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一時代を築いた“なでしこ”と 加齢に脅かされる“年寄りランナー”のやるべきこと

  • 2016/03/11 22:30

 最初の写真でお分かりのように、あの“なでしこ”が大阪でのアジア最終予選第4戦の対ヴェトナム戦を前についに4大会連続のオリンピック出場権を失ってしまった。ドイツワールドカップ優勝、ロンドンオリンピック準優勝、そして昨年のカナダワールドカップ準優勝と快挙を続けてきた“なでしこジャパン”の栄光を知るファンにとっては大きな衝撃と落胆であることは至極当然である。その原因についてここぞとばかりに書き始めたマスメディアの姿にはいささか辟易としている。負ければいつものことであるがゴシップめいたことを沢山書くからである。
 敗北の原因はメディアが書くようにきっとさまざまであろうことは想像に難くない。選手と監督の間の溝、選手間の溝、お互いにうまくいかなくなれば愚痴も出始めるのはどこの世界でも同じであろう。そんなことを言ってみても始まらない。むしろそんな当たり前の愚痴は出た方がよいのである。それをポジティブに聞けば前を向ける。
 そんなことより構造的な問題の方がはるかに大事だと私は確信する。その最も大きな問題は世代交代が進まなかったことであろう。私から見れば当時ほとんど若手が育まれる地盤のなかった日本の女子チームが、ワールドカップで優勝や準優勝したり、はてはオリンピックで準優勝したりなんてことは、ほとんど“奇跡”だと考えるべきことであろう。そんな奇跡が三度も続いたのであり、奇跡を通り越して破天荒なことと考えるしかないのである。だから、とんでもないレジェンドと呼んでもよいような指導者や選手たちがいたのである。だから私には“なでしこジャパン”に感謝以外の言葉はない。
 私の拙い知識から言えば、たとえばアメリカの女子選手は、正確ではないかもしれないが、およそ200万人いるといわれ、日本とは桁が2つは違うのである。しかも、彼女らのプレーを見た経験から言えば、恐ろしいほどの迫力で、男子顔負けである。高校生のゲームで腕を骨折した試合を見たことがあるが、なぜあれほどのプレーをする選手がごろごろいるのかの理由は全く分からないが、それは彼らの生き様であろう。ただ、活動的なアメリカ女性には男子に開かれているようなベースボール、アメフトそしてアイスホッケーのような道が開かれてはいないからかもしれない。いずれにせよ、その中から選抜されてくるチームがなでしこが戦ったアメリカチームであり、彼らに勝つ、あるいは対等に戦ってきたのである。したがって、構造的な問題とは、いかに底辺を拡大し、いかに小さな底辺から優れた選手を育成する方策のことでなければならない。
 今回の敗北で、サッカー協会は世代交代の大切さが身にしみたであろう。きっと世代交代の実現に向かって進むことを期待したい。今回の最終予選の裏ではスペインのU-23ラ・マンガ国際大会が開かれていた。なでしこの最終メンバーに残れなかった選手たちが躍動してスウェーデン、ノルウェーそしてドイツなどの強豪を打倒したという。また、なでしこも最終予選最後の宿敵北朝鮮戦では1-0で勝利し、再び輝きを取り戻すきっかけとなる活躍を見せた(二枚目の写真)。私にはこれ以上のことを言う内容がないので、ただただ今後の積極的な世代交代を期待したい。しかし、それは単純な年齢の問題ではないことは明らかである。
 このように偉大な業績を残したなでしこと同列に置くなどおこがましいと言われそうであるが、私の苦しいところも書いておきたい。個人の問題に世代交代などありうるはずもないが、しかし歳を重ねることによる体力・競技力低下では共通している。勿論私には初めての経験で、それらに打ち勝つためには当たり前のようにトレーニングによる体力強化と、加齢とともに顕在化する故障の回避などに向けての走法改善や身体の使い方の変更などを考えないといけないのであろう。
