神戸マラソン2016、加齢の先を見つめて
- 2016/12/01 15:19
ここ2、3年、日常のトレーニングでもレースにおいても頻繁に故障や故障に近い状況に追い込まれてランナー寿命もそう長くはないと思い始めていた。それはただ走ることだけの問題ではなく、日常生活の活力、集中力、知的好奇心にもマイナスの影響を与え始めていると感じていた。私が大学での仕事を終えた後の目標のひとつは、50歳過ぎてから覚えたランニングを通してこれらの問題、つまり肉体の再活性化にチャレンジすることであったので、故障の多発は私にとっては重大な問題となっていた。
今年の11月20日の神戸マラソンには、昨年歯を食いしばってよくないタイムながらゴールしたご褒美だったか、75-79歳の年代別クラス9位となってシード権を戴き、幸運にもまた参加することができた。そして、その結果の先に確かな希望を見出すことができたので、ここに記しておきたい。
日常的に感じている私の身体についての問題点は、右腰の重さである。特に腰の痛みがひどいということではなく、広い範囲で今日はここ、昨日は別の部位と動く感じで、神経的な原因というよりは筋肉部位の問題だと感じている。しかしそれを日常生活が困難になるほど悪化させないことが重要と考えてきた。そのためランニング姿勢を前傾過ぎないように強く意識し、骨盤の上に上半身をきちんと載せて走ることを心掛けた。また左右の歩幅のアンバランスを是正し、ストライド走法に近かった走法からピッチ走法に変更することをここ数年努力してきた。さらに、腰に与える衝撃を和らげるため、好んで履いてきたアシックスのスカイセンサーなどの軽めのシューズを見直し、衝撃吸収性と反発力に優れた少し重めのスピードライバル4などのナイキのシューズに変更した。
しかし、故障の発生を抑え込むことには成功したものの、今夏の終盤徐々に気温が下がり始めてもなかなか思うようなペースで走れなくなっていて焦りを感じていた。そんなとき久しぶりに会った甥から思いがけないことを聞いた。それはプロテイン(タンパク質)をトレーニング後に補給するということであった。彼によれば、それによって肌の感触や体の動きが全く違うと言うのである。私の感覚からいえば、プロテイン利用はボディビルダーが筋トレの後に摂取することでたくましい筋肉を持った身体を作り上げるためという考えしか持ち得ていなかったし、私にとってのプロテイン(タンパク質)は私の専門でもあった生化学研究の対象でしかなかったのである。
どうも私の頭の中は古色蒼然としていたようで、甥からその話を聞いた1か月後にやっとそれを試してみる気になっていた。私が手に入れたプロテインは、ウイダー(森永)の“muscle fit protein”と称するものでバニラ味が付けられており、ホエイプロテインとカゼインを含んでいる製品である。最初に飲んだのはロードを11キロ走った直後で、簡単に水に溶かしたものをおいしく飲むことができた。驚いたのはその2日後のことで、歩いても自転車に乗っても脚の“力”がそれまでの感じとは全く異なり、凄く力強いと感じた。これがプロテイン摂取の始まりであった。
私は若干太り気味で70-71キロの体重があり、そんな私が走ればその約3倍の重量が一歩一歩にかかり、関節、脚の筋肉や骨に多大な負担がかかることになる。それによって筋肉繊維に損傷が発生し、それを日常的には食事によって摂取したプロテイン(消化酵素による分解でアミノ酸になる)を用いて修復することになる。これが筋肉に負荷をかけて運動するときには当たり前に起こることである。
市場に出回っているプロテイン製品は消化吸収しやすいたんぱく質が使われていて、それを運動後急速なたんぱく質合成が起こるとされる少なくとも1時間以内に摂取することで、損傷の起こった筋肉細胞内で高い効率でタンパク質の合成が行われていると考えてよいと思われる。それによって傷ついた筋肉の回復を果たし、さらに“超回復”と呼ばれる“損傷以上の回復”をもたらしてくれるものと思われる。
