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私の弱点である「ふくらはぎ」の故障防止策を考える―更なる展開へ

  • 2013/08/15 18:55

 今年の6月19日「私の弱点である『ふくらはぎ』の故障防止策を考える」とのブログを書いた(http://www.unique-runner.com/blog/diary.cgi?no=193 )。今回はその発展版であり、それについて以下に書いてみよう。
 前回書いたのは、読売新聞に掲載された和歌山大学の本山教授の研究成果、つまり長距離を走るときには筋肉のブレを抑えるテーピングをすることが効果的であるとの主張を基にした私自身の新しい試みについてであった。そこで私がテーピングに代えて使ったのはふくらはぎを締める(コンプレッション、圧縮)レッグカバーといわれるもので、それがふくらはぎの故障防止に凄く効果的らしいというものであった。
 それをその後今日まで毎日のように使い続けているが、それがどんなものかは1枚目の写真をご覧いただきたい。写真はTIGORAのMサイズを装着している写真で、ふくらはぎサイズではLであるが少しコンプレッションが不足気味なのでMサイズを使用している。これを使用してこの2か月間1週間に4~5日間毎日15キロほどをLSDとして走り続けてもふくらはぎに異常は発生せず、また翌日に疲れを持ち越すこともほとんどなさそうで、下肢筋肉のブレを予防することの重要さを認識させられることとなった。なお、このレッグカバーと言われるものはすべてユニセックス仕様である。
 このことに気をよくした私は、この1か月間同様のコンパクション効果を持つように作られているコンプレッションインナー(ノースリーブ)を試すことにした(2枚目の写真)。それもTIGORAブランドのもので、値段からしてもその効用を試すには絶好であった。初めて使用した時には肋骨のない腹部、特に胃がかなり圧迫されることを感じたが、これも少し慣れればほとんど何も感じないくらいのものであった。
 でも、驚いたことには胃の安定感であった。私は比較的胸焼けをするタイプで、特に何か食べてから1~2時間くらいの間に走ると必ず胸焼けをするタイプである。ところがこのコンプレッションインナーを着用して走ると、ほとんど胸焼けをすることもなく、安定感を持って走ることができるのである。したがって、レッグカバーと併用することでこの2か月間ほとんど何の問題もなく走り続けることができたのである。
 このインナーは前部に肋骨のようなものをもたない内臓(胃、大腸、小腸など)の運動時の動きを抑えているようで、これについては動きを抑えることがよいことかどうかとの議論もありうる。しかし私はそのことをポジティブに感じている。その根拠は、たとえば“闘争&逃走”のためと言われる交感神経や副腎髄質ホルモンなどは激しい運動を想定して動き出すとアドレナリンなどのカテコールアミン類を分泌するが、それは筋肉系の毛細血管は拡張させて血流を増大させながら、一方で当座必要とされない消化器官の血管は収縮させて血流を絞るという生理現象があるからである。つまりはそのような状況下では消化器などの内臓は機能させないようになっているというのが、生理学の教えることのように思う。そう考えると、運動時に消化器などの内臓は機能させず、できるだけブレないようにしておくというのが、交感神経などが要求する機能と合致することだと考えてよいであろう。これが私がコンプレッションインナーによる腹部の圧迫を前向きに考えている理由である。
 このような新しいコンプレッションを基本としたレッグカバーとインナーを着用し、さらに股関節をとりまく大きな筋肉を使って走る走法の徹底によって(http://www.unique-runner.com/blog/diary.cgi?no=129)、この秋に始まる新しいシーズンを楽しめるような気がしている。できればそれを存分に楽しみたいものである。

追記:
 インナーについて気がついたことがあるのでそれを追記しておきたい。それは、腹腔が圧迫されたとした時に起こりうる現象についてで、その場合のひとつの影響は横隔膜を挟む胸腔(胸郭)の体積の減少の可能性があることである。そのことを単純に考えると、肺が利用できる体積が減少する、あるいはまた横隔膜の動きが制限されると共にその上に乗っている心臓に圧迫がかかるなどが考えられないこともない。ただ、これらは鍛えられた腹筋によって腹部が強く守られている状況と変わりはないと思われるが、いかがなものであろうか?ただ、インナーは使い始めてまだ1カ月ほどなので、その効用については注意深く観察してゆきたい。 (8月18日追記)

