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軍用機の飛び交う空の下 (2)神奈川は沖縄に次ぐ基地県

  • 2015/07/08 18:00

 「神奈川は沖縄に次ぐ基地県」のキャッチコピーは、ほぼ2月6日の読売新聞の記事からいただいたものである。この記事を紹介する前に、厚木基地をめぐる問題についての市の広報から紹介したい。1枚目の写真は、2月1日付の広報の2ページ目である。基地騒音の最たるものは、空母が横須賀港に入港している時の騒音で、空母入港時には艦載機は厚木基地に移動していると思われる。全ての訓練はそこを基点にして行われる。たとえば、艦載機が厚木基地の滑走路の一部を空母の飛行甲板と見立てて離着陸を連続して繰り返す(タッチアンドゴー)ときの騒音は、周辺に与える甚大な騒音被害の典型である。この記事の真ん中あたりに見える右下がりのグラフは、縦軸はその騒音の頻度を表していると考えればよく、横軸は西暦の年号である。特に問題となる夜間の離着陸訓練は下側の黒い線で示されるもので、1994年から急激に低下していることが分かる。実はこの年から夜間の離着陸訓練は全面的に小笠原諸島の硫黄島で実施されることになったためである。しかし、天候などの都合で硫黄島での訓練ができないときには、2012年のようにこの厚木基地でタッチアンドゴーの訓練が行われる。しかし、硫黄島に出かけて戻ってくるときにも同じ騒音がするのはもちろんである。なにゆえにそれほど繰り返し繰り返し訓練が行われるのかと言えば、3枚目の写真の記事の左側に書かれているように(読売新聞5月23日)、離着陸の技術を体に叩き込む、それをマッスルメモリーというらしい、そのために繰り返し繰り返し行うのだそうである。スポーツ選手が、その競技の基本と言われることを繰り返し繰り返し、これでもかこれでもかとやるのと一緒である。命のかかった離着陸であるからなおさらであろう。
 私が住むこのあたりの方々に聞くと、皆さん異口同音に“いまはまだよくなったのよ、かってはとってもひどかったんだから”と言われる。グラフを見れば明らかである。しかし、横須賀港に空母が入港している間は原則的にはタッチアンドゴーは硫黄島であるが、空母が出港する前の4月の最初の頃からか激しい艦載機の騒音に悩まされた。出港に備えてこの基地での訓練も激しさを増していたのだろうと推測できる。
 しかし、1枚目の記事の左下やネットニュース(http://www.47news.jp/47topics/e/255604.php)によれば、原子力空母の艦載機は、横須賀基地に入港時にはこれまで厚木基地に59機駐機して訓練していたのであるが、2017年からは岩国基地に移駐するとのことで、そうなれば騒音被害からかなりの程度逃れることができる可能性もある。しかし、その分岩国での騒音増加が見込まれることから手放しで喜ぶ気分ではない。また、空母がすでに出港して2か月近くたっているにもかかわらず、度々ジェット戦闘機がこの地区を飛行している。それがどこから来るのか、自衛隊のものか、あるいは岩国から飛行しているのかなどは不明である。
 また、2枚目の写真の広報記事(左下)に書かれているように、しばしば新型輸送機オスプレイが飛来しているようで、さらにこれまで運用されていたYS-11に代わる新型輸送機のC-130Rという大型の輸送機が運用されるようで、騒音に関しては先行き不透明である。
 ここで神奈川県の基地の全体像を見てみよう。4枚目の写真(読売新聞2月6日)の記事を見て私はびっくりした。その中の一部を拡大して5枚目の写真にしてあるが、米軍関係の施設面積では沖縄・青森に次いで3番目、在日米軍人らの数でいえば沖縄に次いで2番目で、読売新聞は神奈川県を「沖縄に次ぐ基地県」だと判断している。その記事の地図によれば、私が住む地区の北東にはキャンプ座間(在日米陸軍司令部)、南に厚木基地、東南には横須賀海軍施設(在日米海軍司令部)、さらに3か所の住宅施設、補給廠、貯油施設や倉庫群があり、それ以外にも通信所が2か所あったが深谷はすでに返還され、“海軍道路”という珍しい直線距離2.9キロの道路がある[上瀬谷通信施設はこの6月30日に全面返還になった(3枚目の写真の右側部分参照)。
 私が日頃動き回る行動半径の中には写真4の地図に表わされている3か所の施設があり、大きなスペースを使用している。また、神奈川県の北の東京都も横田基地を中心として施設面積で4番目、在日米軍人数で3番目となっており、有事の際にはこのあたり、いわゆる首都圏は、沖縄県以外ではきわめて危険な地域のひとつであることに間違いはない。

