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2014年03月の記事は以下のとおりです。

ふくらはぎ故障からの早期脱出には様々な難しい対応が必要らしい!

  • 2014/03/27 18:19

 私は50台半ばにランニングをするようになってから長い間はそれほど故障を起こさないことが自慢であったが、ここ数年は度重なるふくらはぎの故障に泣かされてきた。そんなふくらはぎの故障を回避するために昨年から膝から下の部分をある程度の強度で締める、いわゆるレッグカバー(TIGORAやZaMST)を用いることで故障回避に成功し、安心して走れるようになってきた(http://www.unique-runner.com/blog/index.php/view/199 )。その延長線上で初めて抽選に当たった大阪マラソンを余裕を持って走りきることができた(http://www.unique-runner.com/blog/index.php/view/204 )。
 その後、次のレースのためのトレーニングを積んでいた12月末、走っていて突然これまで感じたことのない左脚のひざ下外側部分の長腓骨筋あるいは前脛骨筋のあたりが痛くなり、走ることを中断せざるを得なくなった。マッサージ師に相談すると、ひょっとすると坐骨神経痛の可能性もあると言われ、ショックを隠し切れなかった。それを抜け出すために1週間ハムストリングスのストレッチを強化して痛みがかなりおさまったころに再び走り始めたところ、それを気にしながら走ったためか久しく抑え込んでいたふくらはぎをまた痛めることになってしまった。
 その後、違和感というか痛みが消えたと思って走っては、それが軽いジョギングであるにもかかわらず再び強い違和感をふくらはぎの腓骨頭近くに繰り返し、途方に暮れることになった。今年に入っていきつけのスポーツマッサージの先生に二度にわたって治療を受けたが、一時的によくなってもなかなか根治することができなかった。そして先生にはいつものように、“足首の使い過ぎ”と言われ、“今回は特にヒラメ筋の緊張が強い”と言われてしまった。
 ふくらはぎの構造は、人体のほかの部位同様きわめて複雑にできている。その右脚後面からの詳細な図を「ネッター 解剖学アトラス」(南江堂)から引用しておく。ワンクリックで最大限拡大できるようにしてあるのでとくとご覧いただきたい。ふくらはぎの深い部分のヒラメ筋が分かりやすいように、浅い部分の腓腹筋の一部中間部分は切断されている。腓腹筋は踵(かかと)部分のアキレス腱から内側頭部分と外側頭部分に分かれて大腿骨の両側に結合していることがよくわかる。一方、ヒラメ筋はアキレス腱の一部を同様に構成しつつ膝下外側の腓骨頭(図では右側)とその付近に結合していることがわかる。違和感や痛みを感じる部分とこの構造とはよく一致している。ただ、今回はなぜ特にヒラメ筋に強い緊張があるかはよくわからない。もともと坐骨神経との関連が指摘された今回の違和感発生の過程がこれまでと違っているからかもしれない。
 もう3か月にもなる今回の違和感・痛みに対処する焦点は、治せないまでもまず違和感や痛みをどうやって和らげるかであり、次にふくらはぎの緊張を取る走り方とは何かである。最初の点についてだが、私はこれまで痛みを取る薬を使ったことがなかった。もちろん、多くのスポーツ選手が痛み止めを使っていることは知ってはいたが、痛みだけを止めてもどうにもならないと思っていたこともあり、鎮痛薬を使うことは全く考えていなかった。しかし、かって整形外科医院のレセプトをやった経験のある妻が、“ロキソニンを使ってみたらどう?”と助言をくれた。たまたま彼女はそのジェネリックの“ロブ”という錠剤を持っていたのでそれを1錠だけ飲んでみた。その効き目には驚いた。飲んで30分後に走ってみたが、まったく違和感も痛みも消えてしまっていた。しかもその効用が消え去っているはずの翌日も、これまでのような不快な違和感が出ていないことに気が付いた。
