エントリー

[簡易復元] 過去2年間に訪れた博物館、美術館での展示をひとまとめにして・・・

  • 2011/09/21 00:12

 過去2年間、様々なものを観てきた。観てきたものについては、できるだけなにがしかのコメントを書いて残そうとこのブログに書いてきたが、それも残念ながら失われてしまった。その際に使った入場券の写真やパンフレットの写真などは残されていたので、以下にほとんどその写真だけを掲載しておきたい。
 このブログは、写真は5枚だけ掲載できるように制限してあるので、それ以上の数の写真を載せるときには組み写真にして載せている。ここでもその手法をとり、写真の数を増やしている。その写真は、しかしその手法のために小さくならざるを得ないので、細かいところをご覧になるときには写真部分をクリックし、拡大してご覧ください。
 訪れた展覧会などの感想は、その都度の情緒的な気分を書き連ねてきたので、今その内容を復元することはほとんど不可能である。この2年間、ここに示したもの以外にもいくつかの展覧会など(たとえば狩野派の絵)を楽しんできたが、最も強烈な印象を受けたのは5枚目の写真にその一端を示した“長谷川等伯”であった。その展覧会の1枚のパンフ(5枚目写真の右)は次のように言う。
 「長谷川等伯(1539-1610)を知っていますか? 水墨画の最高峰『松林図屏風』、金碧障壁画の至宝『楓図』を描き、あの狩野永徳をも脅かした絵師です。能登七尾(石川県)に生を受けた等伯は、はじめ『信春』と名乗り主に仏画を描いて活躍。30代で上洛すると、仏画、肖像画、花鳥画など多岐にわたる画題を時に精緻に、時に豪放に描きわけ、豊臣秀吉、千利休らに重用される時代の寵児となりました。一代で築き上げた長谷川派を、トップ絵師集団狩野派と肩を並べるまでの勢力に押し上げた等伯。その波瀾万丈の生涯、人間味溢れるエピソードは、残された作品群に勝るとも劣らず、我々を魅了し続けます。
 2010年は、等伯没後400年の節目の年。この記念すべき年に、史上最大規模の大回顧展を開催します。秀吉・利休を魅了し、永徳を畏怖させた長谷川等伯伸びの神髄がいかなるものか。そのこたえは、あなたの目で確かめてください。」
 まさに驚嘆したというのが私の率直な気持ちで、分厚い資料集まで買ってしまった。定年になってからいろいろと見て回って、日本の絵師や画家というのはすごい人たちがいたのだとは薄々感じ始めていたが、この展覧会を見てその思いは確かなものとなった。それになぜこれまで気が付かなかったのかとつくづく思う。まあ、自分の目で見てそれを確信したのだからそれでよいのであるが、学校の教育とはなんだったんだろうかと思う。私に絵などについて最大の教育を施してくれたのは、だから学校の教育ではなく、「開運!なんでも鑑定団」のような気がする。このテレビ番組はもちろん普通の面白おかしい番組ではあるが、それだけではなく出品作品の文化史・美術史的背景の解説があり、毎週毎週面白く貴重な教育を受けていた感じがした。
 そんな教育に引きずられて見てきたうえに挙げた様々な展示会は興味深いものだった。西洋の絵画展はもちろん、カルタゴについては意外なことをたくさん知ったし、遣唐使たちの命がけの渡航に驚き、冷泉家の古文書も面白かった。そんな感覚を引き出してくれた“教育”番組を引っ張ってきた司会者の一人島田紳助は、暴力団との付き合いが発覚して引退した。これからもなんとか楽しませてもらいたいが、これまでと同様できるだけ展覧会などには出向きたいものである。なお、写真の内容はクリックしての拡大図でご確認いただきたい。ここだけで8つのブログを復元?したことになる。

ページ移動

ユーティリティ

<<<2024年04月>>>

1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30

検索

エントリー検索フォーム
キーワード

過去ログ

Feed