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私の切なる願い “自分自身のためにプレーして!!!”

  • 2014/02/24 15:27

 昨夜でソチ冬季五輪は終了した。オリンピックをテレビ観戦するのは好きだが、しかし、これほど切ないことはない。日本人の勝者も敗者も言うことはよく似ていて、「私がここにいるのはこれまでの先輩の方々や、サポートしてくれた人たちのおかげです」となるとますます切なくなる。特に女子スキー・ジャンプに登場したが思いがけない結果になった17歳の高梨選手が「今まで多くの人に支えられてきたので、感謝の気持ちを伝えられたらと思ったけど、そこまでいい結果を出せなかったのは残念です・・・」というようなことを言われると、本人を痛ましく思うとともにこちらもナイフか何かを突き付けられたように苦しい。
 1枚目の写真は、国民の声援を背負って苦しい戦いになってしまった浅田真央選手のショートプログラム後の写真と記事である(2月20日読売新聞夕刊)。彼女はフィギュア団体戦の切り札として登場しながら満足できる演技ができずにその責任を背負い、さらに個人戦の重圧にさらされて信じられないほどの失敗をしてしまったのである。それでもコーチや姉からの叱咤激励や、自らのつらい決断の中からその重圧から逃れるすべのないことを悟ったのであろうか、1日置いたフリーの演技では悲願としていたトリプルアクセルを見事に成功させ、自己新の得点を得てショートプログラムの16位から6位に10人をごぼう抜きにして世界中をあっと言わせたのである。
 日本人のスポーツ選手が国際大会で敗れる場合には、往々にして自分の実力を存分に発揮することができない場合が多いように思う。つまり過度の緊張の中に落とし込められるからのようである。なぜそうなるかは難しい問題だが、一つには前回のブログで議論した“優しさ、絆、思いやり、気配り”の中にいる日本人が、逆にそれからくる拘束から逃れられないことにあるような気がしてならない。もうひとつは日本の富国強兵の近代化以来、スポーツすることを学校の“体育”という授業の中から学ぶ日本人は、団体競技の中の“個人”として育まれるのであり、その“個人”は団体の枠から逃れられないのである。近年スポーツ少年団などが普及して学校から離れつつあるのはよい傾向であるが、しかし、多くの体育の指導者集団は体罰を持って指導を進める集団であったことが明らかになりつつあり、そう簡単に“個人”の“独立”を許すようなものではない。
 このように考えると、日本人が個人として独立した存在になることは容易ではなく、それには多大な時間と経験が必要である。今回、メダルを獲得した、あるいはほとんど獲得したに等しい選手たちは、何度も何度もオリンピックに挑戦した葛西選手のような存在を筆頭に、彼に引っ張られた若手3人、上村選手、渡部選手、竹内選手、二度のオリンピックに出産も経験したカーママ、またあえて練習拠点を海外に置いた羽生選手や竹内選手、あるいは日本に自分たちの練習拠点がないためにあえて海外を主戦場にせざるを得なかったスキーの小野塚選手、スノーボードの平野選手、平岡選手(竹内選手もこのうち)などなどは、個人が独立した存在であることを尊ぶ海外に飛翔した者たちばかりであることに気が付く。
 そして、最後の最後に自分の存在を有意義に意識することができたのが、“浅田真央選手”だったのであろうか。レコード・チャイナはきわめて興味深い記事を配信した。少し長いが引用させていただく。
「2014年2月21日、中国メディアU体育は、『最も完璧なスケーター浅田真央、金メダルを取れなくても私たちの女王』と題する記事を掲載した。
ソチ五輪フィギュアスケート女子シングル・フリーで、浅田真央はスケート人生の集大成とも言える素晴らしい演技で自己ベストを更新する142.71点をマークした。メダルには届かなかったが、もはや得点や順位は重要ではなくなっていた。浅田の演技後には、たくさんの花束とぬいぐるみがリンクに投げ込まれた。観衆にとってこれは別れの演技ではなく、フィギュアスケートの女王の帰還だった。
スポーツにおいて、試合の勝ち負けの根本にあるのは己の限界を突破し続けることだ。SPでのミスにも浅田はあきらめず、再びトリプルアクセルという高難度の技に挑戦し、成功させた。どこで転び、どこで立ち上がったか。これこそが、浅田が私たちに示した金メダルだ。逃げず、あきらめず、目標に向かって絶えず前進し続けた。よく『失敗は成功の母』というが、さまざまな挫折に向き合ったとき、どれだけの人が本当に耐え続けられるだろうか。
浅田の大舞台での演技を見るのはこれが最後になるかもしれないが、幸いだったのはこのピリオドが完ぺきだったことだ。金メダルを逃したことは、浅田の『不完全の美』となった。人生を歩む中で、彼女の粘り強く物事に取り組む精神は、浅田真央を最終的な勝利者にしてくれることだろう(翻訳・編集/北田)。」この記事の中には、本来スポーツの持つ強烈な文化的本質が表現されている。そんなこの記事には、躍動する浅田真央選手の写真が添えられていた。無断だが3枚目の写真として転載させていただく。お許し願いたい。
 このような素晴らしい記事が配信される世界の中で、相変わらず採点競技にまつわる点数の争いや不満や非難の応酬が絶えないのはまったく残念である。どうしてそうメダルにこだわるのであろうか?

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