 実は私の浅はかな早とちりだったのであろうが、このロキソニンという薬は、調べれば調べるほどよくできた薬のようで、強い消炎と鎮痛効果を持っていることが分かってきた。この薬の効用には組織損傷などによって生体内で合成されるある種のプロスタグランジンという化学物質が重要な関連があるようである。あるウェブサイトに出ていた図とその解説をそのまま引用したのが2枚目の写真である(http://www.nc-medical.com/deteil/pain/pain_03.html )。痛みや違和感の発生には二つのルートが動いているようで、組織が損傷を受けるとその部位でCOX(図の左上に書かれている)という酵素が活性化されて痛みや炎症に関連があるプロスタグランジンが生み出され、それが炎症や痛みを発生するとともに、もう一つの痛みの経路であるブラジキニン(血漿から遊離する)による経路を強く活性化するとのことである。
 では、なぜ効用がなくなるはずの時間でも違和感などを感じなくなるのであろうか。一般に生体内ではある化学物質が生成されても、それはあらかじめ備わっている代謝系によって分解除去されるのが普通である。しかし、加齢によってじりじりと代謝活性が下がってくるとその分解除去には時間がかかるようになり、それが故障からの回復に時間がかかるゆえんであろう。今回のケースでも、いったん生成されたプロスタグランジンの除去に時間がかかり、除去されそうになってもまた走ることなどによって新たに生成されてしまって依然として炎症・疼痛物質が無くなることのない状況が続いていたと思われる。したがって、その蓄積をロキソニンを飲むことによって遮断することで違和感や痛みの発生を防ぐ効果があったのだと解釈される。そのことを考えて、通院経験のある近くの整形外科医院でロキソニンよりは少し活性が低いが消化器などへの副作用の少ないセレコックスという薬を戴き、一昨日までの8日間飲み続ける実験をした。その結果を現在観察中である。
 もう一つ重要な問題がある。それはなぜいつもマッサージの先生に“足首の使い過ぎ”(ふくらはぎへの強い付加)を指摘され続けるのかということである。私には一つの思いがある。それは、着地時の地面を踏みつける力が地面からの反力を得ることにつながり、それが前への走力につながるとの考えである。これはあながち間違ってはいないとは思うが、そおっと着地するのが良いと主張する人もいる。もうひとつは、走るときのストライドの問題である。私の走法はストライド走法と言えるほど広くはなく、またピッチ走法と言えるほど狭くもない、ちょうど中間から少し広い目位だと自覚していた。
 そのあたりのことを考えていた先週、偶然にも関東にいる息子夫妻が休暇でやってきて一緒にトレーニングする機会を得た。そのとき息子から得たアドバイスが二つあった。一つは、ストライドを小さくしてピッチ走法に近づけることで、もうひとつはトレーニング後には必ずアイシングをすることであった。着地点が重心真下から前に行くほど着地点は踵側に移り、ふくらはぎに負荷がかかることになる。また同時に離地点はより後ろ側に移り、やはりふくらはぎを使って離地することになる。この二つの動きはともに“足首を使う”ことを意味している。このことは分かってはいたことであるが、ピッチと呼吸は連動していることも知っていた私としては容易にそこに踏み込むことができなかった。しかし、2年ぶりに見た息子の走り方がストライド走法から明らかなピッチ走法に切り替わっており、フルマラソンでも良いタイムを出すようになってきたこともあり、この際思い切ってピッチ走法に切り替える決心をした。もうひとつのアイシングは、アドバイス通りに早速保冷剤とそれを保持するサポーターをスポーツ店で購入して実行に移すことにした。現在使ってみて炎症の早期解消ができていると実感できる。
 現在、セレコックスの投薬は中止しているが、ピッチ走法への移行とアイシングは実行しており、これまでの結果は良好で、ここ2か月ほどは二日と続けて走ることができなかったが、現在はそれも可能である。これからしばらく様子を見ながら脚への負担の少ないピッチ走法になれるようにしたい。しかしそのためには、ピッチ走法に見合った呼吸法を身に着けないと長時間走ることは難しいと思われるので、そこがポイントになるように感じている。
 このような様々な試みの結果は、できるだけ早期に続編として書くつもりである。

