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2014年11月の記事は以下のとおりです。

金刀比羅宮とそこからも見える香川特有の山々

  • 2014/11/25 17:00

 清流仁淀川をあとにしてやってきたのは香川・金刀比羅宮。四国をかなりよく知る奥方の引率で、お宮さんだというくらいの知識しかない私の拠り所は相変わらずWikipedia。それによれば、
 「金刀比羅宮(ことひらぐう)は、香川県仲多度郡琴平町の象頭山中腹に鎮座する神社。こんぴらさんと呼ばれて親しまれており、金毘羅宮、まれに琴平宮とも書かれる。明治維新の神仏分離・廃仏毀釈が実施される以前は真言宗の象頭山松尾寺金光院であり、神仏習合で象頭山金毘羅大権現と呼ばれた。現在は神社本庁包括に属する別表神社、宗教法人金刀比羅本教の総本部。全国の金刀比羅神社・琴平神社・金比羅神社の総本宮でもある。
(中略)
 海上交通の守り神として信仰されており、漁師、船員など海事関係者の崇敬を集める。時代を超えた海上武人の信仰も篤く、戦前の大日本帝国海軍の慰霊祭だけではなく、戦後の朝鮮戦争における海上保安庁の掃海殉職者慰霊祭も毎年、金刀比羅宮で開かれる。境内の絵馬殿には航海の安全を祈願した多くの絵馬が見られる。金毘羅講に代表されるように古くから参拝者を広く集め、参道には当時を偲ばせる燈篭などが今も多く残る。
 長く続く参道の石段が有名で、奥社まで登ると1368段にもなる。例大祭に合わせて毎年、これをメインに「こんぴら石段マラソン」が開かれている。」
 上に記載されている通り、国のまつりごとに翻弄される形でその姿が変わっていることが分かる。もとは松尾寺金光院という仏教のお寺であり、神仏分離・廃仏毀釈などなどの影響を受けていまは神道の形に至ったようである。その詳しいことは簡単には分からないが、古くから島国四国の海上交通の守り神として厚い信仰を受けてきたとされる。
 社に行き着くまでの長い石段はとくに有名で、本宮まででも785段あり、かなりの苦労である。その様子は1枚目の写真でお分かりであろう。生まれて初めて石段昇りに杖を使わせていただいた。そしてお参りをして下ってきたところの広場に巨大で見事なスクリューが今治の漁業関係者から奉納されていて、海の安全信仰を知ることができた。その写真が2枚目の下の部分である。

 香川で最も私の関心を引いたのは、その特有の山の形である。1枚目の写真にもあるように、お椀を伏せたようなおにぎり形の山がたくさん目に留まるのである。また、台形型の山もあり、特有である。それらが夕日に沈む風景を高台の宿から眺めるとなかなか見事で、およそ1時間ほど寒い外に立って写真を撮っていた。翌朝も写真を撮った後不思議に思って宿のレストランの方に尋ねると、彼が育った愛媛などではめったに見られない形で香川特有だという(3、4、5枚目の写真)。彼によれば、昔は本州と陸続きだったところに海が入ってきてその浸食によってできたのだろうとのことであった。そのことをもう少し知りたくてネットで探したところ次のような解説もあった(http://oshiete.goo.ne.jp/qa/868166.html)。
 「香川県の山はほとんどが風化や侵食されやすい花崗岩でできています。そのうち一部には花崗岩の上に風化・侵食しにくい安山岩がのっています。この安山岩が乗っている部分だけが残っておむすび形の山ができたのです。安山岩がちょっとだけあると、讃岐富士のような形になり、帯状に安山岩があると屋島のような台地地形になります。安山岩は火山噴火によって作られますので、火山と全く関係ないわけではありません。しかし、実際に噴火したのは1000万年以上前のようです。」
 5枚目の写真の左下の山は台形型で、このような形の典型は古戦場として知られる屋島がそうだという。上の説明で完全に理解できるわけではないが、海の侵入・堆積・隆起・火山活動・浸食などを繰り返して今のような形になったのだろうと推測できる。それにしても不思議で楽しい形である。
 最後に楽しい形の山を眺めた後、大鳴門橋のところで一休みして帰路に就いた。

