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2018年01月25日の記事は以下のとおりです。

ノーベル賞受賞者も聖人ではない?!

  • 2018/01/25 17:47

 2017年年末の12月22日の読売新聞に興味深い記事があった。それが写真の記事で、見出しは「湯川博士『原爆研究』記す」である。私がその記事を興味深いと言いながら今までここで記事にしなかったのは、それをどんな記事で読売新聞はフォローするのだろうと考えていたからである。でも、私の知る限りなにも出てはこなかった。なぜ何も出てこなかったのだろうかと考えると様々なことが頭に浮かんでくる。やはり誰もあまり大事にはしたくないのだなと感じている。
 とにかく、なぜ今そのこと、つまり湯川博士が原爆研究に関与していたことが出てきたのだろうか不思議である。読売新聞の記事にあるように京都大学基礎物理学研究所のホームページに入って1945年の博士の日記を少し読んでみたが何もわからなかった。ただ、年末にその記事が出た背景については、その日記が11月に明らかにされ、その反響が多かったので12月21日に同研究所で記者発表が行われ、それが記事になったのだという。
 でも、なぜもっと早くそのことが公にならなかったかの答えにはならない。それを考えていると当時の軍国主義の強い圧力と、世界で最初の原子爆弾の被害国になったという重い責任、それに私が持っていたイメージと違う湯川秀樹博士その人の姿が見えてくるような気がする。まずは敗戦間近の軍部の圧力は強烈で、巻き返しを狙って原子爆弾開発につながる研究から逃げることは許されなかったと容易に推察できる。また敗戦後のわずか4年の1949年にノーベル物理学賞を受賞したことも原爆開発に関与したことを明らかにすることが難しくなった理由の一つだと思われる。しかも世界最初の原爆被害国になっていたことも原爆研究に関与したことを明らかにすることの妨げになったのではないだろうか。もう一つあるような気がしている。それは、そのことを明らかにしない方がノーベル賞受賞者の品位を高めることができるとの取り巻きの思い込みがあったと考えても不思議はないであろう。
 でも、私が最も興味を覚えるのは博士の弱さというか市井の人としての博士の存在である。私は博士の風貌、ふるまいなどなどから清廉潔白、まるで聖人のように思い込んでいた節がある。しかし、私が人を見て素晴らしい、あるいは尊敬できると思うのは、その時代に生きる普通の人が何かをやり遂げることである。私は聖人はすごいと思いながらしかし興味がない。そんな人からは学ぶことは何もないように思えるからである。湯川博士が公には一切原爆研究への関与を表明しなかったことは、上に想像するようにネガティブな反応を避けるつもりではなかったかと思われる。要するに、いま考えるに、湯川博士は普通の市井の人だったということである。なぜかこれまでの湯川像は、最初のノーベル賞受賞者であることから彼を聖人に仕立て上げ過ぎているのではないかと感じている。今回の日記公開に関係し、湯川博士とも親交のあった慶応大学名誉教授の小沼通二氏は彼について「当時の湯川博士は、国民として国に貢献するのは当たり前だという考え方を持っていたのだろう」と指摘している。
 我々はすべて様々な圧力や難しい状況の中で生きている。それに打ち勝ってなにがしかの仕事をするには、自分に対峙するものの分析やそれに打ち克てる自分自身の構築、つまりは弱点の克服で成長しなければならないし、それはまた生きている間続くと覚悟しなければならない。それにヒントを与えてくれるのは私たちと同じ市井の人の振る舞いであろう。今回のことを通して新しい湯川博士を知ってほっとする私もいるが、でもそれはチョット違うのではないかと思う自分もいる。まだ希望はある。しかし、これを書いている私の後ろのテレビでは、やってはいけないとさんざん言われている「引き技」を使ってしまって負けてしまう横綱や三役力士が次々と現れるのが目撃される。それほど自分に打ち克つことは難しいとつくづく思う。だから今回の新聞記事は、私には興味深くかつ貴重である。

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