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“出馬なら「処遇できないよ」”

  • 2018/08/30 12:16

 このタイトルは、一枚目の写真として出した7月26日の読売新聞記事の見出しである。これは9月に行われることが決まった自民党総裁選にまつわる話題であることはもちろんである。この記事の2日前にここに話題になっている安倍首相と岸田文雄政調会長は、東京・赤坂の日本料理店で会談し、上のタイトルのもとになる「(総裁選に)出たら、処遇はできないよ。私を応援してくれる他の派閥に示しがつかない」(記事の中の黒の傍線)との最後通告が安倍首相から岸田氏に突き付けられたと言われる。その会談の2時間後、安倍首相は煮え切らない岸田氏の態度に写真の赤い傍線のように「戦った相手が分け前を得られないのは、戦国時代から続いていることだ」と周囲に漏らしたようである。なんと政策決定・遂行に欠かせないはずの閣僚人事などは(そうは言っていないが・・・)、戦国時代における領土の安堵や分け前などと同様に総裁選への貢献の度合いなどであるらしい。
 この会談の翌日、岸田氏は総裁選不出馬を表明し、その翌日に読売新聞はこの写真の記事を配信した。このあからさまな記事は、しかし、巷で問題になったとは思えない。むしろ一般的にはこれは当然のように行われていることと知れ渡っていることだからである。さらに、この赤い傍線の後に次のような記載がある。それは、この安倍ー岸田会談の2日後、銀座のステーキ店で安倍陣営の中核をなす麻生太郎副総理兼財務相や二階俊博幹事長と彼らの取り巻きが集合した席で麻生氏が過去の総裁選を引き合いに、「負ける候補の推薦人は冷遇されるんだ」と言い放つと場は大いに盛り上がったとある。
 このように会談の様子が詳細に漏れ出し、かつその報道が問題にならない背景には、その内容が巷に流れることを承知の上でのリークとなっているからである。このような報道は必ずしも批判されるべきでもなく、ある意味で現実をありのままに伝えているに違いない。そして、このような報道であからさまに見えてくることは、政治の世界は明らかに既得権益の行使、別の言葉でいえばパワハラ(パワー・ハラスメント、字数を減らすためパワハラと書くことを許していただきたい)が横行する空間であることを示している。しかし一方で安倍首相などが大きな政策の柱として既得権益破壊を声高に叫び、その一つとして特別区設置を通しての加計学園による獣医学部設置などとはどのように整合するのであろうか。政治の世界では「論功行賞」と言う言葉がよく使われる。彼こそパワハラを悠然と実行する張本人ではないのか?

 このように既得権益を守ろうとする行為は、我々自身の日々の生活の中に当たり前のように流れている。そんなことは一つ一つ潰していかなければならないのだろう。今年は特にそんな現実を暴露する行動が目立ち、私もすでに書いた日大のアメリカンフットボールの指導者の巨大なパワハラ、女子レスリング界でのパワハラ、セクハラ(セクシャル・ハラスメント、以下同様にセクハラと書く)、ボクシング界でのパワハラ、あまりはっきりはしないが女子水球会・体操界でのセクハラやパワハラなど枚挙にいとまがないほどである。そして驚かされたのが東京医科大学の女性受験者や3,4浪人生に対する減点操作で、特に女性への一律減点操作は明白なセクハラであるとともに、長期間にわたる男性上位の社会を背景にしたパワハラであることは明らかである(2枚目の写真、8月2日の読売新聞)。
 現在世界中でカトリック教会聖職者までを巻き込んで吹き荒れるセクハラやパワハラは、この社会構成の根本に潜む問題であることは明らかである。私自身も長い大学生活の中でのパワハラやセクハラの場面に遭遇したことは何度もあったと記憶している。しかし、その全てに間違いのない対応を徹底することの難しさに悩まされたのを覚えている。特にセクハラについては、最後の職場でそのガイドライン作成に関係して初めて理解できたことも多く、私とてこれからもセクハラやパワハラに対して試行錯誤が続くことは確実である。この意味で、東京医科大学における入学試験の不正(女性の入学を制限することなどを明らかにしないで行っていたことは“不正”以外の何物でもない)は、確かに女性医師の勤務実態の問題を避けて通れないことはもちろんであるが、だからと言ってその問題の解決を回避して女性受験生をあからさまに冷遇することは許されない。大学入試にまつわる問題はこれだけではないことは明らかで、いずれ明らかにされるのであろう。

追記:
 昨日あたりから体操協会におけるパワハラの問題が紛糾し始めた。これも厄介な問題のようだ。これはセクハラの問題ではなさそうだが、上に挙げたセクハラの問題などを含め、これらは世界的に見て女性陣の復権をかけた宣戦布告あるいは反乱だとみて差し支えないであろう。09/01/2018

鎌倉幕府はなぜ鎌倉に?