「STAP細胞論文問題」について思うことを率直に

  • 2014/03/12 10:06

 私は2月に以下のような書き出しで、元気な若者の代表としての女性研究者のことをこの日記帳に書いた。「2014年1月30日の読売新聞朝刊の大見出し『新型万能細胞 作製』とともに、若々しい女性研究者である小保方晴子氏の顔写真には驚いた。この思わぬ方法による万能細胞の作製に成功したのは、30歳という若い理化学研究所発生・再生科学総合研究センターとハーバード大学のグループである(STAP細胞、stimulus-triggered acquisition of pulripotency)」(http://www.unique-runner.com/blog/index.php/view/214 )。
 ところがその新聞発表以降、様々なメディアでその論文の持つ問題が報じられるようになり、ついに写真(東日本大震災3年の左側部分)のように論文の撤回をも視野に入れて検討されるようになってしまった。どうしてそんなことになってしまったのであろうか。私自身大いに期待していたし、多くの期待を一身に浴びていたにもかかわらずである。私はこれまで科学が抱える多くの問題について書かれた刺激的な題名の本を読む機会があった。曰く「きわどい科学」(白楊社)、「背信の科学者たち」(化学同人)、「奪われし未来」(翔泳社)、「科学革命の構造」(トーマス・クーン著、みすず書房)、「生物学の革命」(柴谷篤弘著、みすず書房)などなどである。しかし、私たちにとって最も身近で千円札で有名な野口英世の問題についても、「生物と無生物の間」(福岡伸一著、講談社現代新書)の冒頭部分にかなりのスペースを割いて書かれている。そのようなことを頭に入れながら今回のことについて思うことを率直に書いてみたい。
 論文に使用した画像がほかの自らの論文から重複して使用されていたなどなどの点については、それらの指摘は正しいのであろうし、研究者としてやるべきことではない。しかしこの世に生きる研究者たちは、純粋に清廉潔白な人間集団であるはずもなく、この世にうごめく普通の人間の集まりであって、彼らの置かれた状況に強く影響される存在であることを見逃すわけにはいかない。
 上の福岡伸一氏の本にも次のような部分がある「ロックフェラーの創成期である二十世紀初頭の二十三年間を過ごした野口英世は、今日、キャンパスではほとんどその名を記憶するものはない。彼の業績、すなわち梅毒、ポリオ、狂犬病、あるいは黄熱病の研究成果は当時こそ賞賛を受けたが、多くの結果は矛盾と混乱に満ちたものだった。その後、間違いだったことが判明したものもある。…(中略)…パスツールやコッホの業績は時の試練に耐えたが、野口の仕事はそうならなかった。…(中略)…野口の研究は単なる錯誤だったのか、あるいは故意に研究データをねつ造したものなのか、はたまた自己欺瞞によって何が本当なのか見極められなくなった果てのものなのか、それは今となっては確かめるすべがない。けれども彼が、どこの馬の骨とも知れる自分を拾ってくれた畏敬すべき師フレクスナーの恩義と期待に対し、過剰に反応するとともに、自分を冷遇した日本のアカデミズムを見返してやりたいという過大な気負いにさいなまされていたことだけは間違いないはずだ。その意味で彼は典型的な日本人であり続けたといえるのである。」
 研究者とは、多かれ少なかれ基本的には上に引用したような存在であることを忘れてはならない。さらに、現在の科学界とそこに生きる研究者たちの状況は、野口英世の時代よりはるかに苦しいといってよいであろう。理研の状況を詳しく知るわけではないが、小保方氏は研究ユニットリーダーだと言われているが、彼女もまた期限を切られた、いわゆる期限付きポストにいるものと思われる。かって大学の教育・研究者はそのすべてが期限を切られない、いわゆるパーマネントのポストであったが、いまから15年ほど前からであろうか、若い人たちのポストが大幅に期限付きとなり、その間に顕著な業績を上げなければそのポストから解雇されることが常態となり始めていた。さらに、かっては一定の枠内では研究費が定常的に配分されていた配分方法が大幅に変更され、どの程度の業績を上げたか、論文をどのレベルの雑誌にいくつ書いたのかなどを審査され、その程度に応じて研究費が配分される仕組みに変更されてしまった。その結果、研究分野に偏りが発生し、本来大学などがやらなければならない分野が極端に縮小されつつある。
 また、大学院生の数を大幅に増やした結果、若い人たちにとってはポストに就く機会が著しく減少し、職を得たとしても期限付き(2、3年あるいは5年)となり、また追い打ちをかけるように研究費獲得競争が激烈になってきてしまった。若い人にとっては暗い時代に突入したのである。昔言われたという“すえは博士か大臣か”なんてとんでもない状況になってしまっている。これは日本中のあらゆる分野に生きる若者に共通する暗い現実であろう。
