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小石川後楽園と東京ドームを訪れる

  • 2019/06/19 17:22

 野球好きの私としてはいまだ観戦に訪れたことのない東京ドームに行かなければ、いつまでもお上りさんのままである。息子にお願いしてチケットを手配してもらい、6月8日の今年の交流戦の初カード巨人vsロッテ戦を観戦できることになった。でも、せっかくドームまで行くのであればその場所に同居するようにある小石川後楽園を訪れていま最盛期の花菖蒲を見たいと言うことになり、朝の10時に中央林間を出ることになった。永田町で南北線に乗り換え、およそ1時間で後楽園に到着した。

 東京ドームの前身は言うまでもなく後楽園球場である。ではなぜ国の特別名勝・特別名跡である都立公園は「後楽園」ではなく「小石川後楽園」なのか。そのあたりにことをWikipediaに訊いてみた(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E7%9F%B3%E5%B7%9D%E5%BE%8C%E6%A5%BD%E5%9C%92 )。それによれば成り立ちは「小石川後楽園(こいしかわこうらくえん)は、東京都文京区後楽一丁目にある都立庭園。江戸時代初期に水戸徳川家の江戸上屋敷内につくられた築山泉水回遊式の日本庭園(大名庭園)であり、国の特別史跡及び特別名勝に指定されている。(中略)1629年(寛永6年)、水戸徳川家水戸藩初代藩主・徳川頼房が作庭家・徳大寺左兵衛に命じて築いた庭園を、嫡子の光圀が改修、明の遺臣朱舜水(朱之瑜)の選名によって「後楽園」と命名して完成させた。出典は『岳陽桜記』の「天下の憂いに先じて憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」によっており、岡山市にある後楽園と全く同じである。(中略)1923年(大正12年)3月7日、国の史跡および名勝に指定された。指定の際、岡山市の後楽園と区別するため「小石川」を冠した。」言うなれば小石川と言う地域名を付し、中国的、儒教的な趣好が濃厚で、水戸黄門ゆかりの小石川後楽園である。
 訪れて分かったが、東京ドームや後楽園遊園地と隣接しているにも関わらず、六義園同様静かで落ち着いた美しい庭園である(http://www.unique-runner.com/blog/index.php/entry?word=%E5%85%AD%E7%BE%A9%E5%9C%92 )。この時期梅雨に濡れた緑が美しいが、私に珍しかったのは小廬山(しょうろさん)と呼ばれている小さな山で、黄色い変わった名前のオカメザサに覆われ、まわりの緑と緩やかなコントラストを感じさせて美しかった(1枚目の写真)。いまは多彩な花はそれほど見当たらないが、奥に入ってゆくと本当にいまが見頃の花菖蒲が満開であった(2枚目の組写真)。花が密集しているわけでもなく、ほどほどの間隔できれいに咲いているのは観ていて気持ちよく感じられた。また家光公がしばしば休んだと言われる屏風のような屏風岩、また琵琶湖の松に由来すると言われる見事な一の松など印象的であった(3枚目の組写真)。最後にキッチンカーで売られていた三福団子をおなかに入れて一休みし、東京ドームに向かった。

 東京ドームには、確か第一回の東京マラソンの抽選に当たり、そのゼッケン受け取り会場であったために訪れたように記憶している。ひょっとして第3回目にも当選したのでその時だったのかもしれないが、いずれにせよ当時のドームの周囲の様子とは全く変わっているのにはびっくりした。以前はドームの周りにはかなりのスペースの余裕があったように思うが、今回小石川後楽園から歩いてドームに至るまでのスペースはすべて商業施設だと思われる大小のビルに取り囲まれている感じであった。その雰囲気が分かるのは4枚目の写真である。私には詳しいことは分からないが、ドームは少し高台にあり、ドーム内のグランドレベルはかなり低い位置にある、そんな感じである。
 ドームの中に入ってみると観客席に入る前の通路は非常に広く、その通路にそって沢山の店、特に食べ物や飲み物を売る店が整然と並んでいて混雑した感じが全くないのが意外であった当日も確か4万人を超える観客がいたはずであるが、雑然とした感じはなく、私がよく通った甲子園球場とは雰囲気が全然違っていて意外であった。私は最近の新しい球場をほとんど見ていないので、その意味では私の感覚は古いのかもしれない。
 さて、巨人vs.ロッテの交流戦は午後2時に始まった。私たちが座っていた席は5枚目の組写真からお分かりになると思うが非常に見やすい位置で、最後の組写真は、そこからの先発投手の表示が出た電光掲示板(右下)、1点リードで新鋭の中川投手を投入して逃げ切りを図った巨人をロッテ打線が巻き返しを図り、2番鈴木選手の逆転2塁打などで(左上の写真)一挙4点をとってひっくり返した時のスコアボードの写真が左下、そしてそれに対して9回裏若手の岡本選手のライトへのツーランホームランで1点差まで追い上げたが(右上の写真)、巨人はそこで万事休した。試合時間はほぼ3時間半と長かったが、しかし緊迫感のあるなかなかの好試合で十分に東京ドームでの野球観戦を堪能することができた。
 東京ドームの次は横浜スタジアム(ハマスタ)でのプロ野球の観戦も悪くない。実はハマスタには2年ほど前に高校野球夏の神奈川県予選の決勝戦を観戦に出かけたことがある。あと半月もすると全国で高校野球の予選が始まる。私は毎年のように近くの大和球場や淵野辺球場に自転車で出かけて観戦している。今年もまたそれを楽しめる夏が来るかと思うとうれしい。