 実は私には10年以上前から右腰の背部に表れるちょっとした違和感が気になっていた。それは少しずつはっきりとしたものに変わってゆき、昨年引越しをして生活環境、トレーニング環境が変わったことによるのか違和感がさらに強くなり、マッサージ師による治療を受けてはいるがなかなか治癒に向かう感じではなかった。この違和感、あるいは痛みが右腰の部分に偏っていることから、内臓などの関連痛でない限り身体の使い方に起因すると3か月ほど前から考えるようになり、特に主として身体を使うランニング動作の左右のアンバランスを検討することにした。
 よくよく考えてみると以前から気にしていたことがいくつかあった。それはジムでの、鏡が前にあるトレッドミル上でのランニングの場合、しばしばいつの間にか右に偏って走る傾向があることと、T-シャツを着て走っているとシャツの首の部分がいつも右に偏ってそこに隙間ができてしまうことであった。また鏡をよく見ていると、右足の着地では足先が若干右に外旋することも分かっていた。さらに以前から息子から全体としてストライドが広すぎることと右のストライドが左のそれよりシューズ1/3足分ほど長いことも指摘されていた。このピッチ走法への変更は、加齢による筋力低下が故障発生につながらないようにするために重要だとは昨年「佐藤治療院」からも指摘されていた。
 これだけのことを頭に入れてやるべきこととしては、全体をピッチ走法に変更することを確かなものとし、また右ストライドを短くして左右のバランスを取ることであった。その結果は驚きであった。右ピッチを短めにするように走ると、足先の外旋もなくなり、右に偏って走ることもT-シャツが右に寄れて首に隙間ができることも全くなくなってしまったのである。
 こうして迎えた3月6日の立川シティハーフマラソンでは、高い気温にもかかわらずグロスタイム2時間09分34秒で余力を残して気持ち良く走ることができ、ふくらはぎなどの故障発生もなかった。今回の結果は、昨年秋の神戸マラソンの5時間30分というとんでもない内容(http://www.unique-runner.com/blog/diary.cgi?no=243 )に比べると全く別物で、近年感じていた寂しい凋落傾向に歯止めをかけることができたようで、久しぶりにまともに走ったという気持ちである。
 だからといって右腰の違和感が消えたわけではない。走法の変更が直ちに違和感という感覚の解消に結びつくと考えるのは早計であろう。腰の痛みや違和感の原因は多岐にわたり、なぜか脳が主導権を持って“痛みがある”と感じているのだという新しい考え方は最近強い。私の場合、今回の様々な変更で違和感などが安定し、少しずつ改善されているように感じている。本当のところは、感じているのか感じようとしているのかはわからない。とにかく身体の使い方をバランスよくすることを持続してじっくりと腰を据えていきたいと思っている。
 この様々な改善の努力は再び何とか新しい自分を作り出す方向を指し示しているように思える。世代交代が進まず、平均年齢が27歳と今回の予選大会で最も高かったなでしこのやるべきことも、明らかであろう。もともとフィジカルの強いオーストラリアや中国が技術レベルを上げ、さらにチームとしての戦略・戦術を高めてきた現在、なでしこが世代交代を果たしながら再び俊敏性とパスワークにさらに磨きをかけなければ、強豪のそろうアジアを抜け出すことは難しいであろう。
 3枚目の写真は、応援してくれる人たちとハイタッチしながらゴール間近を走る私である。今回は4月17日の長野マラソンに向けてよい予行演習ができたと思っています。
 最後に、ここの記述をお読みになった皆さんは、細かすぎるとお思いだろうと思います。しかし私にとっては一大事で、この腰の違和感の問題は放置すればどんどん悪化し、さらに高齢化したときの生き方に決定的な悪影響を持つと危惧しています。それは走るとか走らないとかの単純な問題ではないと思っていますので、放置することはできないのです。なお、この問題を考える過程で故障の予防的なマッサージを勧めてくれた「ちあき接骨院」に感謝したい。