  • 2018/08/11 23:13

 関東に引っ越して4年目。しかしいまだ鎌倉に足を運んだことはない。なぜか?高校で歴史とりわけ日本史を全く勉強しなかった私には鎌倉という場所がとんとイメージできないところだからだ。それなら行ってみればよい。その通りだ。幸いしばらく前にNHKの走る”旅ラン”番組で、北鎌倉からよそ見しながら10キロを走るのを見ていると無性に行ってみたくなったのである。その興味の理由は、かって大学に入りたての頃は地理になぜか引かれていたからで、それをいまくすぐられたからであった。でも、タイトルのような質問は、子供が訊くようなことだが、まあ、幼稚なことと諦めてブログを書くことにする。

 鎌倉についてWikipediaに訊くと次のように言う。
 「鎌倉の市街地は東・北・西の三方を山で囲まれ、南は相模湾に面した天然の要害である。東・北・西のいずれから鎌倉に入るとしても「鎌倉七口」と呼ばれる、山を切り開いた狭い通路(切通し)を通らねばならず、防御のしやすい土地柄であった。鎌倉幕府初代将軍の源頼朝がここを拠点としたのは、父祖ゆかりの土地であったこととともに、こうした地理的条件による部分が大きかったと思われる。市街地の北西には源氏山(92メートル)があり、山並みは高徳院(鎌倉大仏)の裏手を通って稲村ヶ崎まで伸びている。市街地の北から東にかけては六国見山(147メートル)、大平山(159メートル)、天台山(141メートル)、衣張山(120メートル)などの低い山が連なり、逗子市との境に当たる飯島ヶ崎、和賀江島(わかえじま)方面へ伸びている。市街地周辺の山はいずれも標高100~150メートル程度だが、標高の低い割には急坂やアップダウンの激しい山道が多いとされ、市街地北方の尾根道には「鎌倉アルプス」の別称がある 」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8E%8C%E5%80%89#長谷、腰越、深沢、大船)。

 1枚目の写真は、今回訪れた寺院のパンフや入場券(鶴岡八幡宮のはなくした)で、あとで簡単にではあるが説明する。2枚目の写真は、私の興味の対象に関するデータである。上の説明に関するものの一つはこの組み写真の左下にある航空写真である(Wikipediaの記事からの引用)。黒く見えているところは低いとはいえ山岳地帯であり、そこを越えることなく海岸地帯の平地に入り込むことはできない。そこを通れるようにするためには山岳地帯を切り開くことが必要で、それが「切通し」と呼ばれる狭い道である。きわめて狭いところを広げて道にするか、あるいは岩盤に穴をあけて道を作るかである。この2枚目の写真に3枚の切通しの写真があるが、このような狭い道を通って大軍を送り込むことは難しく、また南側は相模湾に面しており当時としてはきわめて安全性の高い地域であり、幕府を置く格好の領域であったことは私にはよく理解できた。この話はまたあとで述べる。
 話は少し遡って、横須賀線の北鎌倉駅で下車したところに戻りたい(3枚目の写真)。この有名な観光都市にこんなかわいい駅があるとは想像もしていなかった。そこからわずか数分のところに大きな円覚寺がある。北条時宗が眠るところではあるが、もとは蒙古襲来で戦没した多くの霊を敵味方なく弔うことであったと言う(1282年創建)。アジサイで有名であるがすでにほとんど終わっていたのは残念であった。そこからわずか数分のところに明月庵とも呼ばれた明月院がある(4枚目の写真)。ここはアジサイ寺と言われるほどアジサイで有名であるが、ここもほとんど終わっていたがこの組み写真の中に一枚入れておいた。ここで私の見たいものが見えた。それはこの鎌倉(旧鎌倉)を取り囲んでいる岩盤である。やはりここ明月院を取り囲んでいて、あまりもぐりこんで写真を撮ることを控えたためわかりにくいが、その岩盤をほこらのように削って墓室としているようである(明月院やぐら)。そこは創建者と言われる関東管領上杉憲方の墓室であるともいわれる。そのような鎌倉の地形・地理の情報を自分の目で確かめられて私は満足した。
 この明月院あたりは鎌倉の北側で、少し坂を上り切通し(2枚目の写真)を通って海に向かって平地の方に歩くことにした。歩くこと数十分で鎌倉駅に近い鶴岡八幡宮のところに出てゆっくり参拝した。5枚目の写真の上2枚にその写真を出したが、2010年3月の強風によって樹齢800年とも1000年とも言われた巨大な銀杏の木は倒れいまはその勇姿はない。現在新しい芽をとって育てていると言う。
 その後「小町通り」で昼食にそばを楽しみ、そこから江ノ電に乗って長谷駅まで行き、坂東三十三箇所観音霊場第四番札所の長谷寺に立ち寄った(写真は5枚目の下2枚)。そこで、素晴らしい巨大な木造十一面観音立像をしばし鑑賞したあと再び江ノ電に乗り、藤沢に出て小田急江ノ島線で帰宅した。この小旅行を実行したのは暑さも絶好調の7月12日であったが、たまたま少し雲もあってなんとか歩きとおすことができた。とにかく、分からなかったことが自分の目で確認して理解できるというのは気持ちが良いものである。
 なお、写真はクリックで拡大して、またスマホならさらに拡大してご覧ください。

