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2014年04月04日の記事は以下のとおりです。

善峯寺・三鈷寺で枝垂桜と京都市街の眺望を楽しむ

  • 2014/04/04 11:37

 京都府八幡市の背割堤の満開の桜を楽しんだ後、ついでだからと171号線を挟んで反対側で長岡京市のさらに奥で、高槻市と京都市の境のポンポン山(標高678.8m)に近い善峯寺と三鈷寺を訪れることにした。車でおよそ30分くらいのところで、標高およそ300mあたりまで上ることになった。善峯寺は由緒正しいお寺で、そのあたりのことをWikipediaに尋ねてみた。それによると、
 「善峯寺(よしみねでら)は、京都府京都市西京区大原野にある寺院。山号は西山。西国三十三所第20番札所。善峰観音宗(天台宗系単立)。桜や紅葉の名所になっているとともに境内各所から京都市街、比叡山を一望できる。
 寺に伝わる『善峯寺縁起絵巻』(江戸時代)等によれば、長元2年(1029年)、源信の弟子にあたる源算が創建したという。その後、長元7年(1034年)には後一条天皇から「良峯寺」の寺号を賜った。鎌倉時代初期には慈円が住したことがあり、このころ後鳥羽上皇直筆の寺額を賜ったことによって寺号が善峯寺と改められた。青蓮院から多くの法親王が入山したため「西山門跡」と呼ばれた。応仁の乱に巻き込まれて伽藍が消失したのち、江戸時代になってから桂昌院の寄進によって再興された。
 境内は京都市域の西南端近く、釈迦岳の支峰の善峯に位置し、山腹一帯に多くの堂宇が建つ。バス停留所から山道を数分登ったところに山門が東向きに建ち、段を上った正面に観音堂(本堂)が建つ。山門、観音堂は元禄5年(1692年)、山内最古の建物である多宝塔は元和7年(1621年)の建立。他の諸堂宇も大部分は江戸時代、桂昌院の援助で整備されたものである。…中略…
 観音堂の左手(南)には寺宝館文殊堂が建つ。観音堂右手の石段を上った一画には鐘楼、護摩堂、経堂、多宝塔(重要文化財)、開山堂、遊龍の松(天然記念物)、桂昌院廟、十三仏堂などがある。そこからさらに上ったところに釈迦堂、阿弥陀堂があり、境内のもっとも奥には薬師堂(奥の院)、青蓮院宮廟などがある。
青蓮院宮廟 - 境内のもっとも奥に位置し、覚快法親王(鳥羽天皇皇子)、道覚法親王(後鳥羽天皇皇子)、慈道法親王(亀山天皇皇子)、尊円法親王(伏見天皇皇子)、尊道法親王(後伏見天皇皇子)らの墓がある。墓地は宮内庁が管理している。…中略…
 天然記念物 遊龍の松
 樹齢約600年の五葉松で幹が横に這うように伸びていることからこの名が付けられた。全長50数メートルあったが、松食い虫の被害により平成6年(1994年)、10メートルあまり切断された。」
 善峯寺を訪れたのはこれが二度目で、釈迦岳という山の中腹の険しい斜面に建てられており、お堂などの建物はがっちりした石垣に守られており、多くの建物の間の道は巧みに作られていて斜面の割には大変歩きやすくできているのには感心した。1枚目の写真は善峯寺の入り口と本堂の写真で、2枚目は色は少し薄いがきれいな枝垂桜の写真である。3枚目は、上にも書かれている「遊龍の松」と呼ばれる五葉松で、狭い場所を這うように伸びていて色鮮やかである。望遠レンズしか持っていなかったのでその全貌を撮ることはできなかった。
 その善峯寺の北門からでたところに小さいが、中は非常に美しい三鈷寺(さんこじ)があった。ほとんど人がいない静かなお寺であったが、親切な住職がわざわざ細かく分かりやすく寺の成り立ちを説明してくれたので少しは理解できたが、それでもWikipediaの助けを借りたいと思う。それによると、
 「三鈷寺(さんこじ)は、京都市西京区大原野にある浄土宗西山派の寺院。本尊は如法仏眼曼荼羅。往生院本山、西山往生院とも称される。京都洛西観音霊場第5番札所。この寺は、長元年間(1028年~1037年)源算が結んだ往生院と号する草庵に始まるとされる。1161年(応保元年)観性から慈円に譲られた後、証空が入寺して現在の寺号に改められた。応仁の乱で寺運は衰えたが、その後再興されている。古くから不断念仏の道場であったが、1951年(昭和26年)に西山宗の本山として一派を形成、天台・真言・律・浄土四宗兼学の道場となった。」
 4枚目の三鈷寺の写真の下部分にはこのお堂には百人一首の成立に深くかかわったといわれる宇都宮頼綱(実信房蓮生)もまつられていると書かれている。その人については別のウェブサイトに「◆宇都宮蓮生 平安時代後期-鎌倉時代の武将・宇都宮蓮生(うつのみや れんしょう、1178-1259)。宇都宮五代城主頼綱。鎌倉幕府御家人。1205年謀反の疑いにより27歳で出家、宇都宮蓮生と称した。歌を藤原定家より歌を学び、定家の子息に娘を嫁がせた。二尊院近くの小倉山麓に山荘を構える。1235年山荘障子に貼る色紙の執筆を定家に依頼し、定家は天智天皇以来の一首づつを綴り『小倉百人一首』の原型になる(http://everkyoto.web.fc2.com/report524.html )」と書かれており、鎌倉幕府の武将でありながら出家し、この京の地に落ち着いて百人一首の原型つくりに手を染めた人のことを思うと不憫というか不思議な感じがした。
 最後の5枚目の写真はその三鈷寺からはるか見下ろした京都盆地の風景である。黄砂のためか春かすみか分からないがかなりかすんでいたのは残念であった。それにしても見事な絶景で、東山から比良山系までまた南は伏見、あるいはもっと南まで見渡せる。左上の写真では中央に京都タワーや駅ビルそして左には本願寺が見える。また右上の写真の中央に白く光って横に長く見えているのはJRA淀競馬場で、左下の写真の真ん中少し左には、昨年開通した京都縦貫自動車道が見える。左方面に走れば沓掛ICを通って舞鶴方面にまで向かうことになり、右下の写真に見えるのは多分大山崎ICと思われる。そして上の方に伸びている高架橋は京滋バイパスで、昨日花見に訪れた背割堤はこの高架橋の右側にあるはずである。
 帰る間際に面白い広告を見た。それはこの絶景を夜に楽しみながら食事ができるようで次のようにネットにも出ていた。
 要予約の1日1組限定のご利用
  京都の夜景鑑賞のご案内 1日1組限定 4名様から
  期間 3月21日~12月10日 (水曜日を除く) 時間 夕5:00~8:30
  料金一人:5000円~(本堂拝観・お食事料含む・お飲み物は別途となります) 
  料金はお料理のご希望(内容)によって変わります。
  お問い合わせよろしくお願いします。
  ご希望の方は1週間前までに電話又はFAXにてお申し込みください。
 きっと楽しい食事が待っていそうな気がするがいかがであろうか。

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