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2021年07月08日の記事は以下のとおりです。

東京マラソンは誰のものか? ランナーズファーストではないのか?

  • 2021/07/08 14:03

 新型コロナウイルスによる大規模な感染が日本で始まってからすでに1年半を過ぎた。世界中がこのコロナウイルスに翻弄され、政治も経済もガタガタにされつつある。そんな状況は大掛かりな政治や経済を語らなくとも自分たちの足元に転がっている。私は50歳ころから走り出したしがないマラソンランナーである。そんな私の日常生活にも新型コロナは遠慮なく刃を向け、わずかな楽しみを削いでゆく。新型コロナが蔓延し始めた昨年から日本中で行われるはずであったほとんどのマラソンレースが中止となり、ただただストレスが溜まってゆく。

 そんな状況の中、世界のトップクラスのマラソン大会に成長した東京マラソン(幸い私は第一回大会から出場できた)が、今年の大会をいつもの3月(2月の時もある)からオリンピック・パラリンピック後の10月まで遅らせて大会を開くと決断したのである。その決定は大歓迎で、私も喜んで、通常の定員38,000人から25,000人にまで削減されてより厳しくなったであろう抽選に応募したのである。もちろんそんな状況だから当選するなどと考えていなかったが、不思議なことに”当選”してしまったのである。そして入金の日が近づいてきて、より厳密に決まってきた新型コロナウイルスに対する感染症対策などを細かく読まざるを得なくなり、最終的に細かく決定された参加条件を精査することとなった。以下、私が気になったポイントについて記すこととしたい。
 今年の大会の感染症対策の中心点は、当然のことながら人と人との接触防止と低減という考え方を基盤としている。そして、いわゆる”3密”を避けるために、スタート地点などでランナー一人が占める面積を1㎡として考えることから出発しているようである。したがって、それを基礎としてボランティア数も減らしコースでランナーに提供する給食や給水にも影響が出る。食べるものも個別包装された物を提供するとか、飲み物も蓋がついているものをゼッケン番号で決められたテーブルで出すことになり(通常のエリート選手が走る場合に行われる大会と同様)、これまでのように大量の食べ物を”ドバッ!”と並べるとか、あるいは紙コップに入れた飲み物を大量に並べることも難しくなってくる。給食について公文書に次のように書かれている。

〇給食は種類・数量が限られますので、各自で必要に応じて栄養補助食品等をご準備ください。」と記載され、食べるものが無いという事態も予想されランナーにかなりの負担がかかることになる。以下、気になったことを個別に記載することとする。できるだけ公文書の文章のままにお伝えしたい。

ランナーが通常スタート前とゴール後に必要とする着替えについて。

〇スタートエリアには更衣室はありませんので、出走する服装でご来場ください。周辺施設等での更衣は絶対に行わないでください。
〇不要になった衣類の回収は行いませんので、各自保持して走行してください。
〇(フィニッシュエリアの)屋外更衣エリアのスペースには限りはありますので、できるだけ更衣はせず、速やかにお帰りいただきくようご協力をお願いいたします。

 以上の突き放したような記述に従うと、スタートエリアに来るときには走る服装で来るか着替えた服装は持って走ってくださいと言うことを意味する(放置されたものはすべて廃棄するとも書かれている)。着替えを持参できなかったランナーは汗をかいた着物のままで帰るしかない。確かに厳冬の季節ではないので不可能ではないが・・・。これらの規約通りにしようとすれば、東京の地下鉄などの駅に近い方ならそれほどの苦労もしないで参加できる可能性もあるが、東京近郊でもいくつかの電車を乗り継いで参加するには大変大きなハンディである。おまけに雨でも降ってしまえば体のケアなどの問題を含めて参加取りやめを強いられることに他ならない。こんな規制はランナーズファーストにはほど遠いことである。

次に引用する、途中リタイアをしたランナーの援助についての規制項目は信じられない。それについての記載は以下のとおりである。

収容バスの用意はありませんので、レース途中で棄権する場合に備え、公共交通機関が利用できるよう、交通系ICカード等の持参など、ご準備をお願いいたします。

 この運営規約は、大規模なフルマラソンレースを開催する主催者の考え方としては考えられないことと思われる。ランナーが途中リタイアをするのは何かの故障の発生、体力の限界に達した時、それは時には命にかかわる場合もある、あるいはその時点ではそれほど重要に見えないが、できるだけ早くより安定した状態にできなかった場合にはあとに後遺症につながるような場合もある。ランナーには途中でリタイアする勇気が必要だと言われるのはそのためである。つまりはリタイアの原因は大規模で様々なレベルのランナーが走る場合には大いに注意を要し、手落ちの無いケアが必要だと思われる。その意味でレース前後での更衣の問題や収容バスの用意をしないという大会本部の決断は極めて危険だと私には思える。

 こう考えてくると、今回の大会の要綱は規模を小さくして、しかしできるだけ安全に大会を開催しようとして計画されてきたことは十分理解できる。しかし、いったん開催すると決断して、より安全・安心に開催しようとして運営規約を吟味してゆくと、逆にランナーにとっては大変窮屈で別の安全面の問題が発生することになってしまったような気がする。しかし、そうなったからと言って、今度は開催を中止することができなくなってしまうのである。今回のランナーは大会が設定した健康管理アプリをダウンロードし、それによる体調管理と本人確認を行うことが要求されるようになっている。つまりは、スマホを維持することも必要不可欠なことになっているのである。デジタルが全くうまく使えていない国のランナーにそれを上手に使えと言うような不可思議な要求である。

 よく似た状況はいま開催直前の東京オリンピック・パラリンピックの問題が見えてくる。世界にオリンピック・パラリンピックを開催すると宣言するともはや止められなくなるようである。さらにより安全・安心に行おうとすると様々な条件がより厳しくなり、身動きができなくなってしまう。選手たちも選手村あるいは合宿所などに缶詰となり、まともな体調で戦うことは難しくなり、いつの間にかアスリートファーストが失われて、IOCや組織委員会あるいはスポンサーの立場が大きくなってくる。現在の感染状態を見ればすでに中止あるいは延期してもおかしくない状況となってきている。そこまでいかなくとも無観客の話が話題になりつつあり、事実上
ある意味中止と等しいような状況まで追い込まれている。
 昨年から全国で行われる予定だったほとんどのマラソンレースは中止されている。これは勇気ある決断というべきだろう。今回の東京マラソンのような形での開催はランナーにとっては大変窮屈で危険で、開催よりは思い切って中止すべきである。よく似たことは東京オリンピック・パラリンピックの状況にもみられる。
私から見れば新型コロナ対策の初期からの様々な失敗やワクチン開発や導入の遅れから、国民に問うたアンケートの結果を見れば、当事者であるアスリートは苦しい立場に追い込まれている。つまりは、東京マラソンの場合にも東京オリンピック・パラリンピックの場合にも、一見ランナーやトップクラスのアスリートにとっては開催されるという線で喜ばしい状況になっているように見えるが、しかしよく見れば強いストレスを抱えた大会に送り込まれたことになってしまったとみるべきであろう。どうもどちらの大会も、いつのまにか主導権はランナーやアスリートでなくなってしまったように思える。全く残念な状況である。アスリートはもっと自信を持って堂々と発言すべき時を迎えているように思う。

 最後に、本当に走りたかった東京マラソンの写真を一枚。これは家族で一緒に走った2019年の東京マラソンのもので、スタート前の更衣場での写真である。もう一度走りたかったのに残念ではある。でも、上に述べた様々な理由から、当選はしていたが走る気にはなれなかったのである。

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