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桂浜、坂本龍馬、フクちゃん、そして仁淀川

  • 2014/11/15 18:07

 元来出不精の私であるが、格好よく言えば現役時代は職場と宿舎を往復する毎日を過ごしてきた。そんなことで関西の仲間と言えなくもない四国も私にとってはそれほど近い存在ではなく、何年か前にやっと四国北部を少し訪れたくらいである。その四国がますます遠ざかる日を間近に控えて、四国南部の代表的な景勝地である桂浜と、その帰り道に香川の金毘羅さんを訪れることにした。その簡単な日記を下に記しておきたい。まずは高知から。
 早朝に自宅を出て車で明石大橋と大鳴門橋を経由して一直線に走り、昼頃には高知・桂浜に到着した。桂浜そばの小山には高さ5.3メートルの坂本龍馬の銅像がある。その場所から桂浜の広い砂浜のある方向を眺めたのが1枚目の写真である。かなり逆光であまり良い写真ではないが、その浜辺の雰囲気を感じることができる。そして2枚目の写真は、龍馬像に近い浜を撮ったものの組み写真である。海の色は素晴らしくきれいなブルーで、9年前に訪れたハワイの海の色に似ている。龍馬はこの海を見ながらそのかなたの欧米列強のことを考えていたのであろうか。
 そんなきれいな海が眼下に広がる桂浜の小高い所に坂本龍馬の銅像が立っている。まさに立っているというにふさわしい高さ5.3メートルの像で、昭和3年に高知の若い人たちの呼びかけで作られたという。懐手にブーツという有名な格好で、きれいで果てしない海原を見つめている姿はこの地にふさわしい。ちょうど訪れた時には“龍馬に大接近”と称して銅像のそばに、龍馬像の高さのやぐらを組み、そこまで上るイベントが行われていた。なかなかの商魂であるが、そこからの銅像と桂浜と海の眺めは抜群であった。その龍馬像を含めて組み写真にしたのが3枚目の写真である。
 この銅像の近くには「坂本龍馬記念館」もあり、在りし日の龍馬の人となりとその活躍を垣間見ることができる。この人がいなかったら、幕末から明治への明治維新はどんな形になっていたのだろうかと思うほど大きな存在だったように思う。そんなことを想いながら桂浜に別れを告げ、高知市文化プラザ「かるぽーと」にある横山隆一記念の「まんが館」を訪ねた。言わずと知れたフクちゃんの作者である。
 私たちの年代でまんが「フクちゃん」を知らぬ人はいないであろう。936年に誕生してから1971年の連載終了までのなが~い間人々を楽しませた横山隆一は高知生まれの漫画家だったのである。高知は多くの漫画家を輩出したところであるらしいが、それは彼に負うところが多かったようである。彼のまんが心とは“まんがとは話しかける画(え)なり”ということのようで、彼は当時の漫画家集団である「漫画集団」を立ち上げ、まんがのみならず絵本、油彩画、水墨画、アニメーション、さらには多くの多彩な遊びを通じて92歳で亡くなるまで破天荒な活躍をつづけたことが、訪れたまんが館で理解できた。何とも楽しい展示館だった。皆さんに是非一度訪問されるようお勧めしたい。
 まんが館を堪能して宿泊地である伊野市に向かった。ホテルはうれしいことに仁淀川のそばのちょっとした高台にあった。四国には大きな吉野川、仁淀川そして四万十川があり、その中でも仁淀川は水質の良さや生態系の豊かさ、そして水辺の利用率など四国のみならず全国の河川の中でもトップクラス、あるいは一番と言ってよい川であることをなぜか知っていたからである。特にその水の美しさは、NHKスペシャル「仁淀川 ~青の神秘~」で知らされていた。
 朝早く起きて窓を開けると、眼下の仁淀川に掛かる二本の橋と川向こうの山に見事な霧が様々に流れていて心を惹かれた。その写真が4枚目の組み写真である。その一枚の鉄橋には電車が走っている。朝食後そのホテルを離れて仁淀川の河原に降りると、そこにはきれいな水ときれいに洗われた様々な形の石に驚かされた。そこで前夜の夕食時の箸置きに使われていた石のことを思い出した。よく見ると河原には箸置きに使えそうな形の石がたくさん転がっていたのである。その石たちはいずれも非常にきれいに洗われていて、そのまま食卓に使っても問題ない様子で(事実私はすでに使っている)、そのことはこの仁淀川の水が本当にきれいであることを示していた。残念ながら現在、非常にきれいな水の流れる川は少ない。そんな石を探して過ごした時間は私にとっては心休まる時間であった。
 そして美しい仁淀川をあとにして一路香川の金毘羅さんを目指した。

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