軍用機の飛び交う空の下 (1)すさまじい騒音に驚く

  • 2015/07/08 15:40
 この地に引っ越す前から近くに厚木基地があることは百も承知していた。しかしそれまでこの地に滞在したときの経験から、うるさいことは確かではあるが我慢の限度内であると想像していた。もちろん、いまでも我慢の限度内ではあるが、その音に気を取られているときの集中力の欠如は明白である。この騒音下での学校の授業はどうなっているかと子供たちに聞くと、“うるさいときはね、先生は話を止める”と言う。テレビの音声さえ聞こえないんだから当然であろう。
 まず、いったいどんな飛行機が飛んでいるのかを知りたく写真を撮ってみた。ここに掲載する写真のほとんどは私の部屋の窓からとったものや、そこから半径100m以内の道路わきからとったものばかりであり、そのことからいかに近いところ、あるいは日常的に我が住み家の真上の低空を飛んでいるかが分かってもらえると思われる。それもそのはず、厚木基地は私の住んでいるところから真南におよそ4.5キロのところにある。なお、厚木基地と言っても厚木市にあるのではなく、不思議なことに確か87%が綾瀬市に属し、13%ほどが大和市に属していて厚木市には関係ないのである。どうも広い地域の代表として“厚木”という名称を使ったらしい。
 1枚目の写真は、もっともすさまじい爆音をとどろかせる米海軍の艦載機F/A-18スーパーホーネットと思われるものである。耳をつんざくという言葉が当てはまる感じで、写真を見ると異なる装備で飛んでいるようである。しかしこのような艦載機も異なる角度から建物などを入れて撮ると2枚目のような写真となり、いかに低空を飛んでいるかが分かる。
 3枚目の写真は、艦載機の次に大きな騒音を発する哨戒機のP3Cあるいは新たに導入されたP1という哨戒機、さらに新たな輸送機のようで、日の丸をつけて飛んでいることから海上自衛隊の所属である。もちろん厚木基地は米国海軍と航空自衛隊の共同使用である。そして4枚目の写真のように周りの建物などを入れて撮ると、このような大型の機種が艦載機と同様にいかに低空を、まるで屋根のすぐ上を飛んでいるかのように見える。実際そのとおりで、時にあまりの低空に恐ろしさを感じることがある。
 5枚目の写真は、このあたりを飛ぶ様々な航空機の写真で、これらはその内の一部で多彩な機種が飛行しているようである。特に5月初めに横須賀を準母港とする原子力空母ジョージ・ワシントンが交代のために出港して以来、もちろん艦載機はほとんど飛んでおらず、その代わりか艦載機がいるときには飛んでいない機種で訓練しているようにも感じている。9月に入れ替わりに来る原子力空母は、ロナルド・レーガンだと言われている。
 一般的にはこのような状況であるが、特に艦載機や哨戒機などの訓練時には同じような機体が繰り返し繰り返し基地を中心にして旋回して、場合によっては離着陸訓練が繰り返されているようで、激しい爆音が繰り返し聞かれる。それらの騒音被害の緩和策を私は二つ経験している。ひとつは、この地区では騒音防止のために特殊な建具を使っており、「防衛施設庁認定防音建具」とラベルのある建具である。確かにそれで窓を閉めると騒音を少しは和らげることはできる。もう一つは迷惑料である。騒音のためにテレビなどの視聴に問題が発生することへの迷惑料とでもいうのであろうか、NHKの地デジの受信料の半額を防衛局が支払ってくれるようである。でも、これも狭い地域内のことと言われている。
 このようなことを考えると、この地区の生活環境は私がかって住んでいた名古屋や大阪などとはかなり異なる地域なのだと考えた方がよいのかもしれない。しかしこの地区だけではなくさらに神奈川県全体でみてみるともう少し全体像が見えてくる気がするので、それを次の話題にしてみたい。

