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2011年09月の記事は以下のとおりです。

[完全復元] 「鳩山政権」の沈没間近か?

  • 2011/09/30 18:05

(この記事のオリジナルは2010年4月30日に書かれたものである)

 右の写真は4月28日の読売新聞夕刊の一面トップの見出し部分である。普天間移設問題での最終案を「辺野古に杭打ち桟橋」と大きい見出しで報道した。しかし、いつものような読売新聞の鳩山政権への強い批判的見出しは影を潜めているのはなぜか。もはや、その必要はないとの判断なのであろうか。確かにこの問題に対する迷走ぶりは時間を追うごとに激しくなり、公式発表以前から様々なルートから情報が漏れ、結果として沖縄や徳之島関係者の神経を逆なでしてしまった。
 しかし、そのような重要な問題に追い打ちをかけるように27日には、東京第五検察審査会が11人の検察審査員の全員一致で小沢一郎氏の問題で「起訴相当」と議決したのである。このことは民主党の屋台骨を支えているかのような小沢幹事長を直撃するとともに、再びカネの問題が再浮上したことも民主党の大きなダメージになることは間違いない。
 しかし、それより大きなダメージは、再び鳩山首相が作り出してしまっている。それは、上の新聞記事の左端に比較的小さく書かれている、「首相、小沢幹事長の続投支持」の見出しである。これまでの世論調査で国民の8割以上がカネの問題をきちんと説明していないと指摘しているにもかかわらず、そのことには答えることなく、そのまま幹事長除く等支持を表明したことは鳩山政権の致命傷となると確信する。
 これまで鳩山政権の政権運営については様々な問題があったが、その方向性についてはこれまでの自民党政権の課題を乗り越えようとしてるとして、私はそれなりに評価してきた。そして、概して閣僚にはなかなかの人材がいて、自民党政権に比べてそれなりによく動いているという実感はある。しかし、一見して閣内不一致とみられるような現象がしばしば起こってはいるが、それらは現与党の政権への不慣れ、鳩山首相の指導力、あるいは統率力不足に起因しているような気がする。今回の小沢幹事長続投もその例に漏れない。これが鳩山政権と共に民主党のV字回復の最後のチャンスと思えていたが、それも自らの手で放擲してしまった。
 そのことがだれの目にも明らかであるこの時期に、間髪をいれず敢えて幹事長続投の方針を発表したのは、首相自ら自身の退陣への道筋をつけているのではないかと私などは憶測する。つまりは、普天間問題と小沢問題を道ずれにして自爆の覚悟のように思える。どうも、決して何とか与党の党勢を回復させようとしているわけではないと受け取るしかない。そんことをするはずがないと思うのが普通であるが、そこがどうも「宇宙人」であると言われる所以かもしれない。厄介な人ではある。
 それにしても、またもや短命内閣になるとすれば国民にとってこんな不幸なことはない。

[完全復元] 「たちあがれ日本」?

  • 2011/09/30 16:47

(この記事のオリジナルは2010年4月12日に書かれたものである)

