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2016年12月の記事は以下のとおりです。

世界遺産 ラスコー洞窟壁画遺産の衝撃

  • 2016/12/16 23:54
 繊細というか豪華というか、その驚きを表現する適当な言葉が見つからない、あのラスコー洞窟の壁画だった。世界中の人々が子供の時から教えられてきたであろうフランス・ラスコー洞窟の存在。その至宝を観ることができてうれしかった。

 発見されたのはフランス西南部ドルドーニュ県ヴェゼール渓谷で、モンティニャック村のマルセル・ラヴィダ少年の飼い犬が小さな穴に落ち、それがきっかけでラスコー洞窟壁画の発見に繋がったとされる。そして1979年にユネスコの世界遺産に登録された。ただ、壁画の損傷を恐れ、1963年以降は一般には非公開となっている。ある調査によると、絵はおよそ600、不思議な記号のようなものは400あるとされる。今回の展示は極めて大規模なもので、2017年2月19日まで開催されるので、ぜひご覧いただきたい。なお、その詳細については国立科学博物館のウェブサイト(http://lascaux2016.jp/highlight.html )を参照されるのもおすすめである。
 東京・上野にある国立科学博物館を訪れるのは確か2度目かと思うが、もう昔のことでその中身のことはすっかり忘れている。今回は特別展なので正面入り口ではない別の入り口から入ることになった。その横に面白い風景があったので1枚目の写真に収めてある。それは正面右にデゴイチ(D51 231)が静態展示されていて、なんとその蒸気ドーム?上の金色の部分に猫がくつろいでいたのである。2時間展示を見学して出てきてもなお同じ格好でくつろいでいたので、その写真をお見せする。誰も追い払おうとしないなんて優雅な気分で楽しい。
 今回展示を観るに際して、なぜかひょっとすると写真撮影が部分的にせよ許可されるかもしれないと思ってカメラを持参した。思った通りと言おうか私の意思が通じたのか、撮影できないところはあったがそれ以外ではフラッシュを使わなければ許されるとの説明があり、暗い室内なのでISO感度を最高まで上げて撮影した。以下の写真はそのような条件で撮影した写真である。もちろん洞窟の再構成展示や模写はOKだが、それ以外の貴重な出土品の類は撮影できてはいない。
 2枚目の写真にはラスコー洞窟が発見された経緯やその位置が明快な地図として示されている。驚いたことには、ラスコー洞窟は多くの同様の遺跡の一つに過ぎず、密集したこのヴェゼール渓谷以外にもイタリアやスペインなどの広い範囲に氷河期後期の4万年から1万5千年の広い年代の壁画等が存在していることである。ラスコーはその中で最もよく保存され最もよく研究されているものの一つということのようである。そして、それらの遺産はそれまで先住していたネアンデルタール人にとってかわったクロマニョン人が遺したものなのである。
 それら動物の壁画をその洞窟内での位置とともに木の板に縮小して、主として線刻画として模写したものの写真が3枚目の写真である。当時いたと想像されている動物はほとんど描かれており、きわめて躍動的に、また遠近法もとり入れて描かれているのが特徴である。しかし不思議なこともある。洞窟内で見つかる動物の骨の90%はトナカイ(オオツノジカ?)のものであるが壁画には1頭しか登場せず、たくさんいたはずのマンモスに至っては何も描かれていないという。絵とともに種々の記号も描かれているが、そのことを含めて全く未解決と言われている。
 4枚目の写真は、実物大に再構成された洞窟内の壁に壁画が再現されたものである。左上の絵は、3枚目の写真の真ん中上の部分の模写図の元の絵で、赤く塗られた部分は生え変わって生えた赤い毛だとされる。また、これは2匹のバイソンの雄が尻の部分で交差している絵であるが、その右側の雄のその部分は顔料を塗らずに向こう側にいることを表している。また右の真ん中では鹿の頭部が何頭も描かれているが、集団で泳いでいるように見えるという。なお、右上の蛍光色で線刻画が見えやすくしてあるのは、複雑に重ねて多くの動物が描かれている絵を、再現した洞窟内の明かりを消して蛍光を発色させ、動物の絵の縁取りを見やすくした巧みな趣向の展示である。
 このラスコー洞窟の壁画の中で最も物語性に富んでいるのは、狭い井戸のような穴を降りた狭いところに描かれている“トリ人間”などの絵の表現だと言われているが、その写真が4枚目の下の部分の絵である。その右の説明文にあるように、多分槍か何かで怪我をしたバイソンの腸が露出し、そのバイソンの角で倒されたとみられる人間がひとり横たわっていると説明される写真である。しかし、その頭部はトリのように見え、その左下に槍を投げる補助具としてよく使われていた投槍器があり、それにはトリが描かれている。どのような意味が付せられているのかはわかっていない。その左にはケサイがおり、尻の部分に不思議な丸い記号が6個描かれている。もし、その時代に紙が発明されていたら、どんな絵を描いていただろうと想像したくなる。
 最後の5枚目の組み写真には驚かされる。高度な考古学的考察に基づいて現代によみがえった2組の人たちは(実物大)、まるで現代人である。もちろんクロマニョン人も我々もホモ・サピエンスである。それに比べるとネアンデルタール人は少し野性的に見える。いずれもホモ・サピエンスではあるが、ネアンデルタール人はクロマニョン人が描くような芸術的とも思える絵を描くことはなかったとされる。もちろん、今回写真撮影ができなかったトナカイの骨に描いたような美しく繊細な彫り物などはもちろん創ることはできなかった。クロマニョン人の作った彫り物などは首飾りや頭の飾りなどに掘られていたばかりではなく、生きるための狩猟の道具(槍を投げやすくする投槍器)にも沢山彫られており、生活にしみ込んでいたのである。
 彼らがどのようにしてそのような能力を獲得したのかは全く不明である。新たに突然変異などで遺伝子に作りつけられた形で受け継がれてきたのか、あるいは何かのはずみでそのような能力を獲得してそれが受け継がれてきたのかはわからない。それにしてもそのような能力を持ったクロマニョン人のようなホモ・サピエンスが5万年から4万年前にアフリカ東部から世界中に拡散したのである。それによって芸術的要素を備えたホモ・サピエンスが世界にひろがり、それ以来の人類の歴史に輝かしい芸術の創造をもたらしたのであろう。
 しかし再現されたクロマニョン人の姿を見ると現代人とほとんど変わらない。また、出土品として遺された数々の壁画や工芸品を見てもほとんど現在のものと変わらないとの印象を強く受けた。クロマニョン人の時代からホモ・サピエンスは進化してはいないのかもしれない。我々が生きているのは文明の発達した時代であると言われるが、本当にそうなのであろうか。
 我々は日々残念な形での人の死ばかりをメディアを通じて知らされ続けている。昔にはなかったことでうんざりしている。退化はしていても進化はしていない、これは私がこの展示を観て感じた印象である。Bob Dylanの「風に吹かれて」("Browin' In The Wind")を繰り返し聞きながらこのブログを書いていると、そんな印象がますます強くなってくる。

