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2019年01月の記事は以下のとおりです。

横浜・野毛地区は飲食店街だけではなかった!

  • 2019/01/09 15:59

 私が桜木町から至近距離にある野毛という町を知っているのは、そこに美味しい焼き鳥屋などの飲食店街が拡がっているからである。これまで何度か誘われて飲食を楽しんだが、横浜音痴の私には、その地区に訪れる価値のあるところが沢山あるとは全く知らなかった。今回やっとそれに気が付いたので出来るだけ簡潔に書かせていただくつもりである。

 どうしてそのことを知ったかといえば、このお正月にどこかにお参りしたいと考え頭をひねったところ、私が育った三重県・伊勢に関連しそうな伊勢山皇大神宮が横浜にあることを知り、また横浜は我が家から近いこともありお参りに行くことにした。行ってみて驚いた。そこは私の耳にはなじみのある”野毛”地区にあったのである。帰ってから俄然勢いがついて、参拝したことでもあり少しブログに記録でも残そうと私の常套手段を使って調べてみると相当複雑で面白く、当時開国の嵐にさらされていた横濱を売り出すことに必死であった当時の状況と神奈川県の思惑を知ることとなった。でも、それを詳しく書くことはむつかしく、ただWikipediaの一部分を引用するにとどめる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E5%8B%A2%E5%B1%B1%E7%9A%87%E5%A4%A7%E7%A5%9E%E5%AE%AE )。Wikipediaは言う。
 「伊勢山皇大神宮(いせやまこうたいじんぐう)は、横浜市西区の神社。 天照大祭神を祭神とし、桜の花が社紋である。横浜では「皇大神宮(こうたいじんぐう)」と称されることも多い。旧社格は官幣国弊社等外別格、後に県社。神奈川県宗社、また横浜ならびに横浜港の総鎮守とされ、「関東のお伊勢さま」「汽笛の聞こえるお伊勢さま」としても知られている。 その漢字表記から、詳しく知らない者が「いせ さんのう だいじんぐう」と呼称することがあるが、上述のように誤りである。 (・・・中略・・・)
 1870年(明治3年)、一寒村であった横浜が開港場となり、貿易の街として急速に発展した。神奈川県はキリスト教を始めとする外来文化に接する横浜の精神的支柱とするために神社信仰の確立が必要と考えた。 そのため、武蔵国の国司が勅命によって伊勢神宮から勧請したと伝わる、戸部村海岸伊勢の森の山上(筆者注:掃部山公園近く)の神明社を同年4月に現在地の野毛山に遷座し、横浜の総鎮守とした」、さらに伊勢神宮との関係についてWikipediaは次の様に言う。
「1875年(明治8年)に神奈川県は太政官に対し、伊勢山皇大神宮を伊勢神宮の別宮へと昇格するように願い出る。神宮別宮への昇格は、鎌倉時代元寇の際の風日祈宮・風宮以降は例が無く、審議の後に6月28日付けでこの申請は却下された(『神奈川縣伊勢山皇大神宮を伊勢神宮の別宮となさんことを請うを允さず』太政類典)。しかし、明治7年1月に神奈川県により伊勢山皇大神宮の表参道に建立された『横濱伊勢山碑』には『神宮別宮』と刻まれており、同年2月23日発行の横浜毎日新聞968号には、付録として碑の全文が掲載されていた。この碑は、今も表参道大鳥居の横に残されている」また、社殿についても次のように述べられており、「本殿:茅葺の神明造。2018年(平成30年)に創建150年の記念事業の一環として、伊勢神宮から内宮(皇大神宮)の旧西宝殿を下げ渡され、伊勢にあった姿のままに移築されたもの。伊勢神宮においても重要な社殿である西宝殿が、その姿のままに移築をされたことは殆ど前例がないという。また横浜中心部において、茅葺屋根の再現が許可されたことも特例である」とされ、伊勢神宮との関係を必死につないでいこうとする強い願望を感じることができて、興味深い。

