何故に人々はお偉方のお願いを聞こうとしないのか?
- 2021/06/04 16:55
今朝メールボックスを開けたら、高校時代の部活の仲間から次のような文章で始まる手紙が送られてきていた。
『康さんへ
おーい元気にしてるか、2月以降ブログ見てないが、珍しく期間が長いね、体調でも悪いのと違うのか。いつもの小気味良いの見たいね。』
あとはお互いの近況報告がらみが続くメールである。このありがたいメールに書かれているように、ブログが書けないほどに体調不良があるわけでもないが、事態はもっと深刻かもしれない。深刻と言えばなんだか恐ろしい感じもするが、書けない理由はいろいろある。チョット書き始めてみよう。
そのひとつは書きたいことが山のようにあっても書くポイントがつかめないことである。これには私も、当たり前のことだが、80歳を過ぎて年を取って頭の回転が鈍くなったことであろう。要するに頭が働いていないのだと思う。
このことは、次に大事な問題点の発掘力の無さにつながってしまうし、結局考える集中力、そして持続力を保てなくなってしまう。
そしてもう一つ言えば、今の現状を表しているが、例えば新型コロナの問題であるが、パンデミックの状況、なぜこうなってしまったのか、今の状況はどうなっているのか、感染状況はどうか、どうゆう政策を取ればこれを解決できるのか、などなど果てしない議論が毎日あらゆるメディアで行われている。こうなると論点を整理するなりしなければならなくなり、膨大なエネルギーを必要とする。もはや私の仕事ではなくなる。
私が当初新型コロナの話にのめりこんだのは、東京都がホームページに掲載しているデータがずさんで、それによって何が分かるのかが分からないことからであった。特に当初感染者数や陽性率などを考えるときにどの日にちのデータを使っているのかが全く不明であった。その後その点は若干改善されてきたが、しかしいつの間にかデータ評価については曜日によって数値がかなり違うことから毎日毎日の絶対数ではなく、同じ曜日の前後、あるいは1週間の移動平均を使ってデジタルデータのばらつきを補正する手法を取るようになってきた。
以上のような問題点を感じながら何とかブログを書き続けてきた理由は、政府であれ自治体であれある種の権威筋から出されるデータや考えが矛盾に満ちたものであることは許されず、それは修正されるべきものであり、それを持って初めてたとえば政府と国民の間に議論が成り立ち、信頼関係が醸成されると考えるからである。
もともと私がホームページやブログを書き始めた理由は、私が考えてきたことを家族のみんなに伝えて置きたいと思ったからであった。そのことは今も変わらないが、でも、最近の政府(安倍政権の頃から)と国民の間の極めて大きい乖離を考えるとそれを何とかしないとどうにもならないと考えざるを得ない。
それがいまブログを書く大きなモチベーションのひとつである。それがどんなに程度の低いものであっても書くことを続けたいと思う。その理由は、どうやってその能力を維持するかということとつながる。それは、文章を書くことは頭の体操にとって必須だと考えるからである。とにかく何かを書くことである。私は定年退職になるしばらく前から若い頃大好きだった外国映画(いわゆる洋画)のDVDを老後のために集めようと決めた。そこでデジタル放送の多いBS放送を録画できるようにデジタルアンテナと、DVDに書き込めるような性能の良いチューナーを買い込み、収集を始めた。今その数は何千枚にもなる。それを整理するためにそのディスクの一枚一枚にタイトルや監督、そして出演者名を書き込んでいる。これは頭の体操になる。一方、50代から始めたマラソンはまだ続いている。この両輪で知力・体力を維持したいものである。
タイトルに書いた「何故に人々はお偉方のお願いを聞こうとしないのか?」 それは、”お偉方はなぜ国民が自分たちの言うことを聞かないのか”
との答えを持たないからである。私がこうやってブログを書くことは、お偉方に対する反感を表している。でも、コロナに感染したくない自分を守るために、危ないことはやらないように、気を付けてはいる。みんなもそうするしかない。
このブログの冒頭で紹介したメールをくれた昔の仲間は、パソコンで囲碁の訓練を続けているとのことである。みんななにがしかのことをやっている。