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2019年07月の記事は以下のとおりです。

沖縄「慰霊の日」と直木賞受賞作品「宝島」との間で

  • 2019/07/20 14:34

 私の中で学生時代からくすぶり続ける沖縄問題。なにかをしなければと思いつつ何もできないもどかしい長い年月が続いてきた。だからと言ってここに何かができると書くわけでもない、相変わらず何もできないことに変わりはない。でも、なにかを書いておきたい。そんな気持ちにさせてくれた偶然に出会いを機に少しだけ書かせていただく。

 今年の3月23日、東京で毎年の出身高校(三重県)同級生の集まる同窓会があった。少しずつだが参加者が減りながら、80歳に届こうとする仲間たちは皆さんそれなりに元気で楽しい近況報告をしながらお酒と美味しい食べ物をいただきながら楽しい時間を過ごすことができた。その会の後半のこと。主催者から思いがけない報告があった。それは今年の直木賞受賞作品の「宝島」(真藤順杖著、講談社)の作者がこの同窓会に参加されておられる方の息子さんだというのである。おまけにその方は私の隣に座っておられたご婦人だったのである。しかも主催者は、その受賞作品の本が一冊あるのでそれを後で欲しい人に抽選で差し上げるというのである。
 私は偶然にその本が受賞した日のテレビニュースで簡単ではあるがその本について紹介された内容を聞き、ぜひ読んでみたいと思いながらあまり小説を読む習慣がないことから二の足を踏むことになっていた。しかし、同窓会会場での10回以上か20回以上かと思われた抽選(ジャンケン)でなんと一度も負けることなくジャンケンを制してその分厚い、細かい活字で541ページの恐ろしい長編小説を手に入れることになった(1枚目の写真)。そして、帯に書かれている次のような文章が私をひきつけた。「沖縄の米軍基地から物資を盗み出す”戦果アギヤー”は年端もいかない少年少女たち。『生還こそがいちばんの戦果』と言っていたリーダーがある夜、突然消えた。日本のいちばん熱い青春時代がここにある。」、「基地から持ち出された”予定外の戦果”と”英雄の行方”奪われた沖縄(ふるさと)を取り戻すため、少年少女たちは立ち上がる。」
 これまで三度沖縄を旅した私にとっても、沖縄語(方言)を駆使したこの小説を読みこなすのは並大抵ではなく、1か月半かけても半分も読むことは難しかった。それでも、この読書を通じてあの沖縄の人々の4人に1人が亡くなられ、沖縄全体が焦土と化した沖縄戦の悲しさとその後の米軍統治による悲惨な現実、特に米軍人・軍属による生き残った人々に対する悲惨な事件や数々の飛行機事故などに対する憎しみを理解するのは難しいことではなかった。まるでこの小説はこれらの過程のドキュメンタリーテレビを見せてくれているような感じであった。
 ちょうど「宝島」を読み進んでいた6月23日、恒例の「慰霊の日」(沖縄全戦没者追悼式)が沖縄県糸満市摩文仁(まぶに)の平和記念公園で執り行われた。そして幸いにも私はそこでの玉城デニー沖縄県知事の「平和宣言」と安倍首相の来賓あいさつ、それに小学6年生の山内玲奈さんの「平和の詩」をラジオで聞くことができた。そこで最も感動したのは山内さんの詩の朗読であったが、最も違和感を感じたのが安倍首相のあいさつ、そして最も足を地につけて問題点を指摘したのが玉城デニー知事の平和宣言であったように思う。それはまだ終盤に差し掛かってはいなかったが「宝島」を読み進めていたことと関係があった。

