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第20回記念大会の長野マラソンへ連続17回目の参加! しかし、なんと初のカメラマンとしてだった!

  • 2018/05/07 15:40

 オリンピックと言う名前の付いた唯一のマラソンイベント、長野オリンピック記念長野マラソンに初めて参加したのは62.5歳時の2002年4月14日で、記念すべき私の初マラソンは3時間57分01秒のサブフォーでした。驚いたことにそれから連続して17回目の参加となった今年の長野マラソンには、無念にも走れる身体での参加は叶わなかった。
 1枚目の組み写真をご覧ください(写真はクリックで大きくなる)。上は橋の上を東急田園都市線が走っている。そして下はその少し右側が映っていて新しいビルが林立している。この写真を撮ったのは多摩川河川敷の川崎市側、ビルが見えているのは東京都世田谷区側で、田園都市線の手前の駅は二子新地、向こう側は渋谷側の二子玉川である。この日は3月3日、この多摩川河川敷を会場としてTAMAハーフマラソンが行われた。1週間ほど前にそのコースを下見に来たときはそれほど感じなかったが、実際にスタートして何キロか走ってみるとそのコースの悪さには驚くばかりだった。聞くところによると昨年の二度の豪雨でコースが水没したためだと言う。しかも悪いことが重なったと言うべきか、当日はかなり調子もよくいつものペースより速いペースで走ってしまったことで問題を起こしてしまった。故障は右ふくらはぎに突然やってきた鋭い痛みで一瞬のうちに走れなくなってしまった。幾つになっても懲りない私である。
 結局それは右ふくらはぎの肉離れで、43日後に迫った長野マラソンに向けての佐藤治療院での必死の治療とリハビリもかなわず、ランナーとして参加することはできなかった。しかしその過程で、自分自身が治療とリハビリに積極的に参加でき、運動機能と体の構造、特に筋肉の配置との関係をより深く知ることができたという大きな収穫を得たことは高く評価したいと思っている。
 さて、今回も私と遊んでくれる若い人たち4人の仲間と参加することになっていたが、当日アクシデントで一人が脚を故障して不参加となり3人のランナーの写真を撮ることになった。群衆の中のたった1人のランナーを撮影するのも大変であるが、なんと3人も撮影することになった、そんなカメラマンとしての活躍を報告したい。なお、当日の気象データは、スタート時の気温は13℃で雨、風力0.3、2時間半後には12.4℃で曇り、風力3.0と強くなり、4時間後には風も収まり気温も13.8℃と上がり始めていた。

