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二年以上にわたるブログ作成からの離脱、はたしてここからの再出発は可能か❓(2)

  • 2025/02/13 10:38

 2週間ほど前、迷いに迷ったうえ二つのブログを公開した。その翌朝、家族から私のLINEに二通のメールが来ていた。いずれもゆっくり、落ち着いてかんばってください、と書かれていたように感じた私は、前向きに感じて、後半の二つ目の極めて分かりにくいと自身感じていたブログを消去し、思い切って書き換えることを決心した。

 私がその捨ててしまったブログ〈2〉の最大の欠点は、このシリーズをとりあえず書き始めた理由を書いたつもりだったが、実際は書いてなかったことであろう。それは部分的にはこのシリーズの(1)に書いたが、もう少し詳しく書きたい。そのひとつの例を書くことで私の頭の中をすっきりさせることもできるからである。

 さて、私の現在の状況を判断してみると驚くべき情けない状態であるとわかる。ここからは年賀状書きの話になるが、私は以前から200枚以上の、いまでも100枚以上の賀状を必ずボールペンで書いている。その表と裏を書くと大変で、毎年2週間以上を費やすことは当たり前である。なんでそこまで大変かと言えば、書き間違いを修正しているととんでもなく時間を食ってしまうからである。例えば、ハガキの表にある郵便番号、住所、そして宛名書きはどれひとつとして間違いは許されないことばかりである。ましてや裏に何事か少し意味のあることを書こうとすると、頭を使うことが一杯で、それが文字などの間違いを引き起こしてしまう。もっと簡単に言おう。賀状を書いているとき、スマホなどは手放せない。それを時々使うのではなく、賀状を一枚完成するのに必ずスマホなどの手助けを何度かお願いする。これが私の現状なのである。

 このように現在の自らの状況を静かに判断してみると、驚くべき状態にはまりつつあることがわかる。その陥りつつある穴場は、上に述べたような言葉に関することに限られるわけではなく、肉体的、精神的な問題にもきっと広がっていることは確かであろう。

 私たちが、このような自らの状態に無自覚であれば、知らず知らずのうちに危ない穴場に深く落ち込んでしまうであろう。あるいは、自分の異常に気付き、その危ないであろう立場から逃げ出すこともできる。実はこれが私が陥った穴場であったらしい(ブログ書きは2年半は止めていた、が賀状書きはまだ辞めていない)。何か別の道を探すことを考えたが、どうもありそうもない。実はこのなにもできない穴場に落ち込んでいく道は、危険な道ではあるが、しかし見る角度をちょっと変えれば、自らの状態を知らせてくれる道と同じである。最近それを知らせてくれる絶好の道だと思うようになった。これが私の答えらしい。 だから、もう一度来た道を歩いてみようかと、でもこれまでと同じ速さで歩くことが出るわけはない、年を取っている、だからゆっくりと、それで十分だろう。

二年以上にわたるブログ作成からの離脱、はたしてここからの再出発は可能か❓(1)

  • 2024/04/09 08:10

 この文章は、実は、本日2025年2月4日に公開するものである。また、この文章はおよそ10か月も放置されていたもので、それ以前も1年半も何も書いていないことを考えるとおよそ2年半も何も書いてこなかったことになる。

 「さて、この問いに対する答えは、”不明”である。その理由は、書けなくなった、あるいは書かなくなったこの1年4か月も、書こうとしながらも書けない日々の連続だったからである。

 それでも書けない、書かないことの理由はいろいろありそうだが、頭が少しも整理されないことや、何故か何らかの文章もできてこないこともあって話が先に進まない。どうも、全体として何かが形作られてこないと書く作業は始まらないようである。

 私は2022年の春から、お世話になっているマンションの理事会の理事長を担当することになった。それは私がそれまで担当してきたような業務とは異なり、そのためにいつの間にか自らの中に様々な違和感が重なるようになってきた。それを簡潔に整理すると、①決断が遅い、②発声が遅い、③文章を書くのが遅い、④漢字や人名を忘れるなどなど、いわゆる老人病に取り囲まれているのは間違いない。私は今年85歳になるのであるからその資格十分である。

