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2015年10月01日の記事は以下のとおりです。

“ジェームズ・ディーン”のいた むかし

  • 2015/10/01 17:07

 昨日朝新聞を見て驚いた。読売新聞の「編集手帳」に彼のことが書かれていた(1枚目の写真)。その書き方がなんと巧みなことか、なんとうまく彼のことを伝えているかに感激した。感動もしたがこの際は感激が私にはあっている。昨年の9月、当時高校生の私に彼の主演した映画「エデンの東」の素晴らしさと、あの信じられないほどの感性を持った彼の存在を教えてくれた3歳年上の兄も亡くなってもういない。
 先月末その法事を済ませた後自宅に帰った私は、机の引き出しの中に未整理で溜めてある昔の写真をひっくり返して探し物をした。その目的は、その頃彼に凝って映画館でスクリーンの映像をカメラで撮ったり(もちろん無断で!)、雑誌の写真をカメラで撮ってプリントなどしていたので、そんな写真を見つけることでした。
 父はなんでもやる人で、薬局経営をしながら写真屋もやっており、私も小さなときからカメラを持たしてもらっていた。もちろん、写真屋をやっていたのでフィルムの現像、プリント、引き伸ばしなども請け負っており、私もそれを覚えて店の仕事を手伝い、また自分の写真を自分で好きなように引き延ばしたりしていた。いまそれらはほとんど残っておらず、彼に関する何枚かの写真をやっと探し出した。そんなものを残しておきたいと思って今書いている。きれいな写真ならウェブ上にいくらでもあるが、いま残そうとしているのはきれいでなく、あのころのカメラで撮った暗くぼけた写真である。その方が昔が分かる。
 2枚目の写真は、彼の代表作で出世作であった「エデンの東」の一場面の載った雑誌の写真である。それは彼を残して出て行った母がいる、子供は行ってはいけないところにこっそりと入ってゆく重要なカットの写真の載った雑誌を私が撮影したものである(スキャンして拡大)。明るい酒場から母が居る奥の暗い部屋に入ってゆく雰囲気がよく出ていて忘れられない。
 3枚目の写真は、小さく焼き付けられていた写真で、それをスキャンして拡大した。よく見るとそれは“日比谷映画劇場”と書いてあり、正面の看板には「理由なき反抗」と書かれている。彼の2作目の作品である。どこの日比谷劇場なのかはよくわからないが、ネットで検索するとどうもこれは東京の日比谷らしいことが分かった。わざわざ三重県の伊勢からこの映画を見に行ったのか、あるいは何かの行事で東京に行った時にたまたま撮ったのかは不明のままである。この映画も私には衝撃的であった。
 4枚目の写真は正真正銘伊勢か松阪の映画館で、3作目で彼の最後の映画「ジャイアンツ」のタイトル画面を無断で撮影したものである。それはアメリカの目覚ましい発展の時代を映し出した映画で、その中での孤独な青年の生涯をジョージ・スティーヴンス監督が巧みに彼から引き出していたのが印象的であった。ただ、一気に老け役まで演じなければならなかったのは彼にはきっと大変だったろうと思うが、でもそんな役までこの3作目に見せてくれたのはうれしかった。もう見られないのだから。
 そんな彼をこの世から消してしまった自動車事故は1955年9月30日だった。スポーツカーが好きだった彼はポルシェ・スパイダーをすっ飛ばし、なぜか田舎の見通しの良い交差点で衝突事故を起こしたといわれる。そんな事故を起こしたポルシェの残骸の写真が5枚目である。何とも残念で、いうべき言葉もない。でも、何度でも観ることができる映画を3本も残してくれてただただ感謝である。写真はクリックで拡大してご覧いただければ幸いです。

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