 4月10日に新党「たちあがれ日本」が結成されたと11日読売新聞が伝えている。憂国の志を持った5人の代議士が結成し、応援団として石原慎太郎東京都知事が加わっている。はたして何をしたいのか、何を言いたいのかが私にはよく分からない。
 新聞報道などでしばしば報じられているように、代表の平沼氏と共同代表の与謝野氏はともに麻布高校の同級生らしいが、考え方は全く正反対のように私には見える。結党の使命は、「打倒民主党」「日本復活」「政界再編」のようで、基本政策は、憲法改正(第9条)、財政再建(消費税上げ)などで郵政民営化はどこかに消えてしまっている。このような方針に対して読売新聞の社説はかなり好意的で、これまでの経緯からも考えられることである。
 これらの政策についても考え方は同じだと思えない人たちが集まって新党を結成したとして、誰がそれに同調できるのであろうか。無謀な新党であることは初めから分かりきったことであると結成に参加した人たちは言う。では、一体なにをしようというのか。それは、「打倒民主党」、この一点にあると考える。渡辺喜美氏が言うように、これは第三極でもなんでもない。民主党批判をする勢力をできるだけ増やすのが目的であり、その意味では、「非自民・反民主」だけのことである。
 この新党結成は、鳩山内閣発足以来何かにつけて批判を繰り返してきたマスメディアのやってきたことと同じことをやろうとしていて、別に新味はない。要するに、民主党が潰れればよいのである。では、なぜ民主党はあれほどの大差で自民党に圧勝したのであったのか?これに答えることなしに新党もなにも国民を欺くだけのことであろう。国民の自民党に対する失望感は、谷垣総裁が必死に何かを持ち出そうとしても持ち出せないほどその根は深く、だから、民主党に失望しても自民党に国民の支持は戻らないのである。自民党にそれが出来ないからと言ってそこを飛び出し、なにもきちんとした詰めをすることなく新党をとにかく作るというのは国民を愚弄している。
 この国を憂いているなどと勝手なことを言うのはやめにしてもらいたい。高い貧困率に表されるこれほどの格差とどんでもない放漫経営をし、若い人たちに未来への希望を失わせるような状況を作ってきたのは一体どの党の仕業だったのであろうか(http://www.unique-runner.com/blog/index.php/view/21 )。“あなたたち若い人たちは国を憂いていないのか!”なんて分かった振りして言ってもらいたくもない! あまりにダメな自民党に飽き飽きして、そして“国を憂いて”国民の多くは民主党政権を選んだのである。その選択が誤りだったかどうかは1年も経たない現在不明だが、その責任の大半は自民党にあるのだ!
 いつまでも素人くささの抜けない民主党政権。しかしこれも、長年にわたって自民党政権を支え続けた国民の失敗のひとつである。あまりに経験不足なのである。アメリカのように政権交代が繰り返し行われてきた国には政権維持のノウハウが双方に蓄積されているが、残念ながら日本にはそれがなかったのである。だから我々も我慢が必要なのではないか。
 口を開けば、自民党も新党もマスメディアも、民主党はばらまき予算で財政が破たんするのは目に見えているという。これまですでに破たんの状態まで持ってきたのは一体誰のせいだったのだろうか。箱モノばかり作り、官僚の天下りのための訳のわからぬ法人などなどで一体今までいくらドブに捨ててきたのか。そんな批判をする資格は自民党などには全くあり得ないのである。私は自分の耳を疑う。最近は、外交の機密を隠し続けた責任もある。
 とにかく、日本という国は本当に出る杭を打つ社会だとつくづく思う。先日も国交省が高速道路料金を変更して、そのお金で高速道路建設を行うと言ったとたんに、“コンクリートから人へ”と言っていたではないか、などとの批判がマスメディアから出ていた。全く高速道路を建設しないなどと一体誰が言っていたのか?この世の中、何十年も何百年も綿々と続いている。だから、あらゆることが“オール・オア・ナッシング”に進むはずもないことは当然であろう。
 そんな批判をする地盤が日本の社会にあり、それがあらゆる意味で新しい時代の到来を阻害する大きな要因になっているとすれば、それは国民の責任でもある。政権が代わればコロッとあらゆるものが変わると国民の多くが考えているのかもしれない。鳩山政権の支持率が当初の70%台後半からあっという間に30%を切ってしまうということは、そのことを、つまりは国民の無責任さを表している可能性がある。だから、訳のわからぬ新党の出現を許すのであろう。
 そうは言っても私は渡辺喜美氏の「みんなの党」の人気は理解できる。国の根幹を握る官僚の在り方を基本的に変えようとしての新党だからである。

追記:本日4月13日の読売新聞朝刊に「たちあがれ『期待しない』76%」との調査結果が小さく掲載されていた。(ここまでがオリジナルの記事である)

追記2:本年2011年1月14日菅第二次改造内閣の内閣府特命担当大臣に「たちあがれ日本」を離党した与謝野馨氏が就任した。経済政策に精通していると言われる与謝野氏の入閣で菅首相は「社会保障・税一体改革」を目指したのだと思われるが、「たちあがれ日本」結成は与謝野氏にとっては一体なんだったのであろうか。(2011年9月30日)

