日本陸上長距離界に変革を迫る川内優輝、設楽悠太、大迫傑選手らと活躍の場だった箱根
- 2018/04/19 11:30
日本陸上長距離界の面々はもちろん、若い大学生から中学生までも含めて、さらに我々のような一般市民ランナーすべての耳目を奪い続ける公務員ランナー川内優輝選手(31才)が、第122回ボストンマラソンで日本選手として31年ぶりの優勝という快挙を成し遂げた。一枚目の写真は4月17日の読売新聞夕刊の記事である。2枚目の写真は、ネットにアップされたAP=共同の写真を使わせていただいた(https://www.nikkansports.com/sports/athletics/news/201804170000262.html?utm_source=headlines.yahoo.co.jp&utm_medium=referral&utm_campaign=20180417-00181798-nksports-spo)。
私が川内選手に注目する理由は、ここ20年以上にわたって特にプロと目される実業団選手の低迷に対して川内独自のトレーニングや日常生活の送り方を通じてチャレンジを続けているからである。彼は埼玉県庁の普通の公務員である。彼は仕事をきちんとこなしながらハーフおよびフルマラソンで一匹狼としてトップクラスの成績を長年にわたって維持し続けているからであり、このことの難しさは長距離走に関心を抱く多くの人々が理解している。そんな特異な存在であることもあり、彼は日本のマラソン界をけん引していると言っても過言ではない。同様なことは女子マラソン界にもあった。およそ30年ほど前にいまも様々に活躍する谷川真理選手は皇居外苑をジョギングする一般市民の生活からマラソン界に飛び込み、長い間にわたって女子マラソン界をけん引してきたことがあった。沈滞した状況を打開するには何かの刺激が必要らしい。
川内優輝選手は、仕事がフルタイムの公務員ということもありトレーニングの時間は大きく制限されている。そこで彼は通勤時間もトレーニングに使い、さらに各地で週末に開催されるハーフマラソンやフルマラソンを緊張したトレーニングの一環として参加することで持久力の養成やスピードアップを目指してきた。その成果と走力向上を表すように昨年は12度のフルマラソンを走り、また今年の1月1日には-17℃のボストンで行われたボストン・マーシュフィールド・ニューイヤーズデイマラソンで2時間18分59秒で走り切り、通算76度目の2時間20分切りを果たしてギネス世界記録と認定された。驚くべき数字である。彼はこのような真剣勝負のレースでの様々なタイプの世界の強豪との肌触れ合うような厳しい戦いの経験から、びっくりするような後半の逆転劇を演出するようになった。今回も、気温5℃で雨風の強い悪条件のボストンマラソンでも後半あと2キロでのあっという間の逆転劇だったようである。
川内選手とよく似たトレーニングの仕方を導入したのは、今年の東京マラソンでこれまで高岡選手の持っていた日本記録を破った設楽悠太選手(26才)である。彼は東洋大学時代箱根駅伝で東洋大学の優勝の切り札役を果たし卒業後ホンダに所属した。そして数々の駅伝レースで活躍したのち2017年の東京マラソンで初マラソンを経験した。しかし後半に崩れてから新しいトレーニングにかじを切ったと思われる。それは川内と同様に決まりきったこれまでの練習内容に依存し続けるのではなく、実際のレースを緊張感のあるトレーニングと位置付けながらそこに活路を見出したようである。今年だけに限って東京マラソン2018以前のレースを見てみると次のようになる。1月1日の全日本実業団対抗駅伝競走大会、1月14日に全国都道府県対抗男子駅伝競走大会、東京マラソンの2週間前の2月13日に唐津10マイルロードレースに参加し、46分12秒で優勝している。そして東京マラソンと言うスケジュールで、そのローテーションにはただ驚くのみで、川内選手のそれに匹敵する。
そしてもう一人の異色のランナーと言えば大迫傑選手であろう。彼は早稲田大学卒業後の2014年に日清食品グループに所属するとともに同時にナイキが世界的なレベルで展開するナイキ・オレゴン・プロジェクトにも所属してきた。しかし、2015年には日清食品グループとの契約を解除し同プロジェクトとの契約に専念することとなった。そして2017年に初マラソンとしてボストンマラソンに参加し、なんと3位となって表彰台に上がることになった。さらに12月には第71回福岡国際マラソンを走り、総合3位に入ることとなり、マラソンランナーとしての素質を示した。彼の功績は、これまで通りに国内の実業団に依存しないで自己の成長を図る新しいルートを開発したことである。
ここに挙げた3人のランナーを長距離ランナーに育ててきたのは、若いランナーたちのあこがれの的、野球少年の甲子園にも似た箱根である。しかし彼らはこの箱根を卒業してから、これまでのありきたりの道を選ばず新しい未開の地に進むことで、沈滞している日本の長距離界の復興を目指していることに私は深く感謝したい気持である。この3人のランナーの出現とほぼ時期を同じくして指導者層にも新しい風が吹いてきた。青山学院大学陸上部長距離の原晋監督である。原監督は箱根駅伝4連覇を果たし、箱根駅伝の全国展開や実業団チーム間で選手の移籍をもっと自由にできるようにするなどを通して新しい選手育成策などを打ち出しており、今後の展開を見つめてゆきたい。
しかしこれらのことはトップレベルのランナーだけの問題ではなく、我々一般の市民ランナーの問題でもあると思わざるを得ない。つまり我々の頭の中はトップレベルのランナーや指導者のひな型になっていることを忘れてはならない。それぞれ個々人の身体の成り立ちや歴史、年齢など様々な個性をうまく使いこなさないといけないことに変わりはない。それなくしては我々のレベルでの進歩はかなえられないであろうし、怪我などからの脱出もうまくゆかないであろう。私もいま故障からの治療・リハビリの過程にあり、考えることは山のようにある。ここに挙げた3人のランナーはそれぞれ強い個性を生かして走っているように思う。それが彼らを高い位置まで成長させていくのであろう。今年79才になる私も同様に幾つになってもランナーとしても人間としても成長したいと願っている。その意味で様々なトレーニングの仕方や、レースの位置づけ、また進む方向の選択の仕方など多くのことを新しく表現してくれた彼らは市民ランナーにとってもよい手本である。思い出せば、私の周りにも毎週のようにフルマラソンを素晴らしいタイムで走れる田中さんという60才代の猛者がいた。
実はこの3月、なにかの偶然か箱根を訪れるチャンスがあった。そこで箱根駅伝のテレビ中継に出てくる芦ノ湖の船やゴールに近い地点の様子、もはや危険ということですでに遺跡になってしまった落石防止の函嶺洞門という、外が見られるトンネル、そして硫黄の臭いを感じられる山肌などを見ることができた。そんな、また思い出したい写真のなん枚かを組み写真(3、4枚目の写真)にしてお見せしたい。でも、それはこのブログの全くの付録である。
追記:このブログを書いたのは虫の知らせでもあったのだろうか。記事をアップした当日の夜、ボストン制覇のお土産を持って帰国した川口選手がプロ宣言をしたらしい。新しい川内優輝選手を見る楽しみが出てきた。4月20日付の読売新聞朝刊に出た記事を5枚目の写真として追加した。