 私はこれまでも何度か大きな大会で複数のランナーを撮影してきた経験があるが、それを可能にするにはいくつかの条件がある。参考のために以下に記しておこう。まずスタート前に次のことをランナーに確認しておくことが必須である。①どのような色のシャツ、パンツ、シューズで走るのか、②帽子は見付けやすくするには大事で着用するのかどうかを事前に知っておく、③ランナーには走るコースのできるだけ中央部分を走り、決して大勢が応援する歩道側を走らないよう要請しておく、④当然のことだが、ランナーの当日の予定ペースを確認しておく、そして⑤あらかじめ撮影ポイントを決めておき、ランナーもその辺りに来たらカメラマンを探すようお願いしておく。これで終わりではない。カメラマンには非常に重要なことが二つある。ひとつは、撮影ポイントでは大勢のランナーが固まって走ってきても目標を見分けやすい場所をできるだけ探す。たとえば、今回の17キロ地点では少し下り坂で、なおかつ右にカーブしていてランナーを見分けやすいところで待った。もうひとつ重要なことはスマホでランナーを“ランナーズアップデート”と呼ばれるようなアプリによってポイント(およそ17キロと41.3キロ地点)への到着時間を予想することが必須である。私はガラケイなので遠く離れた神奈川にいる家族にスマホかパソコンでランナーを追跡してもらい、そのデータを携帯に送ってもらって撮影ポイントで待機した。合計40通のメールで情報を得たが、これが決定的に重要だった。
 あらかじめ対象者を紹介しておこう。50歳前後の3人で、A君は3時間30分にあと9秒と迫る努力の人で、B君は昨年私と同様暑さに負けて30キロでリタイアし、今年に雪辱をかけ、なおかつサブフォーを狙う苦労人である。C君はこの中で最もタイムがよくすでにサブ3.5で3時間25分を切りたいと密かに狙っていた。まず2枚目はA君の写真で、上の部分は私が17キロのポイントでの撮影場所がわかりやすい。大勢のランナーが坂を下ってくる場所である。下の写真はゴール直前の写真でちゃんと私を探し当ててくれてありがとうだが、かなりの疲労をうかがえ、タイム(ネット)は3:46:06と残念ながらサブ3.5には及ばなかった。3枚目の写真はB君のものだが、最初のポイントへの到着時間が予想より少し遅れたため、彼を見切ってゴール直前のポイントへ急いでバスで移動した。そのため写真はゴール直前のものだけである。彼は歩道側を走るという失態を犯したが、幸い発見が早く事なきを得た。しかも、驚くべきことに写真で見ても分かるとおりランニングの姿勢は私など真似できないほどきれいで、腰高の姿勢でさっそうとしている。しかし彼の後半の5キロごとのラップは、25キロまでが28:44、30キロまでが38:54、35キロまでが31:18、40キロまでが38:50。彼の最後の2.195キロのデータを計算すると、彼の最後のラップは31:21となり、さっそうたる彼の走りは理解できる。したがって彼の走り全体に言えることはラップの変動が激しく、安定した走りにほど遠いのはいささか残念である。そんなわけで今回のタイムは4:33:23で、そのばらつきを改善すれば来年はサブフォーを期待できるかもしれない。楽しみに待っている。
 4枚目はC君の写真で、17キロ地点での写真とゴール前の写真の2枚である。いずれもよい表情で写っているが、下の写真を撮る少し前の写真ではカメラマンを探すでもなく、ただただ遠いところを呆然と見つめながらひたすら走っている感じで、なにかゾーンに入っているというか無我の境地で走っていると感じた。それほど自然に体が動いていたからこそ自己ベストを3分半も短縮して3:22:32という素晴らしいレースができたのであろう。しかし、ここに出してはいないけど、ゴール前の写真をつぶさに見ると膝が曲がったままで走っている様子がうかがえ、下半身に上半身が乗っていない、つまり腰が落ちていると言える状態が見えてくる。腰の高さをもう少し上げて重力を使えるようにすればもっとタイムの大幅な短縮が期待できるかもしれない。この仲間にはC君をはじめ理屈好きが集まっているから、次の全体の反省会では(明後日だったかも)その辺りの専門的な考察を期待している。場合によってはいずれサブスリーもあるかも!!!
 最後の組み写真はゴール後のバスに乗るまでのひとときの写真である。三人三様で今回のレース結果を正直に映し出している。この中の女性一人は、サービス精神にあふれた高橋尚子さんである。この時間帯では、ゴール時は冷たい風が吹き寒々とした雰囲気であったのが一転して晴れ間がのぞき、風も収まり暖かくなってみんなの気分も落ち着いてきた。傘もいらないこんな天候の中で写真を撮りたかったが、それでもまあまあの仕事ができたと思っている。来年は走る側に回りたい。

 この後バスに乗って長野駅にたどり着き、厳しい反省会と盛大な打ち上げがあったのは言うまでもない。

スポーツは政治のオモチャじゃない!!!

  • 2018/05/05 18:58

 最近朝鮮半島情勢の急展開で思わぬことが当たり前のように起こっていて気分が悪い。2月の平昌冬季五輪でも突然の北朝鮮と韓国のアイスホッケーチームの統一チーム形成で驚いた。このケースもとっくの昔にエントリーは締め切られていたはずであったが、五輪は世界平和への貢献が目標であるとの決め台詞の中で突然のチーム名や構成の変更が行われた。これとて強引でその主人公である選手たちの完全な合意の上で行われたとはとても思われなかった。
 しかし今回の卓球の世界選手権団体戦での北朝鮮と韓国の合同チーム結成はもっとひどいものだ。すでに予選リーグが終了して決勝トーナメントが始まっているにもかかわらず、準決勝で直接対戦することになっていた両チームが、互いに戦いたくないとして合同チーム「コリア」を結成して準決勝に進むことになったのである。それを報道したのが5月4日の読売新聞の記事の写真である(1枚目の写真)。その最後にはこう書かれている。連盟は声明で「卓球はスポーツを通じて平和に貢献する手段であることを示している」