猛暑を逃れて六甲山に涼を求める

  • 2013/08/11 11:12

 暑い暑いとは言いたくない私だが、最近の夏、特に今年の夏は暑い。山の上に登れば涼しい風を感じられることは分かってはいるが、それでも山を下れば熱い風が待っていると思うとなかなか行く気にもなれない。そんな思いを繰り返していた時、7月末の読売新聞に「六甲山の天然氷を使った冷風体験」という記事が出ていた。六甲山はそれほど遠くはなく、車での移動中は涼しい車中で過ごせると思うとその誘惑に負けてしまった。
 8月8日はまだ帰省客も多くはなく、道路事情も悪くはないだろうと朝ゆったりと出発した。ところが最近はお盆の帰省客は分散しているのか、通い慣れた中国道豊中あたりからもう渋滞となってしまった。特に急ぐ旅ではないので気分はゆったりだが、高速道路を走れないのは気分は良くない。はっきりとは覚えてないが宝塚ICを出るのに1時間ほどはかかったような気がした。それからはカーナビの指示に従ってひたすらかなり急カーブの多い六甲の山道をひた走り、「六甲ガーデンテラス」を目指した。
 着いてみるとそこは確かに別世界で、かなり涼しくしかも霧がかかっていて、夜なら百万ドルの夜景といわれる景色はほとんど何も見えなかった。真昼間に来ていて特にそんなことは期待していたわけではないので、とりあえず涼しければそれで良しということで安堵した。目的のガーデンパレスのある場所は、多分六甲連山のひとつの山頂の比較的平らな場所のようで、そこにはかなり凝った、瀟洒な同じ傾向の幾つかの建物が立ち並んでおり、そこには他ではなかなか見られないようなお土産店やレストランを見ることができた。
 その一角には山頂を生かして、1枚目の写真で見られるような通信用の大きな鉄塔が幾つも建っていた。しかし、その向こう側は霧のためほとんど見ることができない天候でした。実はその鉄塔の手前左側に2枚目の写真の上の部分のような、ちょっと鳥かごのようなものが建っており、これが目的の「六甲枝垂れ」でした。それは檜のフレーム(枝葉)で囲まれていて、それを通して様々なビューを楽しめるように意図されている。
 さらに3枚目の写真のように、そのフレームの中に総檜でできている、中空で、地下には冬に自然に作られた氷が蓄えられている氷室があり、その氷室を通して冷たい空気を楽しめる風室が造られていた。この部屋は市街地に比べて10℃ほど気温が低いようで、写真に見られるようにそこに座ってくつろぐ肘掛の部分に空けられた隙間から、冷たい空気が流れ出ているようであった。この部屋には天井はなく吹き抜けであるが、冷たい空気はそう簡単に逃げ出さないようである。あまり長居ができる場所ではないが、しばらくちょっとした別世界を楽しむことができた。これらを設計したのは、気鋭の建築家と言われる三文一 博志(さんぶんいち ひろし)氏である。
 外に出てみるとその建物の前の部分の小さな池には様々な色の睡蓮がきれいに咲いていた。それを組み写真にしたのが4枚目の写真である。また、その六甲枝垂れのすぐそばにペアリフトの乗り場があり、わずか100円で下のカントリーハウスの方に降りることができたのでそれに乗って下りてみた。すでにバラ園は終わっていたが、さまざまな花が咲いており、それもまた5枚目の写真にまとめておいた。
 それでほぼ目的を達したので、あとは六甲アイランドや三宮方面が少し見え始めたレストランの窓際の席で、チョット体重増を気にしながらではあったが、ゆっくりとカレーヴァイキングを楽しんだ。その帰り道、ちょっと気分を変えて何度か行ったことがある神戸三田プレミアムアウトレットに立ち寄り、ランパンなどを少し買い物をし、相変わらず渋滞はしていたが、それもあまり気にせず帰宅した。