問題は「大衆迎合主義」か?

  • 2016/12/06 17:45

 2016年6月のイギリスEU離脱はヨーロッパのみならず世界を驚かせた。またフィリピンでの大統領選挙にも驚いた。さらにその上を行ったのが11月のアメリカ大統領選挙でのクリントン氏敗北、そしてあのトランプ氏勝利であった。さらに昨日にはイタリアで大掛かりな憲法改正を国民投票にかける試みが行われ、レンツィ首相が敗北し、即座に辞任を発表した。ここではポピュリズム(大衆迎合主義)政党「五つ星運動」が勝利した。
 これらと少しだけ趣を異にしたのは、難民政策を争点にしたオーストリア大統領選挙のやり直し決選投票の結果である。リベラル派・緑の党・ファンデアベレン氏が51・7%を獲得し、極右で反難民の自由党・ホーファー氏の48.3%を破って勝利した。しかし僅差であり、近い将来にこの差はなくなると観測されている。
 さて、本日の読売新聞朝刊の社説は、「首相辞任を招いた大衆迎合主義」となっている(写真)。私が今感じていることは、メディアがこのように決めつけることではたして何が解決されてゆくのであろうか、それは技術的なことでしょう、と言いたいのです。私は経済学を専門に勉強したわけではなく、ただこの社会に生きる人間としての感性でここに書いています。上に出てきた「緑の党」もかっては環境保護活動家たちの主張に乗った大衆迎合の党だったのだろうと考えます。でも、それは月日がたち環境破壊が不可逆的に進む現実の前では、社説に書かれるように「リベラル・緑の党」となってゆくのです。それは、あたかも小さな新興宗教が時代の流れの中で大きなまとまりのある宗教に変貌してゆくに似ています。かって「反原発」は、安全ですよ、そんなこと言っていてどうやって電力を供給できるのですか、とポピュリズム扱いされていたのですが、東北大地震とそれに伴う福島原発の破壊の前に、もはや日本の国の地方自治体選挙でも世界的にも大きな反原発の流れが息づいていると思われます。そのあたりの感覚に鋭い小泉元首相は、かっての「郵政民営化」に続いて「反原発」で動いています。
 それはそれとして、最も資本主義的に運営され民主主義を謳歌してきた欧米でこのような現象が発生するのはなぜかと思う。投下した資本以上に利益を上げられる資本主義が飲み込める地域は自国の外にはもはや無くなりつつあり、やむなく自国の中で搾取せざるを得なくなった結果、どの国でも富の局在化が激しく、特に何の蓄積もない若い人たちが貧困になってゆく。もちろん、資本主義を謳歌してきた国以外の国々はますます疲弊し、内紛がおこって難民が溢れることになる。そのように発生した難民に、発展してきたはずの資本主義国の若者が職を奪われることになる。悪循環が始まってしまった。それがヨーロッパやアメリカの現実でしょうか。だから地殻変動が起こっている。日本ではまだ大規模な地殻変動は地政学的な隔たりもあって目には見えていないが、いずれ同じ問題に遭遇することは間違いないであろう。すでに若者の貧困化が顕著になりつつある。
 いま眺めてみて、すでにとうの昔から共産主義国はない。キューバがその片鱗を残しているのみかもしれない。ソビエト連邦は崩壊し、いまの国は資本主義国と変わらない。中国も、あれが共産主義国だと思う人はもういないでしょう。一党独裁だけがその気配を残している。黒猫も白猫(黄色い猫)もネズミを捕るのが良い猫なのである。だとしたら、資本主義は誰かに負けたのではなく、自己崩壊したとしか言えないのです。そのことを私たちが心底自覚することなくして先は見えてはこないのでしょう。経済の成長ではなく富の公平分配を実現するしかないが、どうしてよいやらわからない。だから、私もよくわかっていない。