 翌日6月24日の読売新聞朝刊を見て驚いた(2、3枚目の写真)。なぜか一面には「慰霊の日」の記事はなく、2面に2枚目の写真のような記事、そして3ページに社説があった(3枚目の写真)。その2枚目の記事には安倍首相が沖縄の基地負担の軽減を述べたこと、また玉城デニー知事は「普天間飛行場の一日も早い除去と、辺野古移設断念を(政府に)強く求める」と述べたと伝えている。しかし社説において読売新聞は、玉城氏は、辺野古移設妨害よりも県民の暮らしの向上に、政府と協力して沖縄の未来を見据えた政策を進めることが求められると、主張している。
 このような新聞記事は私に強い違和感を抱かせた。というのは、私は「慰霊の日」の玉城デニー知事の「平和宣言」を聞いていたからである。玉城氏がほぼ冒頭に語ったのは沖縄県民が日常的に感じ続けている生命への不安についてであり、それに関して必須だと主張している日米地位協定の見直し要求部分が全く触れられていないからである。そこで知事のその平和宣言全文の最初の部分を琉球新報から引用させていただく(https://ryukyushimpo.jp/movie/entry-941524.html )。

  「復帰から47年の間、県民は、絶え間なく続いている米軍基地に起因する事件・事故、騒音等の環境問題など過重な基地負担による生命の不安を強いられています。今年4月には、在沖米海兵隊所属の米海軍兵による悲しく痛ましい事件が発生しました。
 県民の願いである米軍基地の整理縮小を図るとともに県民生活に大きな影響を及ぼしている日米地位協定の見直しは、日米両政府が責任を持って対処すべき重要な課題です。
 国民の皆様には、米軍基地の問題は、沖縄だけの問題ではなく、我が国の外交や安全保障、人権、環境保護など日本国民全体が自ら当事者であるとの認識を持っていただきたいと願っています。
 我が県においては、日米地位協定の見直し及び基地の整理縮小が問われた1996年の県民投票から23年を経過して、今年2月、辺野古埋立ての賛否を問う県民投票が実施されました。
 その結果、圧倒的多数の県民が辺野古埋立てに反対していることが、明確に示されました。
 それにもかかわらず、県民投票の結果を無視して工事を強行する政府の対応は、民主主義の正当な手続きを経て導き出された民意を尊重せず、なおかつ地方自治をも蔑ろ(ないがしろ)にするものであります。」

 つまりここで述べられていることは、米軍人・軍属による度重なる事件で県民は日常的に強い不安を感じており、沖縄返還を経てもなお沖縄県側が有効な捜査や裁判をおこなうことが許されていないことから、日米両政府が責任を持って見直すべきことではないか、との知事の強い要求であると私は感じました。つまり、日本政府は沖縄県民が日常的に強く感じている、”沖縄返還は全くの偽の本土並み返還”だとの県民の実感を全く理解できていないということである。

 このように私が強く感じるのは、「宝島」を読み終わったいまも同様に、この全編にわたって米軍人・軍属と沖縄県民との厳しい戦い、それが沖縄の日常茶飯事であり、残念ながら沖縄県民の強い怒りの対象であることで表現されている。もちろん、このようなことだけが直木賞受賞作品「宝島」のメッセージではない。拙速な私の判断としては、「命」の尊厳、「命」のつながりなどのことは宗教的な語りをも通じて表現され、戦果アギヤーの戦果の最たるものは「生還こそがいちばんの戦果」という言葉に尽きるのであろう。これが「宝島」を通して作者が主張したいことではなかっただろうか。しかし、これっぽちのことしか言えないのは、あの膨大な執筆という作業を考えると作者に申し訳ない気持である。
 それにしてもここに紹介した新聞報道に深い違和感を感じると同時に、この「宝島」が直木賞受賞に決まった夜のニュース番組で、いわゆるニュース番組「zero」がこの受賞決定を一顧だにしなかったことを知り、驚愕した。しかしそれよりも、年端もいかない少年少女が当時の沖縄の状況に怒り狂い、戦果アギヤーに身を投じる状況であったことを、私自身がこれまで知る由もなかったことはもっと悲しい現実である。
 なお、写真はクリックで拡大してご覧ください。

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