戦後70年、2つの対照的な出来事に思う

  • 2015/04/22 11:00
 あの惨めな敗戦に終わった太平洋戦争から70年、様々な出来事がある。ひとつは天皇陛下・皇后陛下による幾度となく行われてきた「慰霊の旅」の終着駅かと思われる西太平洋のパラオへの旅である。もうひとつは積極的平和主義を掲げる安倍首相をはじめとする自公政権による様々な政策である。
 私の父方の叔父は、昭和19年米軍の猛攻にさらされたサイパンで玉砕したと知らされている。だから、“バンザイクリーフ”のことも早くから知っていた。それもあってそのサイパンには子供の頃から何か思い入れがあり、その地に両陛下が「慰霊の旅」を行ったのは戦後60年の節目であり、私にも強い印象を与えた。その時にも企画されながら訪問できなかったパラオへの「慰霊の旅」が戦後70年の節目の今年に実現された。これらの「慰霊の旅」は、あの戦争で亡くなった方々への両陛下の真摯な祈りであろうと確信している(1枚目の写真)。
 私にとってパラオのペリリュー島はもともと全く知らない名前の島だった。かし、2007年頃からNHKが行っていた兵士たちによる膨大な「証言記録」の映像を録画していたが、そのことを知ったある方から「ペリリュー島 終わりなき持久戦」を収録したDVDを見せてほしいとの依頼を受け、初めて西太平洋のことを勉強することができた(http://www.unique-runner.com/sensounokiroku.htm )。その地域の戦闘は、それがどこであろうと同じだろうが、想像を絶するものであったようで、そのことが陛下をサイパン同様に「慰霊の旅」に向かわせたのであろうか。
 陛下はまた、しばしば「憲法を守ることが大切」と述べており、護憲意識は高い。さらに、それと関連があるかどうかは分からないが、昭和天皇も現在の天皇陛下もA級戦犯を合祀している靖国神社には一度たりとも参拝はしていない。このような象徴天皇の姿勢に明らかに背を向けて立ちはだかるのが自公政権であることは間違いない。天皇陛下がパラオに出かけられる際の出発式でも、安倍首相を面前にして、「このような戦争は二度と起こしてならない」旨の言葉を述べられていた。私は、まるでその言葉は安倍首相に向けて発せられたように聞こえた。
 4月12日の読売新聞日曜版には、私も3年前に訪れた鹿児島・知覧の「知覧特攻平和会館」に残されているある特攻隊員の言葉に加えて、特攻で亡くなった上原良司少尉の「所感」が載せられている(2枚目、3枚目の写真)。それは出発前夜に書かれたもので、「空の特攻隊のパイロットは一器械にすぎぬ(中略)理性を持って考えたなら実に考えられぬことで(中略)一器械である吾人は何も言う権利もありませんが、ただ願わくば愛する日本を偉大ならしめられん事を、国民の方々にお願いするのみです」とある。こうしてこのような言葉は「平和へのバトン」として私たちに託されている、とこの日曜版は述べている。
 しかし現在の自公政権ははたしてその道を歩んでいるのだろうか。むしろ日米豪の同盟強化にまい進して、特に米国の世界戦略の一つの歯車として世界の隅々にまで自衛隊を送ることを目指しているように見える。特に自民党はその考えが顕著である。しかしそのような方向性を持つと思われる自民党は、先の統一地方選挙前半戦においても圧勝している(4枚目の写真)。ほかに有力な会派が存在しないからといってこのような結果を与えてしまえば、自公政権に大いなる錯覚を起こさせてしまいそうできわめて危険で、上の「平和へのバトン」を受け継ぐことは全く難しくなると確信する。
 その自民党の党首である安倍首相は、いま問題になっている「戦後70年談話」において「侵略」という言葉を使いたくないようである。そのことについて読売新聞は今日の社説で「首相は『侵略』を避けたいのか」と問うている(5枚目の写真)。そしてその社説は、「政治は、自己満足の産物であってはならない」と述べ、「70年談話はもはや、首相ひとりのものではない。日本全体の立場を代表するものとして、国内外で受け止められている。首相は、談話内容について、多くの人の意見に謙虚に耳を傾け、大局的な見地から賢明な選択をすることが求められよう。」と締めくくられている。
 著名な小説家である村上春樹氏も、戦争被害国への謝罪について、「相手国から『十分に謝ったのだからもういいよ』と言われるまで、謝り続けるしかないのではないか」旨の意見を述べている(http://blog.esuteru.com/archives/8140126.html )。私も同感である。日本人戦没者だけで310万人以上で、外国の方々についてはそれと同等あるいはそれをはるかにしのぐともいわれる想像を絶する侵略戦争であったと思われる(「戦争責任II」読売新聞戦争責任検証委員会、中央公論新社)。
 およそ2年前、安倍首相の靖国神社参拝を契機に一気に中国・韓国との関係が悪化した。そしてその影響は経済界を含め一般国民がこうむったのである。一体誰のための政治なのであろうか?今年も106人の超党派国会議員が靖国神社に参拝したと聞く。こんな政治家を選んだのは、そして現在の自公政権を選んだのはいったい誰であろうか?

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