神戸マラソン2016、加齢の先を見つめて

  • 2016/12/01 15:19

 ここ2、3年、日常のトレーニングでもレースにおいても頻繁に故障や故障に近い状況に追い込まれてランナー寿命もそう長くはないと思い始めていた。それはただ走ることだけの問題ではなく、日常生活の活力、集中力、知的好奇心にもマイナスの影響を与え始めていると感じていた。私が大学での仕事を終えた後の目標のひとつは、50歳過ぎてから覚えたランニングを通してこれらの問題、つまり肉体の再活性化にチャレンジすることであったので、故障の多発は私にとっては重大な問題となっていた。
 今年の11月20日の神戸マラソンには、昨年歯を食いしばってよくないタイムながらゴールしたご褒美だったか、75-79歳の年代別クラス9位となってシード権を戴き、幸運にもまた参加することができた。そして、その結果の先に確かな希望を見出すことができたので、ここに記しておきたい。
 日常的に感じている私の身体についての問題点は、右腰の重さである。特に腰の痛みがひどいということではなく、広い範囲で今日はここ、昨日は別の部位と動く感じで、神経的な原因というよりは筋肉部位の問題だと感じている。しかしそれを日常生活が困難になるほど悪化させないことが重要と考えてきた。そのためランニング姿勢を前傾過ぎないように強く意識し、骨盤の上に上半身をきちんと載せて走ることを心掛けた。また左右の歩幅のアンバランスを是正し、ストライド走法に近かった走法からピッチ走法に変更することをここ数年努力してきた。さらに、腰に与える衝撃を和らげるため、好んで履いてきたアシックスのスカイセンサーなどの軽めのシューズを見直し、衝撃吸収性と反発力に優れた少し重めのスピードライバル4などのナイキのシューズに変更した。
 しかし、故障の発生を抑え込むことには成功したものの、今夏の終盤徐々に気温が下がり始めてもなかなか思うようなペースで走れなくなっていて焦りを感じていた。そんなとき久しぶりに会った甥から思いがけないことを聞いた。それはプロテイン(タンパク質)をトレーニング後に補給するということであった。彼によれば、それによって肌の感触や体の動きが全く違うと言うのである。私の感覚からいえば、プロテイン利用はボディビルダーが筋トレの後に摂取することでたくましい筋肉を持った身体を作り上げるためという考えしか持ち得ていなかったし、私にとってのプロテイン(タンパク質)は私の専門でもあった生化学研究の対象でしかなかったのである。
 どうも私の頭の中は古色蒼然としていたようで、甥からその話を聞いた1か月後にやっとそれを試してみる気になっていた。私が手に入れたプロテインは、ウイダー(森永)の“muscle fit protein”と称するものでバニラ味が付けられており、ホエイプロテインとカゼインを含んでいる製品である。最初に飲んだのはロードを11キロ走った直後で、簡単に水に溶かしたものをおいしく飲むことができた。驚いたのはその2日後のことで、歩いても自転車に乗っても脚の“力”がそれまでの感じとは全く異なり、凄く力強いと感じた。これがプロテイン摂取の始まりであった。
 私は若干太り気味で70-71キロの体重があり、そんな私が走ればその約3倍の重量が一歩一歩にかかり、関節、脚の筋肉や骨に多大な負担がかかることになる。それによって筋肉繊維に損傷が発生し、それを日常的には食事によって摂取したプロテイン(消化酵素による分解でアミノ酸になる)を用いて修復することになる。これが筋肉に負荷をかけて運動するときには当たり前に起こることである。
 市場に出回っているプロテイン製品は消化吸収しやすいたんぱく質が使われていて、それを運動後急速なたんぱく質合成が起こるとされる少なくとも1時間以内に摂取することで、損傷の起こった筋肉細胞内で高い効率でタンパク質の合成が行われていると考えてよいと思われる。それによって傷ついた筋肉の回復を果たし、さらに“超回復”と呼ばれる“損傷以上の回復”をもたらしてくれるものと思われる。
 以上のような状況を1か月ほど続けた後に神戸マラソン2016に参加した。残念なことにこの日は11月後半にはめったにないような暑さで、スタート時点ですでに18.5℃とアナウンスされ、途中24℃とテレビで放送されたという(神戸気象台のデータを調べると、午前9時に18℃、11時から15時まではおよそ21℃であった)。この暑さが後半のタイムロスを招いたと思われる。