 そんな伊勢山皇大神宮の姿が1枚目の写真である。もともと野毛山と呼ばれていた丘陵に建っており、崖を意味する”野毛”山に建つとすればこうなるしかないという姿である。あの広大な敷地に建つ伊勢神宮に倣うわけにはいかないのであろう。その横を回ると本殿と同じ形の建物がもうひとつあった。前のものが伊勢神宮から贈られたもののように感じた。この傾斜地に建つ社殿としてはこれ以上の大きさもまたかなわぬであろうか。その高さからはかって埋めたてられるまでは海岸であった紅葉坂方面や桜木町方面はよく見え、当時入港してくる外国船などがよく見える場所として選ばれたという新しい”伊勢山”の眺望の良さが分かる。私は等々力渓谷のブログを書くときにはじめて、野毛という言葉は”崖”を意味すると知ったが、ここに来て初めて”野毛”の本当の実物を見た感じがして楽しかった。
 さて、そこから数分も歩かぬところになんと横浜成田山があった(2枚目の写真)。正式には成田山 横浜別院 延命院(通称は野毛山不動尊、横浜成田山)である。Wikipediaによれば(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%90%E7%94%B0%E5%B1%B1%E6%A8%AA%E6%B5%9C%E5%88%A5%E9%99%A2%E5%BB%B6%E5%91%BD%E9%99%A2 )、横浜成田山を建設したいという想いは伊勢山皇大神宮の場合と同様に1870年(明治3年)から始まっており、6年後にこの地に移され、その延命院という寺号は成田山新勝寺の塔頭の延命院のそれを移したものとされる。そこには当時天保の改革で江戸払いされていた7代目市川團十郎がしばらく居住していたとされる。その延命院でお参りをさせていただいたが、私の頭は典型的な日本人で神様も仏様もありである。
 上の話題を含めてこの地の明治初期からの動向はなかなか興味深いが、このブログをあまり長くするわけにはいかないのでもう下山したところの話にしたい。急坂を下って驚いた。そこは野毛大通りで、通りの向こうには”野毛中央通り入口”とある。なんのめぐりあわせか年末にも来た野毛飲食店街の入口のひとつである。でも、よく見ると大通りのこちら側にもいろいろな建物が並んでおり、その中になんと「横浜にぎわい座」があった(3枚目の写真)。
 これも調べてみると面白い(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%AA%E6%B5%9C%E3%81%AB%E3%81%8E%E3%82%8F%E3%81%84%E5%BA%A7 )。Wikipediaによれば、横浜開港以来日本中から人が押し寄せ、この地区には多くの寄席や芝居小屋が立ち並んだという。しかし昭和初期から新しい娯楽が台頭すると芝居小屋などは徐々にすたれていったらしい。その再建に力のあったのはこの地で育った桂歌丸らであったという。2002年にその「横浜にぎわい座」が建設され、最初の館長は玉置宏、二代目は桂歌丸であったが昨年亡くなられた。三代目は未定とのことである。入口にある寄席などの予定を見ると(3枚目の写真)、現在活躍中の多くの芸人の出場が予定され、好況のようである。是非とも一度ここの寄席を楽しませていただきたいものである。
 このお正月にはよい場所との出会いがありうれしい限りであった。4枚目の写真は、桜木町駅の観光案内書でもらった”昭和の臭う街 野毛”というエリアマップの、伊勢山皇大神宮から私の好きな野毛飲食店街を縦に長く切り取った地図の写真である。一番上の伊勢山(旧野毛山)に伊勢山皇大神宮があり、その下に横浜成田山、そして崖のような道を下って野毛大通りに横浜にぎわい座、さらに道路の反対側には野毛飲食店街が広く広がっている。私の好きな店”末広”は、野毛柳通りと野毛小路の交差するすぐそばにあり、また行きたいものである。

 私がこちらに引っ越してきて5年目だが、神奈川県を野毛飲食店街中心から、等々力渓谷、この伊勢山となんだか”野毛”というキーワードで動き回り、それぞれの成り立ちを薄々理解できるような頭の状況になり、すごくすっきりしてきたのをうれしく感じている。さらに、ペリーの来航により開国・開港を迫られた明治初期に、横浜は現在に至る原型を作らざるを得なかった理由が分かるようで興味深い。

TBSテレビ「サンデーモーニング」で特集された『技術革新』と『グローバリズム』からチョット考える

  • 2019/01/06 17:10

 新しい年の1月6日の朝、TBSテレビの「サンデーモーニング」が新春スペシャルの中で「技術革新」と「グローバリズム」についての様々な考え方を特集していて、大いに参考になった。それを聞きながら思いついたことを、特に情報の混乱について少しだけ書いておきたい。