[完全復元] 拉致被害者家族会の決定に疑問

  • 2011/09/30 15:05

(この記事のオリジナルは2010年3月30日に書かれたものである。なお、最後に追記あり)

 読売新聞3月29日付朝刊に「蓮池透さんの退会要求」というまことに小さな記事が出ていた。小さいというところが曲者で、大きく報道したくない、あるいは大きく報道しても受け入れられないなどのネガティブな雰囲気を示しているからである。記事の内容は、拉致被害者である蓮池薫さんの兄で元副代表の透さんが講演会などで「圧力だけでなく対話も必要」と主張していることに起因している。昨年も薫さん自身がそのように述べていた記憶が私にもあり、来るべきものが来たとの感である。
 この記事の注目すべき点は二つある。ひとつは、もはや家族会が一枚岩ではないこと、二つ目は異なる意見を包含できないほどその会に自由度がない可能性があることであろう。私は2004年に「北朝鮮からの拉致被害者家族の帰国、そして邦人イラク人質事件で想うこと(2004年5月23日、5月24、29、7月10日追加)」という文章をホームページに書いた(http://www.unique-runner.com/korea1.htm )。そしてその中に次のように書いた。「この二つの出来事(ひとつは拉致被害者家族の帰国とイラク人質事件)から私が感じることは、かって太平洋戦争中は国民に『鬼畜米英』と言わせ、逆に敗戦後には一転して『占領軍』ではなく『駐留軍』として受け入れさせようとした体制の在り方と似たものであった。このようなことから最近の日本には、世界的にテロ(何がテロであるかは問題であるが、「私たちはなにをテロと考えればよいのか」、http://www.unique-runner.com/iraq3.htm )が横行するなどの事情もあってか、個人の意見が抹殺される、あるいは微妙な心の動きが消されて、そんなことより『国家』、『安全』、『有事』、『危機意識』、『憲法改正』などの言葉が飛び交い、私は背中に寒いものを感じている。要するに言いたいことが言いにくい、かっての戦時下の日本のような、あるいは9.11テロ後のアメリカ(今もそうだが)のような雰囲気が出来てしまっているのである。まったく恐ろしいことである。国が前面に出てきたときほど恐ろしいときはないのである。」
 この小さな新聞記事は、「家族会」という小さな組織にも問答無用のような雰囲気が生じていることを示している。はたして圧力だけでこの拉致問題が解決するとどれほどの人が思っているのであろうか。拉致された方々5名が帰国できたのは小泉首相の訪朝という対話を試みて初めて実現できたことは明らかだろう。しかも、一時帰国のはずだった彼らを返さなかったのは日本側の約束違反であったことも事実である。しかしその結果かどうかは不明だが、その後進展はない。
 この現実についてはお互い言いたいことが山ほどあるであろうが、はたして対話なくしてなにがしかの進展が期待できるであろうか。私はノーだと言いたい。日本の占領統治の傷跡がどれほど重いかを考えれば、戦後からのさらに長い圧力下の生活に慣れた北朝鮮から「圧力」で答えを引き出すのはほとんど不可能に思える。あの超弩級の軍事力を誇るアメリカでさえ一体どんな価値ある答えを北から引き出しえたであろうか。
 「圧力」のみを強調してそれ以外の批判を封じ込めようとするよりは、もっと自由闊達な意見の表明を許容しながら議論を進め、その懐の深さから真の国民の共感を得る方がはるかに期待が持てるのだと私などは思う。
 チョット横道だが、物言う仲間を切ってはダメだとの批判は「小沢天皇率いる民主党?」にいつも向けられるが、今回はどうなのであろうか。根は同じはずである。はたして、拉致被害者家族会にどの新聞が批判をするのであろうか。見ていたいものである。この小さな記事を掲載した記事の中には何も批判は書かれていない。記事の小ささが遠慮と怖さを表しているようにも見える。

追記:東日本大震災や政治の混乱もあるが、現在に至るまでこの件について全くの進展はない。(2011年9月30日)

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