 1枚目の写真はコース図とその高低差を表している。私の予想とは別に、スタートして西に行くほど上っている感じで、とくに折り返し点近くで神戸海峡大橋のある舞子公園を挟んで27キロまでには10m近くのアップダウンが10回ほどあり、最後の35キロ先には30m近い急坂が待ち構えていた。2枚目の写真は公式の5キロごとのラップタイムであり、3枚目の写真は私のGPS機能付き時計の後半部分1キロごとのデータである。もちろん25キロあたりからじりじりタイムを落としているが、いつもフルを走って感じる“脚が出なくなる”と苦痛とも言える感覚は特になく、ただ走れるままに走るという不思議な感覚で走っていた。それでも熱いこともあって疲労感はあり、30キロ以降のすべての給水所で頭、首筋から背中、脚の表裏に水をかけることを繰り返していた。
 そんな水をかけて身体を冷やすことの他にいつもと違うこともしていた。それはものを食べるということである。私はめったに食べることをしてこなかったが、今回は走る前からチョコパンなどを食べようと目論んでいた。実際に、バナナ以外に(バナナは手がべたべたになるので好きでない)チョコパン、どら焼き、ミカンなどを食べて走っていたのを覚えている。要するに、食べる元気がないのではなく、食べる元気があったのが不思議であった。そんなことにも時間を費やしてタイムは35、40キロとよくないが、3枚目の手元の時計データの後半部分でもわかるとおり(左から3列目はキロ数、5列目がキロ当たりの時間、分秒、7列目は平均心拍数、8列目は最高心拍数。0.2キロほどの距離の誤差がある)、キロ8分に落ちているのはわずかで、結構7分台前半で、特にあの急坂でも走れているのである。また、ゴール近くのデータでも余力は残っていた。速報タイムは4時間48分37秒であった。なお、状態の良さを示す数字としては、3枚目の写真の左から7列目の平均心拍数は145で、8列目の最高心拍数も160までしか上がらなかったことである。スピードが下がれば心拍数もきちんと下がっていて全く問題がなかった。
 今回不思議なことだが、ラップタイムを戻そう、ペースを維持しようなどとはほとんど思わなかったし、給水所での給水や給食の時を境に“歩こう”などとはほとんど考えもしなかった。それほど体力がついていたのかもしれない。その原因はと言えばプロテイン以外に考えられない。このことについてはこれから時間をかけて判断していこうと思っている。また技術的なことを一つ書くとすれば、走っているときにふくらはぎなどに違和感を少し感じたら、その部分に強い付加がかからないような着地の仕方に変更してそれをやり過ごすことがうまくできるようになったことである。これは昨年の神戸マラソンでの教訓から得たことで、私の財産になっている。いろいろなことがあってバンザイしてうれしくゴールするが、その3秒後には疲労困憊でがっくりと頭が下がる。そんな姿をテレビ画面で撮影してくれた友人の畑野勝義氏に深く感謝する(4枚目の写真、左側に注意)。なお、チョコパンをほおばりながら元気に走る写真があるので、手に入り次第追加掲載したい。
 それにしてもスタートしてから舞子公園で折り返してゴールまで、熱い応援は途切れることはない。大いなる力を与えてくれ続けた。今年の私の2枚のゼッケンには大きな字で私の名前が印刷されており、それを見た沿道からの大きな声援には、びっくりするとともに大きな刺激になり、うれしかった。とにかく一所懸命に走っているときに名前を呼ばれると不思議な感覚になって涙が出る。ただただ沢山の神戸市民応援団に感謝したい。
 最後に、私の身体状態の維持・管理に力をくださいました「ちあき接骨院」と「佐藤治療院」の皆様には心より感謝を申し上げたい。

追記:珍しい写真が手に入りましたので、5枚目の写真として追加いたします。上はたしか30キロあたりで初めてチョコパンを食べて元気を出している私と、下はゴール直後で憔悴はしていてもまだ元気のありそうな私です(2017/01/05)。

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