[完全復元] 浅田真央もすごかったが、キム・ヨナはもっと凄かった!
- 2011/09/28 21:45
(この記事のオリジナルは2010年2月27日に書かれたものである)
バンクーバー冬季五輪もほぼ終わりに近づいてきた。モーグルから始まってスピードスケート、ジャンプ、ノルディック複合、カーリング、そしてフィギュアなど存分に楽しませていただいた。私はどの国が幾つメダルを取ったかにはほとんど興味はない。スポーツを楽しむ者として彼らの必死の、そして最高のプレーを見せていただけるだけで十分であり、メダル数による国威発揚などを議論し始めれば、それはもはやスポーツではなく、政治の世界である。 今回の大会で最も盛り上がったのはやはり男女のフィギュアであったであろう。特に、キム・ヨナと浅田真央のハイレベルの戦いは凄いの一言であった。その中でも興味深かったのは彼女たちに与えられる点数であった。フリーでは浅田真央に明らかな失敗があったからかなりの差がついたが、ショートプログラムでは両者にほとんど明らかな失敗は見られなかったにもかかわらずやはりかなりの点数に差がつけられていた。
私もフィギュアの採点は一体どうなっているのだろうと常々不思議に思っていたが、今回のオリンピックに至る過程で読売新聞に掲載された「荒川静香の目」を読んでいるうちになんとなく理解できるようになってきた。その荒川静香さんがフリーの翌日(2月27日朝刊)に出された記事を写真としてお出ししたい。
今回のパフォーマンスについては曲の選択、振り付けなどなど多くの難問があるのであろうが、結局私にわかったことは彼女が書いた次の文章に凝縮されているようである。「キム・ヨナ選手の150点台という高得点の理由は、スピードと流れがあり、作品の一部として技術要素が組み込まれている完成度の高さ。これが出来栄えの加点や高いプログラム構成点に反映されている。」
フィギュアの演技は、当然ひとつの作品なのであろう。その作品の中で、切れることのない流れのひとつひとつとして技術要素である、ジャンプなどが組み込まれていると考えるのはよく理解できる。思えばキム・ヨナのジャンプもほとんどスピードも高さも遜色のない連続ジャンプが続いていた。つまり途切れていないと感じられ、さらに降りた瞬間に次の演技に入っているのである。しかし、場面転換が必要なときにははっきりと切り替えてくる。
それに対して、難易度の高いトリプルアクセルをフリーでは二度までも跳んできた浅田真央には敬意を払いたいし、十分にやりきったと拍手を送りたい。でも、やはり多くのジャンプを含めた技術要素がひとつの作品の中で孤立している感じは否めない。ここに今回の大きな点差の原因があったのだろうと推測する。これが「荒川静香の目」から私が理解したことである。このような採点基準は始まる前から分かっているはずであるし、今後はひとつひとつの技術要素それ自身の点数がもっと高くなる可能性はある。しかし、現在は、演技全体をひとつの作品としてみなされ、その中で技術要素がいかに配置されているか、どのように機能しているかとの視点で採点されているのである。そんことを的確に把握してきたキム・ヨナ選手側のスタッフの見識が評価されるのであろうか。
それにしても、私にわかるように的確に書いてくれた荒川静香さんは、さすが金メダリストだと感じ入った。いや、そんな荒川静香であったからこそ、技術要素とはみられていなかったイナバウアーを敢えてプログラムに組み込んで優雅に演技し、観衆や審判を引き込み、見事逆転で金メダルを獲得したのである。
それはそれとして、カーリングには前回も興奮したが、今回も存分に楽しませていただいた。少し力不足な点も目に付いたが、多分世界中を短い期間ではあったが興奮の渦に巻き込んだことであろう。私は玉突きが好きで、若い頃いろいろと苦杯をなめたこともあり、その難しさは身に染みてよく理解できて楽しかった。またの機会を待ちたい。