 「グローバリズム」はもとをただせば、自国での利益確保に限界を感じるようになった先進国が、発展途上国を巻き込んで新たな利益獲得を模索する中で出てきた概念で、結局はそれによって想像もできないほどの富分配の格差と人間の分断をもたらしたことは間違いない。ここではそれはこれ以上述べない。
 一方、「技術革新」の中では急速に発達した情報伝達速度の向上と情報発信の手法や器具(パソコンから携帯電話、そしてスマートフォン)が一般大衆にも広がって爆発的な情報の洪水が引き起こされている。ここには二つの問題があるように思う。ひとつは、情報の洪水は誰が止められるのか、もうひとつは、情報の短文化、つまりは情報の細切れ化である。
 最初の情報の洪水であるが、ここに至るまでは、まあある意味昭和の時代までは、両手で数えるほどの新聞社やそれよりはるかに多いがそれでも数えられる程度の出版社であったのであろう。しかし、彼らは不特定多数の一般大衆に対して開かれていることからそれなりの規範を守ることが要求されており、情報の無意味な、あるいは悪意に満ちたようなものの拡散にはそれなりの歯止めがかかっていたと私は思っている。ちょうどそれは、科学研究の論文が誰もが出せるものではなく、論文の発行を担当している雑誌社がその論文内容分野のそれなりの権威に発行する真実性と価値があるかどうかを確認する「査読」という制度を機能させることが行われてきた。それによって論文内容の確実さがある程度担保されてきた長い歴史がある。私なども何度も投稿論文が付き返された苦い経験があり、ときには”Journal of Rejected Papers"という雑誌はあったらいいのにとよく愚痴をこぼしたものである。つまりは、研究業績の厳しい競争に悪意を持って立ちふさがろうとする悪意ある権威の存在などもあったからである。でも、この制度はよく機能したと考えている。

 しかし状況は、「技術革新」と「グローバリズム」によって一変した。私を含めてだれもがホームページやブログなどによって自分の考えなどを公開することができるようになったのである。かっての数えることのできる新聞社や雑誌社数の比ではないのである。人の数以上に発信元があるのである。このことに輪をかけているのがSNS(Social Network Services)の爆発的な展開である。様々な種類があるが、私が知る限りで最も現在私の目に触れるのはTwitterであろう。これはTweet/つぶやくという英語から来ており、かっては140文字に制限されていたが昨年だったか280文字まで(英語で、日本語はそのまま)字数制限が緩和された。このSNSを多用する米国のトランプ大統領などの投稿を見るとやはりつぶやいている程度の文字数しか使われていない。これ以外にもさまざまなSNSの種類があるが多かれ少なかれ使われている字数はTwitterと同程度と言われ、多くはチャットのように使われているらしい。
 それでは簡単なことしか書いていないかと言えば、トランプ大統領の書いているものを見ればわかるように世界を動かす、時には世界を震撼させる政策を発表してくるのである。もちろん、その背景が詳細に書かれているわけではなく、いや書く文字数がないメディアを使っているから当たり前のように書かれていないのである。では、どうやって理解すればよいのか?理解はできない!私から見れば、彼の頭も分断されているに違いないと思っている。
 このようなことはトランプ大統領だけに限らない。日本の安倍首相がビックリするような政策を決めた時にはTwitterも出ていないようである。私たちの耳や目に届くのは、テレビのニュースか新聞である。たとえば、商業捕鯨再開決定や新元号の発表は4月1日に、などというごくごく最近の決定は誰がどこで決めた?日本は大統領制ではないがきっと安倍首相に決まっている。では国会はどうなっているか?閣僚は何をしているのか?全然わからない。このような現象は世界中で同様に起こっている。決まったことは出てくるが、その過程や議論の内容は出てこないから背景が分からない。感覚で物事を動かしてもらっては困る。
 要するに、無数にある情報発信元から出てくる情報は議論の対象ではない形にならざるを得ないのは、発言そのものが細切れにされチャット化される運命であることに起因するように思える。私もブログを書くが、それを時々読んでくださる方々がおられてうれしい。それでもしばしば私のブログは長すぎるとおしかりを受ける。私は物事を一刀両断に切り裂き、相手にものを言わせぬ結論を書き記すだけの自信はない。そのためできるだけ言いたいことを説明しようとすると文章が長くなるのである。でも、そこに考える余地が出てくることをうれしく思っている。これは自分への思いやりであると思うし、先々他人への思いやりにつながるだろうと考えている。現在の最大の問題は他人への思いやりの入り込む隙間がなくなってしまったことのような気がする。このことに薄々みんなが気付いて初めて情報の混乱が止まるきっかけが生まれるような気がする。ここに述べた「他人への思いやり」は、本日のサンデーモーニングで法政大学総長田中優子氏がポツリと最後に述べられたような気がする。私がいまの私のやり方を崩すことはこの先もなさそうである。

追記:SNSの爆発的普及は考えることの細分化を伴う議論不足をもたらすだけではなく、読み手にとっては長文を読む習慣をなくし、短文以外には近づかない習慣を醸成することが恐ろしい(2019年1月7日)。

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