚目の組み写真にまとめた。この位置は小田急江ノ島線高座渋谷駅周辺から撮影したとほぼ同じ東西の線上からのもので、それよりは少し富士山に近づいていると思われる(http://www.unique-runner.com/blog/index.php/view/273 )。それにしても富士山はやはり美しい形をしていると納得する。
 最後の写真は、思いがけず単線で動いているJR相模線の電車が宮山駅に停車した時の写真である。あと数駅で茅ヶ崎であることから私たちが住んでいるこの地域は”湘南”にきわめて近いところだと実感できる。

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