日本代表のFIFAワールドカップロシア大会は、多くの余韻を残して終わった

  • 2018/07/09 10:11

 いろいろ考えさせられたFIFAのワールドカップだった。しかし、とにかく、感動もしたし、涙にもくれたロシアでの4試合だった。その意味では、私たちに充実した時間を下さった日本代表チームに心から感謝したい。

 ヴァヒド・ハリルホジッチ監督の元、とにもかくにもワールドカップロシア大会への出場権を獲得し、大会開始まであと2か月と迫った4月7日、思いがけない監督解任が日本サッカー協会田嶋会長から発表された。そして後任には西野朗氏が就任し、新監督はトライする国際親善試合はわずか3つという苦境にさらされることになった。そのような状況からいかにして這い上がるのか、ほとんど試行錯誤するチャンスすらない中でいかなる結果をロシアで残すのか、世界中が見つめる中でのワールドカップであった。
 当然のことのように、国内の意見はもちろん国際的な評価も低く期待薄という状況で、H組のコロンビア、セネガル、ポーランドなどの強豪たちと如何に戦うのかが焦点でなった。そして、素人である我々に一縷の望みを与えてくれたのは、6月19日のグループリーグ初戦の対コロンビア戦の開始わずか5分で見せた大迫選手や香川選手の闘う意志を明確にした振る舞いであった。特に最近表に出ることは比較的少なく、どちらかといえばゲームをコントロールする黒子に徹することが多かった香川選手の驚くほど果敢な姿勢が、前線での大迫選手の頑張りをシュートに表現し、思わず手を出した相手バックスのハンドを誘い、レッドカードで退場、そしてPKを獲得して香川選手による先制点を引き出すこととなった。その後同点とされるも73分に、その直前に投入された本田選手のコーナーキックを大迫選手が見事にゴールにたたきこんで格上のコロンビアから勝ち点3をもぎ取った。それをもたらした攻撃的な姿勢と的確な西野采配は、西野ジャパンに大いなる希望をもたらした。香川選手のこのような振る舞いは決勝トーナメントのベルギー戦の立ち上がりにも見られた。これはきっと西野監督の考えを汲み取った香川選手からのメッセージだったのであろう。

 その後の展開も私たちを驚かせるとともにいまだかってないベスト8への夢を見ることとなった。グループリーグ第2戦でグループHで最強とうわさされた対セネガル戦では、二度のビハインドを圧巻の攻撃力を見せて追いついて引き分けグループ首位を維持した。しかし、最後に立ちはだかったのは当初最強をうわさされていたが2連敗を喫してすでにグループリーグ敗退が決まっていたポーランドであった。そして、最後に勝利への執念を見せたポーランドに1点を先取されたがそれ以上の失点をせず、もう1試合を同時刻に戦っているコロンビアが勝利すれば、新たに創設されたフェアプレイポイントでグループリーグを突破できることから、最後の10分ほどをボール回しだけに徹して攻撃を仕掛けないという西野監督の決断に基づく戦い方に賭けてグループリーグを2位で突破できた。この戦い方には様々な賛否両論があったが、どうしても決勝リーグで闘い、ベスト8への経験を積みたいとの強い希望がそうさせたのであったし、私もその戦い方には同意する。
 しかし日本チームは極めて消極的にグループリーグを突破したとの批判を見事に跳ね返すように、決勝トーナメントでは優勝候補と言われたベルギーをほとんどどん底まで突き落す戦いを見せた。日本は後半23分まではベルギーに2点差をつけていたが、そこから本気のベルギーが顔を見せ、延長突入までわずか数十秒という時点で逆襲され、わずか9.94秒のあいだに決勝点を奪われることとなった。まさに全く言葉の出ない最後であった。この25分間の戦い方についてはそれぞれがそれぞれに意見があると思うが、それは私ごときが語ってもしようがないことと感じる。ただ、ありがとう、素晴らしい戦いであったというだけである。