 その結果、お互い負けることなく3位決定戦を行わない大会のため準決勝に進出したチームとしてメダルが確定し、両国ともメダル獲得国としての名誉を得ることになったのである。この合同チーム結成についての複雑な事情についてもう一つの記事を読売新聞は書いている(2枚目の写真)。そこには連盟関係者は表立っての批判は避けてはいるが戸惑いは隠せないとしている。しかし、早稲田大の友添秀則教授(スポーツ倫理学)は「決められたルールを後から、特定の参加者に有利なように変更してしまった。スポーツそのものや大会運営の根本を崩す、ありえない行為。政治の状況とスポーツは一線を画さないといけない」と批判したとされる。かって読売新聞はスポーツの本質として「ルールの前の公平さだ」と書いている(http://www.unique-runner.com/blog/index.php/view/286 )。今回の件のどこにルールの前の公平さはあるんだろうか。
 繰り返さないが、誰にだってわかる当たり前の批判である。スポーツは政治に従属するものではない。それは文学や絵画や音楽などと同様に人それぞれが時には命がけで表現する文化の一つである。私個人が必死になって走ることもその例外ではない。なぜか最近政治はあらゆることに優先するかのような風潮があふれていて危険である。これまでの過去の多くの政治的行為がどれほど危険なものであったかは知らぬ人はいないであろう。その都度その時の政権も常にスポーツをその先兵に使い、何百万人もの犠牲を我々の先達に払わせてきたのである。馬鹿げたことをやるんじゃないよ、ただただ腹立たしい!

 幸いその合同チームと対戦した日本チームは、その両国のエースがそろった「コリア」に勝利した。いや、日本チームが勝ったとかはどうでもよい。二人目に登場した石川選手は、最後のゲームでジュースに入ってから三度もあったエッジボールの不運に負けなかった。日本の勝利が決まった後石川選手は涙を流していた。それは、突発的な合同チームの結成などで大きな心理的不安とプレッシャーを抱えてゲームに挑んだからだと言う。こんなありえないような苦しみを選手に与えるのは連盟のやるべきことではないであろう。そうでなければ、スポーツそのものが面白くなくなる。今回の決定は我慢の限界を超えているとしか言えない。IOCや連盟のお偉方が政治家として振る舞い、スポーツを品のない遊びに貶めることは止めていただきたい。

日本陸上長距離界に変革を迫る川内優輝、設楽悠太、大迫傑選手らと活躍の場だった箱根

  • 2018/04/19 11:30

 日本陸上長距離界の面々はもちろん、若い大学生から中学生までも含めて、さらに我々のような一般市民ランナーすべての耳目を奪い続ける公務員ランナー川内優輝選手(31才)が、第122回ボストンマラソンで日本選手として31年ぶりの優勝という快挙を成し遂げた。一枚目の写真は4月17日の読売新聞夕刊の記事である。2枚目の写真は、ネットにアップされたAP=共同の写真を使わせていただいた(https://www.nikkansports.com/sports/athletics/news/201804170000262.html?utm_source=headlines.yahoo.co.jp&utm_medium=referral&utm_campaign=20180417-00181798-nksports-spo)。

 私が川内選手に注目する理由は、ここ20年以上にわたって特にプロと目される実業団選手の低迷に対して川内独自のトレーニングや日常生活の送り方を通じてチャレンジを続けているからである。彼は埼玉県庁の普通の公務員である。彼は仕事をきちんとこなしながらハーフおよびフルマラソンで一匹狼としてトップクラスの成績を長年にわたって維持し続けているからであり、このことの難しさは長距離走に関心を抱く多くの人々が理解している。そんな特異な存在であることもあり、彼は日本のマラソン界をけん引していると言っても過言ではない。同様なことは女子マラソン界にもあった。およそ30年ほど前にいまも様々に活躍する谷川真理選手は皇居外苑をジョギングする一般市民の生活からマラソン界に飛び込み、長い間にわたって女子マラソン界をけん引してきたことがあった。沈滞した状況を打開するには何かの刺激が必要らしい。
 川内優輝選手は、仕事がフルタイムの公務員ということもありトレーニングの時間は大きく制限されている。そこで彼は通勤時間もトレーニングに使い、さらに各地で週末に開催されるハーフマラソンやフルマラソンを緊張したトレーニングの一環として参加することで持久力の養成やスピードアップを目指してきた。その成果と走力向上を表すように昨年は12度のフルマラソンを走り、また今年の1月1日には-17℃のボストンで行われたボストン・マーシュフィールド・ニューイヤーズデイマラソンで2時間18分59秒で走り切り、通算76度目の2時間20分切りを果たしてギネス世界記録と認定された。驚くべき数字である。彼はこのような真剣勝負のレースでの様々なタイプの世界の強豪との肌触れ合うような厳しい戦いの経験から、びっくりするような後半の逆転劇を演出するようになった。今回も、気温5℃で雨風の強い悪条件のボストンマラソンでも後半あと2キロでのあっという間の逆転劇だったようである。

