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2018年01月の記事は以下のとおりです。

寒いっ!、いや凄く冷たいっ!、南岸低気圧と大寒波のダブルパンチ!

  • 2018/01/29 17:27

 昨年暮れから今年にかけて日本列島は気温が低い。関東に住む我々にパンチをかましたのは、1週間も前から的確に予報されていた南岸低気圧だった。それにはただただ参ったというほかなかった。1月22日午前10時前後から降り始めた大雪はあっという間に車が往来する道路もうっすらと化粧し、午後には車の数も極端に減ってしまう事態となった。そんな有様をただ記録しておこうというのがこのブログである。

 1枚目の組み写真は私の部屋の窓から見た夕方の北側の写真で、幼稚園や学校のグランドは瞬く間にしっかりと雪が積もってしまった。大粒の牡丹雪が降っているさまがよくお分かりになると思われる。2枚目の写真は南側の写真で、もう10cmほども積もってしまっている。3枚目の写真は夕方6時ころのベランダの風景である。プランターや鉢植えの花が雪まみれである。ただそれだけの話だが、こうして降った大雪はその日以降の首都圏の交通網を遮断してしまった。どれほどの雪だったかと言えば東京23区でも21センチ、横浜市18センチ、大和市の東北に位置する相模原市は確か30センチ以上降ったと思われる。狭いところに高速道路を作った首都圏では、高架になっているのでそう簡単に自力で雪が解けるべくもない。首都高速が全線開通するのに4日以上かかったはずである。私たちも大雪の翌日には慣れない雪かきをしたが、疲れた。大雪にいつも見舞われる地域の方々の苦労がわかろうというものである。

 今回の問題はその後の低温で、首都圏と言われるところは軒並み北極寒波の南下で凍りつくような毎日でこのあたりでも今日を除いて滅多に5度以上にはならない。そのため、学校のグランド、道路脇、駐車場の横にはいまだに行き場のない雪の塊が寝そべっている。私は来週4日にハーフマラソンを走ることになっているので大雪以来もトレーニングで外を走っている。先ほども走ってきたが、この地方に張り巡らされている緑道緑地にはいまだに雪がたくさん残っている。このような緑道は幅がおよそ2~3メートルなので、かき分けた雪を脇に積んであると走れるところは狭い幅しか残っていない。先ほども恐る恐る走ってきたが、そろそろなんとかして雪が解けてもらいたいものである。
 でも、文句を言ってみても始まらない。幸い、うれしいこともある。私のマンションの高い踊り場から西を向けば澄み切った空気のせいで富士山がきれいに見える。最初に見えた時(http://www.unique-runner.com/blog/index.php/view/258 )から何度も写真を載せてきた。でも、これまで富士山の手前に位置する丹沢山系が雪化粧したことはないが、今回は富士山ともども雪化粧してなかなかの景色である。これが大雪の置き土産である。それを楽しむことにしよう。でも、今週の木曜日(三日後)にはまた南岸低気圧が通るという予報がある。これだけは何とかして避けてもらいたいとは思うが、これも自然のなせる技なのであきらめるしかないか。それが来て大雪でも降らしてしまえば、日曜日はコースが凍ってしまいそうだ。

追記:今日1月29日の報道によれば、東京の最高積雪は23センチで、それが消えるまでに6日と13時間かかったそうである。それはこれまでで最長で、いかに寒気が強かったかを示している。
追記2:今回の大雪の後、横浜市鶴見区に住む友人が黄昏時の幻想的な富士山の写真を送ってくれた。それが5枚目の素晴らしい写真で大いに感謝したい。
追記3:横浜市鶴見区に住む友人から再度素晴らしい写真が送られてきましたので、5枚目の写真を組み写真としました(2017/02/09)。

ノーベル賞受賞者も聖人ではない?!

