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外の世界にはなにがあるのか? ・・・ソチから想うこと

  • 2014/02/20 11:21

 ソチ冬季五輪のアルペン・スノーボードの女子パラレル大回転で竹内智香選手が鮮やかに銀メダルを獲得した。今大会で女子初のメダル獲得になったが、そんなことより、2枚目の写真にあるように、彼女は自らを鍛えなおすために5年間スイスの代表チームに単身で乗り込んで修業し、まさに「一匹狼」としてメダルを獲得したことのほうが私には大切なことのように思える。
 だから外国で修業したほうが良いと単純に言うつもりでここに書いているわけではない。しかし、スポーツの世界に限らず、科学の世界でも同様のことが多く、日本から出た多くのノーベル賞受賞科学者もそれまでの過程で外国留学をしてきている。また、最近ではSTAP細胞を開発した小保方晴子氏もハーバード大学での経験が下支えになっているようである。そんなことを思うと、私が外国で経験したことで大切と感じたことを思い出しておきたいのである。
 外国で生きるということから簡単に思い出せることはいろいろあるが、その第一は様々なカルチャーショックである。馬鹿馬鹿しいことを言えば、私がスタンフォード大学の郵便局で切手を買い、歩きながらその裏をなめて封筒に張っていたら、突然ある女性に“Stupid!”と言われたのにはびっくりした。“切手の裏をなめる”というのが“とんでもない!”と見えたのは“なるほど”と思えたが、それをあからさまに罵倒する言葉で“言う”というそのことに驚いたことがある。この思ったことを口に出す、“ものを言う”ということになると彼らは大人も子供も例外はない。彼らはそれによって一人でも生きるという術、精神構造を作り上げてゆくようである。彼らの土壇場での個人の強さという光景は、今回のソチでも縦横に見られている。
 しかし、私が一番学ばせてもらったと思うことは、十分に議論して作り上げた研究目標に向かって直線的に進む彼らのやり方である。彼らは研究目標を定めると直線的にそこに到達しようとする。もし、障害があればそれを避けずに乗り越えようとし、たとえば方法が十分でなければ新しい方法を考え出し、それを使って直線的に進もうとする。残念ながら私の知る限り、生物科学の領域で広く使われているほとんどの実験方法は我々ではない外国人の努力の結果である。この意味で、タンパク質の質量分析という領域でノーベル化学賞を受賞した島津製作所の田中耕一氏は日本での数少ない方法論に基づく内容での受賞であり、その価値は大きい。
 このように、目標に直線的に進むという研究方法については私はスタンフォード大学にいるときに共同研究者からしばしば文句を言われた。我々というか私は、研究が行き詰るとしばしば目標の周辺領域に探りを入れて何かヒントを掴もうとする傾向があった。そこを突かれるのである。私はそれに時間をかけるつもりは毛頭ないと必死に言い訳をするのだが、なかなか彼らにはそれが理解できないようであった。彼らは、“Go straight-forward!!!”(“余計なことをせず直線的に進め”)と強調するのである。
 私は結構目標追求に執念深い男だが、大方の日本人の研究の進め方は大なり小なり上に書いたようなやり方をする。それは、現状の科学のレベルでは、理解できている自然についての知識はその全体のごくわずかであるため、目標の周辺を研究したとしても新しい発見はいくらでも出てくるということに支えられているのである。だから日本の研究室のトップは、特にかなり前までは“議論をしていても始まらない。実験をしていれば何か新しいことが出てくるんだから”と議論に時間を費やすことを嫌がったのである。
 43歳からの15か月という短期間の外国での研究生活であったが、その間に私は“目標に向かって直線的に進む”という研究の進め方を自覚することになり、帰国後にそれを十分に生かしてそれなりの研究成果をあげることができた。
 こう書いたからと言って、彼ら(多くはアメリカ人研究者)のあり方に全幅の信頼がおけるということではない。すでに今の日本もそうなってしまっているが、彼ら研究者間の競争関係は厳しく、きわめて強い個人批判を伴うこともあり人間関係が殺伐としたものになることを危惧している。その点日本には幾つもの震災時に発揮された、優しさ、絆、思いやり、気配り、そして、お・も・て・な・し、などという本来個人主義的になりきれない日本人の良さが、研究環境運営のどこかで有効に機能する余地があるような気がしてならない。でも、それがネガティブに表れることが多い点には十分な注意が必要であろう。同様のことがスポーツの世界にもありそうな気がしている。そんなことこんなことをソチから感じたが、難しいところである。