以上のような状況を1か月ほど続けた後に神戸マラソン2016に参加した。残念なことにこの日は11月後半にはめったにないような暑さで、スタート時点ですでに18.5℃とアナウンスされ、途中24℃とテレビで放送されたという(神戸気象台のデータを調べると、午前9時に18℃、11時から15時まではおよそ21℃であった)。この暑さが後半のタイムロスを招いたと思われる。
1枚目の写真はコース図とその高低差を表している。私の予想とは別に、スタートして西に行くほど上っている感じで、とくに折り返し点近くで神戸海峡大橋のある舞子公園を挟んで27キロまでには10m近くのアップダウンが10回ほどあり、最後の35キロ先には30m近い急坂が待ち構えていた。2枚目の写真は公式の5キロごとのラップタイムであり、3枚目の写真は私のGPS機能付き時計の後半部分1キロごとのデータである。もちろん25キロあたりからじりじりタイムを落としているが、いつもフルを走って感じる“脚が出なくなる”と苦痛とも言える感覚は特になく、ただ走れるままに走るという不思議な感覚で走っていた。それでも熱いこともあって疲労感はあり、30キロ以降のすべての給水所で頭、首筋から背中、脚の表裏に水をかけることを繰り返していた。
そんな水をかけて身体を冷やすことの他にいつもと違うこともしていた。それはものを食べるということである。私はめったに食べることをしてこなかったが、今回は走る前からチョコパンなどを食べようと目論んでいた。実際に、バナナ以外に(バナナは手がべたべたになるので好きでない)チョコパン、どら焼き、ミカンなどを食べて走っていたのを覚えている。要するに、食べる元気がないのではなく、食べる元気があったのが不思議であった。そんなことにも時間を費やしてタイムは35、40キロとよくないが、3枚目の手元の時計データの後半部分でもわかるとおり(左から3列目はキロ数、5列目がキロ当たりの時間、分秒、7列目は平均心拍数、8列目は最高心拍数。0.2キロほどの距離の誤差がある)、キロ8分に落ちているのはわずかで、結構7分台前半で、特にあの急坂でも走れているのである。また、ゴール近くのデータでも余力は残っていた。速報タイムは4時間48分37秒であった。なお、状態の良さを示す数字としては、3枚目の写真の左から7列目の平均心拍数は145で、8列目の最高心拍数も160までしか上がらなかったことである。スピードが下がれば心拍数もきちんと下がっていて全く問題がなかった。
今回不思議なことだが、ラップタイムを戻そう、ペースを維持しようなどとはほとんど思わなかったし、給水所での給水や給食の時を境に“歩こう”などとはほとんど考えもしなかった。それほど体力がついていたのかもしれない。その原因はと言えばプロテイン以外に考えられない。このことについてはこれから時間をかけて判断していこうと思っている。また技術的なことを一つ書くとすれば、走っているときにふくらはぎなどに違和感を少し感じたら、その部分に強い付加がかからないような着地の仕方に変更してそれをやり過ごすことがうまくできるようになったことである。これは昨年の神戸マラソンでの教訓から得たことで、私の財産になっている。いろいろなことがあってバンザイしてうれしくゴールするが、その3秒後には疲労困憊でがっくりと頭が下がる。そんな姿をテレビ画面で撮影してくれた友人の畑野勝義氏に深く感謝する(4枚目の写真、左側に注意)。なお、チョコパンをほおばりながら元気に走る写真があるので、手に入り次第追加掲載したい。
それにしてもスタートしてから舞子公園で折り返してゴールまで、熱い応援は途切れることはない。大いなる力を与えてくれ続けた。今年の私の2枚のゼッケンには大きな字で私の名前が印刷されており、それを見た沿道からの大きな声援には、びっくりするとともに大きな刺激になり、うれしかった。とにかく一所懸命に走っているときに名前を呼ばれると不思議な感覚になって涙が出る。ただただ沢山の神戸市民応援団に感謝したい。
最後に、私の身体状態の維持・管理に力をくださいました「ちあき接骨院」と「佐藤治療院」の皆様には心より感謝を申し上げたい。
追記:珍しい写真が手に入りましたので、5枚目の写真として追加いたします。上はたしか30キロあたりで初めてチョコパンを食べて元気を出している私と、下はゴール直後で憔悴はしていてもまだ元気のありそうな私です(2017/01/05)。