国内国外を問わずの汚い言葉の投げつけ合いに嫌気がさして・・・

  • 2017/10/13 09:42

 国内では、なりふり構わず野党側の窮地を狙ったとしか思えない安倍首相の突然の解散劇と、それに伴う政界の混乱と汚い言葉のやり取り。そして国外では、北朝鮮の核武装と核ミサイルを巡ってのガキ大将同志の汚い言葉の投げ合い。さらに今朝の新聞にもあるようにトランプ大統領による国連ユネスコからの脱退宣言など、一体何を考えているのだろうかと唖然とするばかりで、そんな大統領を何ともできないアメリカ国民とアメリカメディア。いつなんどき何かのはずみで攻撃のボタンが押されるかもしれない。それがないとの保証もない。そんなトランプに愛想よく付き合うわが首相を担ぐ我々国民とメディア。我々はどちらを、どこを向いていればよいのだろうか?
 そんな気分のなか、少し出かけてきた。まずは、東京都文京区駒込にある六義園(りくぎえん、と呼ぶ)。これは都立文化戝9庭園のひとつである。そこのパンフレットの冒頭に次のように書かれている。「六義園は五代将軍・徳川綱吉の信任が厚かった川越藩主・柳沢吉保が元禄15(1702)年に築園した和歌の趣味を基調とする『回遊式築山泉水』の大名庭園です。当園は池をめぐる園路を歩きながら移り変わる景色を楽しめるせんさいで温和な日本庭園です。江戸時代の大名庭園の中でも代表的なもので、明治時代に入って、三菱の創業者である岩崎彌太郎の別邸となりました。その後、昭和13(1938)年に岩崎家より東京市(都)に寄付され、昭和28(1953)年に国の特別名勝に指定された貴重な文化財です。」
 その記載通り、庭の門を入った正面にある池を中心として、その周りを巡る、いわゆる回遊式の庭園で、その静かなたたずまいを楽しむことができる。残念ながら私はこの手の文化財について解説を加えることなど不可能で、ただその雰囲気を伝えられるように3組の組み写真をお届けする次第である。1枚目はこの庭園の正門と江戸から明治にかけての変遷を残すように洋風のレンガで作られた塀とその説明、およびこの庭園を造営した柳沢吉保が故郷和歌山を意識しての庭園構成の簡略図を示す写真などである。2枚目は庭園の中心である池周り全体の雰囲気を示す写真で、取水場には水の方向を分ける珍しい水分石も見られる。3枚目は、柱と梁に滅多に使われることのないツツジ(3本はサルスベリ)で建てられた簡素な「つつじ茶屋」と、それより下ったところにあり、甘酒や和菓子を楽しませてくれる「吹上茶屋」の写真である。そこに外国のご婦人が座ってゆっくりと庭園全体を眺めている姿はよい風景である。この茶屋は、2枚目の写真に池の反対側からも見えている。この茶屋の屋根上に猫が寝そべって毛づくろいしているのもゆったりしていてよい。
 この庭園を訪れたのは10月の初めで、ちょうど花が少なかったのが残念だったが、桜の季節には園の入口にある巨大なしだれ桜が見ものであろうし、秋にはつつじ茶屋に山側から覆いかぶさるようなモミジは壮観であろう。ぜひまた訪れたい。
 その数日後、テレビで小田原城下での“小田原おでん祭り”の報道があった。何を思ったか、いや小田原名物のおでん食べたさに、1時間少しで行けることもあり一人で出かけた。もちろん前回小田原城に出かけた時には天守閣耐震補強などの工事中で中に入れなかったこともあった。まず、小田原城に行き、小田原城とそれを巡る様々な出来事や小田原城がその始まりとされる“総構え”を城内での展示などで勉強させてもらった。ただ惜しむらくは、たとえば彦根城のように築城当時の天守閣内部の様子を見ることのできないのは残念である。
 4枚目の写真は、きれいな白壁が光る天守閣とその天主の展望デッキから見える海側の写真である。右下の写真の左側には遠く伊豆半島があり、その左側の写真の左端にはわずかに三浦半島を望むことができる。右側中断の写真はその間の海側である。風もないこともあってか少しかすんで見えている。戦国時代には海側の防御にも神経をとがらせていたのであろう。5枚目の写真は、城を見物した後二の丸公園で開かれていた骨董とおでん祭りに出かけた写真である。なお、左上の写真は、天守の展望デッキから右を見た、つまり伊豆半島側の方向の下に見える小田原駅あたりの写真で、小田原城は駅がすぐそばで観光にうってつけの場所にあることがわかる。というわけで、練り物のかまぼこで有名な小田原のおでんをしっかりいただいて、うっとうしいニュースがテレビから聞こえる我が家に戻ることになった。

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