  • 2018/01/25 17:47

 2017年年末の12月22日の読売新聞に興味深い記事があった。それが写真の記事で、見出しは「湯川博士『原爆研究』記す」である。私がその記事を興味深いと言いながら今までここで記事にしなかったのは、それをどんな記事で読売新聞はフォローするのだろうと考えていたからである。でも、私の知る限りなにも出てはこなかった。なぜ何も出てこなかったのだろうかと考えると様々なことが頭に浮かんでくる。やはり誰もあまり大事にはしたくないのだなと感じている。
 とにかく、なぜ今そのこと、つまり湯川博士が原爆研究に関与していたことが出てきたのだろうか不思議である。読売新聞の記事にあるように京都大学基礎物理学研究所のホームページに入って1945年の博士の日記を少し読んでみたが何もわからなかった。ただ、年末にその記事が出た背景については、その日記が11月に明らかにされ、その反響が多かったので12月21日に同研究所で記者発表が行われ、それが記事になったのだという。
 でも、なぜもっと早くそのことが公にならなかったかの答えにはならない。それを考えていると当時の軍国主義の強い圧力と、世界で最初の原子爆弾の被害国になったという重い責任、それに私が持っていたイメージと違う湯川秀樹博士その人の姿が見えてくるような気がする。まずは敗戦間近の軍部の圧力は強烈で、巻き返しを狙って原子爆弾開発につながる研究から逃げることは許されなかったと容易に推察できる。また敗戦後のわずか4年の1949年にノーベル物理学賞を受賞したことも原爆開発に関与したことを明らかにすることが難しくなった理由の一つだと思われる。しかも世界最初の原爆被害国になっていたことも原爆研究に関与したことを明らかにすることの妨げになったのではないだろうか。もう一つあるような気がしている。それは、そのことを明らかにしない方がノーベル賞受賞者の品位を高めることができるとの取り巻きの思い込みがあったと考えても不思議はないであろう。
 でも、私が最も興味を覚えるのは博士の弱さというか市井の人としての博士の存在である。私は博士の風貌、ふるまいなどなどから清廉潔白、まるで聖人のように思い込んでいた節がある。しかし、私が人を見て素晴らしい、あるいは尊敬できると思うのは、その時代に生きる普通の人が何かをやり遂げることである。私は聖人はすごいと思いながらしかし興味がない。そんな人からは学ぶことは何もないように思えるからである。湯川博士が公には一切原爆研究への関与を表明しなかったことは、上に想像するようにネガティブな反応を避けるつもりではなかったかと思われる。要するに、いま考えるに、湯川博士は普通の市井の人だったということである。なぜかこれまでの湯川像は、最初のノーベル賞受賞者であることから彼を聖人に仕立て上げ過ぎているのではないかと感じている。今回の日記公開に関係し、湯川博士とも親交のあった慶応大学名誉教授の小沼通二氏は彼について「当時の湯川博士は、国民として国に貢献するのは当たり前だという考え方を持っていたのだろう」と指摘している。
 我々はすべて様々な圧力や難しい状況の中で生きている。それに打ち勝ってなにがしかの仕事をするには、自分に対峙するものの分析やそれに打ち克てる自分自身の構築、つまりは弱点の克服で成長しなければならないし、それはまた生きている間続くと覚悟しなければならない。それにヒントを与えてくれるのは私たちと同じ市井の人の振る舞いであろう。今回のことを通して新しい湯川博士を知ってほっとする私もいるが、でもそれはチョット違うのではないかと思う自分もいる。まだ希望はある。しかし、これを書いている私の後ろのテレビでは、やってはいけないとさんざん言われている「引き技」を使ってしまって負けてしまう横綱や三役力士が次々と現れるのが目撃される。それほど自分に打ち克つことは難しいとつくづく思う。だから今回の新聞記事は、私には興味深くかつ貴重である。

「脱原発・自然エネルギー推進連盟」は表舞台に出たか?