 もうひとつ「論文」のことを書いておこう。論文とは研究した内容を広く世界に公にするためにいまでは主として英語で書くもので、内容に応じて様々なレベルの雑誌(日本語では「雑誌」というが、英語では"Journal"と呼ばれ、その代表格がnatureやScienceと言われる)に掲載を求めて“投稿”して(submit)“受付け”られる(received)。投稿された論文はその内容を検討する2、3名から数名の専門家に回されて検討され、問題がなければただちに“受理”され(accepted)、印刷に回されることになる。もちろんお金が要る。しかしほとんどのケースでは審査員(査読者、Referee)から文章などの誤りの訂正、内容を確かなものにするための再実験や書き直しが何度となく要求され(これを“査読(review)”という)、その訂正に何か月も、あるいは1年以上かかることもある。そのための長い時間を費やしても結局“拒否”されて(rejected)掲載に至らないことも稀ではなく、その時間は著者たちにとっては苦しくまた他の研究者にその成果を横取りされる危険をはらんでいる。このような危険を避けるためにいまでは、雑誌によっては著者側が査読者(Referee)を指定する、あるいは査読者になられては困る研究者名(たとえば同じ分野を激しく争っている)をあらかじめ雑誌側に知らせる制度すら存在する。そういうこともあり、実験技術や実験結果の微妙なところは詳しく書かないケースは何ら珍しいことではなく、そう簡単に再現実験ができるとは限らないのである。
 このようなあらゆる状況は、一刻も早く論文の査読をパスして掲載にこぎつけなくてはならないことを著者たちに促し、このような時に内容の不十分さや書きなおし方の間違い、使用すべき画像のとり違い、文献引用の忘れなど、無意識であれ意図的であれ様々な失敗を犯すことになる。それは、研究結果が衝撃的であればあるほど、とにかく一刻も早く公にしたいという気持ちがなせる業であろう。著名な研究者の論文であろうともこのような間違いなどは散見されるのが普通である。
 今回の問題で、写真の記事にあるように論文を撤回することになる可能性は高い。論文というのは、その時点での実験結果に対する自らの評価を表現するものであり、絶えず間違っている可能性を含んでいる。それは、自然科学であれば我々が持つ自然に対する知識量がいまだきわめて微々たるものであることにもよる。したがって、どのような論文もそれなりに価値を持ち、その中での研究結果の解釈が間違っていたとしても、それにチャレンジするほかの研究者がいればそれはいずれ乗り越えられることにつながるであろう。今回の論文は、それをきちんと読んでない私が軽々に言えないかもしれないが、これだけの反響をもたらすことを承知で出されたのであるから、その再現性が乏しくとも、著者たちはSTAP細胞は確かに存在するとの確信を持っているのだと思いたい。
 よく、論文内容についての議論で“再現性”という言葉が使われる。今回のSTAP細胞の再現性もあまり高くないと当初言われていたように思う。もしそうなら、他の研究者が再現実験を試みてもそう簡単にいかないことは十分に考えられる。それをもって再現性に乏しいと非難するのが正しいのか、そのような微妙な実験条件でしか生まれない興味津々たる現象で、一刻も早く公表しなければならないものだと認識するのかは議論の分かれるところであろう。理研内の他の研究者によってSTAP細胞はできているとの声もある。小保方氏らの論文が雑で科学論文として受け入れられないという声に押されてこの結果を抹殺するのか、もう一度詳しい再現実験を待つのかは理研の科学者の度量に依存するし、理研という組織のありようにかかわってくる。“出る杭は打たれる”にはしてほしくない。この再現性の問題は、あまりに偏狭に取り上げすぎると自然科学の発展を大きく阻害する可能性すらあると私は考えている。逆の言い方をすれば、論文の責任はあくまで著者たちの責任である。
 2010年に雑誌“Science”にアメリカNASAの研究者がカリフォルニアのモノ湖にヒ素を食べるバクテリアがいる、との驚くべき結果を報告した。私もそれにコメントしたが(http://www.unique-runner.com/blog/index.php/view/113 )、その後それが他の研究者によって追試できたという報告はなさそうである。それでも私はそのことがありうるといまだに考えている。
 STAP細胞が実際に作り出せるとの報告が、どこからか出されるのを私は首を長くして待っている。理研も、もし撤回することになったとしても、著者たちに詳細な再現実験を試みるチャンスを与えてほしいと私は切に希望する。野依良治理事長の真価が問われるところである。

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