 川内選手とよく似たトレーニングの仕方を導入したのは、今年の東京マラソンでこれまで高岡選手の持っていた日本記録を破った設楽悠太選手(26才)である。彼は東洋大学時代箱根駅伝で東洋大学の優勝の切り札役を果たし卒業後ホンダに所属した。そして数々の駅伝レースで活躍したのち2017年の東京マラソンで初マラソンを経験した。しかし後半に崩れてから新しいトレーニングにかじを切ったと思われる。それは川内と同様に決まりきったこれまでの練習内容に依存し続けるのではなく、実際のレースを緊張感のあるトレーニングと位置付けながらそこに活路を見出したようである。今年だけに限って東京マラソン2018以前のレースを見てみると次のようになる。1月1日の全日本実業団対抗駅伝競走大会、1月14日に全国都道府県対抗男子駅伝競走大会、東京マラソンの2週間前の2月13日に唐津10マイルロードレースに参加し、46分12秒で優勝している。そして東京マラソンと言うスケジュールで、そのローテーションにはただ驚くのみで、川内選手のそれに匹敵する。

 そしてもう一人の異色のランナーと言えば大迫傑選手であろう。彼は早稲田大学卒業後の2014年に日清食品グループに所属するとともに同時にナイキが世界的なレベルで展開するナイキ・オレゴン・プロジェクトにも所属してきた。しかし、2015年には日清食品グループとの契約を解除し同プロジェクトとの契約に専念することとなった。そして2017年に初マラソンとしてボストンマラソンに参加し、なんと3位となって表彰台に上がることになった。さらに12月には第71回福岡国際マラソンを走り、総合3位に入ることとなり、マラソンランナーとしての素質を示した。彼の功績は、これまで通りに国内の実業団に依存しないで自己の成長を図る新しいルートを開発したことである。

 ここに挙げた3人のランナーを長距離ランナーに育ててきたのは、若いランナーたちのあこがれの的、野球少年の甲子園にも似た箱根である。しかし彼らはこの箱根を卒業してから、これまでのありきたりの道を選ばず新しい未開の地に進むことで、沈滞している日本の長距離界の復興を目指していることに私は深く感謝したい気持である。この3人のランナーの出現とほぼ時期を同じくして指導者層にも新しい風が吹いてきた。青山学院大学陸上部長距離の原晋監督である。原監督は箱根駅伝4連覇を果たし、箱根駅伝の全国展開や実業団チーム間で選手の移籍をもっと自由にできるようにするなどを通して新しい選手育成策などを打ち出しており、今後の展開を見つめてゆきたい。

 しかしこれらのことはトップレベルのランナーだけの問題ではなく、我々一般の市民ランナーの問題でもあると思わざるを得ない。つまり我々の頭の中はトップレベルのランナーや指導者のひな型になっていることを忘れてはならない。それぞれ個々人の身体の成り立ちや歴史、年齢など様々な個性をうまく使いこなさないといけないことに変わりはない。それなくしては我々のレベルでの進歩はかなえられないであろうし、怪我などからの脱出もうまくゆかないであろう。私もいま故障からの治療・リハビリの過程にあり、考えることは山のようにある。ここに挙げた3人のランナーはそれぞれ強い個性を生かして走っているように思う。それが彼らを高い位置まで成長させていくのであろう。今年79才になる私も同様に幾つになってもランナーとしても人間としても成長したいと願っている。その意味で様々なトレーニングの仕方や、レースの位置づけ、また進む方向の選択の仕方など多くのことを新しく表現してくれた彼らは市民ランナーにとってもよい手本である。思い出せば、私の周りにも毎週のようにフルマラソンを素晴らしいタイムで走れる田中さんという60才代の猛者がいた。

 実はこの3月、なにかの偶然か箱根を訪れるチャンスがあった。そこで箱根駅伝のテレビ中継に出てくる芦ノ湖の船やゴールに近い地点の様子、もはや危険ということですでに遺跡になってしまった落石防止の函嶺洞門という、外が見られるトンネル、そして硫黄の臭いを感じられる山肌などを見ることができた。そんな、また思い出したい写真のなん枚かを組み写真(3、4枚目の写真)にしてお見せしたい。でも、それはこのブログの全くの付録である。

追記:このブログを書いたのは虫の知らせでもあったのだろうか。記事をアップした当日の夜、ボストン制覇のお土産を持って帰国した川口選手がプロ宣言をしたらしい。新しい川内優輝選手を見る楽しみが出てきた。4月20日付の読売新聞朝刊に出た記事を5枚目の写真として追加した。

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