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2016年04月の記事は以下のとおりです。

嵐の中の“2016長野オリンピック記念長野マラソン”に挑む

  • 2016/04/20 21:10

 これまであまり地震危険地帯として考えたこともなかった九州・熊本で信じられないような強烈な地震が発生した。それが収束に向かうと誰もが思った二日後に、それまでより16倍ものエネルギーを持った強い地震が再び発生した朝、私たちはレースが行われる長野に向かって出発しなければならなかった。それだけに何かに引きずられるような複雑な気持ちを持ちながらの参加は、私自身にも強い決意を抱かせるに十分であった。
 主催者の一つ信濃毎日新聞のレース後の号外は次のように言う。「長野地方気象台の観測した午前8時半の気温は18.5度、湿度42%。今にも雨が降り出しそうな空の下を一斉にスタートした9530人(男子8029人、女子1501人)のランナーは、善光寺から南下する中央通りなど長野市街地を抜け(1枚目の写真、信濃毎日新聞号外)、ビッグハットやエムウェーブなどの長野冬季五輪施設を巡った。同気象台が暴風警報を出すほどの強風に悩まされ、全体的にペースが上がらなかった。」
 今回の長野には私と若い仲間2人(2枚目の長野駅構内の写真で右側がA君、左側がB君)の3人で参加した。すでに私は彼らに及ぶべくもないが、しかしよい牽引者たちである。熊本被災地への黙祷をささげた後、18.5度とかなり高い気温の長野運動公園をスタートして善光寺参道を下って17キロ地点のエムウェーブではそれほど問題になるほどの風も雨も感じることはなかったので、ひょっとすると目標とする4時間半前後の記録を達成できるのではないかと淡い期待を持って順調に走っていた。しかし17キロを越えるころから強い風と大粒の雨に見舞われ、一瞬のうちに気分は地獄に転落することになった。それでも風当たりの強い五輪大橋を昇って中間地点の間、さらには30キロ前まではなんとか我慢をして5キロ当たりのラップをそれ程落としてはいないが(3枚目の写真の上部分)、30キロを過ぎるあたりから我慢しきれなくなって急激にラップを落とすようになってしまった。
 25キロを過ぎるあたりからは雨はそれほど気にならなくなったものの風は厳しく、土埃も舞い、強い横風を受けた時には体を傾けて走ることを余儀なくされた。また、強い追い風を受けた時には転倒を防ぐためにはブレーキをかけざるを得ず、かえって消耗することもあった。気象庁のデータを見ると平均風速10.3、最大風速17.35メートルで、多分瞬間にはその1.5-2倍の風速があったものと思われる。千曲川の堤防上の道路ではまさに飛ばされそうな感じを受けるのはまれではなかった。しかし、この風が高い気温での体感温度を下げてくれたことも確かであろう。
 後半、いかに私が疲弊していたかはそのラップをご覧になればお分かりであろう。また、4枚目の写真は、私が持っていたGPS機能付きの時計のデータで、黄色がキロ当たりのラップ、赤は心拍数、緑は標高である。30キロ以降ラップがノコギリ状に高く跳ねているのは、一定区間歩いていることを示している。5時間の制限時間内にゴールできることを確信した私は、完全に消耗する前に一息入れようと時々歩くことにしたのである。赤の心拍数を見ると全般的にはそれほど高くはなく、後半歩きを入れてラップを落としていることもあって心拍数は特に上がることもなく、落ち着いた状態であった。そんなこんなで無事ゴールすることができて幸せであった。ネットタイムは4時間53分49秒で、目標より20分ほど落としてしまったが、完走できたのであるから満足であり、去年の神戸マラソンからは30分弱改善できた。今後さらに改善に弾みをつけたいものである。
 仲間たちはどうだったかと言えば、A君はこの風雨の中を何事もなかったように正確なラップを刻んで(3枚目の写真の下部分)3時間25分59秒でゴールしたのには驚いた。強い雨風にも気負うことなく、そして強く意識することなくインターバル走法のような感覚を生かしながら疲労の蓄積を避けたという。でも、その感覚はいまの私には理解できない。いずれ教えを乞いたい。またB君は、故障で3年ぶりのマラソンにもかかわらず3時間56分48秒で潜在力の高さを示した。この両君はともに35キロ以降にスピードアップし、余力を残してきたことを示した。恐れ入りました!!
 いつも走った後には、もっと何とかならなかったかとか、もっと条件が良ければとか愚痴が出る。今回のペース配分にはそれほどの後悔はなく、前半のペースで十分押し切れると踏んでいたのであの風雨が恨めしい。そんな愚痴を関西の仲間にこぼしていたら、仲間の一人がボストンマラソンの君原健二のことを教えてくれた。その記事の写真が5枚目である(4月20日、読売新聞朝刊)。50年前にボストンマラソンで優勝し、3年後メキシコ五輪マラソンでも銀メダルを獲得した。その君原健二が今回ボストン優勝の50年後に招待されて完走した。君原健二75歳で4時間53分14秒で、私の記録を35秒上回った。でも、私は76歳である。近年、ランナーズの「フルマラソン一歳刻みランキング」でよい勝負をしてきたが、この調子だとまだ勝負が続くようでうれしい。僭越ながら格好の相手である。(写真は拡大してご覧ください)

追記:
 私たちのように42.195キロのような長距離を長時間かけて走るレースで大切なことは、安定した精神状態を維持することである。それに必要な言葉をひとつB君からいただいた。それは、“前半はウォーミングアップだよね”だった。(2016.4.21)
 これを書いた後B君から指摘があった。「あれはA君から戴いた金言でした」と(笑)。この直後にA君から「前半っていうか、30㎞ぐらいまではウォーミングアップの気持ちで走りたいね~」、と来た。参った!!

