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熊本の人吉から鹿児島を走り回って420キロ-(1)人吉での愉快な出会い

  • 2012/09/02 10:44

 昨年の同じ時期に九州の中央部を大分から阿蘇を通って熊本に抜けるコースを走って様々なところを見て楽しんだが、今年は熊本の人吉から鹿児島のルートを楽しむことにした。新大阪から九州新幹線で熊本まで3時間、そこでレンタカーを借りて九州自動車道を南下して人吉市に入った。
 人吉市についてはWikipediaは次のように言う。「熊本市から直線距離で真南に約70kmの場所に位置し、熊本県の最南端に当たる。北部と南部は九州山地の一角をなす山地である。市域南部は標高1,000m級の山地で宮崎県えびの市と鹿児島県伊佐市に接している。市の中心部は人吉盆地の西端で、球磨川が東から西に貫流する。市内では万江川・山田川・鹿目川・胸川など多数の支流が球磨川へ流れ込んでいる。中心部は古くからの城下町の町並みが残っており、小京都と呼ばれる。」
 予約したホテルは水のきれいな球磨川沿いに建ち、人吉城跡に面していたのでチェックイン後、中世から明治初期まで変わらず人吉を拠点とした相良家の城跡辺りを散策した。少し雨模様ということもあり城跡を眺めただけで登ることはせず(1枚目の写真)、ゆったりとした人吉の雰囲気を楽しんだ後、その近くに繊月酒造という焼酎製造会社を発見した。球磨の焼酎といえばもちろん米焼酎である。幸い人吉の会社は酒造会社からみそ・しょうゆの会社、それに鍛冶屋まで見学をさせてくれるようになっていて、その繊月酒造も私たちともう1人の女性の3人でもしっかりと米焼酎造りの過程を丁寧に案内してくださった。しかもその後ゆったりと存分に試飲をさせていただき、様々な種類の米焼酎を楽しむことができた。お陰で自分のためやお土産に数本を購入し、あとはお土産のことは考えず気楽に旅することになった。なお、この会社の写真を撮らなかったので、パンフにあるその会社のお酒の写真を掲載しておく。なお、これ以外に瓶で熟成させた古酒などがあり、とってもおいしかった。
 ゆったりとホテルで一泊した翌日、ホテル近くの街並みを少し歩きまわっていた時、楽しいおじさんに声をかけられた。3枚目の写真でお分かりのように、その“おやじ”は小さな「佐々木食肉店」を経営していて、店内にNHKの看板番組「鶴瓶の家族に乾杯!」への出演予定が張り出したあり、店の入り口左にあるシャッターには「鶴瓶の家族に乾杯!に出演した佐々木肉屋です」のビラがおどっていた。
 このおやじは実に面白い人で、聞けば何でも話してくれて、そのテレビ番組に出演することになったいきさつや、NHKが突然出演することになった人たちへの数々の心配りなどもいろいろと話してくれた。私はその番組を観ていたので、その時話題になった大相撲の番付が板に書かれていたもののことなどを訪ねたところ、なんとその肉屋の前の化粧品店にあるのだと言われた。確か二つ話題になったはずだと聞いたところ、もうひとつは濱田屋さんというすぐそばのまんじゅう屋さんにあるという。わざわざ見せてほしいとお願いするのも気が引けたので見ることはなかったが、いずれにせよ、家族に乾杯のお陰で思わぬ会話を楽しむことができた。こんなのが本当の旅の楽しみかもしれない。焼き鳥もごちそうになり、昼食用に胸肉の照り焼き様のものを買い、サヨナラを言ってお別れをした。
 その後もその街を散策し、小さな鍛冶屋さんを覗いて珍しい刃物を1本買い、またみそ・しょうゆ蔵の釜田醸造所を見学させていただいた。うなぎの寝床のような感じの工場で、その空間には無数の多彩な菌類が生きているのだろうとなぜか思えた。見学の後いろいろ試食・味見させていただき、2種類の醤油を買うことになった。人吉の方々は外からの人達になんとも優しいとひしひしと感じた。
 その後、国宝の茅葺の本殿や鐘楼と門がひとつになった青井阿蘇神社をおとずれ、また「幽霊の掛け軸」が残されているという永国寺も訪れた。なお、西南戦争時に西郷隆盛が一時本陣を置いたところのようで、後に戦況悪化で小林方面に撤退したとのことで、明治維新後の混乱収束の動きを感じさせられた気分であった。そしてその後えびの高原方面に車を走らせた。

この“うっとうしい”問題はいつまで続くのか?