 最後に今回の日本チームの戦いで私にきわめて印象的なことがあったのでそのことを書いておきたい。このブログの主役は以下にある。そのことは、私が学生に講義をしてきた40年間の最後あたりにしきりに学生に言いたいことだったからである。そのためには大量のパワーポイントファイルを作成してきたが、それはこうゆうことである。ここ数日猛威を振るう豪雨のもとは”水”である。その水は熱を奪えば”氷”になるし、熱を加えれば水蒸気になる。つまり固体ー液体ー気体という異なるグローバルな状態をとりうる(それを模式図にしたのが講義用の5枚目の写真である)。鉄だって同じことであり、普通は固体であるが高い熱を加えれば溶岩のように流れる液体になり、さらに気体にもなる。あらゆる物質はこの3つの形をとりうる。つまりは、その成分を調べてみると(図には「要素化」と書いてある)水や氷や水蒸気の場合にはどれでももとはH2O(エイチ・ツー・オー)分子である。鉄の場合でももとは鉄原子(Fe)である。私たち人間社会の場合はヒトの集まりである。それぞれ顔は違うがヒトである。でもそれぞれが勝手な振る舞いをする集団もあれば、固まって動きのない集団もある。また全体が一つになって流れるように動く集団もあり、それぞれの存在様式の中にも細かい違いはいくらもある。これだけ言えばお分かりのように、ものが集まってひとつの塊を作る場合、その集まり方によって様々な性質をもったものが生まれてくる。つまりは、水分子ひとつ、鉄原子ひとつ、ヒトひとりだけ取り上げて調べても分かることは多くはない。私たちの世界は、同種のものでもたくさん集まると無数の存在様式が生まれる複雑な世界である。だから、雨、洪水、風、台風、竜巻、ダウンバーストなどなどどれをとっても簡単ではなく、むしろ理解できないことだらけの自然現象である。科学が進んだ時代などとんでもない。
 サッカーチームでもことは同じである。同じ体力、同じ技術水準のメンバーがどのような絆でどのような意欲で集まり、どのような指導者がそれをまとめるか、あるいは引っ張るかで全く違う無数のチームが生まれるのであろう。西野監督がハリルホジッチ前監督からチームを引き受けてから少したっての記者会見で、記者から不安はないかと聞かれ”ない”と何の躊躇もなく答えたのには驚いた。彼には何か特殊な能力、つまりなにが欠けているかの臭いをかぎとる能力があるような気がする。それを西野監督はコミュニケーション不足、意志疎通不足とかぎとり、それを補うために全体であるいは選手間で相当の議論を重ねたと感じられる。それに彼のきわめて攻撃的な闘い方を加えて、あっという間にランキング上位にも引けを取らないかもしれないチームに仕上げ、グループリーグの強豪に戦いを挑んだとみてよいのかもしれない。彼はガンバ大阪の監督だった2008年、FIFAクラブワールドカップマンチェスター・ユナイテッド戦では取られても取り返すという激しい戦いを挑んだことは有名である。
 西野監督がハリル後を引き受けた時、上のようなことをわかっていた私でもあまり期待することはできないと思っていた。しかし、ロシアの地でそれまでの日本代表とガラリと変わった代表を見て、やはりどこかを少し変えて意思統一を繰り返して編成し直すと全く違ったチームが生まれるのだという”あたりまえのこと”を実感することとなった。最後にちょっと変な話をひとつ付け加えさせていただきたい。魚の縦じまだったり横じまの違い、またキリンの斑点と豹の斑点の違いなどは、まったくごくわずかの違いであのような模様になるのだと理解できるらしい、とは言っても厄介な話ではある。

 最後にお詫びを。今回の新聞記事あるいは写真は多量で多彩で私の頭の中はごちゃごちゃである。したがって、ここに挙げた写真は半ば行き当たりばったりで、特に説明もしない。ご覧になる方は想像力を働かしていただきたい。ここにお詫び申し上げる。

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