「頑張る若者、ダメな大人」のつづき・・・で、“アラフォーからアラセヴンティ、そしてアラエイティヘ”

  • 2014/02/17 22:22

 この前2つのブログに続いて、今回の1枚目の写真の真ん中には男子フィギュアシングルで金メダルの羽生結弦選手(19)が、そして、第64回ベルリン映画祭で山田洋次監督の「小さいおうち」に出演した黒木華さん(23)に最優秀女優賞が送られたと報告され、相変わらず若者の活躍が続いている。
 しかし今回は、レジェンド、つまり伝説と呼ばれるようになった人の話である。その人は葛西紀明選手で、7度目の五輪で初めてメダル、それもほとんど金にも等しい銀メダルを獲得した。その諦めない姿勢で向上心を持ち続けてメダルを狙い続け、やっと41歳にして初の個人でのメダル獲得であった。彼を称して外国の選手からは“Legend(伝説の人)”と呼ばれ、絶大な信頼を勝ち得たのである。その何とも美しい飛翔の姿は見る者を魅了する(2枚目の写真)。
 でも、私や仲間たちもそんな彼の果敢な挑戦の姿勢を指をくわえて見ているわけではない。もちろん、彼らは世界の映画祭や五輪の場であるが、私や友人たちの世界はそれに比べると小さな、楽しく走るマラソン大会の世界である。しかし、規模こそ違えチャレンジということを言えば気持ちは一緒である。葛西選手はアラフォーであるが、私たちはアラセヴンティ、私などはあと2年もすれば四捨五入でアラエイティに近づく歳である。その私たちのチャレンジは、いかにして走り方を改善し、いかにして自らの体力の向上を図り、いかにして自らのチャレンジ精神を鼓舞するかである。
 数年前から面白い企画がある。それはランナー向けの雑誌「ランナーズ」が企画しているもので、ランナーの走力を1歳刻みの年齢にランク付けするもので、外国のレースを含めて国内のレースにおけるタイムを日本のランナーを1歳刻みごとにランク付けをしている。ちなみに昨年の3月末までのレース(会計年度と同じ)でのランクを見ると、私の72歳時のランクはベストタイム4時間18分35秒(長野マラソン)で71位ということになる。同じ年齢のあの君原健二氏は3時間37分56秒の8位とはるか上にいる。もう一つのランクを言えば、たとえば昨年の大阪マラソンにおける私の位置は、全ランナー27669人中で6944位、また70-74歳の男子種目では完走者133人中5位である。私たちはそのような位置情報を参考にしながら、市民マラソンの世界においてアラセヴンティ(70歳前後)やアラエイティ(80歳前後)になろうとも、ささやかなレジェンドを目指している。
 そんな私にとって定年後10年も経つと故障も増え、今は苦しい。私の弱点であるふくらはぎの故障もレッグカバーの着用などでその頻度を大幅に減らしはしたが、いったん故障してしまうとそれが長引き、近づいてくる次のレースへの対応を迫られている。無理を承知で参加するか、アラエイティでのレジェンドを目指してここは我慢を優先するかは大切な分かれ道である。いまは未来を見つめた決断をしようかと考えているが、でも、悩ましい。できるならば、いつまでも歳のことを言い訳にしないで走り続けたいのである。歳を言っちゃおしまいよ、である。

追記:何度も何度も「ダメな大人」のことを書くのは心苦しいが、今ネットを見るとまたもや靖国神社がらみで首相補佐官が謝罪したとの記事が出ていた。それによれば、「衛藤晟一首相補佐官は19日、安倍晋三首相の靖国神社参拝をめぐり米政府を批判した動画サイト『ユーチューブ』での自身の発言を取り消し、動画を削除する意向を明らかにした。国会内で記者団の質問に答えた。」とある。そんな批判をすればどうなるかさえ分からない大人たちの馬鹿馬鹿しいことの繰り返しで、本当に嫌になる。(2014年2月19日)