  • 2012/08/21 11:27

 ロンドンオリンピックの男子サッカー(U-23)の三位決定戦で韓国と戦うその前日の8月10日、韓国の李明博大統領は韓国が自国領土とする独島(日本名 竹島、島根県)に大統領として初めて上陸した。そのうっとうしい気分の中で行われた日本対韓国戦は、案じたように0-2で韓国に敗れ、44年ぶりのメダル獲得はならなかった(http://www.unique-runner.com/blog/index.php/view/161 )。そのときの映像で私は気が付かなかったが、勝利した韓国のMFが「独島は我が領土」と書いた紙を掲げてピッチを駆け巡ったことが、ネットに溢れる写真から判断できた。この政治的パフォーマンスに反発したIOCは直ちにそのMFの表彰式参加を阻止し、メダル授与を中止して、そのパフォーマンスの実態調査に入っている。場合によってはメダルのはく奪もあるとされる。
 そんな嫌な雰囲気の中8月15日、今度は香港の活動家ら5名が尖閣諸島の魚釣島に上陸し、船にとどまっていた9名ともども海上保安庁に逮捕された。当然であるが、香港は中国領でありこの発生源は中国であることは明らかであるが、中国としてはある意味自制した行動の範疇のつもりであろう。これら二つの問題に対する政府の対応を記事にしたのが、18日の読売新聞の1枚目、2枚目の写真である。
 私の評価基準からすれば、今回の政府の対応は的確だったと考えている。この日中、日韓のそれぞれの島の領有権の問題は、中国侵略、韓国統治の問題が戦後明確にその責任と反省という意味で処理されてこなかったことに起因している。私のつたない感覚で言えば、過去の戦争についての詳細な解析はそれほど行われてこなかったように思う。そして、意外なことだが、「読売新聞 戦争責任検証委員会」が2006年に出した「検証 戦争責任I II」(中央公論新社)が網羅的に検証した数少ないものだと感じている。そのII巻目の帯に次のように書かれている。「近隣諸国の悲惨な歴史の記憶が『靖国』を争点にする」。いまはこの「靖国」を「竹島、尖閣諸島」と書き換えればいいだけである。
 また思いがけないことであったが、8月19日東京都議や島根県議など地方議員5名が尖閣諸島に上陸した。ただただ馬鹿げているというしかない。その背景にはこれらの問題に対する国内の強硬論がある。野党自民党も彼らのこれまでの無策を恥じることなく政府を攻撃して政局にしたいと考えているようであり、とにかくどんな事態においても政局にすることが野党の第一の仕事であると考えているのだから始末が悪い。強攻策をとって突き進んで一体どんなメリットがあるというのだろうか。何ができると思っているのだろうか。かって拉致問題で北朝鮮に強硬策をと言って出来る限りの強攻策をとって一体どんなメリットがあったのであろうか。一触即発の強攻策をとって国内を引き締めよう、支持率を上げようと考えるのは相手の国がやることであって、我々がやることではないだろう。
 あと3年すれば戦後70年である。それでも世界中で過去の大戦の亡霊が動き回っている。それほど「悲惨な歴史の記憶」は人間の気持ちを荒んだものにするのだと実証しているようである。そんな「悲惨な歴史の記憶」が私たちの想像以上に韓国や中国の民衆を、あるいはまたこの日本の国の一部の政治家を思いがけない行動に突き動かしている。そのような行動は決して自分たちのためにはなってゆかないのだと自覚していただきたいのである。そんな意味もあって2枚目の写真にある「よみうり寸評」(読売新聞8月20日夕刊)をお届けする。それはアンブローズ・ビアス著の「悪魔の辞典」からの引用で書かれていて、私ha
何度も読んだ覚えがある。
 私は1939年に今の韓国・仁川で生まれた。だから朝鮮半島のことは気になり、拉致問題に関しても私なりの意見をホームページにも書いた(http://www.unique-runner.com/korea1.htm )。それでもそれらの国において簡単に反日運動が盛り上がるのにはほとほとうんざりするのが本心である。その裏には我が国の当該国への対応の問題の他に、それらの国において徹底した反日教育が行われているからでもあろうし、一方日本では現代史の教育がほとんど行われていないという弱点があるという状況があるからでもあろう。この二つの問題が解決されない限り、日中、日韓双方の国から相手を刺激する行動や発言が絶えず溢れ出ることが予想される。現状のままでも、また日本や相手国が強攻策をとろうとも、まだまだ長い年月にわたって様々な形で紛争が勃発することが予想される。日本としては、過去の戦争の正確な分析とそれに基づく反省と誠心誠意の外交努力を続けるしかないのであろう。それが何年何十年かかろうともである。それが「悲惨な歴史の記憶」を少しずつ癒してくれるのを期待するしかないのであり、それほど過去の負の遺産は“超”がつくほど大きいと自覚するしかないのであろう。だから私は、物議をかもした韓国男子サッカー選手が政治的主張を掲げて走る写真をここに掲載しなかった。
 なお、私のブログの写真は全てクリックすれば拡大できます。拡大してご覧ください。

大金星を挙げた男子U-23 しかしメダルには届かず!