桂浜、坂本龍馬、フクちゃん、そして仁淀川

  • 2014/11/15 18:07

 元来出不精の私であるが、格好よく言えば現役時代は職場と宿舎を往復する毎日を過ごしてきた。そんなことで関西の仲間と言えなくもない四国も私にとってはそれほど近い存在ではなく、何年か前にやっと四国北部を少し訪れたくらいである。その四国がますます遠ざかる日を間近に控えて、四国南部の代表的な景勝地である桂浜と、その帰り道に香川の金毘羅さんを訪れることにした。その簡単な日記を下に記しておきたい。まずは高知から。
 早朝に自宅を出て車で明石大橋と大鳴門橋を経由して一直線に走り、昼頃には高知・桂浜に到着した。桂浜そばの小山には高さ5.3メートルの坂本龍馬の銅像がある。その場所から桂浜の広い砂浜のある方向を眺めたのが1枚目の写真である。かなり逆光であまり良い写真ではないが、その浜辺の雰囲気を感じることができる。そして2枚目の写真は、龍馬像に近い浜を撮ったものの組み写真である。海の色は素晴らしくきれいなブルーで、9年前に訪れたハワイの海の色に似ている。龍馬はこの海を見ながらそのかなたの欧米列強のことを考えていたのであろうか。
 そんなきれいな海が眼下に広がる桂浜の小高い所に坂本龍馬の銅像が立っている。まさに立っているというにふさわしい高さ5.3メートルの像で、昭和3年に高知の若い人たちの呼びかけで作られたという。懐手にブーツという有名な格好で、きれいで果てしない海原を見つめている姿はこの地にふさわしい。ちょうど訪れた時には“龍馬に大接近”と称して銅像のそばに、龍馬像の高さのやぐらを組み、そこまで上るイベントが行われていた。なかなかの商魂であるが、そこからの銅像と桂浜と海の眺めは抜群であった。その龍馬像を含めて組み写真にしたのが3枚目の写真である。
 この銅像の近くには「坂本龍馬記念館」もあり、在りし日の龍馬の人となりとその活躍を垣間見ることができる。この人がいなかったら、幕末から明治への明治維新はどんな形になっていたのだろうかと思うほど大きな存在だったように思う。そんなことを想いながら桂浜に別れを告げ、高知市文化プラザ「かるぽーと」にある横山隆一記念の「まんが館」を訪ねた。言わずと知れたフクちゃんの作者である。
 私たちの年代でまんが「フクちゃん」を知らぬ人はいないであろう。936年に誕生してから1971年の連載終了までのなが~い間人々を楽しませた横山隆一は高知生まれの漫画家だったのである。高知は多くの漫画家を輩出したところであるらしいが、それは彼に負うところが多かったようである。彼のまんが心とは“まんがとは話しかける画(え)なり”ということのようで、彼は当時の漫画家集団である「漫画集団」を立ち上げ、まんがのみならず絵本、油彩画、水墨画、アニメーション、さらには多くの多彩な遊びを通じて92歳で亡くなるまで破天荒な活躍をつづけたことが、訪れたまんが館で理解できた。何とも楽しい展示館だった。皆さんに是非一度訪問されるようお勧めしたい。
 まんが館を堪能して宿泊地である伊野市に向かった。ホテルはうれしいことに仁淀川のそばのちょっとした高台にあった。四国には大きな吉野川、仁淀川そして四万十川があり、その中でも仁淀川は水質の良さや生態系の豊かさ、そして水辺の利用率など四国のみならず全国の河川の中でもトップクラス、あるいは一番と言ってよい川であることをなぜか知っていたからである。特にその水の美しさは、NHKスペシャル「仁淀川 ~青の神秘~」で知らされていた。
 朝早く起きて窓を開けると、眼下の仁淀川に掛かる二本の橋と川向こうの山に見事な霧が様々に流れていて心を惹かれた。その写真が4枚目の組み写真である。その一枚の鉄橋には電車が走っている。朝食後そのホテルを離れて仁淀川の河原に降りると、そこにはきれいな水ときれいに洗われた様々な形の石に驚かされた。そこで前夜の夕食時の箸置きに使われていた石のことを思い出した。よく見ると河原には箸置きに使えそうな形の石がたくさん転がっていたのである。その石たちはいずれも非常にきれいに洗われていて、そのまま食卓に使っても問題ない様子で(事実私はすでに使っている)、そのことはこの仁淀川の水が本当にきれいであることを示していた。残念ながら現在、非常にきれいな水の流れる川は少ない。そんな石を探して過ごした時間は私にとっては心休まる時間であった。
 そして美しい仁淀川をあとにして一路香川の金毘羅さんを目指した。