嵐の中の“2016長野オリンピック記念長野マラソン”に挑む

  • 2016/04/20 21:10

 これまであまり地震危険地帯として考えたこともなかった九州・熊本で信じられないような強烈な地震が発生した。それが収束に向かうと誰もが思った二日後に、それまでより16倍ものエネルギーを持った強い地震が再び発生した朝、私たちはレースが行われる長野に向かって出発しなければならなかった。それだけに何かに引きずられるような複雑な気持ちを持ちながらの参加は、私自身にも強い決意を抱かせるに十分であった。
 主催者の一つ信濃毎日新聞のレース後の号外は次のように言う。「長野地方気象台の観測した午前8時半の気温は18.5度、湿度42%。今にも雨が降り出しそうな空の下を一斉にスタートした9530人(男子8029人、女子1501人)のランナーは、善光寺から南下する中央通りなど長野市街地を抜け(1枚目の写真、信濃毎日新聞号外)、ビッグハットやエムウェーブなどの長野冬季五輪施設を巡った。同気象台が暴風警報を出すほどの強風に悩まされ、全体的にペースが上がらなかった。」
 今回の長野には私と若い仲間2人(2枚目の長野駅構内の写真で右側がA君、左側がB君)の3人で参加した。すでに私は彼らに及ぶべくもないが、しかしよい牽引者たちである。熊本被災地への黙祷をささげた後、18.5度とかなり高い気温の長野運動公園をスタートして善光寺参道を下って17キロ地点のエムウェーブまではそれほど問題になるほどの風も雨も感じることはなかったので、ひょっとすると目標とする4時間半前後の記録を達成できるのではないかと淡い期待を持って順調に走っていた。しかし17キロを越えるころから強い風と大粒の雨に見舞われ、一瞬のうちに気分は地獄に転落することになった。それでも風当たりの強い五輪大橋を昇って中間地点の間、さらには30キロ前まではなんとか我慢をして5キロ当たりのラップをそれ程落としてはいないが(3枚目の写真の上部分)、30キロを過ぎるあたりから我慢しきれなくなって急激にラップを落とすようになってしまった。
 25キロを過ぎるあたりからは雨はそれほど気にならなくなったものの風は厳しく、土埃も舞い、強い横風を受けた時には体を傾けて走ることを余儀なくされた。また、強い追い風を受けた時には転倒を防ぐためにはブレーキをかけざるを得ず、かえって消耗することもあった。気象庁のデータを見ると平均風速10.3、最大風速17.35メートルで、多分瞬間にはその1.5-2倍の風速があったものと思われる。千曲川の堤防上の道路ではまさに飛ばされそうな感じを受けるのはまれではなかった。しかし、この風が高い気温での体感温度を下げてくれたことも確かであろう。
 後半、いかに私が疲弊していたかはそのラップをご覧になればお分かりであろう。また、4枚目の写真は、私が持っていたGPS機能付きの時計のデータで、黄色がキロ当たりのラップ、赤は心拍数、緑は標高である。30キロ以降ラップがノコギリ状に高く跳ねているのは、一定区間歩いていることを示している。5時間の制限時間内にゴールできることを確信した私は、完全に消耗する前に一息入れようと時々歩くことにしたのである。赤の心拍数を見ると全般的にはそれほど高くはなく、後半歩きを入れてラップを落としていることもあって心拍数は特に上がることもなく、落ち着いた状態であった。そんなこんなで無事ゴールすることができて幸せであった。ネットタイムは4時間53分49秒で、目標より20分ほど落としてしまったが、完走できたのであるから満足であり、去年の神戸マラソンからは30分弱改善できた。今後さらに改善に弾みをつけたいものである。
 仲間たちはどうだったかと言えば、A君はこの風雨の中を何事もなかったように正確なラップを刻んで(3枚目の写真の下部分)3時間25分59秒でゴールしたのには驚いた。強い雨風にも気負うことなく、そして強く意識することなくインターバル走法のような感覚を生かしながら疲労の蓄積を避けたという。でも、その感覚はいまの私には理解できない。いずれ教えを乞いたい。またB君は、故障で3年ぶりのマラソンにもかかわらず3時間56分48秒で潜在力の高さを示した。この両君はともに35キロ以降にスピードアップし、余力を残してきたことを示した。恐れ入りました!!
 いつも走った後には、もっと何とかならなかったかとか、もっと条件が良ければとか愚痴が出る。今回のペース配分にはそれほどの後悔はなく、前半のペースで十分押し切れると踏んでいたのであの風雨が恨めしい。そんな愚痴を関西の仲間にこぼしていたら、仲間の一人がボストンマラソンの君原健二のことを教えてくれた。その記事の写真が5枚目である(4月20日、読売新聞朝刊)。50年前にボストンマラソンで優勝し、3年後メキシコ五輪マラソンでも銀メダルを獲得した。その君原健二が今回ボストン優勝の50年後に招待されて完走した。君原健二75歳で4時間53分14秒で、私の記録を35秒上回った。でも、私は76歳である。近年、ランナーズの「フルマラソン一歳刻みランキング」でよい勝負をしてきたが、この調子だとまだ勝負が続くようでうれしい。僭越ながら格好の相手である。(写真は拡大してご覧ください)

追記:
 私たちのように42.195キロのような長距離を長時間かけて走るレースで大切なことは、安定した精神状態を維持することである。それに必要な言葉をひとつB君からいただいた。それは、“前半はウォーミングアップだよね”だった。(2016.4.21)
 これを書いた後B君から指摘があった。「あれはA君から戴いた金言でした」と(笑)。この直後にA君から「前半っていうか、30㎞ぐらいまではウォーミングアップの気持ちで走りたいね~」、と来た。参った!!

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