  • 2012/08/12 14:33

 グループリーグ初戦で無敵艦隊スペインを撃破し、一気にグループリーグを一位で突破した日本代表。決勝トーナメントでもエジプトを3-0で快勝して4強入りは果たしたが、そこからは厳しい関門が待ち構えていた。
 迎えたのは中米の伝統的なサッカー強国メキシコであった。身体は日本とは変わらないが圧倒的なキープ力と決定力をこれまでW杯などで示したけれど、不思議にも44年前のオリンピックメキシコ大会で日本に敗れてメダルを逸して以来メダルに手が届いていなかった。これは日本へのリベンジの戦いであった。
 前半12分に大津の豪快なシュートで先制し、それまでの勢いに乗っていたが、31分にコーナーキックから同点とされ、65分にはディフェンス陣のミスから勝ち越し点を奪われ、終了間際にも追加点を奪われて万事休止となった。この試合前半はともかく、後半に入ると目立って運動量が落ち、メキシコの速いドリブルについてゆけず、故障を押して出場してきた永井にも切れ味が見られず、それを生命線としてきた日本チームの快進撃も終わりを告げる形となった(1枚目の写真)。
 日本チームはこれまで永井を中心としたスピードと、ギリギリまで相手を追いつめる執拗な守備という精神力でここまで駆け上がってきたが、そのスピードに疲れからか陰りが見えれば、それに支えられていた精神力も十分に持ちこたえられないのは当然であった。しかしこのゲームを見ていて思ったことは、メキシコの素晴らしくスピードに乗ったドリブルに象徴される生き生きとしたプレーぶりであった。それに比べて日本選手のプレーには苦しさが滲み出ていたように感じられた。
 その点に関して評論を読売新聞に書いている元ヴェルディ総監督の李国秀氏の見方(2枚目の写真)は面白いので是非お読みいただきたい。李氏は、メキシコの選手は得意な形になるようにボールを操ってドリブルし、パスを出すなりシュートを打つなりするが(ここは書いてないが)、日本の選手は苦しい状態のままでプレーしている、と見ている。したがって、プレーに生き生きとした活力が見られないと嘆く。そしてそれは、どうゆう状態で、どうゆうボールの持ち方でプレーすればストレスが少ないかを子供の時から感じながら育ってきたメキシコ選手と、それを問題にせずにスピードと精神力を最高の評価基準として育ってきた日本の選手との違いだと断じている。この点は韓国との3位決定戦に敗れた時の李氏の評論とも関係している。
 スピードに陰りが見え始めた日本と韓国の銅メダルと賭けた戦いは、初めからなんだか結果が見えていた感じがした(4枚目の写真)。戦前から個の強さにおいて勝っていると言われていた韓国選手に、2点ともカウンターを見舞われ、カウンターの恐ろしさを感じさせられた。翻って考えてみれば、モロッコ戦やエジプト戦での貴重な得点も俊足永井を軸にしたカウンター攻撃に他ならなかった。
 韓国戦での1点目のカウンターで、相手選手一人に対してシュートを打たれる前には4人のディフェンスがいたのである。それでも、あの時の画像を見ても分かる通り、4人のディフェンスが固まった存在であり、4人いても相手にとっては1人のディフェンスとしか見えない存在であったように思う。カウンターというのは、時間をかけて組織だって相手を崩して責めるよりも、スピードとキープ力と決定力を持つトップの選手が1人いれば、わずかのディフェンスをかわせば得点できるという意味で、“勝つ”という点に徹した戦法という意味ではなるほど恐ろしいものだとつくづく感じさせられた。
 しかし、サッカーとはそうゆうものか?そのようなサッカーの対極にはスペインのような全員が連動して相手を崩して打ち負かすという戦法がある。なでしこジャパンは明らかにこの戦法であって、フィジカルとスピードに劣る選手が中心のチームがたどりつく究極のやり方だと思われる。日本のU-23チームもこの戦法とカウンター戦法の両方を狙ったのであろうが、今大会で最も機能したのは、それによって韓国に敗れたカウンター戦法であったのだと私には思える。
 この両方の戦法をいかに使いこなすか、については再び李国秀氏の評論が有効であろう。5枚目の写真の記事にあるように、「サッカーとは『うまい』『賢い』の次に、スピードや精神力(頑張り)が来るものだ。3番目の要素が最も評価されているのではやはり限界がある。女子は決勝で『もう一度やれば米国にも勝てる』と思わせるゲームを演じたが、男子はそうではなかった。値打ちのあるプレーを求めていくよう、育成時代からしつけていくことが必要だろう」と李氏は述べている。この文章の中にある「最も評価されているのでは・・・」との文章の前には「日本で最も評価されているのでは・・・」との言葉が入っていると解釈すべきであろう。李氏の評論にはいつも「賢い」、つまりは「優れた判断力を持つ」選手の育成が基本だと述べられている。そのあたりのことを今回戦ったスペイン、メキシコそして韓国あたりから学ばなければならないのであろう。なお、掲載した記事はすべて読売新聞のものである。
 それはそうとして、なでしこジャパンはもちろん男子U-23チームは大いに我々を力づけてくれた。ただただ彼らの勇気に敬意を表したいと思う。

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