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[完全復元] 拉致被害者家族会の決定に疑問

  • 2011/09/30 15:05

(この記事のオリジナルは2010年3月30日に書かれたものである。なお、最後に追記あり)

 読売新聞3月29日付朝刊に「蓮池透さんの退会要求」というまことに小さな記事が出ていた。小さいというところが曲者で、大きく報道したくない、あるいは大きく報道しても受け入れられないなどのネガティブな雰囲気を示しているからである。記事の内容は、拉致被害者である蓮池薫さんの兄で元副代表の透さんが講演会などで「圧力だけでなく対話も必要」と主張していることに起因している。昨年も薫さん自身がそのように述べていた記憶が私にもあり、来るべきものが来たとの感である。
 この記事の注目すべき点は二つある。ひとつは、もはや家族会が一枚岩ではないこと、二つ目は異なる意見を包含できないほどその会に自由度がない可能性があることであろう。私は2004年に「北朝鮮からの拉致被害者家族の帰国、そして邦人イラク人質事件で想うこと(2004年5月23日、5月24、29、7月10日追加)」という文章をホームページに書いた(http://www.unique-runner.com/korea1.htm )。そしてその中に次のように書いた。「この二つの出来事(ひとつは拉致被害者家族の帰国とイラク人質事件)から私が感じることは、かって太平洋戦争中は国民に『鬼畜米英』と言わせ、逆に敗戦後には一転して『占領軍』ではなく『駐留軍』として受け入れさせようとした体制の在り方と似たものであった。このようなことから最近の日本には、世界的にテロ(何がテロであるかは問題であるが、「私たちはなにをテロと考えればよいのか」、http://www.unique-runner.com/iraq3.htm )が横行するなどの事情もあってか、個人の意見が抹殺される、あるいは微妙な心の動きが消されて、そんなことより『国家』、『安全』、『有事』、『危機意識』、『憲法改正』などの言葉が飛び交い、私は背中に寒いものを感じている。要するに言いたいことが言いにくい、かっての戦時下の日本のような、あるいは9.11テロ後のアメリカ(今もそうだが)のような雰囲気が出来てしまっているのである。まったく恐ろしいことである。国が前面に出てきたときほど恐ろしいときはないのである。」
 この小さな新聞記事は、「家族会」という小さな組織にも問答無用のような雰囲気が生じていることを示している。はたして圧力だけでこの拉致問題が解決するとどれほどの人が思っているのであろうか。拉致された方々5名が帰国できたのは小泉首相の訪朝という対話を試みて初めて実現できたことは明らかだろう。しかも、一時帰国のはずだった彼らを返さなかったのは日本側の約束違反であったことも事実である。しかしその結果かどうかは不明だが、その後進展はない。
 この現実についてはお互い言いたいことが山ほどあるであろうが、はたして対話なくしてなにがしかの進展が期待できるであろうか。私はノーだと言いたい。日本の占領統治の傷跡がどれほど重いかを考えれば、戦後からのさらに長い圧力下の生活に慣れた北朝鮮から「圧力」で答えを引き出すのはほとんど不可能に思える。あの超弩級の軍事力を誇るアメリカでさえ一体どんな価値ある答えを北から引き出しえたであろうか。
 「圧力」のみを強調してそれ以外の批判を封じ込めようとするよりは、もっと自由闊達な意見の表明を許容しながら議論を進め、その懐の深さから真の国民の共感を得る方がはるかに期待が持てるのだと私などは思う。
 チョット横道だが、物言う仲間を切ってはダメだとの批判は「小沢天皇率いる民主党?」にいつも向けられるが、今回はどうなのであろうか。根は同じはずである。はたして、拉致被害者家族会にどの新聞が批判をするのであろうか。見ていたいものである。この小さな記事を掲載した記事の中には何も批判は書かれていない。記事の小ささが遠慮と怖さを表しているようにも見える。

追記:東日本大震災や政治の混乱もあるが、現在に至るまでこの件について全くの進展はない。(2011年9月30日)

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