スポーツの応援と国旗

  • 2016/02/14 16:05

 1枚目の写真は、我が家にある子供向けの国旗の本「国旗のほん」(すずき出版、1997年版)の表紙の写真である。この本には191か国の国旗が印刷されており、目が回るばかりである。そこに見られる多くの国旗がスポーツ会場で時には乱舞されるのである。
 さて、私のスポーツ好きはこの場の書き物でも明らかだと思うが、常に自分が体を動かすことを含めてスポーツのことが頭から離れることはない。昨年の秋からのビッグイベントと言えば、まずラグビーW杯での日本チームの圧倒的な活躍をあげなければならないし、それに続く男女の7人制ラグビーのリオ五輪への出場権の獲得、さらにもう一つ盛り上がりに欠けていると言われていたU-23男子サッカーチームのアジア選手権優勝およびリオ五輪出場権の獲得、あるいは錦織選手の全豪オープンでの活躍など枚挙にいとまがない。そしてそれぞれの競技の場で多くの日の丸の旗が振られてきた。
 上にあげたものの中では錦織選手のテニスの大会は国を単位とする出場でもなく、全くの個人の戦いである。それにもかかわらず錦織選手が出場するゲームになるとなぜか日の丸の旗の数が相手選手の国の旗の数を圧倒するように見えるのはなぜか。そうでなくとも近年国際大会における日本チーム(あるいは日本人選手)の出場するゲームでは日の丸の旗が目立つようになってきたと感じている。そのことは私には強い違和感となっている。なぜなら、日本を大きく見せようとする今の国の雰囲気と重なって見えるからである。
 ちょっと考えてみたい。Wikipediaの国旗の記述の最初には次のように書かれている。「歴史的には、戦場での所属を表すものとして使われた軍旗に起源を持つ。軍事的な意味から離れて所属する国家を表すために旗を掲揚する習慣は、船舶の所属を示すための商船旗として、17世紀初期に始まった。18世紀終わりごろから、各国のナショナリズム的意識の高まりによって、国民の間でも国旗を掲揚することが望まれるようになった。」いうなれば国旗は、統一されている国家の象徴であり、戦いの場における軍隊の識別と戦意高揚に必須なものとして機能してきた。また、海上における船舶の識別にも必須なものであったのであろう。さらに、ナショナリズムの高揚が国旗掲揚をより積極的に推し進めてきたと考えられる。このことを別の言葉でいえば、国旗の掲揚、あるいは国旗を振ることは対象の識別という単純なものではなく、国威発揚や民衆の牽引と裏腹だということができるであろう。
 スポーツは本来個人的なものであって、国に属するものではない(2枚目の写真の記事もご覧ください)。しかし、世界各地に紛争が絶えない近代において、国家はあらゆるものを国威発揚に利用しようと暗躍してきた歴史がある。その象徴はナチスドイツがベルリンオリンピックをそれに利用しようとしてきたことは有名であるし、それ以外のオリンピックであろうとも、かっての東京オリンピックも含めてそれらが世界最高レベルのスポーツの楽しさを国民に提供するという以外に、国威発揚に利用された側面はまぬかれない。これがときには大きな組織的ドーピングにつながるのである。
 私はスポーツ観戦は好きである。しかし、素晴らしいプレーそのものを楽しみたいのが私の目的であり、良いプレーには拍手をし、どちらかの勝ち負けにはあまりかかわりたくはない。よく甲子園で高校野球を観戦したが、多くの場合ネット裏で静かに観戦するのが常であった。ただ、国際試合になればより多くの情報を持ち、厳しい練習に耐えてきた選手をより身近に知るものとして日本のチームや日本人選手を強く応援したくなるのはもちろんである。
 でも、だからと言って日の丸の旗を振る気は私にはさらさらない。旗を振らなくても応援はできるし、素晴らしいプレーに敬意を表することもできる。これまで幾度となくファンの振る国旗が様々なトラブルを引き起こしてきた。前回のロンドンオリンピック男子サッカー準決勝の日韓戦でもトラブルがあり、同時にある島の領有権を巡る争いが試合終了後に表面化して大きな問題となり、FIFAが問題視して制裁問題に発展した。できればそんな問題をスポーツの世界に持ち込まないためにも、国旗のようなきわめて複雑な背景を持つものを応援の道具として持ち込むことは避けたい、というのが私の考えである。旗を振らなくてもその場でどこの誰が戦っているかは観衆全ての知るところのはずである。なぜ拍手や、応援の言葉(軽妙洒脱なヤジなど)でダメなのであろうか。なぜ騒がしい音楽がいるのであろうか?プレーの“音”も楽しもうではないか!
 もちろん、人はそれぞれだから旗を振る応援があってもよいと思うが、そんな時はカラッとした雰囲気の中で振って楽しんでもらいたいものである。丁度、ヨーロッパでのアルペン競技のW杯の時のようにである。
 最後に2枚目の写真のことを少し説明したい。この記事は2月9日の読売新聞の記事で、川島健司編集委員の「鳥の目 虫の目」として書かれたものである。先日のリオ五輪の出場権とアジアナンバーワンをかけてのカタール・ドーハでの決勝戦。後半開始直後に2点目を入れられて窮地に瀕した日本チームが、なんとその後3点を取って大逆転で勝利した。その後、韓国チームが帰国の空港でファンに頭を下げている写真に日本のメディアが「日本に負けて韓国代表が謝罪」と説明をつけたものがネットに出回ったという。しかし、実はそれは間違いで、負けたにもかかわらず大勢の出迎えに感謝してお礼を述べている姿だということであった。今回の日韓戦にも多くの国旗が振られていたが、大事に至らずにほっとしている。しかし、日韓戦を因縁の戦いのようにしか見ないメディアが依然として多数であることも事実であり、国際試合の難しさを感じるとともに、国旗の問題にも気を配っておく必要があろう。
 付録のようだが、観衆と選手の間のユーモア一杯で世界に知れ渡った交流のエピソードをひとつ紹介しておきたい。それは1996年のウィンブルドンの全英オープン準決勝、シュテフィ・グラフ x 伊達公子戦。グラフがサーブに入ろうとした直前、ある男が“Steffi, will you marry me?(シュテフィ、俺と結婚してくれる?)”と叫んだ。ちょっと間をおいて彼女は何と言ったか。“How much money do you have?(あなたお金いくら持ってるの?)”だった。この応対に会場は爆笑の渦に包まれた。実はその時伊達公子は“わたしではどう?”と言おうとしたがやめたとか。殺気立つことのない何と楽しいやりとりかと思う。なお、このジョークの裏には、グラフの父が当時借金に苦しんでいたようで、大いなるブラック・ジョークとも言われている。この画像は次のURLにある。http://www.kotaro269.com/archives/50714048.html