豊かな高槻の秋の里山 2014

  • 2014/11/01 11:21

 来年はもう高槻の秋を楽しむことはないこともはっきりし、思いつくままにこの24年ほどを過ごした里山の記憶を、その写真とともにこの日記帳に残しておきたい。
 私は子供のころ大台ケ原に近い三重県の山奥に育ったこともあり、黄色く色づいた豊かな稲穂を見るといつも懐かしくうれしい気分になる。1枚目の写真の左上はきれいに色づいた田園風景で、その向こうの少し高台にグリーンの屋根のマンションが見える。そこが私の住まいである。そのマンションから西側の山に時折見える美しいきれいな夕焼けが右側の写真である。左下は、お百姓さんが田んぼの縁や空いたところに植えている花々で、右下は田んぼの間に作られている農道である。この適度に曲がった農道はおよそ500メートルあり、故障中あるいは故障明けの私の絶好のトレーニングの場を提供してくれ続けた。写真はいずれもワンクリックで拡大できる。
 秋の里山を楽しませてくれるのは、サギの仲間である。2枚目の写真の左上は、稲刈り機と二人のお百姓さんの右にアオサギがいて、刈った後側に回ろうとしている。サギ類は一般に稲刈り機の後について回り、稲を刈られた後に出てくる虫類やカエルなどを食べているようである。右上の写真には田んぼの間の畔から首を出してこちらを眺めているアオサギがいる。また彼らは近くの芥川との間を行き来し、小魚がたくさんいる芥川ではそれを上手に捕まえて食べている姿はいつも見られる。ちょっと見にくい写真であるが、嘴の先には小魚のようなものが見える。
 私はこれらサギ類が好きで好んでこの日記帳やホームページにその写真を載せてきたが、それらの中で最もうまく撮れたのは数年前に塚脇橋のところで見たダイサギと思われる鳥の、めったに見られないまるでダンスのように水の上を跳ねて飛び回る姿である。一羽しかいなかったので求愛ダンスとも思えず、遊び姿を私に見せてくれたのかもしれない。左から右への連続写真である。
 私は定年後、フィジカルを鍛えて長距離走の強化にチャレンジしてきたが、それを支えたのは芥川、淀川、摂津峡そして山奥の萩谷や神峯寺、本山寺への険しいルートである。高槻市はその半分以上が山林であるといわれているが、今回は総合運動公園をもつ萩谷へのルートの一端を紹介しておく(4枚目の写真)。自宅から摂津峡大通りから芥川沿いを走り、左右に平安女学院大学やオレンジホスピタルがある急坂を昇りさらに北に向かう坂を上がると関西大学キャンパスに至る。ここで一服であるが、すぐにさらに厳しい上り坂が続く。それを登り切ってしばらく走ると萩谷総合運動公園に着く。ここまで自宅からは32分くらいであるが、さらに「萩谷」のバス終点までの上りは厳しい。自宅からの標高差およそ250メートル、6.5キロほどの上りコースはとても厳しく、帰りは急な下り坂でのスピード練習もできる稀有なコースである。このコースをあと何回走れるであろうか。
 私の自宅近くを流れる芥川は、丁度摂津峡を抜けて流れ出ているところだが、その摂津峡に流れ入る上流部分にはマスの釣り場がある。それが最後の写真の上の部分で、その近くには友人の安藤さんが耕している畑がある。彼はひとりで管理するには大変な広い畑を借り受け、素人離れをした腕前でありとあらゆる野菜を作っている。家が近いこともあって何度も訪れながらなにも手伝わなかったにもかかわらず、四季それぞれにおいしく、安全な野菜を提供していただいた。安藤さんは私達をこの高槻の地になじませていただい方でもあり、ここに心から感謝の意を表したい。

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