濃い緑の福井平野を走って650キロ (2)永平寺と越前海岸

  • 2013/07/06 13:39

 恐竜博物館を後にして一路宿泊予定の山中温泉に向かった。北陸の温泉を訪れるのは初めてであるが、到着した山中温泉は静かな温泉街で、予約したホテルも深い渓谷の斜面に建つ落ち着いた宿で、温泉につかって旅の疲れを癒やすことができた(1枚目の写真)。
 翌朝そのホテルを後にして永平寺に向かった。曹洞宗の大本山ということもあってこれまでも訪れたことももあり、少し懐かしい感じを覚えた。永平寺の成り立ちについてWikipedia次のように言う。
 「永平寺(えいへいじ)は、福井県吉田郡永平寺町にある曹洞宗の寺院。總持寺と並ぶ日本曹洞宗の中心寺院(大本山)である。山号を吉祥山と称し、寺紋は久我竜胆車紋である。開山は道元、本尊は釈迦如来・弥勒仏・阿弥陀如来の三世仏である。…(中略)…
 幼時に父母を亡くした道元は仏教への志が深く、14歳で当時の仏教の最高学府である比叡山延暦寺に上り、仏門に入った。道元には『天台の教えでは、人は皆生まれながらにして、本来悟っている(本覚思想)はずなのに、なぜ厳しい修行をしなければ悟りが得られないのか』という強い疑問があった。道元は日本臨済宗の宗祖である建仁寺の栄西に教えを請いたいと思ったが、栄西は道元が出家した2年後に、既に世を去っていた。比叡山を下りた道元は、建保5年(1217年)建仁寺に入り、栄西の直弟子である明全に師事した。しかし、ここでも道元の疑問に対する答えは得られず、真の仏法を学ぶには中国(宋)で学ぶしかないと道元は考えた。師の明全も同じ考えであり、彼ら2人は師弟ともども貞応2年(1223年)に渡宋する。道元は天童山景徳寺の如浄に入門し、修行した。如浄の禅風はひたすら坐禅に打ち込む『只管打坐(しかんたざ)』を強調したものであり、道元の思想もその影響を受けている。道元は如浄の法を嗣ぐことを許され、4年あまりの滞在を終えて帰国した。なお、一緒に渡宋した明全は渡航2年後に現地で病に倒れ、2度と日本の地を踏むことはできなかった。
 日本へ戻った道元は初め建仁寺に住し、のちには深草(京都市伏見区)に興聖寺を建立して説法と著述に励んだが、旧仏教勢力の比叡山からの激しい迫害に遭う。旧仏教側の迫害を避け新たな道場を築くため、道元は信徒の1人であった越前国(福井県)の土豪・波多野義重の請いにより、興聖寺を去って、義重の領地のある越前国志比庄に向かうことになる。寛元元年(1243年)のことであった。当初、義重は道元を吉峰寺へ招いた。この寺は白山信仰に関連する天台寺院で、現在の永平寺より奥まった雪深い山中にあり、道元はここでひと冬を過ごすが、翌寛元2年(1244年)には吉峰寺よりも里に近い土地に傘松峰大佛寺(さんしょうほうだいぶつじ)を建立する。これが永平寺の開創であり、寛元4年(1246年)に山号寺号を吉祥山永平寺と改めている。寺号の由来は中国に初めて仏法が伝来した後漢明帝のときの元号「永平」からであり、意味は「永久の和平」である。」
 永平寺は広大な境内に伽藍が別々に立っているという感じではなく、比較的緩い斜面に大きな七つの伽藍が建ちその間を廊下が結んでいるという構造になっている。したがって、お参りをするときは外に出ることなく、それぞれの伽藍を巡回することができる。2枚目の写真に見られるように、境内には杉の巨木が林立しており、それらのケアが丁寧に行われているようである。
 3枚目の写真にはいくつかの伽藍の写真を載せたが、これらの建物はいずれも近世になって建て替えられたもので、それまでのものは度重なる兵火などで失われたようである。左上は仏殿、右上は法堂、左下は食事などをつかさどる大庫院、右下は中雀門の向こうに大きな山門が見える。これらの伽藍を回る前には修行僧による簡単な説明もあり、永平寺における若い禅僧の修行の一端を知ることができ、いまの時代にも多くの若者が修行に励む心意気を垣間見ることができるような気がした。
 参拝の後にお土産屋を眺め歩いた後に、山を抜け坂井市に属する日本海側の東尋坊を目指して車を走らせた。そこには海岸の断崖に柱状に林立した岩の並びが見えた。それを「柱状節理」というらしいが、それを知らなかった私はWikipediaで勉強した
 「節理(せつり、英: joint)とは、岩体に発達した規則性のある割れ目のうち、両側にずれの見られないものをいう。マグマ等が冷却固結する際や地殻変動の際に生じる。なお、割れ目の両側にずれが見られる場合は断層になる。柱状節理(ちゅうじょうせつり、英: columnar joint)は、岩体が柱状になった節理。六角柱状のものが多いが、五角柱状や四角柱状のものもある。玄武岩質の岩石によく見られ、マグマの冷却面と垂直に発達する。」
 東尋坊をはじめとして越前海岸で見られる柱状節理は輝石安山岩のもので、写真をご覧になればお分かりのように見事な奇岩である。このような岩石は、堆積岩の間に安山岩を柱状に貫入してできているようで、その後の波による浸食によってそれがいくつかの塊としてあちらこちらに聳え立つという風景を作ったらしい。ただ、その堆積岩が浸食されて洞窟のようになった部分もあり、それが4枚目の写真の左上のようにみられることがある。東尋坊一帯を観た後にお土産屋の方に足を運んだが、沢山の店に団体のバス旅行で来られた方々が一杯で、やはり有名な観光地なのだと教えられた。
 東尋坊を後にして越前海岸を南下すると、あちらこちらに東尋坊と同様の柱状節理の岩石が見られた。そのひとつが5枚目の写真にある鉾島で、同様の岩石が見られた。私たちは北陸道から名神で帰宅するために鯖江ICから入ろうとかなり南下したが、そこまでの海岸線は、海岸べりで遊ぶには東尋坊よりははるかに適しているように思えた。夕方までそんなきれいな海岸線を走ってから内陸側に入り、鯖江ICから帰阪することになった。自宅に帰ってみると約650キロ走っていた。

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