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2018年08月11日の記事は以下のとおりです。

鎌倉幕府はなぜ鎌倉に?

  • 2018/08/11 23:13

 関東に引っ越して4年目。しかしいまだ鎌倉に足を運んだことはない。なぜか?高校で歴史とりわけ日本史を全く勉強しなかった私には鎌倉という場所がとんとイメージできないところだからだ。それなら行ってみればよい。その通りだ。幸いしばらく前にNHKの走る”旅ラン”番組で、北鎌倉からよそ見しながら10キロを走るのを見ていると無性に行ってみたくなったのである。その興味の理由は、かって大学に入りたての頃は地理になぜか引かれていたからで、それをいまくすぐられたからであった。でも、タイトルのような質問は、子供が訊くようなことだが、まあ、幼稚なことと諦めてブログを書くことにする。

 鎌倉についてWikipediaに訊くと次のように言う。
 「鎌倉の市街地は東・北・西の三方を山で囲まれ、南は相模湾に面した天然の要害である。東・北・西のいずれから鎌倉に入るとしても「鎌倉七口」と呼ばれる、山を切り開いた狭い通路(切通し)を通らねばならず、防御のしやすい土地柄であった。鎌倉幕府初代将軍の源頼朝がここを拠点としたのは、父祖ゆかりの土地であったこととともに、こうした地理的条件による部分が大きかったと思われる。市街地の北西には源氏山(92メートル)があり、山並みは高徳院(鎌倉大仏)の裏手を通って稲村ヶ崎まで伸びている。市街地の北から東にかけては六国見山(147メートル)、大平山(159メートル)、天台山(141メートル)、衣張山(120メートル)などの低い山が連なり、逗子市との境に当たる飯島ヶ崎、和賀江島(わかえじま)方面へ伸びている。市街地周辺の山はいずれも標高100~150メートル程度だが、標高の低い割には急坂やアップダウンの激しい山道が多いとされ、市街地北方の尾根道には「鎌倉アルプス」の別称がある 」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8E%8C%E5%80%89#長谷、腰越、深沢、大船)。

 1枚目の写真は、今回訪れた寺院のパンフや入場券(鶴岡八幡宮のはなくした)で、あとで簡単にではあるが説明する。2枚目の写真は、私の興味の対象に関するデータである。上の説明に関するものの一つはこの組み写真の左下にある航空写真である(Wikipediaの記事からの引用)。黒く見えているところは低いとはいえ山岳地帯であり、そこを越えることなく海岸地帯の平地に入り込むことはできない。そこを通れるようにするためには山岳地帯を切り開くことが必要で、それが「切通し」と呼ばれる狭い道である。きわめて狭いところを広げて道にするか、あるいは岩盤に穴をあけて道を作るかである。この2枚目の写真に3枚の切通しの写真があるが、このような狭い道を通って大軍を送り込むことは難しく、また南側は相模湾に面しており当時としてはきわめて安全性の高い地域であり、幕府を置く格好の領域であったことは私にはよく理解できた。この話はまたあとで述べる。
 話は少し遡って、横須賀線の北鎌倉駅で下車したところに戻りたい(3枚目の写真)。この有名な観光都市にこんなかわいい駅があるとは想像もしていなかった。そこからわずか数分のところに大きな円覚寺がある。北条時宗が眠るところではあるが、もとは蒙古襲来で戦没した多くの霊を敵味方なく弔うことであったと言う(1282年創建)。アジサイで有名であるがすでにほとんど終わっていたのは残念であった。そこからわずか数分のところに明月庵とも呼ばれた明月院がある(4枚目の写真)。ここはアジサイ寺と言われるほどアジサイで有名であるが、ここもほとんど終わっていたがこの組み写真の中に一枚入れておいた。ここで私の見たいものが見えた。それはこの鎌倉(旧鎌倉)を取り囲んでいる岩盤である。やはりここ明月院を取り囲んでいて、あまりもぐりこんで写真を撮ることを控えたためわかりにくいが、その岩盤をほこらのように削って墓室としているようである(明月院やぐら)。そこは創建者と言われる関東管領上杉憲方の墓室であるともいわれる。そのような鎌倉の地形・地理の情報を自分の目で確かめられて私は満足した。
 この明月院あたりは鎌倉の北側で、少し坂を上り切通し(2枚目の写真)を通って海に向かって平地の方に歩くことにした。歩くこと数十分で鎌倉駅に近い鶴岡八幡宮のところに出てゆっくり参拝した。5枚目の写真の上2枚にその写真を出したが、2010年3月の強風によって樹齢800年とも1000年とも言われた巨大な銀杏の木は倒れいまはその勇姿はない。現在新しい芽をとって育てていると言う。
 その後「小町通り」で昼食にそばを楽しみ、そこから江ノ電に乗って長谷駅まで行き、坂東三十三箇所観音霊場第四番札所の長谷寺に立ち寄った(写真は5枚目の下2枚)。そこで、素晴らしい巨大な木造十一面観音立像をしばし鑑賞したあと再び江ノ電に乗り、藤沢に出て小田急江ノ島線で帰宅した。この小旅行を実行したのは暑さも絶好調の7月12日であったが、たまたま少し雲もあってなんとか歩きとおすことができた。とにかく、分からなかったことが自分の目で確認して理解できるというのは気持ちが良いものである。
 なお、写真はクリックで拡大して、またスマホならさらに拡大してご覧ください。

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