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「頑張る若者、大人はダメ」のつづきだが・・・

  • 2014/02/15 10:19

 前回のテーマの「大人はダメ」のつづきを書こうと思っていたが、その前にこれまでソチ冬季オリンピックでの若者の活躍は素晴らしいので、まずそれを少し書いておこう。若者とは、まあ20代までと考えれば、スキージャンプノーマルヒルの葛西選手を除けばすべて若者である。スキーフリースタイルの角野選手、上村選手、平岡選手、平野選手、岡田選手、スキージャンプの高梨選手、ノルディック複合の渡部暁斗選手、フィギュア男子フリーの羽生選手、町田選手、高橋選手などは、メダルのあるなしにかかわらず素晴らしい精一杯の活躍である。
 私はメダル、メダルと言いすぎる日本のメディアや五輪の関係者のあり方には大いに疑問である。明治天皇の玄孫で日本オリンピック委員会(JOC)会長・竹田恆和氏やその息子でもある竹田恒泰氏が「メダルも取れないで楽しかったなんて言うコメントはあり得ない」や「メダルをとってもメダルを噛むな」などと馬鹿なことをのたまわっているが、こんな人こそオリンピック関係から去るべきだと思っている。選手たちには国費が出されていることがそんな発言に関係しているようであるが、巨費を投じているにもかかわらずとんでもない政治を続けている議員諸氏が日本を危ない路線に引きずり込もうとしていることのほうがはるかに浪費であることを彼らは問題とすべきであろう。これはダメな大人の例である。
 もともと書こうと思っていたのは、渡部選手がノルディック複合のノーマルヒルで銀メダルを獲得した2月13日の読売新聞朝刊7ページ目の最下段に出ていた小さな記事についてであった。それは本当に小さな記事で、この内容は新聞社としては大きく報道したくないとの意思が表れていると思われる。写真を読んでいただければわかるが、その記事は米国ワシントン・ポスト紙が11日の社説で、「歴史認識に関するNHKの籾井勝人会長と百田尚樹経営委員の発言を『破壊的な歴史否認主義』と批判し、安倍首相にこれらの発言を明確に批判するよう求めた。籾井氏は『(いわゆる従軍慰安婦は)どこの国にもあった』と述べ、百田氏は「南京大虐殺はなかった』などと発言したとされる」との内容である。
 安倍首相は彼らの発言に対してはコメントせず、靖国神社参拝などを考えると彼らの発言に心情的には賛意を表しているとみなされるように思う。特に新NHK会長に籾井氏を起用したのは、NHKは左に偏向した報道が多いとの与党内部の意向にも沿った安倍首相の意向を受けたものと言われ、私などにはあまりにあからさまな人事と見える。最近はあらゆる委員会や懇談会の人事にこの手の人材の起用が頻繁にみられる。その最初は、黒田日銀総裁の起用であろうか。
 ワシントン・ポスト紙のこのような報道は、安倍首相の靖国神社参拝以降頻繁にみられ、この機に乗じた中韓の米国内における攻勢はたびたび報じられる。やれ、「第二次世界大戦後の世界の新秩序に対する挑戦である」や、「慰安婦像の建立」、「『日本海』という名称を『東海』という名称に変更せよ」などの主張が枚挙にいとまがない。最近アメリカのいくつかの州で「東海」という名称を併記する方向に進みつつあるようで、安倍首相や安倍政権のやり方がアメリカだけではなく世界的に日本に対する逆風を吹かせているのは間違いないと思われる。
 安倍首相は個人の心情で靖国神社に参拝しているのであろうが、世界は個人の心情などで動くような代物でないことを肝に銘じるべきであろう。このようなことを繰り返し続けていると、リベラルな米国のオバマ大統領やケネディ駐日大使などなどにそっぽを向かれ(すでにそっぽを向かれているらしい)、安倍首相の交代を暗に求められる事態にもなるかもしれない。ひょっとするとそれも良しかなと感じないわけではない。どうもダメな大人が多すぎる。

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