横須賀の軍港を見て 艦載機の爆音で思うこと

  • 2016/01/12 22:50
 私はこちらに引っ越してきて半年の昨年7月に、「軍用機の飛び交う空の下」というタイトルで以下のブログをはじめとして3つのブログを書いた(http://www.unique-runner.com/blog/index.php/view/234 )。そこでは、神奈川県が横須賀港を母港とする原子力空母とそれに積載されている数十機の艦載機や陸軍の座間キャンプを基本とする米軍基地の広さは沖縄県に次いで2番目であることを示し、現在の日本の政策の行方に危惧の念を表してきた。
 私は戦中の生れであるが、記憶の中に軍艦の生のイメージはない。そこで新しく配備された原子力空母ロナルド・レーガンが寄港している時をねらって横須賀港を訪れることにした。幸か不幸か原子力空母が横須賀港に入っているときには艦載機は厚木基地に移動していて、慣熟飛行訓練のため四六時中我が家の上空を爆音を響かせて飛行するため、空母が入港しているかどうかは簡単に判断することができる。
 幸い12月上旬の無風で暖かい日に横須賀を訪れた。自宅から1時間半もあれば余裕で着いてしまうほど、まさに目と鼻の先である。着いて早速軍港を巡るクルーズ船に乗って軍港を回った。年の暮ということがあったのか、案内役の自衛官によればこれほど多くの多彩な艦船が入港しているのは珍しいとのことで、様々な軍艦を見ることができた。横須賀港は米海軍と海上自衛隊が共同で運行している港のため両国の艦船については素人の私が見て、あるいは説明されてもすぐに分からなくなってしまう。一応、2枚の組み写真でお見せする。ただ、多彩な機能を持つイージス艦や巨大な空母、またヘリコプター搭載護衛艦や潜水艦(自衛艦)は別格である。ただ、空母は航路から少し離れたところに入っていてあまり近くで見ることはできなかったが長さ333メートルもある巨大さは特別である。ただ驚いたのは、度々新聞などをにぎわす機雷の掃海艇は表面だけだと思うが木造あるいはプラスチック製であることであった。それは、金属に反応しての機雷の爆発を避けるためだと説明された。
 それにしても横須賀港は、原子力空母から潜水艦まで多分あらゆるタイプの戦艦がひしめいている軍港であり、日本最大の軍港だと思われる。有事の際には敵からの攻撃目標であることはもちろんであり、そうなれば首都圏内にあり、しかも多くの基地を有する神奈川県は最も危険な地域となる。そんなことを避けるためにも政府は国策としてきな臭いことに踏み込むことは極力避けなければならないはずである。
 昨年、憲法九条を改定することなく安倍内閣の解釈変更のみで新たな安保法制を制定し、“戦争法”を作ったと批判されたことは記憶に新しい。一方、東シナ海あるいは日本の近海において竹島や尖閣諸島の領有権問題などで日中韓の間に厳しい空気が数年にわたって流れてきたことは重大である。この空気が少しばかり緩んできた感があった最近、案じていたことが今日1月12日に報道されている。それは、尖閣諸島領海に中国公船が侵入した場合には海上自衛隊がそれに対応するというものである(3枚目の写真)。これまでは海上保安庁の艦船が対応していたが、これは警察行動であり、今回の報道が事実とすれば一線を越えて警備行動ではあれ軍が対応する極めて危険な行動に踏み込むというものである。いま膠着状態にあることをなぜ日本側からレベルを一段上げた対応にしなければならないのだろうか。