  • 2018/01/17 11:44

 1枚目の写真をご覧になった方は、このブログはサッカー外交のことが主題なんだなと思われるであろう。でも、このタイトルとは全然違うからおかしい、何かの間違いだと思うに違いない。

 実はこの1枚目の写真のサッカー云々はブログの主題では全くなく、この写真の右下に太字の見出しさえ付けてもらえずひっそりと書かれている記事を問題にしたい。その部分を拡大して撮影したのが2枚目の写真である。どうしてこんな扱いなのだろうかと誰しも不思議に思うはずである。ここに書かれている小泉元首相らの会見は前日1月10日に行われ、テレビでそれなりに報道された。にもかかわらず、このような扱いになるのはなぜなのであろうか。それで日本は大丈夫なの?と思わずにはいられない。ここに登場した連盟の名前は「脱原発・自然エネルギー推進連盟」であるが、実は彼らの目指しているのは「自然エネルギー」ではなく、「再生可能エネルギー」のことなのでその言葉でWikipediaに訊いてみた(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%8D%E7%94%9F%E5%8F%AF%E8%83%BD%E3%82%A8%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC )。
 それによると、この連盟の目指しているのは自然エネルギーというよりは再生可能エネルギーのことで、そこには次のように書かれている。「再生可能エネルギーとは本来、『絶えず資源が補充されて枯渇することのないエネルギー』、『利用する以上の速度で自然に再生するエネルギー』という意味の用語であり、日本の法令で定義されている新エネルギーは、再生可能エネルギーの一部である。具体例としては、太陽光、太陽熱、水力、風力、地熱、波力、温度差、バイオマスなどが挙げられる。」もちろん、化石燃料である石炭や石油は自然に由来するエネルギーであるが枯渇するものであり、いわゆる「自然エネルギー」でも「再生可能エネルギー」でもない。
 Wikipediaにも書かれているが、日本は太陽エネルギーの利用では一時世界の先頭を走っていたにもかかわらず、現在ははるかに先進諸国に後れを取っている。欧州、特にドイツは2030年には電力の50%を再生可能エネルギーが占めると予想されており、全体として世界を家人している。アメリカにおいても風力によるエネルギー産出が急速に進んでおり、投資も大幅に進んでいると言われる。それに対して我が国は、現在も全体のわずか数%しか再生可能エネルギーで供給できておらず、福島原発の大規模な事故時に起こった将来への意欲は必ずしも方向づけられているとは思えない。たとえば、太陽光発電で得られた電力の買取価額の低迷、あるいは送電網に問題があるとの電力会社からの問題提起などで新規参入者が入っていけない事態などの発生で着々と進んでいるとはとても言い難い。今や明らかに欧米諸国や中国の後塵を拝していると言って間違いない。
 それに関して気になるのは、あの事故にもかかわらず原子力発電への肩入れが進んでいるように見えることである。あの事故後すべての原発が停止しても問題となるような停電は起きなかったことをすっかり忘れ、いや、あの恐ろしい事故のことをすっかり忘れ、新たなより厳し基準ではあるが原発の再起動を進めつつある。また、外国への原発の輸出にも手をだし、世界の原発銀座の形成に力を貸しつつある。
 私はあの東日本大震災の後まとめて8つのブログを書いた。その8番目の「『東日本大震災』(8)『原発事故と菅内閣』」(http://www.unique-runner.com/blog/index.php/view/124 )の中で、菅内閣はメディアにたたかれつつしかしとにかく首都圏が巻き込むような広さに大量の放射性物質がばらまかれることは最低限防いだと述べ、私は彼らの必死の働きを評価するしまた彼らに感謝すると書いた。その翌年の賀状にもそのことを書いた覚えがある。このことはそれほど私の本心であり、いまもそれは変わらない。そんなことが起こっていれば私はこちらに引っ越しても来なかったであろう。政治家の皆さんはそんな危険があったことを忘れてしまったのであろうか?首都機能の移転なども現実的な議論になる可能性があったにも関わらずである。
 それよりももっと深刻なのは、脱原発・自然エネルギー推進連盟の記事が写真でお見せしたような扱いに成り下がっている現実であろう。あの連盟の会見、あるいは脱原発がこの国の、そして世界の重要な動向につながることであるとの認識を主要メディアが共有できていないことが問題なのだと私は思う。

 私は小泉・細川元首相のこれからの活動を期待している。最後に、タイトルの「脱原発・自然エネルギー推進連盟は表舞台に出たか?」について言えば、残念ながら無視されていて表舞台には出られていない、と言うべきであろう。

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