 このような状況に囲まれ、しかし一方で国内的にはもちろん、世界的にも解決、いや議論すべき多岐にわたる問題に取り囲まれてしまうと、もはや身動きできない状況に追い込まれてしまうのが人間という生き物らしい。私はこの1年半近くこんな闇の中に潜んでいたのである。そんな中、私を救ってくれたのは、異常気象に悩まされながらも頑張った野菜作りと、何とかまだまだマラソンを走り続けたいとの意欲に支えられてのトレーニングであったのだろう。(2)に続く。」

北京パラリンピック2022は『平和の旗の下に』では終われなかった

  • 2022/03/19 16:44

 国連で決議されたオリンピック・パラリンピック期間中の「休戦協定」はロシアによって破られたが、幸いにもロシアのウクライナ侵略下に行われ続けた北京パラリンピック2022は3月13日に終了した(1枚目の写真、読売新聞3月14日。しかしやはり最後まで厳しい雰囲気の中でゲームは行われた。ロシアによる侵略下にウクライナを脱出したウクライナ選手団はぎりぎり北京に到達したと伝えられてきた。そんな苦境の中に北京にやってきた選手団は、20人の選手で金メダル11個、そして計29個のメダルを獲得する大活躍であった。もちろん、これまでの最高の成績で、いかにこの苦境に耐え忍び、戦火にあえぐ国民への援護射撃を意識した活躍であったのだろうと推測される

 そんなウクライナ選手団の頑張りや日本選手団をはじめとするすべての参加者の活躍とは別に、このパラリンピック中もウクライナに侵攻し続けたロシアとあからさまにロシアを援助したベラルーシュの選手団は、国際パラリンピック委員会(IPC)によって急遽出場を拒否されることになった。これについては様々な意見はあるが、IPC委員会のパーソンズ会長は、ウクライナで交戦している当事国の選手同士がこの大会で戦うのは極めて危険で、大会中の選手間の紛争を避けることは大変難しいとして出場を許さなかった。

 そのような雰囲気での今回の冬季パラリンピックは、最後までスポーツとはなんであるかを問いかけることから離れることは許されなかったのである。それを体現したIPCのパーソンズ会長が、開会式においてウクライナ情勢を念頭に置き、大声で”PEACE”と叫んだのを沢山の方は覚えておられるであろう。しかしそのスピーチの一部は同時通訳されなかったとの問題が発生した(中国中央テレビ、CCTV)。同様のトラブルは閉会式においてもパーソンズ会長のスピーチの一部で発生した。選手らを「平和の闘士」とたたえた部分は全く翻訳しなかったし、ほかの部分でも言葉を言い換えるなどの問題があったという(2枚目の写真、読売新聞3月14日)。

 ロシアは明らかに中国の同盟国である。しかし、だからと言ってなりふり構わず中国がロシアの片棒を担いでいては、世界平和にかかわる様々な局面においてまっとうな対応をして有意義な貢献をするチャンスを失うことになる。それは中国のためばかりではなく、世界のためにならないことは言うまでもない。そのあたりのことをよく考えて振舞っていただきたいものである。
 実は、3月14日にロシア国営の「第一チャンネル」でのニュースの放送中に、「戦争をやめて」、「プロパガンダを信じないで」などと書かれた紙を掲げた女性スタッフがスタジオに表れ、テレビに映る場面があった。女性が「戦争をやめて」と繰り返し叫んだところで画面は別の映像に切り替わり、女性はその場で拘束されたという(3枚目の写真、読売新聞3月15日)。このように国営テレビの中心でこのようなことが起こるのはこれまでなかったことで、我々から見れば衝撃的に見える。最近ロシア国内からは微妙な不協和音が聞こえ始めていると感じている。こうゆう時であるからこそ、ロシアと話の出来る中国などが適切なふるまいをすることが両国にとってはもちろんのこと世界にとっても大切なことのように思われる。多数の人命を奪いながらの勝手なふるまいは許されない。さもなければ、きっとどこかの局面で大きなしっぺ返しに見舞われるはずである。

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