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頻発する台風と豪雨被害、かっての東京大空襲と関東大震災、そして思い出される学童疎開、どうにもならない避難と復旧

  • 2019/10/29 15:23

 先日来台風15号や19号による想像を絶する被害、あるいは昨年の大坂北部地震による復興の遅れなどから思い切って”日本沈没”などとセンセーショナルな話題を議論した。しかし、10月24日の読売新聞朝刊を見て驚いた。確かに、首都圏には以前から首都圏直下型地震の高い可能性があり(1枚目の写真 https://www3.nhk.or.jp/news/special//saigai/natural_disaster\05.html/ )、その被害の想定がしきりと行われてきた。しかし、そのとき人々は具体的にどこへどのように避難するかがあからさまに議論されてきたとは感じてはいなかったように思う。ところが、なんと、台風19号の巨大さ(2枚目の写真、読売新聞10月19日参照)に仰天したか東京都のある地域がおよそ250万人の広域避難を検討していた事実の報道があった(3枚目の写真、、10月24日)。最近何かと恐ろしい現実と見通せない未来を感じることが多いことから、改めてまた書きたくなった。書くことは自分の頭を整理することだからである。
 その報道には次の様な記述がある(3枚目の写真。拡大してご覧ください)。「5区(東京都東部の江東5区)は、昨年8月に発表したハザードマップで荒川や江戸川が氾濫すると最悪9割以上の居住エリアが水没すると想定。荒川流域の3日間の雨量が『500㍉超』となる場合、水没エリアの住民に埼玉など他県への自主的な広域避難を促し、『600㍉超』で広域避難勧告を発令するとした」
 そして結局はその避難計画を断念したが、4枚目の写真(10月24日)を拡大して是非お読みいただきたい。詳しい結論を簡潔に言うと、今回は江東5区(墨田、江東、足立、葛飾、江戸川)が、地域を貫く荒川流域で記録的豪雨が予想されたとして、最大250万人(5区の人口260万人の90%)を近隣県などへの避難を検討しつつあり、11日に担当幹部が電話会談をしたがすでにその時点で鉄道各社が計画運休を行うことが固まりつつあったため、この計画を断念した、というのである。その結果、それぞれの区内の避難所で対応することになったという。結果的には幸い5区の流域で氾濫や浸水はなかったという(3枚目の写真)。
 ではなぜ避難などの実施を断念したかということは、4枚目の写真の記事に詳しく書かれている。つまり、いざ大規模避難などの実行が現実味を増してくると、10月11日に電話で会談した各区の幹部らは昨年6月の「首都圏における大規模水害広域避難検討会」での具体策のなさが議論の裏側に姿を見たのである。4枚目の写真の地理的関係を拡大したのが5枚目の写真であるが、近隣県への避難となると、東側には埼玉、茨城、千葉、そして西側へは東京西部や神奈川が該当する。
 そんな遠距離避難の手段については検討会では「電車または徒歩」となっていたといい、昨今のように計画運休が頻繁に起こるようになると非常に複雑になり、ことは動かなくなる。また、検討会では「避難場所や避難ルートは決まっていない」というのが共通認識のようで、これでは一歩も進まず、どの区も何十万人を収容できる場所を個別に用意するのは不可能だと断言しているようである。結局、これまでのところ検討会では具体策は全くなく、大規模避難は必要だとのぼんやりした共通認識にとどまっている。そんな状態だから、5区の幹部がそのような避難を検討したことを公にすることさえ拒んだのであろう。

 大規模避難を必要とした歴史は何度かある。そのひとつは福島原発事故を伴った東日本大震災で、それまでには関東大震災や東京大空襲があった。しかし東京大空襲以外では組織的な大規模避難行動はなかったように思う。きわめて組織的に行われたのは太平洋戦争末期のことである。Wikipediaには次のように記載されている。「1944年連合国軍による本土空襲が始まった(北九州の八幡空襲)直後、1944年8月4日、東京都から学童疎開第一陣が出発し、7月の緊急閣議で急遽疎開決定した沖縄県の学童は8月中旬、大阪市からは8月末に移動を始めた。以上の地域以外にも、横浜市、川崎市、名古屋市、尼崎市、神戸市と今の北九州市(当時は門司、小倉、戸畑、若松、八幡の各市)から周辺県への疎開が9月末までに集中的に行われた。疎開児童総数は40万人以上だった」
 この時の避難は国家、すなわち軍主導で組織的に行われたがゆえにそれなりに実行されたと思う。しかし、対馬丸事件のような悲しい事故も生んでしまった。この大規模避難は戦争末期の断末魔の本土決戦を可能にするためにせめて子供たちだけは避難させたいとする意向が働いたのであろう。それでは現在の状況はどうであろうか。首都圏は極度に人口が密集し、江東5区だけで290万で、大水害になれば250万人の避難が必要だという。先日の台風19号では多摩川沿線でも浸水がかなりの規模になった。その領域には数百万人がひしめき合っているのである。そして先日来の鉄道各社の計画運休でも、その計画が少しでも予定を外れれば利用者の大渋滞が発生することはよく分かってきた。首都圏の交通網は素晴らしいという人もいる。しかし、一旦どこか数か所で交通網に破たんができた時には大規模な住民輸送は簡単に破たんしそうである。それは、この10月の台風15,19号による暴風雨、そして21号崩れの温帯低気圧の集中豪雨による関東・東北の被害を見れば、この平時でさえ人の移動の難しさが察せられる。
 しかし、もし大規模避難を首都圏を中心に行うとすれば強い意志を持った実行力と我々が不得意とする横の連携を完ぺきにこなさないと人命を助けるための避難にはならず、むしろ逆の結果を招くことは明らかだと思われる。私はこのブログを書くまでは、避難してきた人々を受け入れるなんてことは考えも及ばなかった。幸い私が住んでいるところはそれほど危険が迫ってくるような場所ではないと感じている。だとすれば、避難ではなく逆に受け入れ側に回ることを考えなければならないのだと実感するようになりつつある。それをうまく繋げるのが横の連携である。
 最後に、4枚目写真の記事の見出しは「250万人避難 『方法ない』」とある。良く考えてみれば、誰しもがそう思うであろう。これは首都圏だけの問題ではなく、今回の三つの連続した災害で日本列島のおよそ半分の地域が密かに麻痺する事態に陥っている。つまりこれは、過密の首都圏の問題だけではなく、過密していない地方においては、災害発生時に避難はおろか復旧もできないという、もう一つの差し迫った問題が待ち構えているのである。

 なお、今回の記事の写真は新しい方法で撮影したもので、これまでのよりは拡大しても鮮明に見られると思われる。ダブルクリックで拡大してご覧いただきたい。特に2枚目の記事は情報量が多い。

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