その裏にはアメリカがいそうである。尖閣国有化も相手の挑発に乗って現状変更してしまったのではなかったか。このような安保法制制定後のエスカレートはその数日前にも報道されていた。それは、中近東で掃海活動に従事してきたP3Cが日本に帰る途中に、中国の南シナ海での滑走路建設とその使用活動をけん制するために、その空域を飛行するとするものである。これらの報道を見て感じることは、当初の予想通り政府及び自衛隊は東シナ海から南シナ海まで軍事行動範囲を拡大することを決意したとみなすしかないであろう。
 これまでの大きな戦争は小さな小競り合いから始まっていることを考えると、上に述べた行動は危険極まりないと思われる。おまけに手詰まり状態の北朝鮮は1月9日の4枚目の読売新聞の写真のように“水爆実験に完全に成功”と発表した。日中韓+北朝鮮の4か国は、まっとうに機能するような危機発生時の連絡網を建設できているようには見えない。それにもかかわらず一触即発になりかねない場面を作りすぎている。
 安倍内閣は新たな安保法制でアメリカと完全な同盟を築こうと焦りすぎている。ロシアとのキプロス問題の失敗をはじめとして、北アフリカの民主化問題、中近東におけるイスラム国の問題などアメリカの対外政策はことごとく難しい対応を迫られている。それはオバマ大統領だからとかの問題ではなさそうである。最近、「資本主義の終焉と歴史の危機」(水野和夫著、集英社新書)を読んでいる。まだ途中だが、アメリカへの過度の依存は自滅の道を歩む可能性がある。それは体制そのものの問題である可能性があるからである。だからどこかに完全に依存するのではなく、日本は近隣4か国をはじめとする世界ともっと独自な外交が求められている。
 昨年末、5枚目の写真のように日韓の間でくすぶっていた慰安婦問題が日韓両政府の間で完全合意したと突然報道された。それが真に完全なる合意であればそれはそれで喜ばしいことなのだと思う。しかし、この合意の実行にはまだ様々な障壁が隠れているように見え、またこの合意の後ろには明らかにアメリカがいて、また一つ大きな借りを作ったのも確かである。近隣4か国やロシア、中近東諸国との独自外交には日本がアメリカから相対的に自由にならない限りほとんど不可能であろう。それは相手が日本を信頼しないからだ。しかし、相互が自由になることがアメリカの利益にもなると相互に理解できれば難題の解決への出口が見えるのかもしれないと思う。いま安倍政権はそれとは全く逆方向を向いているからとんでもなく危ういと感じざるを得ないのである。
 ここしばらく艦載機のすごい騒音は聞こえてこない。原子力空母ロナルド・レーガンは多分日本とアジア大陸との間に出かけて警戒に当たっているのであろう。案外、あの強烈な排気音が私の頭の上で鳴り響いている方が安心なのかもしれないとは、なんという皮肉であろうか。

写真の説明 1枚目の写真:左上は機雷掃海艇とその母艦、右は潜水艦、左下は3隻のイージス艦、右下の2枚は潜水艦救出母艦と潜水艇。 2枚目の写真:左の2枚は原子力空母ロナルド・レーガン、右上は海上自衛隊の最新鋭のヘリコプター搭載護衛艦「いずも」、右下は、近くの公園に永久保存されている記念艦「三笠」、日露戦争で遠来のバルチック艦隊を壊滅に追い込んだことで知られている。

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