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2017年09月の記事は以下のとおりです。

驚異の電磁パルス(EMP)攻撃によってますます安易に使われかねない核爆弾の脅威

  • 2017/09/12 15:04

 2017年9月3日に6回目の核実験を強行した北朝鮮は2日後の国連軍縮会議で、6回目の核実験は「米国への『贈り物』」とした上で、「無謀な挑発や圧力を続ける限り、米国はさらなる贈り物を受けることになるであろう」と警告したという。その記事が1枚目の写真である。その記事の右下には、今回の核実験の規模は、ヒロシマ型原爆の10倍を超え、水爆であった可能性もあるとのことである。
 それまでのICBMの連続発射実験や今回の実験を含め、何が北朝鮮の強気を支えているのかを示唆する記事がその一日後の読売新聞で見られた(2枚目の写真)。それによると北朝鮮は3日の核実験の中身は、「高空で爆発させて広大な地域に対する超強力な電磁パルス攻撃をできる熱核弾頭だ」と主張し、初めてその開発に言及したという。そしてその記事は、うかつにも私など全く考えてもいなかった電磁パルス(EMP, ElectroMagnetic Pulse)攻撃の実態を示すものであった。いかにその内容を少し引用しよう。
 米エネルギー省が1月に公表した報告書によれば、「EMP弾は、最高400キロメートル程度の高高度での核爆発によって生じる電磁パルスにより、人を直接殺傷したり建物を崩壊させたりせずに電気、通信、交通など社会インフラ全体を壊滅させる核攻撃だ。たった一発で甚大な被害を与え、高度に電化された先進国ほど影響を受けやすい」、という。また、2004年に米議会に専門家委員会から提出された報告書によれば、「米国全土で社会インフラが崩壊し、復旧に数年を要した場合、食糧や燃料、医薬品などの不足と衛生状態の悪化が起こると指摘。「深刻な疫病と飢餓が生じる結果として『1年後には米国人の90%が死亡』」と予測しているという。とんでもない話である。日本の上空100キロで10キロトンの核爆弾が爆発した場合、ほぼ日本全域に上に述べたようなことが起こりうると考えるしかないのであろう。もはや自衛隊が持つ地対空ミサイルでどうにかなるような話ではないのであろう。
 このようなEMP攻撃に対する防御策は乏しく、米国などはかなり気を使っているようだが、上のような報告書が出るようではそれほど対策が進んでいるようには思えないし、日本や韓国などはほとんど何もないに等しいような気がする。要するにこの電磁パルス攻撃とは、先日来話題になった太陽フレアで小規模ながらオーロラが見られるかもという話だったり、通信が混乱したりGPSによる位置情報が狂ったり(事実3倍程度の誤差)、または日本の衛星が使い物にならなくなったりという話と原理的に同じである。このブログを書き始めた時に私が住む地方では落雷があり、瞬間的に停電したが、これを防ぐにはいまだに怖い怖いと言って地中深く潜るか、鉄の塊の中に入るしか手がないのであろう。このような雷が散発するような簡単な話ではないのが面倒で、どうにもならないと言ったほうが間違いがないのでであろう。
 なお、このEMP攻撃については、短くコンパクトにまとめられた読みやすいコラムが9月8日の同じ読売新聞にある(3枚目の写真)。時間のない方はそちらをご覧ください。
 このように考えると、核爆弾は持ったほうが勝ちなのである。だから北朝鮮はそれを熱望し、中国は「北朝鮮は雑草を食ってでも核戦争の準備をする」と断言する。同時に核を持たず、幸か不幸か電子化された社会に住む我々にとっては、直接人を殺傷したり建物を壊したりしないEMP攻撃は核使用のハードルが随分下がるように思えて益々嫌な気がする。
 では、一体どうしたらよいのだろうか。こんな時代にもはや圧力一辺倒なんてありえないと思う。日本と北朝鮮の関係は小泉首相時代の短い期間を除いて圧力一辺倒しかなかったといっても過言ではない。近代日本の朝鮮半島政策を見ても朝鮮半島に住む人々の恨みは消しようがないのだろう。北朝鮮を後ろから支えてきた中国にしても同じと思う。いまや安倍内閣と自民党は「100%アメリカと共にある」という。いつからそんなことになってしまったのか。こんな政権は我々のためにはならない。
 北朝鮮を唯一制御可能な中国とのまともな関係を構築できなければ、所詮圧力を声高に叫ぶしかないであろう。同じ9月8日の読売新聞には日中国交回復45周年を前にして、元人民日報論説委員の馬立誠(マーリーチョン)氏の勇敢な意見を掲載している(4枚目の写真)。私が勇敢なと言うのは、いまの中国ではリベラルな発言者がことごとく封じ込められていることを心配するからである。彼の論文は、8日発売の中央公論10月号に「人類愛で歴史の恨みを溶かす・・・『対日関係新思考』を三たび論ず」と題して掲載されているらしい。早く手に入れて読んで勉強したいと願っている。なお、この時期に読売新聞がこの手の論文について掲載しているのは、読売新聞自体が、この現状を完全に行き詰っていると理解しているからであろう。これには最初に述べたEMP攻撃のことも関係していると感じるので、同時にこのブログの話題にした。
 なお、最後に今回の写真の質が特に悪いことをお詫びしたい。

追伸;
 中央公論10月号の馬立誠氏の論文を読んだ。氏は人類愛の基本元素について次のように述べる。「ヴォルテールが『寛容論』で語るように、人類が幸福と安楽を求めるならば、当然、寛容、温厚でなければならないのだ」。簡潔であるが、私には納得がゆく。皆さんにも是非お読みいただきたい。

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