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北九州の長崎・平戸・佐賀を巡る-九十九島から平戸へ(2)

  • 2013/11/27 11:53

 ザビエル記念教会を出て「松浦(まつら)史料博物館」に向かった。そのあたりは平戸の市街地という感じのところで、きれいに整備された心地よい感じの場所であった。そのチョットした高台にその史料博物館はあり、歴代の平戸藩藩主松浦家の所蔵品の展示館である(1枚目の写真)。入ってみて驚いた。なんとそこには膨大な数の資料が展示されており、私が見てもそのほとんどが貴重なものと感じさせるものばかりであった。聞くところによると、そのほとんどが複製ではなく実物であるとのことで、また紙に書かれたものが多いことから木造の展示室で起こりうる火災の危険を感じてしまう、そんな感覚を抱いてしまった。
 皆さんにお見せしたいものは数々あったが、写真を撮ってお見せするのはなかなか難しい。その展示品のかなりのものは第9代藩主で寛政の改革でも活躍した松浦静山(本名 清)の収集品や彼が模写させたもの、あるいは彼自身が書いた絵など、多彩な興味と才能をうかがわせるものばかりであった。Wikipediaにはその静山について詳細な記述があり、彼の生涯は非常に興味深いので一部分であるが出来るだけ詳しく紹介したい。
 「松浦 清(まつら きよし)は、江戸時代中・後期の大名。肥前国平戸藩の第9代藩主。平戸藩世嗣だった松浦政信(第8代藩主・松浦誠信の三男)の長男。母は政信の側室・友子(母袋氏)。官位は従五位下。死後に贈従三位。幼名は英三郎。号は静山。この号を合わせ、一般には「松浦静山」の呼び名が通っている。隠居後に執筆した江戸時代後期を代表する随筆集『甲子夜話』で著名である。大名ながら心形刀流剣術の達人であったことでも知られる。
 清が藩主となった頃、平戸藩は財政窮乏のために藩政改革の必要に迫られていた。このため清は『財政法鑑』や『国用法典』を著わして、財政再建と藩政改革の方針と心構えを定めた。そして経費節減や行政組織の簡素化や効率化、農具・牛馬の貸与制度、身分にとらわれない有能な人材の登用などに務めている。…(中略)…
 文化3年(1806年)、三男・熈に家督を譲って隠居し、以後は執筆活動に従事する。清は文学者としても秀でており、文政4年(1821年)11月の甲子の夜に執筆を開始したということで有名な、江戸時代を代表する随筆集『甲子夜話』(完本は平凡社東洋文庫、全20巻)や剣術書『剣談』(野村克也の名言とされる「勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし」はこれが出典で、清本人の発言である)など、多くの重要な著作を残している。
 特に『甲子夜話』は正編100巻、続編100巻、三編78巻に及ぶ大規模なものであり、内容は田沼意次時代から寛政の改革時代頃にかけての政治、諸大名や旗本、民衆の暮らしや風俗を知る上で貴重な史料となっている。なお、松平定信とは交友関係があったらしい。蘭学にも関心があったようで、静山が入手した地球儀が現在も松浦史料博物館に保管されている。一方で、史料博物館には戯作や黄表紙など卑俗な絵入り小説も多く含まれ、静山の多方面な関心が窺える。昭和初期の5度に渡る売立や、人を介して間接的な競売で散逸してしまったが、肉筆浮世絵を特に熱心に蒐集したらしく多くの名品をコレクションしていた。現在、大和文華館所蔵の国宝「婦女遊楽図屏風」は静山が新たに購入し、この屏風の別名「松浦屏風」もこの事に由来する。他にも勝川春章筆「婦女風俗十二ヶ月図」(MOA美術館蔵、重要文化財)や「遊女と禿図」(東京国立博物館)、鳥文斎栄之筆「朝顔美人図」(千葉市美術館)などの優品が静山の旧蔵品として知られている。天保12年(1841年)、82歳で死去した。
 清は17男16女に恵まれた。そのうちの十一女・愛子は公家の中山忠能と結婚して慶子を産み、この慶子が孝明天皇の典侍となって宮中に入って孝明天皇と結婚し、明治天皇を産んでいる。つまり、明治天皇の曾祖父にあたることになり、現在の天皇家には、この清の血も少なからず受け継がれているのである。」
 そんな静山を生み出した平戸藩藩主松浦家の展示品の幾つかを紹介したい。2枚目の組み写真はシーボルトの「NIPPON」発行の100年ほど前に出版されているワインマンの「顕花植物図譜」を静山が輸入させたものらしい。また、鎌倉時代の「蒙古襲来絵詞」を江戸で模写させたものも組み写真に入れた。3枚目には水戸藩徳川斉昭が書かせたと言われる、静山を含む当代の3人の有名人を集めての絵、さらには静山自筆のコミカルな河童の絵をご覧いただきたい。なんと三味線や琴を楽しんでいる。最後の組み写真では、狩野探幽の三幅対の真ん中の絵を入れ、さらに平戸藩が戊辰戦争において明治政府の援軍として東北に出兵したことも分かるようにした。
 それにしてもこの史料博物館は、私にとっては驚きの連続で、当時の日本を牛耳っていたのは薩長はもとより九州の西端の地の平戸藩も日本の政治に大きな影響力を持っていたのだと思い知ることになった。そのようなことが分かってくると、開国以来の史跡がたくさん残るこの地域を再度訪れる価値があると強く感じるようになったし、静山の書いた「甲子夜話」なる随筆もちょっと読んでみたい気もしてくる。

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